ステラ meets レイモンド
誰か嘘だと言ってくれ。
俺は今し方垣間見た光景に目を疑った。
まさか、そんなと思考が空転して目の前が真っ黒に染まる。そのまま鉛のように重くなる身体にこの場を動けず、膝から頽れた。
『信じられない』『裏切られた』そんな罵倒が頭をガンガン叩く。暗い気持ちでズブズブと底なし沼に沈んでいくようだ。
俺は無意識に膝を抱えて蹲り、お腹を向いて顔を埋めた。
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「ねえ、貴方、大丈夫?」
お昼御飯も食べ終わり各々散会した後、いつもの東屋と中庭を隔てる垣根の隙間に蹲っている令息を見つけた私は慌てて駆け寄った。
今日はここ最近で一番日差しが強い。虚弱なお坊ちゃんが具合を悪くしてもおかしくない陽気だったから、もし動けないでいるのなら助けを呼ぼうと思ったのだ。
私の呼びかけに反応を見せず、まあるく蹲ったままの令息に事態の深刻さを見て焦りが募る。
「もしもし、しっかりして! 私の声が聞こえますか?」
すかさず屈んで寄り添い、卵状の令息の肩を叩く。それにも無反応で、どうしようと途方に暮れた。私一人で男子生徒を運ぶなんて無理だし、意識確認の出来ない人間を一時といえ放置して――助けを呼びに――この場を離れても大丈夫だろうかと不安になったから。
もしかしたら頭をぶつけたのかもしれない! こんな事ならナターシャの申し出を受けて一緒に教室まで戻れば良かった。
せめて今ココに一人でなかったら、対処の仕様もあったろうに。
去来する無力感に奥歯を噛みしめた時、ユラリ、陽炎のように傍らの塊が動いた。微動だにしなかった令息がのろのろと立ち上がったのだ。
「あ、良かった……。って、貴方顔が真っ青よ! クラスは? 救護室まで付き添いましょうか?」
光の消えうせた瞳の彼に私の呼びかけは届いていないらしい。私を完全に無視して、ズルズルとまるで死人のように歩き去って行った。
「何なのよ……」
心配が一人相撲した形になった私は、忿懣やるかたなく立ち尽くした。
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「ねえ、貴方、何なの?」
翌日の昼休み、昨日の男子生徒が茂みに隠れて東屋の方を覗き見ていた。変質者? 付きまとい? 何にしても殿下もいるあの空間に容易に近づけて良いわけがない。
私は意を決して詰問した。
「こんな所でコソコソしてるなんて、不審極まりないわよ? 誤解を解く気もないなら警備兵を呼ぶけれど?」
後ろで仁王立ちした私に気付いた不審者(仮)は大慌てで私を振り仰ぐとワタワタと弁明を始めた。
「え!? いや、違っ!!? お、俺はあいつらの知り合いだよっ!!」
「そうならこんな所に隠れる必要ないでしょう? 堂々と皆の輪に交ざればいいじゃない」
「ダメ! 今は駄目だ!!」
「怪しい……」
ジロリ。
私は真偽を求めて眼前の令息を見下ろす。髪は明るい栗色。少し癖付いて自由にうねっている。懇願を浮かべた瞳は髪と同色。パッと見悪人には見えない人好きのする顔立ちだけど、こういう人の方が危ないってよく言うわよね?
「ふぅん。貴方が本当にあの方々と知り合いなのか確かめようにも、私は貴方の名前も知らないの。……私はステラ。貴方のお名前は?」
「レイモンド。レイモンド・ベイン。あいつらには『レイ』って呼ばれてる」
視線で東屋の方を示しながらそう答えたレイモンド。嘘を言っているようには見えないけど、そうなら一層不可解よね?
「俺、昨日ロンを探してここを見つけたんだ。……でも会いたくなくなった」
急に木の子でも生えそうなじめじめした空気を蔓延させて項垂れたレイモンド。そのただならぬ気配に、「ロンと喧嘩したの?」と問えば静かに首を振られた。
「喧嘩出来るくらいならこうしてないよ。ハハハ……」
乾いた笑いを零しながら地面に『の』の字を量産するレイモンド。……うっ、暗い。
「ステラ?だっけ。……君はあいつらと仲良いの?」
「え?ええ……。良くお昼御飯には誘われるけど……」
反射的に答えれば胡乱な眼でレイモンドが何かブツブツ言い出した。地雷踏んだ!? でも私のせいじゃないと思う!!
「あ、あああああの! ロンに会いたくなくなったって、どうして?」
深みにハマっていくレイモンドに慌てて声をかけて、マズイと冷や汗が浮かぶ。レイモンドの目がストンと据わる瞬間を目撃してしまった。うう~、墓穴……。
「昨日ここで見ちゃったんだ」
ぼそりと低く呻いた音に怨嗟が滲んだ。その重さにひくりと引き攣る口端をなんとか堪えて私は先を促す。
「な、何を?」
やけに乾く口内を何とか潤そうと無理矢理唾液をゴクリと嚥下する。
「白昼堂々、ロンとナターシャ嬢が抱き合ってるところを……」
やさぐれて吐き捨てるレイモンド。自嘲を浮かべてまたしても瞳から光が消えている。
私はレイモンドの言を受けて昨日を思い返していた。白昼堂々、抱き合う二人?
「ああ~~~!」
検索結果に該当する場面を見つけて私は感嘆した。
「や、やっぱり!! 二人はそういう関係!?」
一縷の望みも絶たれたと地面に這いつくばり号泣しだしたレイモンドにドン引きしつつ、私はその場面を回想した。
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――――――――……
「クロ、腹ごなしに勝負よ!」
高らかに宣言したシルヴィーの手には、どこから取り出したのか木剣が握られていた。
「……シルヴィー、ここは城ではないのだから控えた方が良い」
「なぁに? 私に負けるのが怖いの?」
「シルヴィーこそまた悔し泣きするんじゃないぞ?」
安い挑発に乗ったクロード殿下がすっくと立ち上がり、ナターシャが手渡した木剣を当然のように受け取って東屋を出た。すぐにカンカン響きだした剣を交える音。近付いては離れ、また直ぐに至近距離で相対する殿下とシルヴィーは、間に木剣という物騒なものさえなければ踊っているようにも見える。
「本当に二人は手合わせが好きねぇ」
ニコニコしながら優雅にお茶を口へ運ぶナターシャの様子から、これがこの幼馴染たちの日常なのだと察して引き攣った。
(剣を振り回す公爵令嬢と、それに嬉々として相対する婚約者(仮)って……)
どうなの? と胡乱に視線を向けた刹那、殿下の腕力に弾かれたシルヴィーが勢いよく東屋の方へ飛んできた。
「あ!」
危ないと言おうとして最初の文字しか音に出来なかった私と違い、サッとシルヴィーを受け止める壁が現れた。―――殿下の付き人ロンである。
ロンは手馴れた様子でシルヴィーの背中を支え、吹き飛ばされた勢いも難なく殺して彼女を受け止めていた。それに「ありがと」と短くお礼を告げたシルヴィーは、ロンという壁を利用して弾丸のように飛び出していったのだ!!
「!?」
思わぬ反動を喰らってロンが後ろにたたらを踏み、運悪く小石を踏んで足首をぐねらせたロンの態勢が大きく傾ぐ。倒れる! 咄嗟に思うもまたしても動けない私。するとそよ風が私のすぐ横をすり抜けた。
一度瞬きをした間に、私の後ろで腰掛けていたはずのナターシャが目の前に現れていた。そしてぐらりと傾いだロンの手を取って大きく斜め上に引き上げた。すると、どういう訳だか尻もちをつくと予想されたロンがくるりと半回転してこちらを向き、ポスっとナターシャの腕の中へ納まった。――といっても身長差がある為、今の状態だけ見れば男女が抱き合っているような構図になっている。
「全くシルヴィーは! ……ロン様も転ばなくて良かったわ」
のんびりとナターシャが笑いポンポンとロンの背中を叩いたのだけど、それが幼子をあやす母親のように見えて、私は何度か目を瞬いた。
――――――――……
――――――――――――……
「……ってことならあったわね」
「なあんだ、そうだったのか!」
私の回想を聞いたレイモンドの表情が安堵に緩んだ。「俺の早とちりか~」なんて呟いて胸を撫で下ろしている。
「あんたもしかして、ナターシャが好きなの?」
レイモンドの道化めいた雰囲気に思わず素で零れた私の問いに、秒で目の前の男が全身真っ赤に染まった。
「で、昨日二人が抱き合っている所を見ちゃって、知らない間にロンとナターシャが恋人になったと思ってショックを受けてたって事?」
……本人たちに確かめもせず、勝手に落ち込んで塞ぎ込んでいたと? 何だそれ。私の心配を返して欲しい!
つい顰め面になった私に、レイモンドが小さくなる。その姿に、溜息一つでやり過ごした。
「いやぁ、俺がナターシャ嬢の事を想っているのを知っているロンが、黙って抜け駆けするなんておかしいとは思ったんだけどさ」
バツが悪そうに後頭部をガシガシかきながら苦笑するレイモンド。うん。こいつはヘタレで間違いないな。自然と白けて半眼になろうというものだよ。
そんな私の視線に気付く事なく、レイモンドは勝手にナターシャが如何に近寄り難く高根の花であるかを語り出した。この人、ハルマと気が合いそうだなぁ……。私の心証は下落の一途ですが。
とその時、
「あ、あーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
突然レイモンドが叫び、私はびっくりして飛び上がった。
バクバク暴れる心臓を押さえながらレイモンドがわなわなと指さす先を辿る。
ナ タ ー シ ャ が ロ ン に 押 し 倒 さ れ て い る だ と !!?
私も言葉を無くし瞠目してしまった。
芝生の上に仰向けになったナターシャの上にロンが覆いかぶさっている形だが、ロンの顔の位置がマズい。めっちゃナターシャの谷間に埋まってるんですが、何がどうしてそうなった!?
見える所で今日も殿下とシルヴィーが暴れているので、きっと昨日と同じような感じなんだろうけど。……私はそう推測するけれど。
チラリとレイモンドを盗み見た。
レイモンドは今、四つん這いでわなわなと震えている。何とも言えず様子を窺っていると、
「ロンの裏切り者~~~~~~!!!!!」
と叫んで半狂乱に走り去ってしまった。
(…………。うん、私は何も見なかった☆)
見事記憶を改ざんした私は、たった今到着した風を装いつつ、東屋に集うメンバーの輪の中に入り込んだ。
どうしてレイを書くと不憫さが増していくのか……?
そして最初の予定よりずっと残念になっていくのか……
不思議~☆




