ほろ酔い王子と、はだしのワルツ
夜会が終わった頃には、城の廊下はすっかり静かになっていた。
レイは湯浴みを終え、軽い部屋着に着替える。
肩の力が抜ける。
ふと窓の外を見ると、雲の切れ間から月が顔を出していた。
レイの胸が、わずかに跳ねる。
「……ユラ」
レイは足早に自室へ戻った。
扉を開ける。
部屋の奥の窓辺に、人影があった。
月明かりの中、外を眺めている後ろ姿。
レイが扉を閉める音に気づき、ユラが振り返る。
そして、ふわっと笑った。
「レイ、おかえり」
その言葉に、レイは一瞬だけ息を止めた。
王子として迎えられることは多い。
だが――
ただ「おかえり」と言われることは、ほとんどない。
レイは小さく笑った。
「ただいま」
ユラはレイをじっと見て、それから楽しそうに言った。
「今日はいつもよりラフだね」
「夜会のあとで……急いで来たから」
「夜会?レイ王子の正装、見てみたかったなぁ」
レイは肩をすくめる。
「また今度」
二人の間に、穏やかな空気が流れる。
ふとユラが言った。
「ねえ、レイ」
「うん?」
「夜会って、ダンスするの?」
レイは思わず笑う。
「そうだね、毎回では無いけど」
「やっぱり!」
ユラの顔がぱっと明るくなる。
「見てみたいなぁ……子供の頃に憧れてた」
少し照れながら言う。
「王子様とお姫様が踊るやつ」
レイは一瞬だけ、目を見開いた。
「そんな夢が?」
「夢って言われると恥ずかしいんだけど……あ、」
ユラは思い出したようにスマホを取り出し、音楽を流す。
軽やかなワルツが部屋に広がった。
「君のスマホは、音楽まで閉じ込めてるのか」
レイは驚く。
ユラは笑った。
「そうだよ。なんでもできるの。」
「これは……森で育てられたお姫様が、通りかかった王子様と踊る曲」
「……運命的な出会いだね」
レイは音楽を聞きながら、ゆっくり手を差し出した。
「ユラ……踊ろうか」
ユラは目を丸くする。
「え?!私、踊れないよ!踊ったこともない!」
「大丈夫だよ。僕がリードする」
レイは微笑んだ。
それからレイはユラの手を取り、
ふとユラの足元を見る。
「あれ?今日は珍しく裸足だね」
「……ちょっと今日は、うっかりしてて」
「……それなら、僕も」
レイはさっと、靴を脱いで裸足になった。
「レイ?!何してるの?」
「君の足に靴が当たったら大変だから。
……あと、『人生最高レベルの絨毯』、まだ試してなかった」
「それ、恥ずかしいから言わないでよ……!」
「踏んでも痛くないし、ちょうどいい」
「確かに」
2人で声を出して笑った。
レイは背筋を正すと、ユラに手を差し伸べる。
「では、レディ。踊っていただけますか?」
「……はい」
ユラは赤くなりながら、その手を取った。
レイはユラを軽く引き寄せ、
右手をそっと背中へ添える。
「ステップは気にしなくていいよ」
「僕についてきて」
音楽に合わせて、ゆっくりと動き出す。
最初の一歩。
ユラはぎこちなく足を出す。
「わ、待って、むずかしい!」
「大丈夫」
レイは軽く笑う。
「ワルツは一緒に歩くだけだよ」
次の瞬間、レイが軽く導く。
ユラの身体がくるりと回った。
「わ!」
「すごい!」
「そうでしょう?」
もう一度、くるり。
レイのリードは滑らかで、ユラの足は自然に動く。
「なんか……ほんとにお姫様みたい」
くるくると回るたび、ユラの笑い声が弾む。
「すごい……」
「何が?」
「本物の王子と踊ってる」
ユラはくるりと回されながら笑う。
レイの指先に、わずかに力がこもる。
「子供の頃の夢、叶っちゃったな」
レイはその言葉を聞いて、胸の奥がじんと熱くなった。
「今度は、もうちょっとドレスっぽい服で来ようかな」
「ああ。また踊ろう」
レイは繋いだ手をもう少しだけ強く握った。
豪華な舞踏会ではない。
観客もいない。
月明かりの部屋で、裸足のワルツ。
でもユラにとっては、夢が叶ったワルツ。
音楽が静かに続く。
その時。
鏡の光が、わずかに揺らぎ、
レイの視線がちらりとそちらへ向く。
そして、そっと動きをゆるめた。
ユラもそれに合わせて足を止める。
いつもなら、ここでユラは帰る。
でも、今日は……まだ、この時間を終わらせたくなかった。
「……明日は新月なんだ」
「月の光がないから、たぶん鏡も光らない」
「……そうなんだ。じゃあ、明日は会えないね」
レイは少しだけ迷うように視線を落とす。
それから、静かに言った。
「だから」
「……今日は、もう少し一緒にいよう」
レイは、ユラを見つめた。
ユラも、はにかみながら頷く。
レイは、もう一度ユラの手を取って踊り出した。
さっきよりゆっくりと、揺れるようなステップで。
ユラの足がもつれてよろけると、
レイがすぐに支える。
自然と距離が近くなる。
「大丈夫?」
「う、うん……」
ユラは顔を上げる。
レイの顔が近い。
思わず視線を逸らす。
二人の空気とは裏腹に、
ユラの頭の中は、さっきからずっと騒がしい。
ユラの視線は、落ち着かなげに彷徨う。
レイはくすっと笑った。
「ユラ、踊る時は僕の顔を見て」
「……恥ずかしいの!」
レイは楽しそうに笑った。
「レイ、わかってて言ってるでしょ!」
「ごめんね」
「でも、君の顔を見たかったから」
ユラは真っ赤になる。
「なんか今日のレイ、甘すぎ……」
レイは肩をすくめた。
「そうかな」
「少し酔っているのかも」
ゆっくり揺れるワルツ。
二人の視線が、もう一度合う。
レイの表情が少しだけ変わる。
何かを言いかけて、言葉にならない。
――言ってしまえば、戻れなくなる気がした。
それでも、視線をそらせない。
どちらからともなく、二人の顔が近づいていく。
ユラの心臓がどくんと鳴る。
レイの整った長いまつ毛が近付いてくる。
その瞬間。
ユラの身体が淡く光り始めた。
「うそ、今?!」
レイは、はっとして動きを止める。
光はゆっくり強くなっていく。
レイは一瞬だけ、何かを飲み込むように目を閉じた。
それから穏やかに微笑む。
「……もう戻される時間か」
レイはそっとユラの手を離した。
「おやすみ……ユラ」
「あ、うん。……お、おやすみ」
光が弾ける。
そして、ユラの姿は消えた。
部屋は静寂に包まれる。
レイはしばらく、その場に立っていた。
それから小さく息を吐く。
手で口元を覆う。
「……危なかった」
ーーあのまま続いていたら、きっと止まれなかった。
「……何を考えてるんだ、僕は」
少し遅れて、自分の頬が熱いことに気づく。
額を押さえ、しばらく動かない。
触れていた手に、ぬくもりが残っている気がした。




