「君の声など聞きたくない」と婚約破棄されたので、無言で「王家を守る呪い」を解いて差し上げました。……今更すがり付いても、私の声は冷徹公爵にしか届きませんよ?
「リリエル・バーンズ! 君のような、陰気で喋らない女との婚約は破棄する!」
王宮の大広間、シャンデリアの煌めきが冷たく感じるほど、その声は鋭く響き渡りました。
建国記念パーティーの華やかな音楽が止み、貴族たちの視線が一斉に私へと突き刺さります。
声の主は、私の婚約者である第一王子、ジェラルド殿下。
彼は私の隣ではなく、腕に絡みつく男爵令嬢マリエルの腰を抱きながら、勝ち誇ったように見下ろしていました。
「……」
私は何も答えません。いいえ、答えられないのです。
私の首には、鈍い銀色に輝く『沈黙の首輪』が嵌められています。これはただの装飾品ではありません。王家の命により、私の声を封印する魔道具。
これを着けている限り、私は悲鳴ひとつ上げることも許されません。
「ふん、またそのダンマリか。気味が悪い」
「そうですわぁ、ジェラルド様。リリエル様ったら、わたくしが挨拶しても無視なさるんですもの。突き飛ばされた時だって、謝罪の一言もありませんでしたわ」
マリエル嬢が嘘泣きの演技をしながら、殿下の胸に顔を埋めます。
突き飛ばしてなどいません。彼女が勝手に転び、私のドレスを踏みつけて破いたのです。けれど、声を出せない私に弁解の余地はありませんでした。
「聞いたか、皆! この女は未来の王妃にふさわしくない! よって、真実の愛で結ばれたマリエルこそが、僕の隣にふさわしい!」
周囲の貴族たちがヒソヒソと嘲笑を交わします。
『ああ、あのお人形令嬢か』
『声も出せない石像のような女より、愛らしいマリエル様の方がお似合いだ』
『王家のお荷物だったからな』
……お荷物。
ふふ、と私は心の中で自嘲しました。
お荷物はどちらでしょう。
私は懐から小さなメモ帳を取り出し、サラサラとペンを走らせました。
そして、その一枚をピリリと破り、殿下の目の前に掲げます。
《承知いたしました。婚約破棄、謹んでお受けします》
私の表情は、殿下が期待していた絶望に染まってはいなかったのでしょう。
殿下は顔を真っ赤にして、そのメモを叩き落としました。
「なんだその態度は! 少しは泣いて縋ったらどうなんだ! これだから可愛げがない!」
殿下が激昂し、手を振り上げます。
その手が私の頬を打つ――そう覚悟して目を閉じた瞬間でした。
「――騒々しいな」
空気が、一瞬で凍りつきました。
温度が下がったのではありません。圧倒的な魔力の余波が、会場全体を制圧したのです。
人垣が海のように割れ、一人の男性が歩いてきます。
白銀の髪に、紫水晶のような瞳。
王弟殿下にして、筆頭公爵。そして国一番の氷の魔術師である、カシウス様でした。
「叔父上……! い、いえ、カシウス公爵。これは僕と元婚約者の問題です」
「私の婚約者候補をいじめるのは止めてもらおうか」
カシウス様の低い声に、会場がどよめきました。
他人に無関心で、冷徹非情と噂される公爵様が、まさか私を?
殿下も呆気にとられています。
「は? こいつが? 叔父上、正気ですか? こいつは声も出せない欠陥品ですよ?」
「言葉を慎め、ジェラルド。……それに、彼女が声を出さないのには理由がある」
カシウス様は私の前に立ち、背中で私を庇ってくださいました。その背中は広く、温かい。
……ああ、この方は知っているのです。
彼だけが、私の「心の声」を聞くことができる特異体質だから。
「理由だと? どうせ無能だからだろう! おい、その首輪も王家の資産だ。返してもらおうか!」
殿下が私の首元に手を伸ばしました。
まずい、と思いました。この首輪を無理に外せば、どうなるか。
私は首を振って拒絶しようとしましたが、カシウス様の大きな手が、私の肩を優しく掴みました。
『いい、リリエル。渡してしまえ』
頭の中に、カシウス様の声が直接響きます。
驚いて見上げると、彼は見たこともないほど優しい瞳で微笑んでいました。
『君はもう、十分に尽くした。自由になっていいんだ』
その言葉に、張り詰めていた糸が切れました。
もう、いいのですね。
王家の不正を隠すために、私の声を人柱にする契約は、向こうから破棄されたのですから。
私が抵抗を止めると、殿下は粗暴な手つきで私の首輪に指をかけ――無理やり引きちぎりました。
パキンッ、と硬質な音が広間に響き渡ります。
銀色の首輪が床に落ち、砕け散りました。
「ふん、せいせいした! これで……ごほっ!?」
殿下の勝利宣言は、咳き込みによって遮られました。
砕けた首輪の破片から、どろりとした「黒い霧」が噴き出したからです。
それは生き物のように蠢き、殿下と、その腕にしがみついていたマリエル嬢へと殺到しました。
「いや、いやぁ! ドレスが汚れる! 何なのよこれ!」
「衛兵! 衛兵は何をしている! この不敬な霧を払え!」
衛兵たちが剣を抜きますが、霧を斬ることはできません。
当然です。それは物理的な汚れではないのですから。
王家が長年積み重ねた横領、汚職、弱い者いじめ。そうした「罪と呪い」そのものを、私がこの身を犠牲にして封じ込めていたのです。
私は首元を押さえ、よろめきました。
締め付けが消え、喉に血が通う感覚が戻ってきます。熱い。痛い。でも、空気が入ってくる。
(声が……出せる)
十年ぶりの感覚に戸惑う私を、力強い腕が支えました。
「リリエル」
耳元で囁かれる、愛しい人の本物の声。
「歌ってごらん。もう誰も、君を止める者はいない。君の真実を、世界に聞かせてやれ」
カシウス様が私の腰を抱き寄せ、背中から膨大な魔力を流し込んでくれます。
その熱が、恐怖で震える私の喉を溶かしてくれました。
私は大きく息を吸い込み、唇を開きました。
「……あ……ああ……」
最初は、掠れた小さな音でした。
けれどそれは、広間の喧騒を切り裂くように響き、黒い霧に怯える人々の耳を打ちました。
私は歌いました。王家の繁栄を祈る歌ではありません。
――真実を、あるがままに映し出す『審判の歌』を。
♪――――
私の歌声が波紋となって広がると、黒い霧が形を変えました。
空中に、まるで劇のスクリーンのように映像が映し出されます。
そこには、ジェラルド殿下が裏帳簿を改ざんし、国の予算を自分の遊興費に変える姿。
マリエル嬢が自分でドレスを引き裂き、鏡の前で「リリエルにやられたって言えば、また新しいのが買ってもらえるわ」と笑う姿。
そして、それを知りながら「リリエルの声を人柱にすれば呪いは抑えられる」と黙認した国王陛下の姿まで。
「なっ、やめろ! 消せ! そんなものは嘘だ!」
殿下が必死に霧を払おうとしますが、映像は消えません。
各国の来賓たちが、扇で口元を隠しながら冷ややかな視線を送っています。
『あれが第一王子の本性か』
『なんと浅ましい……沈黙していた伯爵令嬢こそが、国を守る聖女だったのではないか?』
『王家の恥部が丸見えだな』
会場に駆けつけた国王陛下も、玉座の前で黒い霧に纏わりつかれ、膝をついていました。
「リリエル……お前がいなければ、これほどまでに呪いが……」
すべてが暴かれた時、歌い終えた私は力が抜けてその場に崩れ落ちそうになりました。
しかし、床に倒れることはありませんでした。
カシウス様が、私を軽々と横抱きにしてくださったからです。
「……カシウス様」
私の喉から出た、初めての言葉。
カシウス様は驚いたように目を見開き、それから、とろけるような甘い微笑みを浮かべました。
「やっと聞けた。これが俺の愛しい人の声か」
彼は皆に見せつけるように、私の額に口づけを落としました。
そして、凍えるような視線を殿下たちに向けます。
「見た通りだ。王家は腐敗し、その汚れをこの華奢な少女ひとりに押し付けていた。本日をもって、私は王家との絶縁を宣言する」
公爵の宣言に、会場がどよめきます。けれど、誰も彼を止めようとはしません。
氷の魔術師である彼を敵に回せばどうなるか、誰もが知っているからです。
「リリエル、君を私の妻として迎え入れる。これからはその美しい声を、私のためだけに響かせてほしい」
「……はい。喜んで、カシウス様……!」
黒い霧に飲み込まれ、お互いの罪をなすりつけ合って醜く争う殿下とマリエル嬢。
そんな彼らを背に、私はカシウス様の腕の中で、今までで一番幸せな涙を流したのでした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「ざまぁw」「スッキリした!」「リリエルお幸せに!」と少しでも楽しんでいただけたら、
【ブックマーク】と【広告下の☆☆☆☆☆】で応援していただけると、執筆の励みになります!
(★5つ頂けると泣いて喜びます……!)




