記憶には残る
翌日。
レイは仕事を片付けつつ、ユラが来るのを待っていた。
窓から差し込む月明かりに、鏡が静かに光り始める。
ふと、昨日のことを思い出す。
――体調を気遣われたのは、久しぶりだったな
いつもなら、多少具合が悪くてもそのまま乗り切ってしまう。
“頼られたら喜ぶ人”……か。
その言葉が、やけに強く印象に残った。
……あれ。
違和感に気づき、鏡の方へ視線を向ける。
――遅い。
いつもなら、すぐに彼女が現れるはずなのに。
ユラの消えた、誰もいない椅子が頭をよぎる。
胸の奥が、わずかに軋む。
今日は、来ないのだろうか……
何かあった?
それとも昨日、引き止めてしまったから?
静かな時間が流れる。
広げた書類は、ほとんど手付かずのままだった。
やがて、鏡の光は静かに消えた。
レイは、少しだけ目を伏せる。
また翌日。月明かりと共に、鏡は光り始めた。
レイは、ほぼ反射的に立ち上がり、鏡の前に向かう。
「ぅわーっ」
おなじみの叫びと共にユラが飛び出でくる。
最近買ったルームシューズが見えたかと思うと、
上半身がそのまま倒れ込んでくる。
レイは、両手でユラの体を受け止めていた。
「大丈夫?」
「レイ?!ありがと……びっくりした」
レイは、少しだけ視線を逸らして
「……ごめん」
「いつも、こうして受け止めていればよかったね」
ユラは笑っている。
「いやいや、大丈夫だよ!鏡の前、ふかふかだし」
相変わらずの彼女だ。
レイは、少し迷ってから口を開いた。
「昨日は……」
「あ、昨日、やっぱり繋がってた?
会社で残業してて、帰ったら夜中だったから……」
「夜中っ?そんなに遅くまで仕事を?」
「……帰りは誰かに送ってもらったの?」
「ん?一人で帰ったけど」
「一人で?!危ないだろう」
「いや、夜でも明るい街だから、わりと大丈夫だよ。
人も結構歩いてるし」
「それにしたって……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
異世界の女性は、こんなにも不用心なのだろうか。
レイの周りにいる貴婦人は、パートナーも護衛もなく夜に出歩いたりしない。
「ふふ、心配してくれてるの?」
「それは、そうだよ」
こちらの世界のレイには、ユラを守ることはできない。
それを、もどかしく思った。
「ありがとう。でも本当に大丈夫なんだ。
うちの近所は交番もあるし」
「コーバン?」
「えと、警備というか…街を守る人がいつでも何人か待機してるところ。
そういう場所が、街のあちこちにあるの。」
「それは……すぐに駆けつけられて効率的だね」
だからといって、レイの心配は消えないが。
「そうだ、レイは体調大丈夫?」
「ああ、すっかり良いよ。ありがとう」
彼女は、いつでも自分のことよりレイを気遣う。
レイの胸に、やわらかな愛しさが広がる。
「今日はこんなの持ってきた」
ソファに座ったユラは、手のひらサイズの白い板を取り出した。
「これね、スマホって言って……通話も手紙も計算も、読書もできる」
「万能だね」
レイは向かいの席から、画面を覗き込んだ。
「……絵画……じゃないな。動くし……ずいぶん鮮明だね」
ユラの視界に、レイの前髪がさらりと揺れる。
ち……ちょっと、近くありませんかね。
今日も麗しい……しかも、いい匂いがする。
「……はっ!そう、スマホね!
見せてあげようと思って、いろいろ写真撮ってきたの。
これは、私の住んでる街だよ」
レイは目を見開いた。
「しゃしん……?世界をそのまま切り取ったようだな」
「建物も見たことのない形だ。ずいぶん四角い。しかも光っている……」
いつぞやの、学者のような顔になっている。
「ガラス張りだからかな?反射で光ってるだけだよ」
「そういうことか。……他にも見たい」
そう言いながら、レイはユラの隣に移動してきた。
ユラは動揺した。
「これは、なに?」
レイが指差したのは、信号機だった。
「これはね、乗り物と歩行者がぶつからないようにする……なんだろ。
色によって止まるとか、進むとかルールがあるの」
「へえ……ユラの世界はすごいな」
レイが視線をあげると、
至近距離でユラの視線とぶつかった。
レイは、柔らかく微笑む。
ユラは、自分の顔が赤くなる音を聞いた気がした。
なんだろう。
今日のレイは、どこか甘い。
ユラはなんだかむずかゆいような、変な心地になる。
「あの……レイ。今日なんか変じゃない?」
「そう?」
「なんか………近くない……?」
「そうかな。……変わらないよ」
レイはユラを見ていた。
そのまま、手を伸ばし、
さらりと髪に触れる。
どどどういう状況でしょうか???
「それよりも……
ユラの“しゃしん“はないの?」
「わ、私の?」
「うん。君が普段、どんなことしているのか。見てみたい」
「自撮りはあまりしないからなぁ……」
「地鶏?」
レイは首をかしげた。
「なんか、伝わってない感じする……」
「レイ。今、写真撮ってみようよ」
そうだ、そしてこの空気を変えるんだ!
「こうやって――」
ユラはインカメラにして腕を伸ばし、
二人の顔を画面に収めた。
レイとユラの顔が、自然に近づく。
あぁ、私ってバカ……
逆に近づいてどうする。
カシャ
ユラはあわてて離れて、画面を確認する。
「……すごいな」
レイは、少しだけ目を細めた。
「この瞬間が、そのまま閉じ込められているみたいだ」
画面をじっと見つめる。
「これが魔道具じゃないなんて」
「これ、紙に印刷もできるから。今度持ってくるね、記念に!」
「楽しみにしてるよ」
レイは、嬉しそうに笑った。
ユラは、帰宅後、
早速スマホを開いてみた。
「……え?」
画面いっぱいの
黒
「……なんで……」
次に二人が会った時。
ユラはしょんぼりして伝えた。
「この前の写真なんだけど……」
「あの……スマホの調子が悪かったみたいで、
印刷して来れなかったの。ゴメン。
……鏡を通ったからかな……」
「……そうか」
レイは、少しだけ目を伏せた。
「万能の機械でも……そういうこともあるんだね」




