2話 懇願のち反発
「あの……え? 結婚、って」
姫は中途半端な表情で僕の発言を復唱する。なんとか笑みの形を作ろうとして失敗した、みたいな……。
「そ、それは……冗談よね? だってそんな、いきなりすぎるし……」
「いえ、冗談じゃなく。勤務の終了後だったり休日に、親交を深めてた女性がいて。この度結婚をと」
「ッわ、私に黙って!? そんな勝手を――――っいえ、そう、じゃなく……っ」
動いてもないのに、姫はぜえぜえと過呼吸気味に息を荒らげてる。だいぶ混乱してるみたいだ。
正直、こうなってもおかしくないとは思ってた。僕は鈍感なつもりもないし、人間嫌いの姫から不思議とそれなり以上に好かれてることは知ってたから。
「……だ、ダメ、いまは。怒ることに意味なんてない。優先順位よ。そう、まずは手放さないこと――」
いまもほら、何事か呟きながら爪を噛んで。僕が思ってたよりずっと動揺してるみたいで申し訳ないけど――王命は、王命だから。
「で、でもその……っ。べつに、アルベルトが辞める必要はないんじゃッ? ほらその……ッ奥、さんを。王宮に呼び寄せてもいいわ、特別に!」
「相手が故郷を離れたくはないと言うので……大切なひとの思いは、尊重したくて。それに実は、もう転居先で仕事も見つけてて」
「ぁ、ぐぅ……。……そんなの、私にも言ったことない、くせにッ……」
下を向いて、ぎりっと奥歯が鳴る音が。
「ッでも! アルベルトは王国――陛下に仕える立場でしょう!? そんな、あなたの一存で辞められるようなものじゃないわ!」
「そこはすでに陛下とも申し合わせ済みです。ルール上問題なく手続きは完了していて――」
「――それでも。ルールは問題ないとしても、こんなの誠実じゃない! 私の勘違いじゃなければ、私たちずっと仲良くしてきたじゃない! それに、私は陛下の娘よ? そんな私に対して前日に報告なんて……あんまりにも不誠実よッ!」
それは、その通り。実情はさっき陛下に通達されたからなんだけど、それを言うわけにはいかない。
これも陛下のお考えなんだろうなあ。できるだけ姫の心に僕の影を残すことなく消えろ、というオーダーだったし。
それなら。
「姫。確かに、不誠実でした。それは謝ります、申し訳ありません」
「っなら――」
「――それでも。私が道理にもとる行動をしたことと、明日退職するという言葉を翻すこととは…………一切、関係ないですから」
一瞬見えた光が錯覚だったと。そんな絶望を感じる姫の表情。
すみません、姫。それでも僕は、この国の、陛下のもとで生きる一国民に過ぎないですから。
それに、陛下ももっともなことを言っていましたよ。僕みたいな卑しい農村生まれといらぬ噂が立てば、姫の今後にも差し支えると。
だから、と。もう一度姫に別れを告げようとしたその時だった。
――姫の雰囲気が、変わった。
「……だったら」
「え?」
「――だったら、ねえ。なんでも、なんでもあげるからっ。行かないでよ!」
「!」
「お金ならあげる。地位だって、いまよりずっと高いものを! あなたをバカにする宮廷魔術師のクズどもはみんな牢に入れる……!」
「そんな、無茶な……」
「無茶なんかじゃないわ! 私ならやろうと思えばできる。ッいえ、やってみせるわ、あなたを手元に置くためなら! ……イヤだけど、奥さんと別れてなんて言わない――」
すこしだけ残ってた躊躇いを投げ捨てるように。姫は涙がにじんだ目で、縋るように僕を見た。
「――私があげられるものならなんでもあげる。お金も地位も、愛も、その……ッ体だって! だから、ねえ……その代わりに――――奥さんにあげる分を除いたあなたのぜんぶ、お願いだから私に……!」
そんな、まるで魂から絞り出したような姫の願い。うるうると瞳を潤ませ、僕を逃がすまいと肩を握って。一国の姫が、『孤高の銀姫』とも呼ばれる彼女が、僕に縋りついてまで。
それでも僕は、申し訳ないと思いながらも。
口を開いた。
「――ダメ。聞き分けなさい、キルリエラ」
二人だけの、秘密のごっこ遊び。いつもこれをすると従順になる姫に期待して、最後の最後と。
なのに。
――ぷつりと、何かが切れる音が聞えた気がした。
「……もう、しらないわ。最後にそんな煽るようなの。それならじゃあ――――わたしも、好きなようにやるもん」




