中央アジア
今でもモンゴル高原はもっと森林が増える場所があるらしい。過去モンゴル高原焼畑雑穀と言う山で行われるような森林をベースとした狩猟採取から発展した、ツングース的な農業から始まったと見ている。今のモンゴル高原は遊牧によって森林が抑制されてるような状態が一部あるらしい。すべてそうだというわけじゃないが、人工景観と言うらしい。
日本で言う縄文人が植えた栗林などがそれになるかと。人間が人工的に創った自然。そもそもN系がオリジナルで作り出す土台は出来てる。だからおかしくはない。しかし、問題はかなり初期から存在する主要作物のキビだけ、栽培起源が中央アジアの疑いがあるから。焼畑農業による、人種の拡散ってのは中国人自身が後で満州で実践してて、同じような民族が西方の早く始まった農業から来たとしても不思議は無い。
特に粟とキビの違いは、粟は栽培起源地がどこか錯綜してて、その中でもう多元論で良いや的になってるのに対して、キビは2分してて、かつ多数派は中央アジア起源に多いと言う点。一般的なキビの解説は中央アジア起源とさらっと書かれる。これそんな軽いものじゃない。粟と同様2多元発展説がきちんと残ってるのにである。
それは粟とキビじゃ説の常識化が全く程度が違うから。キビは確定ではないが、中央アジア起源説が常識化してる部分がある。この確定ではないのがやっかいなんだ。キビが落ちて、次に特定の系統の人の移動が想定できるなら多分粟も考えなおされるだろうってのが、私の予想になる。
それは中国文明が根底から考え直させられる根幹になる。中国文明はコーカソイドが作ったは無い。ハプロからそれは否定されてる。だが、中国文明は初期西方の人達から影響を受けたなら否定できない可能性を帯びてくる。
キビの栽培起源ってのはそれぐらい重要になる。栽培したなら勝手に飛んでくるわけが無いから。N系はそれを元に真似したか?学んだという事になる。N系だけが何故リードできたのか?で、それは西方に位置したからが理由になる可能性がある。いち早く西方に進出したのがN系になる。中国古代はN系ばかりで、西洋人がいよいよ遺跡が出始めた初期に混血してるのがN系になる。
トハラ、トカラ人の先祖の人達に東方地域でNとの混血が人骨から認められるから。私の勘違いでモンゴロイドだったかもしれない。Nとはっきり書いてあったか?は記憶があやふやになってる。
太古の昔に西方との接触があった場合、考古学的にその証拠が発見できなかった場合。その手柄は接触する場所に居たN系の手柄になる。ただしこれは、可能性の話しに過ぎない。キビが中央アジア起源という常識が破綻すればすべて終るから。後N系が起源地といわれるアフガンあたりまで進出していればすっきりするが、それはまず無いだろう。
氷河期から1万年を切ったあたりにモンゴロイドの西方への拡散が始まる。氷河期の間にコーカソイドは残ったのか?は謎として、基本西方に退避してしまう。無人とも言える中央アジアに向かってモンゴロイドとコーカソイドが拡散していく。だがややこしいのは、アフガンあたりのヒマラヤ山脈を軸とした北方南方ルートの分かれ目であるシルクロード側になる。
こちらはコーカソイドの拡散が圧倒的に早い。せいぜいチベット高原になる。しかもD系は当時はモンゴロイドとはいえない様な人種だったと思われる。似たような系統で、日本にいるC1A系がいる。Dはこちらほどは拡散して無いけど、とにかく世界中あっちこっちに行ってる。今居ないのはそれが消えたからで、過去の遺跡ではあっちこっちにハプロが残ってる。この系統は例外。
私がD系はオーストラロイドの方がしっくり来ると書いたのはこれがある。C1A系と立ち位置が似てるから。
ただシルクロード系の系統調査もされていて、中央アジアはコーカソイドモンゴロイドの拡散系統で、古い系統はあまりいないと言うのが定説になってる。もちろん、インドやかなり少数の系統は別。なんだこれ?って古い系統が唐突に小さく見つかるのはたまにある。ただ中央アジアがルーツ的な起源的な主要ハプロのようなものはない。
それでもシルクロード側のこの地域にモンゴロイドが入ってくるのは突厥の影響が大きい。ただし。人種移動じゃなくて、旅人程度なら、漢の時代にはかなりの東洋人が西方に行ってると見てる。ローマで時折見つかる東洋人ってのは、んまーこの類でモンゴロイド集団大移動ってほどじゃない。それはやっぱり突厥登場までまたないといけない。フン族はステップロードだから。
印欧語族が根本的に違ったのは、これは人種的偏見が入ってしまいそうだが、向こうに行ってから略奪すれば良いわって部分が混じってるから。後は家畜中心の牧畜が基本だったのも大きい。焼畑をしながら進んでいくというのは森林じゃなくても、ある程度の豊富な植物が必要で、ステップってのは私は気候条件が違うので、ちょっと今と違うんじゃないか?とは見てる。
そういった地帯の農業に詳しくないので、出来るかもしれないけど、どうやってシルクロードを越えたのか?が想像できない。ステップロードからの回り道も有りうる。ヒマラヤルートで、雲南から四川を抜けて出てくるのもありうる。その場合の系統は何が良いのか?ちょっと想像できない。
通常森を使うことは無い。だが、焼畑の場合これが都合が良い。ただ牧畜を伴った焼畑なので多分無い。そんな事をしたら途中に文化の痕跡が残ってる。インド南方ルートになる。直接抜けてくるのは良く分からない。それならチベット高原の牧畜の由来にもなって都合が良いけど。それならもっとD系が出てるんじゃないのか?と思う。
青銅器辺りの時代ならわんさかコーカソイドが目と鼻の先に来てるのだが、やおしゃんに先行しているより原始的な農耕文化があり、その時代まで遡ると私は一切中央のステップロードでの遺跡は知らない。元々このステップロードで遺跡は先史時代ほとんど出ないらしい。だから中国の歴史は謎になってる部分がある。やっと出始めるのがBC3500年ぐらいのトカラ人の祖先たちの文化になる。ただこれ後過ぎる。小麦や新しい家畜、青銅器、鉄器戦車の伝播は語れるだろうが、キビの伝播はちょっと無理。
明らかに中国発があやしい作物だが肝心のルートが全く分からない。起源地がカザフあたりだったら、N系の出張程度の頑張りで解決できたのだが…。