デビュタント
デビュタント。
クロムアーデル王国では社交界デビュー当日の――16歳以上の――貴族子息子女を指す。
本来、16歳の誕生日を迎えた若人が王家主催の夜会へ最初に参加する日がデビュタントとなる為、生まれ日によって――また参加は任意の為、経済状況によっては妙齢になってもデビューしない者もいるが――デビュタントとなるタイミングはまちまちである。クロスネバー学園生はその例外であった。
同学年の貴族子弟が一時に会する為、『16歳未満であっても纏めてデビュタントにしちゃおうぜ、国王も暇じゃないし』という大人の事情らしい。
そう、デビュタントは必ず最初に国王に謁見するというしきたりがあるのだ。…と言っても、国王の前で名乗り頭を下げるだけの簡単なお仕事。一瞬しか立ち会わない一若人の事など一々記憶する事もないだろう。それなら、お役所的に纏めっちゃった方が楽じゃん双方的に!
―――というわけで。
私は今、王城の大広間へ続くデビュタント生の行列の中にいた。何せ一年生全員なのだからこの長蛇の列も頷ける。舞踏会が始まる前に一人一人名前を呼ばれたら入場するのだ。そして全員呼ばれたら纏めて王様からありがたいお言葉を頂く。それを以てデビュタントのお披露目とするのだ。……簡略に簡略してもこれだけの時間がかかるのだから、そりゃあ一時に済ませたくもなるよね。王国内のほとんどの貴族子弟はこの学園に入学するのだから、今ここにいない同年のデビュタントは数えるほどだろう。であれば、残りは個々人でデビュタントしてもさして時間はかかるまい。
「ダンデハイム伯爵家ご息女、ナターシャ・ダンデハイム」
「はい」
(……っていうのが現実の話だけど、要は乙女ゲーム的には格好のフラグイベントってことよね~)
私は恰好のスチルポイントを優雅に歩きながらそんな事を考えていた。前の人に倣って指定場所で腰を落とす。淡々と名が読み上げられ、途切れることなく後に続いていく―――。
キラキラ輝く王城の大広間で、――家格順に呼ばれるため――一番最後に呼ばれる平民――家名が無いので一目瞭然だ――のステラ。彼女は学園生となった為に平民の身で社交界デビューさせられる。果たしてその時は程なく訪れた。
「ダンデハイム領、ノーサル男爵家後見―――――ステラ」
「はい」
しん、と水を打ったように静かな大広間に波紋が広がる。声に出さずとも大勢が一斉に動揺すればそれは騒音足り得る。聞こえてくるのはステラの齎す一定間隔のヒールとドレスの衣擦れの音だけなのに、会場内の人々の纏わりつくような気配が五月蝿い。最後の一人が膝を折ったのを確認して「以上、総勢―――」という締めの言葉が響いた。
奇異な者へ向けられる視線はすぐに霧散した。何故なら泰然と豪奢な台座に腰掛ける頂点の発するオーラが会場内を支配したからだ。そうして関心を一手に集めると、お待ちかねの王様からの寿ぎがかけられた。
「まずはおめでとう。―――諸君はデビュタント。今日より大人の仲間入りとはいえ未熟な雛だ。諸君の纏う真白な衣装同様、皆同等の門出である。このかけがえのない仲間たちと研鑽を重ね、香しく色づき花開くのを愉しみにしている」
威厳に満ちた王の言葉に学生たちが感動で息をのむ。
(流石おじ様! さり気に牽制するなんてぬかりないわ)
……といっても全員が理解できたかは謎だけど。
今年のデビュタントにはステラという異物が混じっている。でも、それは王が皆同等と認めた学園生の一人であってそこに序列はない。出来るとするなら今後の努力次第だと。本当、アルおじ様みたいな方が国王でこの国は幸せだよ。
そうして全員が賜ったお言葉に最敬礼を返して儀式は終了。
―――――さあ、舞踏会の始まりだ。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「ステラ」と自身の名を呼ばれて返事をする。開かれた重厚な扉を潜ると目が眩むほど煌びやかな世界が広がっていた。扉枠という一線を越えたら別世界だ。いや、自分がこの国のお城にいるということから信じられないのだけど。細いヒールで一歩を踏み出せばカツンと軽快な音が鳴る。沢山訓練した甲斐あって緊張の割りに滑らかに歩けそうだ。ホッとしたのも束の間、今度は勢いよく肌が粟立った。
身が竦むほどの視線に晒される事なんて生涯に一度あるかどうか。然し今私に降り注ぐのは正にそれで、多様な感情の色を乗せた矢が大量に私に放たれてきた。
(この格差社会で底辺が雲上へ上がればそうなるよね……)
頭では分かっていたけどその凄まじい威力に卒倒しそうだ。私は強く拳を握ってなんとかやり過ごす。取り乱したりしてはいけない。貴族社会は見栄と誇りの世界。
(大丈夫。クレハ奥様やお姉さま方の笑顔の方が万倍も恐いもの!)
成り上がりを目指した日から平民の私にとっては毎日が戦場だ。それがイースン邸という戦準備を終えて初陣となっただけ。怯んだら負ける。そしてそれは夢の終わりだ。
『皆同等の門出』王様からの嬉しいお言葉を追い風にして私はノーサル様の手を取る。ファーストダンス。未婚の私たちは親族にエスコートして貰うのが習わしだ。でも平民である私の両親は参内できる身分ではないから、後見のノーサル様がわざわざ領地から出向いて下さったのだ。
「君には大いに期待している。是非とも我が領の出世頭になってもらわないとな」
「この身の及ぶ限り精進いたします」
最高級の楽団がゆったりとしたワルツを奏でだす。危なげないエスコートで私の初陣幕は切って落とされた。この麗しい夢の世界で溺れない様に泳いでいかなければならないのに、どうしても心が躍るのを止められない。だってどこを見てもキラキラで、私もお姫様のような素敵なドレスを着て、お城で踊っているのだ。陶然とするなという方が無理難題だと思う。だって女の子なら誰でも夢見るものでしょう?
うっとり夢見心地でダンスホールをクルクル回る。多くのデビュタントたちが父兄と組んでいる中でひときわ目立つカップルを見つけた。
輝く金髪に映える上品な盛装のクロード殿下だ。何故なら彼のパートナーは大人では無くクラスメイトのシルビア嬢だったから。
私だけじゃない。皆がチラチラと彼らを見ている。
(凄い……。王子様と踊れるなんてどんな気分なんだろう?)
自分だったら……なんて妄想している内に最初の曲が終わった。
「さあ、ここから先は君の人生だ。頑張りなさい」
ノーサル様にかけられた発破にお礼をして会場を見渡す。
ファーストダンスが終われば誰とでも踊っていいのだ。早速あちこちで子息たちが目当ての令嬢に申し込みをかけている。
私は何となくクロード王子を視線で探してしまう。そうしながらも現実的な思考はきちんと回る。一曲だけでいきなり壁の華なんて事態は避けたい。ここは大人しくハルマを探し出して踊るのが堅実だろう。
(あ~でも、あいつナターシャ様を探し回ってそうよね……)
ならばあの綺麗な深紅の髪を探すのが早いかと思った瞬間、急に私へ向かって人垣が割れた。




