幸運の在処
ステラのターン!
私は今一生分の幸運を注ぎ込んでるのかもしれない。
(貴族学園に入学出来ただけでも重畳だと思っていたのに……)
目の前に広がる光景、その仲間の一人として自分がいる違和感。
ふわふわと夢見心地でいつまでたっても湧かない現実感に、私は自分の頬を強く摘んだ。
……痛い。
信じられないけれど、紛れもない現実のようだ。
―――麗らかな昼下がり、昼休みになるとほぼ同時に私はナターシャに腕を引かれ中庭をズンズン進んでいた。道中、昼食を一緒に取ろうと説明されたけれど私の心中は戸惑いでいっぱいだった。すぐ傍にはシルヴィーが――愛称を名乗られて以降『シルビア様』と呼んだら物凄く睨まれたのだ――何やら上機嫌でナターシャに話しかけている。
……しかしどこまで行くのだろう。私がいつまでたっても不安なのは『昼食』に誘われたのに食堂を過ぎ、カフェテリアを過ぎ、中庭の奥――人気のない方へ連れていかれているからだ。
ふと、今朝方センカお姉さまに釘を刺された事を思い出しブルブルと首を振った。
やっとで到着したのは木漏れ日溢れる東屋。
学園内にこんな場所があったなんて! キョロキョロと辺りを見回してその雰囲気の良さに胸が高鳴る。暫し陶酔しているとナターシャに呼ばれて我に返った。クスクスと笑われて羞恥に染まる。……割と頻繁にハルマから『その妄想癖どうにかせぇ!』って言われて憤慨してたけど、ちょっと考え直した方が良いかもしれない。ナターシャに指示されて腰掛けた東屋内のベンチの上で小さくなりながら反省した。
(しかし……。ナターシャっていったい何者!?)
私が物思いに耽っている僅かな間に、東屋内に設えられたテーブルの上は貴族のお屋敷のお茶会会場の様になっていた。何処から持って来たのか明るい色のテーブルクロスが敷かれ、その上に大きなピクニックバスケット。中味は美味しそうなサンドイッチや焼き菓子――片手で食べられそうな上品な大きさだ――しかも彼女の手作りだという。そう言って笑ったナターシャに度肝を抜かされ、――余りにも自然過ぎて違和感を覚えなかったのだけど――お喋りしながら慣れた手つきでお茶の準備をしている彼女に更に驚いた。
「当り前でしょ? ナターシャは何でも出来るのよ!」
シルヴィーが万物の理のように言い切った言葉に妙な説得力を感じながら、私は雲上人ってこういう人なんだろうなとナターシャを繫々見つめた。
そして事態は更に急展開する。
な、なんと、この場にクロード殿下が現れたのだ!!
「あわわわわわわわ」
余りにも近くに、余りにも親し気に笑んでいる王子様の姿に私は正体をなくした。視界に映るキラキラの王子様、麗しいお嬢様、何だか凛々しいご令息、涼やかな美貌のお嬢様……。何だ此処は美形の国か? あ、天国ですね分かります。
「えっ、私死ぬのかな……!?」
気安く王子様に話しかけられるとか何事!!?
怒涛の様に押し寄せてきた分不相応な幸運に思わず吐露した本音を聞き止めて、
「ははっ、ステラ嬢は面白いんだな」
目の前のキラキラの王子様の輝きが増した。極上スマイル。
その凄まじい破壊力に私の時間も心臓も暫しの間停止した……。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
……数分後。
どうにか落ち着いた私が改めて自己紹介を熟し、全員の顔をまともに見る事が出来て漸く、見えた人間関係に首を傾げた。
「シルヴィーは殿下の婚約者なのよね?」
と周知の事実を確認した所、
「婚約者『候補』よ」
と言われて息を呑んだ。
『アーシェ』確か殿下はナターシャをそう呼んだ。そして視線が彼女を捉える度その瞳がどこか甘やかに煌めくのだ。
そしてそれはシルヴィーも同様で、クロード殿下にでは無く、ナターシャに注がれる視線だけが特別柔らかい。……これはどういう事なの?
「私たち、幼馴染なのよ」
そんな私の戸惑いに気付いたのかナターシャがサラリと教えてくれた。
幼馴染……。成程、そして二人は殊更ナターシャの事を慕っているのだ。
「もうかれこれ十年来の付き合いになるかしら……」
こてりと可憐に首を傾げたナターシャに殿下とシルヴィーが「そんなに経つか」としみじみ笑い合っている。三人の気さくな様子に確かな絆を感じて私は納得した。
「……知らなかった」
ぼそり、落とされた呟きに私はその声の主を振り仰いだ。
ロン・オーウェン。
この国の近衛騎士団団長の息子らしい。クロード殿下よりも高い身長、自身も騎士を目指しているらしくがっしりと鍛えられた体躯。彼もとっても格好良いのだけれど、切れ長の瞳は初対面から冷静沈着ピクリとも感情を見せない。――そんな所が殿下の従者に相応しいのだろうと思った――そんな彼のどこかショックを受けたような声音にその表情が歪んで――……ないな。めっちゃ無表情です。え? 今どういう感情?
「……そっか! ナターシャはほとんどお城でしかクロに会わないからね」
シルヴィーが意外そうにポンと手の平にこぶしを落した。
「あ~……確かに、言われてみればそうかも知れないな。全然気付かなかった」
クロード殿下も今思い至ったとばかりに頷いた。
「私とロン様はお茶会などで数度お顔を合わせたくらいで、きちんとお話しした事は無いですもの、仕方ありませんわ」
「え? そんなこと無「そうよね、シルビア?」」
「……え、あ!? そう! そうだったわね!!」
……なんだろう。とてもにこやかに会話が進んでいるのに寒気がする?
「そうでしょう? だからロン様、そんなに気落ちなさらないで」
(あ、落ち込んでるんだ? てか判るのナターシャ!? 凄いな!!)
ナターシャがそっとロンの隣に立ち、労わる様に彼の肩に手を置いて見下ろした。座っているロンは見上げる形でナターシャと視線を合わせる。
「私の兄様はご存じでしょう? その関係で幼い頃から王城にあがる機会が多かったの。……私は基本用のある場所にしか出歩かないから」
ナターシャは苦笑する。しかしそれは上級貴族令嬢であるほど普通の事だ。彼らは基本、その殆どを自身のお屋敷の中で過ごし、下々の者を呼びつける立場にあるのだから。……と、私はイースン家の日々で教えて貰った。あそこの家の女性陣は常識外だとも教わったけど……。
私が心中で肯いていると、ロンが不意にシルヴィーの方を向いた。
「……この子は例外です」
困った子どもにするように頬に手を添えて嘆息するナターシャ。エスパー!? ロン様は一言も発してないよっ!?
「確かにシルヴィーは規格外だからな……」
「ちょっとそれどういう意味よっ!!」
あ、当然なんですね? 察しました。
ナ タ ー シ ャ 様 が 凄 過 ぎ て 呼 吸 が 辛 い !!
気付けば私は緊張もときめきもぶっ飛ばしてナターシャに釘付けだった。
私の視線に気づいてナターシャが笑顔を向けてくれる。それが何となく嬉し恥ずかしくてぎこちなく笑み返した。
(流石姿絵だけでハルマを魅了した方だわ……)
そんな良く分からない感慨のまま嘆息した。
この場の中心は王子様ではなく、間違いなくナターシャだった。
すっかり私も彼女の虜になっていたことにこの時は気付かず、その深みにズブズブと浸かっていく事になるのだ。




