夢見の神子
インフルエンザでダウンしておりました……。
皆様もどうかお気を付けて(涙)
ジジジジジジジジ……
耳障りなノイズが聴こえたと認知した刹那に、私はハッと唐突に覚醒した。
くすんだ紅いベルベット張りの椅子が整然と並び、薄暗い『館内』……館内?――直感でそう思ったのだ――に私は腰掛けている。虫の羽音にも似たノイズの中、時折不規則にカタカタと硬質な物が歪に身をぶつける音が混ざり、どこかピントのズレた視界が徐々に機能を取り戻していくに従って、私の正面に古ぼけたスクリーンが広がっているのが解った。
―――ナターシャとして生を受けてから度々と訪れている映画館だ。
私の潜在意識や記憶を引っ張り出すのに丁度良いからこの様な仕様なのか、この状況を毎度何の違和感もなく受け入れている事からただの夢なのか……?夢現に覚えていたり忘れてしまったりする曖昧さが結局私にこの場所の特定を困難にさせ、訪う度に思い出しては忘却という波間に隠されてしまう。
ただ、ここに来る度に何か大事な作品を観ては感情を大きく揺さぶられたという感覚だけは間違いなく持って目覚めるのである。
きっと今回もそうなのだろう。
およそ自分とは思えない第三者的視点からそんな指摘を受けつつ私は銀幕を向く。ふと指先が布地の起毛を逆目に撫でた――ザラリとしつつ、柔らかで滑らかな――感触を強く感じた気がした。
視線が定まる。……気が付けば上映していて、そうと気づいてしまえば、――食い入るようにして――すっかり眼前の光景に見入っていた。
ぶつかったり、転んだり、絡まれた所を救助されたり……。
様々な【出逢い】を果たしたステラが淡く心を揺らしている。導入がどれであっても辿り着くのは彼女の住処。クロスネバー学園所有の学生寮、その屋根裏部屋だ。埃っぽく、もう使わないのだろう備品が乱雑に散らばった部屋。本来なら決して割り振られることの無い空間を宛がわれた主人公は、怒るどころか一目でその秘密基地めいた造りを気に入るのだ。
『屋根裏部屋』というだけあって当然建物の最上階。屋根の形に合わせてはめられた三角窓の向こうは既に夜の帳が落ちている。真暗になるはずの室内は満月の恩恵により柔らかく白んでいた。月明かりを頼りに備え付けのベッドに腰掛け読書をしていたステラはそろそろ就寝するかと思いふと顔を上げた。すると正面の床の一点にに窓から降り注ぐ月光が集約されているのに気付く。なんとなしにその光の下へ近づくと、そのスポットの中に古びたマスターキー――金属の輪っかの中にそれぞれ意匠を凝らした鍵が数本ぶら下がっていたのでそう思った――が落ちていた。
(こんなものあったかしら?)
こんなに目立つものを今まで見落としていたのかと不思議に思いながらその鍵束を手に取ると、ひんやりとした温度と確かな重量感が伝わってくる。自室の鍵は別に持っていたので、管理人さんが誤って落したのかもしれない。ステラはそう結論付けてその鍵束をそっと勉強机――これも備品として置かれていた年代物で可憐な意匠の木机――の引き出しに仕舞った。
何時しか――ステラが【鍵】を手に取った瞬間――満月は消え、その鍵束が月光を灯していたので部屋が照らされていたのだが、サッサと床に就いた寝ぼけ頭のステラがそれに気付く事はなかったのである。
そうしてステラの意識が闇に溶けていったのと反比例するように、屋根裏部屋は引き出しの中から漏れ出た柔らかな白色に満たされていった。
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「……ここ、…どこ………?」
声がやけに反響する。それもそのはずである。ステラは気が付くと細い石造りの螺旋階段の上に立っていた。暗がりにだんだんと目が慣れてくる。さっきの音の具合から細長い塔の中なのだと見当をつけて、――ならばすぐ傍に壁があるだろう――両手を恐々広げてみた。が、指先は望んだ感触を得られず空を切るばかり。訝しみ首を傾げた所で急に視界が開けた。光源の分からない光に照らされた空間は壁が無かった。ステラの立つ螺旋階段を中央に頭上に行く程階段の蜷局の幅が広がっている。その湾曲の先にぽつりぽつりと扉だけが浮かび上がっているのが見えた。
階段の周囲は奈落。ステラは胸の前にこぶしを握ると、落ちないように細心の注意を払いながら階段を上る。ようよう最初の扉まで辿り着くと、恐々とドアノブに手を伸ばした。そのまま手首を捻るものの、何かに閊えて回しきれなかった。
「鍵がかかっているみたい……」
そう零すと同時に何故か先程見つけた鍵束を思い出す。すると、制服――ここで初めて学園の制服を着ていると気付いた――のポケットからさっきの鍵束がまばゆい光を放ちながら浮かび上がってきたのだ!
ストンとステラの手の中に落ちてきた鍵の内一本だけが輝いたまま逆立ちしている。持ち手に碧い宝石のはめ込まれたその鍵と対になる様に、同様の紋様が眼前の扉に刻まれているのを見つけて『この扉の鍵』だと確信したステラは迷わず鍵穴にその鍵を差し込んだ。その意のままに錠が外れる。再び手にしたドアノブは今度は何の抵抗も無しに回った。そっと手を引けばそれに応じただけ扉が開いていく。
ステラは自然とその隙間に身を滑らせた―――……
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―――……
(そう、最初の【夢見】のチュートリアル。ここで主人公はく~ちゃんの世界に迷い込むんだ)
銀幕の中のステラが戸惑っている先に視えるのはクロードの過去世界。
まるで幽霊の様に誰にも気づかれず漂うステラが目にしたのは、入学式前に出会い、入学式で答辞に立った事でその正体を知った『クロード・クロムアーデル』とその周囲が映されていた。
ここでステラは出来過ぎる兄と常に比較される針の筵に苦悩するクロードの姿を垣間見る。
この夢により、『王子』という別世界に住むクロードの脆い部分を知り、身近に感じる事の出来たステラは何かとクロードを気にするようになっていく。
以降、選択肢やパラメーターに応じて登場する各キャラと二度目ましてをする毎に同様の【夢見】がとある周期で発生、度重なる【過去・現在・未来・妄執】に触れ、現実の彼に触れ、ステラは意中のキャラと懇意になっていくのだ。
(く~ちゃんのフラグを回収していくと、く~ちゃんのバックボーンが明らかになって、彼の中の愛情への渇望に気付くのよ。そしてその隙間をステラが埋めていく事で絆が深まっていく……)
『IF』のストーリーを眺めながら私は思案する。
……このイベントは起こりえないだろうと。
く~ちゃんの寂しさは既に埋めてしまったから。ラルフだけでなく、父親にもきちんと愛されている事、支え合える仲間が傍に居る事を現実のクロードはちゃんと解っている。だからボッチから心を病ませることはないと信じられた。……兄上が好きすぎてのBL展開はありえなくもない気がするが、人の心は自由。犯罪に手を染めなければ良いのだ。
閑話休題。
そもそも、出だしであるステラの寮暮らしがぽしゃっている以上、【夢見】という不思議現象に辿り着くと思えなかった。
(……知りたいのはステラの幸せ)
乙女ゲームであれば、意中の彼とゴールインするのが主人公の幸せなのだ。だからプレイヤーはパラメーターやアイテムを駆使して彼好みの女になる。八方美人の極みのようなもの。
ゲームの様にステラが誰かに好意を示すのならそれを後押しするのも吝かではないけれど、発展途中とはいえ思春期までに確立された『ステラ』と相手との相性だってあるだろうし、色恋に興味を示さない可能性だってあるのだ。
そこに関してはうちの子全員に言える部分でもあるので、兎に角、私は全員が闇に身を落とさない様にだけ気を付ければ良い。
(……やっぱりステラと直接友達になっちゃうのが早いかなぁ)
様子見しててもらちが明かない。何の因果かクラスメイトになったのだから、それが一番自然な様に思った。畢竟、仲良くなれば【夢見】を探る事も出来るだろう。
スクリーンに映し出される沢山のステラを眺めながら、覚醒の時間を感じて、私は静かに瞳を閉じた。




