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猶予はもうない




王太子の執務室。


机の上には山のような書類。

レイは一枚ずつ目を通し、静かに署名していく。


扉がノックされた。


「殿下。宰相がお見えです」


「通して」




白髪の老宰相が入室する。


「失礼いたします、殿下」


「用件を聞こう」


宰相は一枚の書状を机に置いた。


「以前お伝えしましたが。来週、西方のルドリア帝国より使節団が来訪されます。

……重大な、変更がありまして」


レイの手が一瞬止まる。


「……変更とは?」


宰相は静かに続けた。


「ルドリア帝国には、昨年成人された第三皇女がおられ、急遽ご同行されることになったと」


「西方交易の主導権も、あちらにあります。……この縁は、我が国にとって大きな意味を持ちます」


レイは小さく息を吐いた。


「……なるほど。クリスティナ皇女か」



また、縁談だ。

珍しいものではない。これまでも、何度もあった。



「皇女ご自身が、殿下に強い関心をお持ちとのこと」


宰相はわずかに間を置いた。


「今回の来訪も、たってのご希望によるものと聞いております」

「ルドリア皇帝も、縁があれば、とお考えのようで……」


レイは椅子に身を預けると、わずかに視線を上げた。


その仕草に、宰相の視線が一瞬だけ止まり、すぐに戻る。


「……」


「殿下」


宰相の声は穏やかだが、逃げ道はない。


「再三申し上げておりますが、そろそろ、ご決断いただかねばなりません」


わかっている。



自分が選ばないことで重鎮たちが決めきれずにいることも。

もう、逃げることはできないということも。



レイは小さく笑った。


「理解しているよ。宰相」


「では?」


「……会おう」


宰相は一瞬だけ表情を緩めた。


「賢明なご判断です」


その時。


扉が再び開き、側近が告げる。


「陛下がお見えです」




宰相が一歩下がる。


国王がゆっくりと部屋へ入ってきた。


「話は聞いたか」


低く、よく通る声。

レイは立ち上がり礼をする。


「父上」


国王は机の前まで歩いてきて言う。


「レイニアス」


その声音は穏やかだが、逃げ道はない。


「この国は、いずれお前の国になる」


レイは黙って聞く。


「王妃は必要だ」


「……承知しております」


国王はしばらく息子を見つめ、

わずかに目元を緩ませる。



「もっとも」

「お前が選ぶなら、私は誰でも構わん」


レイは一瞬だけ目を見開いた。


国王は続ける。


「だが」


少しだけ間を置く。


「選ばない、という選択だけは許さん」


部屋が静かになる。


レイはゆっくりと頷いた。


「……はい。」




今回の話は、これまでで最も有益な縁談。


今までの自分なら迷わず頷いただろう。

だが今は、心の奥で何かがそれを拒んでいる。


その理由を、レイは誰にも言えずにいた。





ルドリア帝国使節団を歓迎する夜会。


高い天井から吊るされたシャンデリア。

磨き上げられた大理石の床。


貴族たちが華やかな衣装で集い、音楽と笑い声がゆるやかに広がっている。


その中央へ、レイはゆっくりと歩み出る。


ヴァンテール王家の色である深い青の礼装に、銀の装飾。

夜の海のようなその色合いが、彼の淡い金の髪を際立たせていた。





「ルドリア帝国第三皇女、クリスティナ殿下」


高らかな声が広間に響く。


紹介された姫は、ぱっと顔を上げた。


昼のうちに形式的な挨拶は済ませている。

名乗りと礼を交わした、それだけの対面。


だが――


こうして衆目の中で向かい合うのは、これが初めてだった。


まだ十九歳と聞いている。

淡い桃色のドレスに身を包み、

丁寧に結い上げられた髪と、隙のない装い。


絵に描いたような、理想的な姫君だった。

彼女こそ、王太子の隣にふさわしいと、誰もが感じた。


そして――


一瞬で、彼女の目が輝いた。


「あ……」



目の前にいるのが、噂に聞く王太子。

穏やかで優しい笑みをたたえ、こちらを見ている。

噂以上の美しさに、姫は言葉を失った。




「遠いところをようこそ。クリスティナ皇女」


姫の頬がみるみる赤くなる。


「レイニアス殿下……お、お会いできて光栄です……!」


周囲の貴族たちが満足そうに頷く。


王太子と皇女。

国と国を繋ぐ華やかな縁。


王家の青と、皇女の桃。

並び立つその姿は、まるで一枚の絵のようだった。




音楽が静かに流れ始めた。


レイは軽く一礼し、手を差し出す。


「もしよろしければ……一曲、お相手願えますか」


姫は一瞬固まり、それから慌てて手を重ねた。


「はい……よろこんで」


二人はゆっくりと踊り始める。


レイの動きは無駄がなく、美しい。

歩幅、回転、手の導き方。


どれもが洗練されていて、姫はまるで夢の中にいるようだった。


周囲の貴族たちが感嘆の視線を向ける。


完璧な王子。


まさにその言葉通りだった。




「殿下は……本当にお上手なのですね」


姫が少し息を弾ませて言う。


「とんでもない。姫の方が、ずっと軽やかでいらっしゃる」


レイは穏やかに笑った。


その顔を見上げながら、姫の瞳は完全に恋する少女のそれになっている。




けれど――


レイの意識は、ふと別の場所へ飛んでいた。



ユラの顔が浮かぶ。


ユラは、ダンスを踊ったことがあるのだろうか。

彼女の国には舞踏会などないと言っていた。


だが、もし。


もし誰かと踊ったことがあるなら。



……誰と?


考えたくもないはずなのに、

その想像は、簡単には消えなかった。



ユラは、こちらの世界の人間ではない。


彼女の世界には、彼女の生活がある。

仕事があって、友人がいて――


そして。



……恋人も、いるのかもしれない



レイは一瞬だけ目を伏せた。

その考えを、無意識に振り払う。



自分はまだ、何も伝えていない。


彼女を想っていることも。

この関係が、自分にとってどれほど大切になっているかも。



なのに――


胸の奥がわずかに痛む。


僕は……


姫の手を導きながら、レイは心の中で小さく息を吐いた。



何を考えているんだ。


縁談一つでさえ、きっぱり断れないくせに。




「殿下?」


姫の声で我に返る。


レイは、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。


「失礼。少し気が逸れていました」


周囲から見れば、完璧な王子のダンス。


だがレイの頭に浮かんでいたのは、

目の前の姫ではなく――




裸足で絨毯の上を歩きながら、


「人生最高レベルの絨毯です!」


と笑っていた彼女の顔だった。




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