第8話 兄と…ペット?
「…私がいなくなっても…消えないでね。」
年老いたさつきが言う。
「急に何を言って…」
「私がいなくなったら消えてしまいそうだから…」
さつきがシャムシエルの頬に手を伸ばす。
「約束よ、消えないって。…ひとりで退屈になるだろうから困っている人を助けてあげて。」
「さつき…」
……君と約束したけど。
ひとりの時間は長すぎる…
君のいない世界で存在する理由なんて…
「…もやしさん?」
凛子がシャムシエルの顔を覗き込む。
……夢?
「大丈夫ですか?…」
「……ああ。」
シャムシエルが起き上がる。
……俺の部屋か。
ずっと寝てたのか。
「……本当に大丈夫ですか?」
凛子がシャムシエルを心配そうな顔で見る。
「……大丈夫だよ。帰ってきてたんだな。」
「はい。少し前に帰ってきました。夜ご飯、用意したんですけど…食べれますか?」
「え?…凛子、料理出来るの?」
シャムシエルが驚く。
「一応、義務教育は受けているので…もやしさんほど上手くないですけど。」
…どうしてわたしが料理、出来ないと思ったんだろ?
キッチンに行くと霧山が待っていた。
「やっと起きたか。凛子が鍋を作ってくれたぞ。」
テーブルの上に鍋が用意されていた。
「……どうして、霧山もいるんだ?」
「…飯は皆で食べた方がうまいからな。さっさと座れ。」
3人で鍋を食べ始める。
「今日はどこに行っていたんだ?」
シャムシエルが聞く。
「動物園だ。」
「……久しぶりに行きました。」
霧山と凛子が答える。
動物園か…確か電車とバスに乗っていかないと行けない距離だな。
凛子が持っている箸を落とす。
「凛子、楽しかったか……ん?」
凛子がシャムシエルの肩に寄りかかって眠っていた。
「……疲れたんだな。」
シャムシエルが微笑む。
「無理させたか?」
霧山がシャムシエルに聞く。
「いや。元々、体力がないからな。……食も細いし。」
凛子を抱えて部屋に運びベッドに寝かせる。
その様子を見ている霧山が言う。
「……ここに来るまでの事は、凛子に聞いた。」
「そうか。」
「……親が子供を売るとはな。…酷い話だ。」
キッチンへ戻る2人。
「代理で落札したんだ。…ここに来た時は驚いたよ。堕ちてないのが不思議なくらいの状態だった。…今もあまり変わらないけど。」
シャムシエルが話し始める。
「…声が聞こえるらしい。」
霧山が言う。
「声……それであの時、家を出たのか。…やっかいだな。」
「…そういや、このマンション空いてる部屋があるか知ってるか?」
「…どうだろうなぁ?……でもこのマンション、いい値段するぞ。」
「そうか。不動産屋に確認してみるか。…金は何とかなるだろ。」
「どうしてそんな事、聞くんだ?」
「家が近い方がすぐに様子を見に来れるからな。」
「……妹って言ってたの、本気なのか?」
シャムシエルが不思議そうな顔で聞く。
「本気だ。凛子が闇堕ちせずに大人になるのを見守るつもりだ。」
霧山がシャムシエルを見てハッキリと言う。
……よく分からんやつだな。
このマンションに空きがあったら本当に引っ越して来そうだ。
結構、いい値段するのにな。
「…こんな時間か。…そろそろ帰る。ごちそうさん。」
霧山が立ち上がる。
「そうか。今日は助かったよ。おかげでゆっくり寝れた。」
「お前のためじゃなくて凛子の為だ。…気にするな。」
霧山がリビングのテーブルの上にある紙袋を指さしながら言う。
「土産も買ってきてやったぞ。」
「そうか。ありがとう………何だあれ?!」
シャムシエルがリビングのソファーに座っているぬいぐるみに気づく。
「凛子が選んだ。ナマケモノだ。」
「…大きいな。」
シャムシエルがじっと見る。
「今日の記念だ。…じゃあまた来る。」
霧山が帰って行った。
…ナマケモノ?
凛子はどうして、このぬいぐるみを選んだ?
面白い顔してるな。
次の日の朝。
時計の針は10時を過ぎていた。
凛子は眠ったままだ。
シャムシエルは凛子のベッドに腰掛けて本を読んでいた。
…よっぽど疲れたんだな。
まったく目を覚まさない。
「…………。」
眠る凛子の顔を覗き込む。
…よく寝てるな。
寝顔は幼い子供みたいだな…
そのまま自分の顔を近づける。
凛子の唇にシャムシエルの唇が近づいていく…
急に凛子が寝返りする。
「…!」
シャムシエルが凛子から離れる。
…………何してるんだ。
子供、相手に…
頭を抱えるシャムシエル。
「大丈夫か、俺。しっかりしろよ…」
自分に言い聞かせる。
凛子が目を覚ます。
「………もやしさん?」
「…おはよう。」
「おはようございます。」
凛子が起き上がる。
「…体、大丈夫か?…疲れてない?」
「はい……大丈夫です。」
凛子が寝ぼけながら答える。
…少し体、だるい……かな?
「あれ?…わたし、昨日…」
「夕飯を食べながら寝たんだよ。」
そういや、ご飯食べようとして…。
その後の記憶がない。
寝ちゃったんだ。
「……?…どうしたんですか?」
凛子がシャムシエルを不思議そうな顔で見る。
「……え?…何が?」
「…何か……様子が変ですよ。…焦ってる?……動揺してる…ように見えますよ?」
シャムシエルが気まずそうな顔をする。
「…い、いや、気のせいじゃないか?…さて朝ごはんにするか。」
そう言うとシャムシエルがキッチンへ向かう。
「………?」
昨日の夜、何かあったのかな?
凛子もキッチンへ向かう。
霧山が自分のデスクで仕事をしている。
「あれ?霧山さん、顔色いいですね。何かいい事あったんですか?」
同僚の女性が声をかける。
「…そうか?」
「ええ。彼女でも出来たんですか?」
「いや。……でもいい事はあったな。」
「…?」
凛子、体は大丈夫だろうか?
ゆっくり休んでいるといいが。
リビングでシャムシエルが大きなナマケモノのぬいぐるみを見て言う。
「…どうして、ナマケモノなんだ?」
「可愛くないですか?」
凛子がぬいぐるみを膝に乗せる。
「………どうなんだろ?」
シャムシエルが困惑する。
「小さいのでよかったのに、大きいのを買ってくれました。」
……凛子には可愛く見えるのか?
よく分からん。
「…何か飲むか?」
シャムシエルが立ち上がる。
「紅茶、お願いします。…わたしも手伝い……!」
凛子も立ち上がるがふらつく。
「…!……あぶないっ!」
シャムシエルが凛子を受け止める。
「…大丈夫か?」
…心臓の音が聞こえる…暖かい。
…………あれ?
…心臓の音が早くなった?
凛子がシャムシエルの顔を見あげる。
「もやしさん、心臓の音が早くなりましたよ?」
凛子が不思議そうな顔をする。
「…え?……そうか?」
シャムシエルが少し照れながら言う。
「そ、それより…大丈夫か?」
「はい。…お茶入れるの手伝います。」
「疲れてるんだろ?…いいよ、座ってて。」
「…………。」
もやしさん、朝から様子が変……な気がする。
…どうしたんだろ?
シャムシエルが紅茶を凛子の目の前に置く。
「…よかったな、お兄さんができたな。」
「…ありがとうございます。…そうみたいですね。実感はないんですが…」
凛子が紅茶を飲む。
「霧山が兄だとすると…」
「?」
「俺は……何だ?」
………え?
もやしさんは…
お父さん?…何か違う。
弟……違うな。
お母さん…は性別が違うし。
…………………うーん
何だろ?
………………うーん、、
「………ペット…ですかね?」
「!!…ペット?!」
シャムシエルが驚く。
「…冗談です。……もやしさんは……何だろ?」
凛子が悩む。
……ペットって。
でも凛子の口から冗談ですって言葉を聞くとは思わなかったな。
少しずつ、凛子の心が動き始めているようだな。
凛子が不思議そうな顔でシャムシエルを見つめる。
「今日のもやしさん、変…ですよ?」
凛子がそう言うとシャムシエルに近づき彼の胸に自分の耳をひっつける。
「…そ、そうか?…凛子、何…してるんだ?」
シャムシエルが少し照れながら焦る。
「…やっぱり。心臓の音が早くなった…」
シャムシエルの顔を見あげる。
「どこか、悪いんじゃないんですか?…急に心臓の音が早くなりましたよ?……天使でも、病気したりするんですか?」
病気…するわけないだろ?
心臓の音が早いのは君のせいなんだが…
「………凛子…近いよ。」
「…え?」
凛子がシャムシエルの顔が近い事に気づく。
「…あ、すいません。」
恥ずかしそうな顔をしながら離れようとする凛子を抱きしめるシャムシエル。
「…もやしさん?」
「…………。」
インターホンが鳴る。
「…!!」
2人が驚いて離れる。
シャムシエルが慌てながらも液晶画面で来客の顔を確認する。
セバスチャンが笑顔で立っていた。
「…おまえか。」
玄関を開ける。
「美味しいケーキを買ってきました。一緒にどうですか?」
リビングに入る2人。
「こんにちは。」
凛子が挨拶する。
シャムシエルはお茶を入れるためにキッチンへ向かう。
「こんにちは。…少し辛そうですね、凛子さん。」
「昨日、出かけたので少し疲れただけですよ。」
セバスチャンが笑顔で凛子の肩に手をのせる。
「…?」
…あれ?セバスチャンさんが触ったところから体が軽く?…なった。
「歩き疲れたのとは違うものですよ。一時的にしか解決出来ませんが…」
セバスチャンが意味ありげに言う。
「……違うもの?」
「少し、体が軽くなったのでは?」
「はい。」
…闇の声?…が聞こえたくらいからずっと体が重かったけど。
少し軽くなったような気がする。
「これからが本番…といったところですね。…あなた自身と向き合う必要があります。」
「わたしと…向き合う?」
シャムシエルが紅茶とお皿を持ってくる。
「まったく、お前はいつも突然だな。」
「目の下のくまが薄くなってますね。」
セバスチャンが笑顔で言う。
「…まぁな。」
ケーキをお皿に乗せて凛子の前に置く。
「ありがとうございます。」
「遠慮なく、どうぞ。美味しいと評判のケーキらしいです。」
凛子がケーキを1口食べる。
「…美味しい。」
……やっぱり、笑顔は出ないな。
少し恥ずかしそうにしたり、嫌そうな顔したりするけど笑顔は出ない。……闇にのまれても怖がりもしない。
「…焦らない方がいいですよ。」
「え?」
セバスチャンがシャムシエルを見て話す。
「…時間が必要です。」
「……?」
凛子が不思議そうな顔で2人を見る。
「凛子さん、ケーキを食べたら散歩でもどうですか?」
「……えっと、」
凛子がシャムシエルを見る。
「天気もいいし…行くか。」
そう言うとシャムシエルが紅茶を飲む。
「いえ、私と凛子さんだけで行きたいんですよ。…シャムシエルはお昼寝でもしてて下さい。」
「……凛子と?」
セバスチャンが笑顔でシャムシエルの返事も聞かずに凛子を連れて散歩に行く。
「また、置いていかれたな…」
まぁ…セバスチャンなら大丈夫……か?
というよりあいつは何者なんだ?
「とりあえず…少し寝るか。」
シャムシエルがため息をつく。
外に出た2人は街路樹を歩く。
凛子がセバスチャンを不思議そうな顔で見る。
…いつも笑顔でよく分からない人。
さっきも体を軽くしてくれた…
この人は人間……なのかな?
「…私が不思議ですか?」
セバスチャンが凛子に聞く。
「…え?……はい。セバスチャンさんは何者…で…」
「私からすればあなたも不思議ですよ。」
「わたしが…不思議?」
「そこまで堕ちそうになっているのに何故か堕ちずに留まっている。…そして闇の者達があなたを必死になって引き込もうとしている。」
…必死に引き込む?
「闇の声が聞こえたのは……」
「声?…そうですか。…少し座りましょうか?」
近くの公園に入ってベンチに座る。
「…声が聞こえるのはかなり末期と言えますね。」
「…そうですか。」
いつ闇堕ちしてもおかしくないってことなのかな?
「凛子さん……闇堕ちしたいですか?」
セバスチャンが凛子を見ながら聞く。
「…………。」
………闇堕ち…したいのかな?
わたしは……
「…分からない…です。もやしさんに会う前は…ずっと死にたいと思ってました。……何も考えたくなかった。」
「………。」
セバスチャンが黙って聞く。
「今も…生きたい……とは思ってないです。……でも死にたいと思う気持ちは…前ほど……強くないです。」
……何言ってるんだろ?
自分でも分からない。
「えっと、、よく分からない…です。」
凛子が悩みながら言う。
「…それでいいんですよ。」
セバスチャンが微笑む。
「…え?」
「悩んでいいんですよ…分からなくなってもね。…生きる事は簡単な事ではないです。…悩むのは当然です。」
「……簡単では…ない?」
「そうですよ。簡単な事ではない…だから支えあって生きるんです。…あなたにも支えてくれる人はいますよね?」
「…支えてくれる…ヒト…」
「私は彼との出会いがあなたにとっても彼にとってもいい影響を与え合う…そんな予感がするんですよね。」
…いい影響、あるのかな?
わたしにとってもやしさんは…何だろ?
冗談でペット…なんて言ったけど…
……分からない。
悩む凛子を見て微笑むセバスチャン。
…悩むという事は今のままではだめだと気づき始めているという事。いい流れですね。
闇に堕ちていきそうな少女と消えてしまいたい天使…
このふたりがそばにいればお互いを救う事が出来るかもしれない。
「…どうでしょうか?やっぱりよく分からないです。」
凛子が悩みながら答える。
「そのうち分かるようになると思いますよ。あと…」
「…?……あと?」
「彼も救ってもらえると私は嬉しいんですが…」
「…彼?…救う?」
凛子が不思議そうな顔でセバスチャンを見る。
「あなたの身近にいる人ですよ。」
「………?」
…もやしさんのこと?
でもあの人に救いっているのかな?
つづく。