第6話 泥合戦 ― 風が止まった瞬間
朝の草はまだ濡れていて、踏むたびにしっとりと音を立てた。
村の広場の少し外れ、ゆるやかに盛り上がった丘の上。そこからは、戦う子どもたちの姿が全部見える。
エルドとミーナは並んで立ち、じっと下を見下ろしていた。
旗が立っている場所を中心に、ミルティアとアストルの子たちが向かい合う。
土を丸める音、盾を構える音、土の匂い。みんなの息遣いが朝の冷たい空気に混ざっていく。
「始めーっ!!」
その声が響いた瞬間、ライクが地面を蹴った。
だが――旗へまっすぐ走らない。
左へ、右へ、斜めへ。大きく、鋭く、草を切り裂くみたいにジグザグに走っていく。
「え? ライク、旗に直接行ってないよ?」
ミーナが目を細める。
「うん。よく見て」
エルドは落ち着いた声で言った。
敵の射手が泥玉を投げる。
――だが、泥玉は必ず“ライクの通ったあと”に落ちた。
「どうして……?」
「**横に動く相手って、狙いがつけにくいんだ。**まっすぐだと当てやすいけど、横に走られると視線も腕も遅れる」
エルドは指で弧を描いてみせた。
「それに、あっちの泥玉は遠くから投げられてる。高く放物線を描く分、落ちるまで少し時間がかかる。」
ライクの足跡は、泥玉と泥玉のあいだ――射手と射手の“すき間”を縫うように続いていた。
飛んでくる泥玉は右から左へ、左から右へ。
でもライクは、その“間”を正確に通り抜けていた。
ミーナは息を止めた。「そんなの……普通できないよ」
「うん。普通は怖くて目をつぶっちゃう。でもライクは“見たまま避けられる”」
◇
ライクが大きく横へ動くと、敵の射手も体ごと向きを変える。
その瞬間――
ヒュッ! パシッ!
ガキン、と音を立てて、双子の投げた泥玉が敵の横腹と腕に同時に命中する。
「え、今の二つ同時!?」
「片方は右手、もう片方は左手。交互に投げるから、止まらないんだ。」
前では、ガルドが盾を構えて泥玉を防ぎ、その影で土を丸める子たちの手は止まらない。
「旗を守らないの?」ミーナが問う。
「守るよ。でも一番大事なのは“泥玉を作る手”」とエルド。
「攻撃も防御も、あれがなきゃ続かない」
◇
ライクは走る――いや、滑るようにだった。
泥玉の軌道と軌道のあいだ。
射手と射手の死角。
地面すれすれに身体を傾け、次の一歩では視線の届かない場所にいる。
敵の声が荒くなる。「あいつ、どこ見てんだよ!」「止めろ、もう近い!」
ミーナは、気づけば拳を握っていた。「今……行けるんじゃない?」
「うん。――でも、ここからが一番危ない」
エルドの声がわずかに低くなる。
◇
ライクは、旗の真正面には行かない。
敵の射手から、ほんの少し外れた斜めの道を取る。
敵の視線が追いついたころには、位置がずれている。
草が裂け、土が散り、息が白く揺れる。
周りの仲間たちが気づき始める。「ライク、旗の近くまで――!」
泥玉が足元をかすめ、土が跳ね上がる。
それでも、ライクの足は止まらない。
旗まで――あと、三歩。
草が揺れる。仲間の声が掠れる。ミーナが無意識に一歩前へ出る。
風すら止まったように、世界が静かになった。
◇
――ドシュンッ!!
乾いた音が、丘の上まで響いた。
ライクの背中に泥玉がぶつかったのだ。
泥と水が砕けて飛び散り、ライクの体が前につんのめる。
膝が、泥をえぐるように沈んだ。
旗は、すぐそこにある。地面の草越しに、触れられそうな距離。
でも、誰も動けない。
「……嘘だろ」
「ライク……?」
声にならない声が、広場のあちこちで漏れる。
ミーナの喉が震える。声が出ない。
エルドは――何も言わなかった。ただ、旗の方をじっと見ていた。
風車の羽根が、ひとつ軋んだ。
音も、声も、風も。すべてが止まった。
――――つづく。




