9話 父性の象徴
姫視点です。
アルベルトへの重たい想いがいかにして育まれたのか。
王宮内を伸びる回廊にて。
真っ黒な装束の護衛を連れて足早に歩くのは、美しくも恐ろしい雰囲気の少女。
銀の髪をキラキラと翻しながら、少女は独りごつ。
「――首を洗って待っているといいわ。あの低脳……」
少女――キルリエラは……心の底から怒っていた。
自身の父である王に対し、もはや殺意と呼べるほどの激情を抱いている。
その理由は当然、キルリエラがこの世でただ一人心を許す……どころか、ドロドロに依存する少年、アルベルトに関するものだった。
――『コール村の悲劇』の引き金を引いた王のことを、おそらくアルベルトは強く恨んでいる。
キルリエラが唯一恐れるのは、アルベルトの辞職が王の命令ではなく、自発的なものであること。つまり、憎い王の娘であるキルリエラと一緒にいたくないと思っていることだった。
そんなわけないと思ってはいても、コール村のことを知ってからは不安でたまらなかった。
冗談抜きで、キルリエラには一緒にいて心安らぐ人なんてアルベルトしかいないのだ。信用できるのも、頼りになるのも、全部アルベルトだけ。
「もしアルベルトに嫌われてたら。全部壊してしまうまで止められない……」
本人としては大真面目なその言葉だが、後ろで聞いた影たちからすれば冗談にしか聞こえない。
それでも実際、世界とアルベルトのどっちを取るかと聞かれたら、彼女はアルベルトと即答する。
最近は彼と一時も離れたくなくて、自分の部屋で一緒に暮らす命令をしようかなんて真剣に考えるレベルである。一回トイレにまで付き添わせようとしたら、さすがに引かれてショックだった……。
……そんなキルリエラなのだけれど。ここまでのアルベルト中毒になってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。
「ああ。はやく、目障りな者たちを排除してしまいたい……」
そう。彼女の周囲には基本、その才能を頼り、利用しようとする者しか存在しない。
生まれてこのかた勉学で挫折なく、剣術をよく修め、魔術においても特級の才能を持つ。さらには容姿や血筋にまで優れているキルリエラにとって不幸なのは……彼女があまりに万能の天才すぎたこと。
王や周囲がそれを受け入れられる器を持っていればよかったけれど、実際はそうではなかった。半ばキルリエラの才を疎みながら、その能力や地位だけを利用しようとする周囲。
気づけば、キルリエラはもはや国王でも無視できないほど政治の中枢へ食い込み、結果多くの貴族たちから私欲に満ちた願いをぶつけられるようになる。
周囲の誰もが利己的で、なのに自分より才能もなくくだらない。そんな環境で、いったいどうすれば心を預けられる者などできる?
そんな心の疲れが影響したのかどうか……。キルリエラはとうとう、初代アトラス王が振るったとされる固有魔術にまで目覚め――そして、その制御に失敗する。どれだけ頑張ってもうまく操ることができない。
誰もがおためごかしの慰めをよこす。そして、この好機をどう利用しようかと舌舐めずりするばかりの折だった。
どういった意図か、固有魔術を制御するための指南役として王に遣わされたのは、小さく頼りなさげな美少年アルベルト。しかし、彼はあっという間にキルリエラの凍りついた心を溶かしてしまうことになる。
そんな、恩人とも言うべき少年に思いを馳せるキルリエラを前に。我慢できなくなった影の一人が、背後でこぼした。
「あの少年は……いったい、どんな人物なのだ……」
その直後。
「――光よ。私にとっての」
「ッ!」
答えが返ってくるとは考えていなかったのだろう。背後で驚く気配がする。
いいや、それともキルリエラからアルベルトへの思い、それを知ったが故の驚きだろうか?
「あなたたちには、気付けないかもしれないわね」
「それはどういう……」
……実際。キルリエラだって、初めは期待していなかったのだ。
最年少の宮廷魔術師なんて前触れを聞いてはいても、その類いの天才エピソードには自分も事欠かない。
それに、気に食わないのはその容姿。
齢十八となったキルリエラは、最近特に容姿が優れた貴族からのアプローチが酷い。見た目と家柄だけのハリボテ野郎が群れをなして求愛してくるのにどれだけ辟易していたか。
……だから今回も、そんなハニートラップ染みた何かの一つかと。王の采配を邪推しつつも、面倒で指南役の経歴なんて気にもしていなかった。どうせアルベルトもすぐ根を上げるだろうからと。
そうして。キルリエラとアルベルトの関係はそんなマイナスの印象から始まったはずなのだけれど。
――――結果は……キルリエラの秒殺だった。
彼はまず、他の者と違ってキルリエラを利用しようだなんて一切考えない。
聡いキルリエラはその立場も相まって、相手の邪な感情をたいてい見透かせる。だというのに、アルベルトからはそういった感情を感じない。
それだけでもキルリエラにとってはありがたい。誰もが自身を利用しようと、あるいは頼ろうとするこの世界で、唯一気が抜ける相手だから。
あ、この子は警戒しなくていいのかしら、と。そう思ってから気を許すようになるまでは、キルリエラが我ながらチョロいと思うほどの速さだった。
そして、さらに驚いたことがある。なんとアルベルトは、こと魔術の世界において――――キルリエラをはるかにしのぐ天才だった。
固有魔術を持たない者が魔術の道で大成することはない――そんな風説を笑って跳ね飛ばすほどの天賦。
キルリエラを超える底無しの魔力に、それを完全に制御しきる緻密な魔力制御。あらゆる基礎魔術と四大魔術を、非常識な規模・速度・応用力で操る。
本人曰く目立ちたくないからと、他の魔術師に舐められていることだけが業腹だけども。
そうして。
そんな稀有な才能を持ったアルベルトに、キルリエラが好意を抱くのはもはや必然だった。
朝起きたら、これまでさして気にしていなかった身嗜みを入念に整え、下品と思われない程度に化粧をする。執務室に届けられる大量の書類を捌きながら、五分に一回は彼が来ないかと扉を見た。
本業が忙しく姿を見せられないと知らせが来た日には、夜ベッドに入るまでずっと不機嫌になったものだ。それでも、次の日彼が来てくれたその瞬間、キルリエラの機嫌はすぐに直る。
そして、自分でも気づいていなかったけれど。……どうやらキルリエラには、上位者へ甘えたがりな癖があったらしい。
例えば、わざと魔術に失敗して手厚く指導してもらったりだとか。その際うっかり暴発で怪我でもしていれば、蕩けるように甘く手当てしてもらえるのは……キルリエラだけの秘密の楽しみである。
まあ、要は。
アルベルトの年齢離れした能力や、その余裕ある佇まいが……自覚なく父性を求めていたキルリエラの好みに突き刺さったのだ――。
「彼の魅力は、深く接して初めてわかるものが多いわ。唯一わかりやすい魔術の腕でさえ、上手に擬態しているんだから」
「魅力……ですか。ですが、魔術の腕というのは初耳です。噂では、宮廷魔術師で唯一固有魔術を使えないと――」
「――それが? あなたのレベルで、彼の才能を正確に測れるっていうの? それにそんな浅い話をしていないの、私は」
ああ、ダメだ。やっぱり周りの凡愚はなにも分かっていない。
本当に、アルベルトはすごいのだ。才気にあふれ、驕らず優しい。キルリエラをよく見て気遣ってくれる。それにうまく魔術を使えたらすごく褒めてくれる……。
あとはそう。あんなにかっこかわいい顔をしているのに、妙に刹那的というか、危うく見える一面がまた……いっそう倒錯的な魅力を醸している。
そんな頼りになって、人間的魅力に溢れる彼に……今度はキルリエラが恩返ししたい。
愚かな割に権力だけ持ったあの男を誅し、アルベルトの危険を排除せねば。
それが終われば今度こそ。あのかわいくって誰よりも頼りになるアルベルトに、ここ数日分をまとめて思いっきり甘えるんだ――。
さあ。
だから早く、あの諸悪の根源を……。
そんな、ドロドロと濃い情念を漂わせるキルリエラに、背後の影たちが思わず口をつぐんでいた時。
回廊の脇から駆け寄ってきた影の一人が、素早く耳打ちしてくる。
「殿下。配下の影はすでにみな配置に。その他にも大獅子騎士団――我らに賛同した者たちの一部ですが、まもなく合流できるかと」
「そう、一部ね……。それなら、これ以上待つことはしないわ。それよりも、今は時間との戦い」
「では……もう、第二段階へ?」
「ええ。私たちの陣営の動きも、すでに気づかれているはず。相手が体制を整える前に攻めるわ」
「はっ!」
賽は投げられた。ここから先はもう冗談では済まされない。
それでも――キルリエラはそもそも、自身からアルベルトを奪おうとする王に冗談など言いはしない。
全て本気で……命と玉座を狙いに行く。
「べつに王の椅子なんていらない。でも、アルベルトとの平穏のためなら……。あの愚かな王を、血の繋がりなんて関係なく――殺してやるわ」




