立場
ステラのターン!
「いいですか、ステラ。よぉくお聞きなさい」
イースン邸の自室で目覚めた翌朝――気付いたら朝だった――、いつも通り家事に従事すべくお仕着せを着て厨房にやって来た私をむんずと捕まえたセンカお姉さまが、私の背中を壁に押し付けて、自身は私の顔を挟み込む様にして両腕を突っ張り、正面に立ちふさがった。私はお姉さまを腕の中で見上げる形になる。厳しい顔をしておいでだが、それすらも美しいなんて、本当に美形はお得だと思う。
「私に見惚れるのは結構だけれど、ちょっとは事の重大さも受け止めて頂戴?」
「はあ……」
出来の悪い生徒を根気強く諭すようにまっすぐと射抜かれるがとんと身に覚えがない。
「あの……ところで何故センカお姉さまがこちらにいらっしゃるのですか?」
「そんな些事は今どうでもよろしい!」
グッと眼力に力が増されて「ヒッ」と短い悲鳴が漏れてしまった。
「以前、入学前に心得として、貴女が珍獣扱いされる危険性については話したわね?」
「はい。……実際昨日のオリエンテーションでは平民に嫌悪感を見せる方も見受けられました」
私の返答を受けてセンカお姉さまがひとつ頷く。
「そうね。デビュタントとして入場した時もそれは感じた事でしょう。でもそれは想定内だった」
「ええ、何年もかけて心づもりもしていましたから、特に驚く事もありませんでした」
何を今更?と私は首を傾げる。お姉さまの意図がわからない。
「……本来なら小物を片付けながら貴女の努力を見せつけていけば良かったのですが、昨日の夜会で状況が変わりました。それは理解できていますか?」
私はわからないと正直に首を振る。「そのようね……」と軽く嘆息された。
「ステラ、気を付けなさい。貴族の狐狸妖怪の中には、自益の為に手段を択ばない輩も大勢いるの。貴女はただでさえ軽んじられやすい平民だというのに、昨日王太子殿下と踊ったことにより否応にも目立ち過ぎてしまったのよ」
カクンと顎が外れるかと思った。間抜けに空いた口を閉じることが出来ない。夢だったのではないかと思っていたが、私は本当に王太子殿下と踊っていたらしい。いや、それはいい。悪目立ちしたのも解る。でもそれが何だというのだろう?
「そうやって思考が全部顔に出ている内は解らないでしょうね……。はあ……。……あのね、ステラ。あなた王家の方々に利用されたのよ」
「利用?」
「そう。王家は身分隔てなく実力主義を貫きますってアピールに使われたの。しかも、下々の者も見捨てないお優しい王太子殿下の噂は真実ですって宣伝にも利用されてしまった」
「???」
「つまりね、平たく言うと、貴女に対するやっかみが顕著になるかもってこと」
「ええーー!! どうしてそうなるんですか!?」
「出る杭は打たれるのよ。それがどんな目立ち方であってもね」
「そんなぁ……」
「別クラスになってしまった以上、ウチの愚弟はあてにならないわ。初日から災難だけど、自分の身は自分で護れるように、過剰なくらい警戒しなさい。世の中、妄想癖の強い莫迦も多いのだから」
――――そう散々脅されて登校してみればこれである。
教室に入るやいなや、あっという間にギラついた瞳のご令嬢方に取り囲まれたのだ。
(センカお姉さま……。どうやら杞憂にはならないようです……)
流石にひ弱なお嬢様方にボコられることは無いだろうけれど。異様な威圧感からとても好い事で囲まれたとは思えない。じりじりと角に追い詰められており最早逃げ場も無い事に気付き覚悟を決めた。
「さあ、ステラ様! 隠し事は無しでございますわよ!!」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
はっきりと言おう。
『拍子抜け』これに尽きる。
登校してすぐクラスの女子に取り囲まれてあわやリンチも覚悟したのに、私が見舞われたのは井戸端会議であったのだ。
王太子殿下の名が聞こえた時は流石に身を固くしたが、良く分からない怒涛の剣幕の内にすぐに話題は移ろっていた。いや、実際詳しくと言われても、昨夜のひと時については寧ろ私の方が教えて欲しいくらいなのだから説明のしようもないのだけどね。
それよりも、だ。
ハ ル マ が 婚 約 者 っ て 何 ソ レ ど こ 情 報 !!?
唖然としている内にその根拠を聞かされて二度驚く。
私がハルマに横抱きにされて? 私もハルマにきつくしがみ付いて? 想像して浮かびかけた情景をかき消した! ギャー―!恥ずかし過ぎるっっ!!
どうやら私は舞踏会の閉会前に気を失ったらしい。どうにも記憶に曖昧な部分が多くて実感がないのだが、そんな私をハルマが運んでくれたようなのだ。しかも傍には二人のお姉さまがいたという。ならば十中八九ハルマは恐妻ならぬ恐姉に命令されて私を運んでくれたのだろう。解かります。
そうして内実を知らぬ人々が傍から見て面白おかしく噂を立てた、と。
成程。なまじ悪目立ちしてしまった後で、注目されてたが故の弊害と言えそうだ。
と、そこまで考えて、ふと目蓋の裏に真紅の尻尾が駆け抜けた。
(そうよ! ダンデ様っ!!)
私は昨夜の運命的な邂逅を反芻する。最早周囲の声など聴こえない。私を見上げたあの影のかかった微笑を思い出してうっとりしてしまう。それをお城のバルコニーから見下ろす私って何この構図!ご馳走さまです!! ニヤつきそうになる口元を必死で堪えていると、突然話しかけられた。……いや、取り囲まれていたんだっけ。
「……そういえばステラ様は学生寮にお住まいですの?」
まずい、話の導入を全く聞いてなかった。
内心焦りながらも私は聞こえた部分に対して答える。……うん?取り合えず大丈夫そう。しかし、後見の家でもないのにと突っ込まれて閉口するしかなかった。そこでナターシャの事を思い出す。チラ見した彼女は公爵令嬢と仲良くおしゃべりしていた。……結局まだお礼を言えてないのだ。早くしないと、いつまでたってもモヤついたままで気持ち悪い。
ここで漸く担当教諭が入室してきた。それにより結界から解き放たれた私はほっと息をつく。取り合えず近々の内にナターシャ様と話をする時間を確保しなければならないだろう。
(そういえばハルマはナターシャ様と踊れたのかしら?)
聞き忘れたな、とぼんやり考えながら指定の教科書を開く。知らず浮かんだ微笑はすっかり弛緩した証拠なのだが、その理由に今の私が思い至る事は無かった。




