鏡の向こうに、テンプレ王子
少しの浮遊感の後、もふっとした場所に膝をついた。
おそるおそる目を開けると、濃紺の絨毯。
毛足は長く、ふわりとした感触から高級感が伝わる。
「え、どこここ…?」
周りを見渡すと、映画で見る貴族の館のような内装。
大きな窓の向こうには夜空が広がり、満月がやわらかな光を落としている。
月明かりに照らされた室内は、いっそ幻想的な雰囲気だった。
少し離れた場所に、男が立っている。
淡い金髪、翡翠の瞳、王子様系のやさしげな顔立ち。
ゆったりしたシャツとズボンが、彼の落ち着いた雰囲気を際立たせる。
月光が彼の輪郭をやさしく縁取り、瞳に光が宿る。
目が合った瞬間、ユラの心臓は小さく跳ね、思わず息を止めた。
どう考えても日本じゃない――
彼は、まさに“ファンタジー王子様“そのものだった。
彼は穏やかに微笑んだ。
「こんばんは、レディ」
「あ……こ、こんばんは?」
「ここは、僕の部屋だけど……君はどうやってここへ?」
男は立ったまま、少し距離を置いて見下ろすようにユラを見つめる。
「あなたの部屋?!いえ!私、怪しい者じゃなくてですね、自分の家の鏡が光って、触ってみたら吸い込まれて気づいたらここにいた次第でっ」
突然部屋に現れた時点で怪しさ満点なのは分かっている。
不可抗力なので許してほしい。
ユラが振り返ってみると、彼女が出てきた場所もまた鏡のようだった。
ユラの慌てぶりに男は小さく笑った。
「そうだね……様子を見る限り、”怪しい者”ではなさそうだ。君がそこから現れるのを、僕も見ていた。
君の部屋の鏡と繋がった、ということ?」
男は思案顔で近づいてくる。
「そう、みたいですね…?」
鏡はまだふんわりと白く優しい光を放っており、ユラが手を差し込めばそこに手が沈んでいく。
「あ、まだ繋がってそうです」
とりあえず帰る手段がありそうな事にほっとしてユラが顔を上げると、
いつの間にかすぐ近くに立っていた男が、ユラと同じように鏡に手を伸ばす。
しかし、彼の手は鏡の冷たい表面に弾かれた。
「……通れるのは君だけのようだね」
男は興味深そうに光る鏡を見た後、ユラに向き直って座り込んだままの彼女に手を差し伸べた。
「でも、戻る道があるのなら安心だ。……手を貸すのが遅くなってすまなかった。立てる?」
王子風イケメンは、仕草まで王子様だった。
ユラは恐縮しながら、その男性的だが美しい手に掴まった。
向かい合って立ってみると、男はすらっと頭一つ分は背が高い。
優しげな顔に反して意外とがっしりした体格のようだ。
「君の服は見たことのない形だな………どちらの国から?」
「私はニホンに住んでます。ここは……ヨーロッパ、では、ない……ですよね……?」
鏡を通り抜けた時点で地球では無さそうだが、
念の為聞いてみる。
「ニホンもヨーロッパも聞いたことのない国だね……海の向こうの新興国だろうか」
レイは顎に指を当て、静かに考え込む。
その仕草がいちいち絵になる。
……眼福。
「ですよね……じゃあたぶん、違う世界に来ちゃったんだと思います。こんな立派なお家に住んでる方がヨーロッパを知らないのはあり得ないので……」
ユラは思わず部屋を見回した。
重厚な家具、天井の装飾、窓辺にかかる夜の帳。
「君は、ここではない別の世界から来たということ? 」
「……信じがたいが……確かに見たことのない服装だし……」
彼の視線が、ユラの服のジッパーで止まる。
まるで未知の生き物を観察する学者のようだ。
「私の常識では、鏡が光るなんて魔法みたいなことは十分な異常事態ですよ。しかも知らない場所に来てるし」
「君の世界とやらには、魔法はないのか?」
少しだけ、レイの声の温度が下がる。
それは期待なのか、確認なのか。
「魔法はお伽話の中の話ですね。……ん?!ここには魔法あるんですか?!」
ユラはワクワクが止まらない。
剣と魔法のファンタジー世界キター!!
ユラの内心大騒ぎには気づかず、彼はまだ淡く光っている鏡に目をやると、ユラにソファを勧めた。
「立たせたままですまなかった。まだ時間があるのなら、もう少しだけ話をしないか?」
ユラが座ると、向かいのソファへ彼も腰を下ろす。
「あ、あの。改めまして、私はユラ・オガワと言います」
「ユラ……オガワ……」
あまり耳慣れない音なのか、彼は確認するように言った。
「僕は、レイニアス・ヴァンテール。この国の王太子だ」
「うぇっ?!王太子様?!」
何という王道展開でしょう!
見た目そのまま王子だった!
これは、とんでもない部屋に繋がってしまった。
彼の身分の衝撃が大きすぎて、聞いた名前が吹っ飛んだ。
「………えと。レイ、ニ?……あの、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
ユラが聞き返すと、彼は少し迷った後、穏やかに言った。
「レイ、でいいよ。君は異世界からの客人だ、堅苦しい話し方は無しにしよう」
なんと、彼は名前を縮める許可をくれた!
彼が、不敬罪とか言い出すタイプの王太子でなくて本当に良かった。
「そう言っていただけると助かります!王族の方とか人生で初めて会話するので……」
「ではレイ様と呼ばせてもらいますね」
「いや……“様”もいらないよ。君は、僕の臣下ではないのだし」
「では……レイさん?」
「うん」
「あ、それなら私もユラと呼んでください」
「わかった。……君は……貴族ではないのか?」
レイは、さらっとユラを見やって不思議そうに問う。
ユラのどこに貴族と疑う要素があったのか、ユラの方が不思議だった。
「私は一般市民ですよ。私の国には身分制度はないので、貴族はいないです。もちろん王様もいませんし」
レイは驚いたように少し身を乗り出した。
「王がいない……?では誰が国を導くんだ?」
「えーっと。選挙で選ばれた人たちが、国を動かしてます………」
レイはユラの国の政治のあり方にとても興味を引かれたようだった。
ユラの方は、レイが当たり前のように話す王太子としての毎日がブラック企業さながらで、心配になった。
「王子って、休みとかないんですか?」
「一日何の予定もない日は………あまり無いかもね」
「ブラックすぎる……」
「ブラックとは?」
「心身を削るほど働かせるのが当たり前の職場のことです」
「王子を職と思ったことはなかったな……」
「……王子に生まれるって、大変なんですね」
「……大変、なのかな……考えたこともなかった」
それから2人はお互いの世界の違いについて、しばし時を忘れて語り合った。
月が空を巡り傾きかけた頃。
レイは、鏡についた月光石が明滅している事に気がついた。
「ユラ。光が不安定になっているようだ。……まだまだ話を聞きたいところだけど、もう戻った方がいい」
ユラは急いで鏡の前に戻り、笑顔でレイを振り返った。
「じゃあ……戻ります」
「ああ、気をつけて」
レイは、ユラの傍に立ち、静かな表情で彼女を見ていた。
もうさよならなんてなぁ。
もっとイケメン王子を観察したかった……。
ユラは残念に思うが、帰れる道があるのにずっと彼の部屋に居座るわけにはいかないし……明日も仕事だ。
「あの……今日、レイさんに会えてよかったです。
……私、嫌なことがあって逃げたくなっちゃってたんですけど」
「レイさんと話したら、なんか明日からも頑張らなきゃって気がしてきました」
レイは少し目を細めた。
「そうだったのか。僕も、君と話せて……とても興味深かったよ。」
ユラはレイの言葉に笑顔になった。
「ありがとうございます」
「またいつか鏡が繋がったら……会いに来てもいいですか?」
ユラが尋ねると、
レイはユラの目をまっすぐに見て言った。
「そうだね……もちろん、歓迎するよ」
彼は始終穏やかな笑顔を浮かべていたが、最後のその言葉は、一番優しくユラの心に響いた。
「また会えるの楽しみにしてます!……じゃあ……さようなら」
「ああ。……またいつか」
ユラは鏡に手を差し込むと、白く柔らかい光と共に消えた。
鏡は、ただの無機質なガラスになっている。
レイは無意識のうちに、そっと鏡に触れた。
そして急に静かになった部屋で、しばらく立ち尽くしていた…




