1話 辞職と嘘
――はぁ。
ため息が抑えられない。まさか、こんなことになるなんて。
僕は王宮の中、姫の執務室に向かって歩きながら頭をもう一度ため息を吐く。
十六歳で最年少宮廷魔術師に抜擢されてわずか半年。まさか、もうこの職をクビになっちゃうなんて。
陛下、僕のことめっちゃ嫌そうに見てたもん。陛下から見た僕は、極めて有能な一人娘に近づく怪しい馬の骨だもんね。
魔術指南役の任を命じたのは陛下本人とはいえ、こんなに姫に懐かれるとは陛下も僕も思ってなかった。
「まあ、クビになっちゃったものは仕方ない、か」
そう呟くと、すこし気が軽くなる。別に体裁を気にしてもないし、次の職に困っているわけでもない。退職金はいっぱい包んでくれるみたいだし。
せっかくうまくいき始めた人間関係がリセットされるのは残念だけど、どうしてもしがみつきたい理由があるわけでもない。
「じゃあ残る問題は。姫に嘘の理由を伝えなきゃいけないこと、か」
陛下もまた人の親。自分が僕をクビにしたと姫に知られ、嫌われるのが嫌らしい。もしかしたら、十八歳にしてすでに政務に深く関わる姫に嫌われると、自身の立場が揺らいでしまうからなのかもしれないけど。
でもやっぱり、嘘を吐くのは……。
「とはいえ、王命なら従わないわけにもいかないね」
無視したら最悪罪に問われるし。これもどうしようもない。
なんて考えているうちに。姫の執務室に着いてしまった。
はぁ。うだうだと言い訳を考えてたけど、結局僕はそれらしい理由があれば従うことに抵抗もない――なんというか、やっぱり自分がない人間なんだなあ。師匠の言う通り、こういうところは直したいと思ってるんだけど。
……まあ、いいや。今回はさすがに、僕の意思でどうにかなることじゃない。嫌なことはさっさと終わらせて、次の道を生きようか。
と、いうことで。僕は扉をノックした。
「――すみません。僕です、アルベルトです。いま少しいいですか? 姫」
直後、ほとんど間をおかずに。
「どうぞ入って」
了解をもらったので遠慮なく。
「じゃあ、失礼します……っと! 姫?」
「――ばぁ。驚いた? アルベルト」
「そりゃ、いきなり目の前に出てこられたら……。驚きますよ、姫」
輝く銀の長髪に、クールなその美貌。普段はどんな場面でもつまらなそうに、冷たい視線で周囲を睥睨する姫が、扉のすぐ裏でいたずらっぽく、でもすこし控えめに笑みを浮かべてる。
僕もつられて笑いながら言った。
「音、聞こえませんでした。どうやったんです?」
「魔術よ。すこしだけ浮かんで移動したの」
「にしては、魔術行使特有の魔力を感じませんでした。しっかり僕の教えを実践できてますね」
「ええ。アルベルトの言うことは、ぜったいできるようになるまで練習するって決めてるから」
嬉しいこと言ってくれるなあ。
この技術、同僚のみんなには評判悪いんだよね。魔術行使で魔力が漏れたところで不都合ないって。
漏れた魔力からはいろんな情報を読み取れるんだけど。どんな魔術を使ったかとかさ。
「――アルベルト」
「……ん? どうしましたか?」
「いまの、アルベルトでも気づけないほどよくできてたなら。いつものご褒美、ほしいな」
まっすぐ僕を見て、すこし恥ずかしそうに頬を染める姫。
……クールビューティと評判な姫がこんなこと言うなんて、きっとみんな想像もできないだろうな。こういうのが気に食わなくて、王は僕のことクビにしたんだろうけど。
でも、どうせクビが確定しちゃってるんだから。べつに気にしなくたっていいよね。
「じゃあ。頭、下げられる? 姫」
「……ん」
姫の要望通り、意図して言葉遣いを変えたロールプレイ。身長もほぼ僕と変わらないから、手が届きやすいように頭を下げさせる。
ただの農村出身の僕が、一国の姫をこんな扱いするなんて。普通なら恐ろしいことだろうけどもう慣れたもの。
僕はその艶やかに光を弾く髪へ、そっと手を伸ばして――
「――よしよし。忙しいのに、とっても頑張ったんだね。僕も先生として誇らしいよ――キルリエラ」
「んっ。……ぅん、頑張ったのよ。仕事をはやく終わらせて、夜、部屋でひとりで」
「ほお。やっぱり勉強熱心だねえ。キルリエラは才能もあるのに頑張り屋さんだ」
「うん。褒めてほしくって……。んぅ」
なでりこなでりこ。
すべすべ滑らかで撫で心地がいい。顔は見えないけど、なんとなく姫も気持ちよさそうだ。
「あっ……じゅるっ」
いまよだれ零したな。……だまっといてあげよう。
――よし、こんなもんかな。
「じゃあ……はい。終わり!」
「……もうおわり? はやくない?」
「早くないです。他の人も来るかもしれないんですから、これくらいで我慢してくださいね」
「むう、仕方ないわ……」
くすりと苦笑しちゃう。ほんとに、普段の姿からは想像つかないほど甘えん坊なんだから。こんな姫も今日で見納めかと思ったらやっぱりすこし惜しいかも。
でも、これも王命。国家に仕える者として、断ることなんてできやしない。
と、いうことで。
「――それで、アルベルト」
乱れた髪を手櫛で直す姫が、切り出してくれたのを皮切りに。
「今日はなにをしにここへ? 魔術の授業は明日のはずじゃ?」
「はい。今日は別件です。ちょっと、ご報告がありまして」
「報告? なにかしら。あっ、だったら座ってちょうだい、お茶の一つでもいれるからっ」
背を向けてキャビネットに向かおうとする姫。
僕はそれを呼び止めた。
「いいんです、姫。今日は時間を取らせません。すぐ終わる話ですから」
「そう? 遠慮しなくてもいいのに。だったら、立ち話ですませる?」
「ええ、それで」
これが僕たちにとって最後の会話になるなんて、きっと思ってもいないだろう姫に。
すこしの罪悪感を抱えながら、王命という大義を背負って。
――僕は、告げた。
「本日をもって、王宮魔術師の職を辞すことにしました。……別の街に住む女性と、結婚することになったので」
「………………。――――……は?」




