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夢だった、はずだ

レイニアス・ヴァンテールの朝は早い。


執務室の机には書類が山のように積まれている。

税収報告、地方領主からの嘆願書、騎士団の補給申請。


レイは一枚ずつ目を通し、必要な箇所に署名をしていく。


「北部の橋の修復費ですが、見積もりが少し多めかと」


隣で補佐官が淡々と説明する。


「資材の輸送費だね。山道はまだ雪が残っている」


レイは書類をめくりながら答えた。


「……この金額で通そう。工事が遅れる方が問題だ」


ペン先がさらりと紙を滑る。




レイの、王太子としての判断は常に最適解。

迷いも、無駄もない。



午前は会議が続いた。


財務評議会。

騎士団長との打ち合わせ。

午後には外交担当官から隣国の情勢報告。


レイは静かに話を聞き、必要なところだけ口を挟む。


いつも通りの完璧な王太子。

誰が見ても、そう思う振る舞いだった。



――ただ。



書類を一枚めくったとき、ふと手が止まった。



『貴族はいないです。もちろん王様もいません』



昨夜のユラの言葉が、不意に浮かんだ。


突然、光る鏡から現れた不思議な女性。

ニホン。

王がいない国。


そんな国が本当にあるのだろうか。



レイは軽く息を吐き、ペンを走らせた。


あれは、夢だ。


鏡が光り、異世界の女性が現れるなど。

そんな出来事が現実にあるとは思えない。





でも、夢にしてしまうには――

会話が妙に具体的だった。



彼女の話は、レイが想像もしたことのないものばかりで。


不思議と、心地よい会話だった。



……ブラック、か。


ふ、と口元が緩む。


すぐに、何事もなかったように視線を落とした。



「殿下?いかがなさいましたか」


側近の訝しむ声がする。


「いや……何でもないよ。少し考え事をしていた」




人に話すには、あの出来事は突拍子もなさすぎる。


エリオンでもなければ、まず信じないだろう。




その日の執務は、滞りなく終わった。


そして夜。私室に戻り、レイは上着を脱ぐ。


ふと顔を上げた視線の先にあったのは、昨夜の鏡。


もちろん、ただの鏡だ。

白く光ることもなければ、誰かが現れることもない。


レイは小さく息を吐いた。



「……やはり、夢だ……」



指先が、無意識に鏡へ伸びる。


鏡に触れる。


冷たい、ただのガラスの感触。


鏡に触れたまま、昨夜のことを思い出す。


あのとき――

窓から差し込んだ月の光が、鏡にかかった瞬間。


額の月光石が、ふっと白く輝いた。


……まるで、呼応するように。


あんな現象は、見たことがない。


本来なら、警戒すべきところだ。


それでも――


気づけば、近づいていた。


そして、光の中から人が倒れ込んできた。





今夜はあいにくの曇天で、昨日のように月は鏡に差し込まない。


なぜユラの鏡とこれが繋がったのか、全く見当がつかない。


奇跡はそう何度も起こることではないのだから、

夢だったと思った方が期待しないで済む。



そしてその夜、鏡が光ることはなかった。


……それでも、しばらくの間。


レイは鏡の前を離れなかった。




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