第25話 練兵場の風
丘を下り、街道に戻るころには、空はすっかり晴れていた。
雨を含んだ土が靴裏にまとわりつき、歩くたびに鈍い音を立てる。
街の門が見えてくる。
門前には、普段より多くの兵が立っていた。
通行人の顔を改めるというより、荷車や背負い袋の方を注意深く見ている。
人が入りそうな大きな箱。
布を何重にも掛けた荷。
荷台の下、結び目、隙間。
「……もう一度、開けてくれ」
兵の声に、旅人が足を止める。
街の空気が、ほんのわずか張りつめていた。
◇
門をくぐってしばらく進んだところで、ハインツが馬を寄せてきた。
「……妙だったな」
前を向いたまま、低く言う。
ユランが応じた。
「賊の動き、ですね」
「ああ。
ああいう連中は、普段は姿を見せない。
こちらが人数を揃えた時点で、引くのが普通だ」
ハインツは、馬の首を軽く叩いた。
「それが今回は、護衛団を相手にしてまで前に出た。
……固執が過ぎる」
エルドは黙って聞いていた。
理由は分からない。
ただ、“おかしかった”という感覚だけが胸に残る。
「今は人さらいとして処理する」
ハインツは、そこで話を切った。
「それ以上を考えても、今は手が増えん」
◇
リルは、街の孤児院で保護されることになった。
白い壁と、小さな庭のある建物だ。
扉の前で、リルは何度も振り返った。
エルドの服の裾を掴み、なかなか手を離さない。
「……また、来るよ」
エルドがそう言うと、リルは小さく頷いた。
護衛団は、両親の捜索を継続するという。
街道と周辺の村へ人を回し、情報を集める。
エルドとリオナは旅を続ける予定だった。
――が。
「数日は、この街にいろ」
ハインツはそう言った。
「理由は……後で話す」
◇
午後。
二人はハインツに連れられ、練兵場へ向かった。
街の外れにある、ただの広場。
囲いもなく、特別な設備もない。
乾ききらない地面には、無数の足跡が重なっている。
兵士たちは、それぞれ勝手に体を動かしていた。
剣を振る者。
槍を構える者。
弓の弦を引く者。
盾を構え、踏ん張る者。
エルドは、自然と歩みを緩めた。
剣を持つ兵は、動きが速い。
だが、落ち着きがなく、常に位置を変えたがっている。
槍の兵は、間合いの取り方が正確だ。
ただ、向きを変えるたびに動きが途切れる。
弓の兵は、狙いをつけるまでが長い。
周囲を気にしすぎているようにも見えた。
盾の兵は、構えは堅い。
だが、攻撃が来ない瞬間にも体が前に出る。
◇
「集まれ」
ハインツの声で、兵たちが集まる。
「模擬戦だ。
条件は簡単。全員が倒れるか、大将役を倒された時点で負け」
ざわり、と空気が動く。
「攻めも守りも決めない。
好きにやれ」
二班に分かれ、それぞれ大将役が立つ。
合図と同時に、動き出した。
正面からぶつかる者。
横へ回り込む者。
一瞬、様子を見る者。
剣がぶつかり、鈍い音が広場に響く。
槍が空を切り、盾がそれを受け止める。
弓を構えていた兵が、狙いを定めきれないまま距離を詰められた。
慌てて下がろうとした瞬間、足を取られ、地面に倒れる。
「くっ……!」
前に出すぎた兵が続いて崩れ、
大将役の周りで動きが重なった。
庇おうとした動きが遅れ、
一瞬の乱れが広がる。
「そこまで!」
ハインツの声で、動きが止まった。
兵たちは息を切らし、地面に手をつく。
「……まただ」
「どうにも噛み合わねぇ」
ハインツは腕を組み、広場を見回した。
「あいつら、これで四連敗だ」
苦笑が漏れる。
◇
休憩に入り、水を飲む兵たちを背に、ハインツはエルドを手招きした。
「どうだ」
短い問いだった。
エルドは、すぐには答えなかった。
足跡の重なった地面を見てから、視線を上げる。
「……」
言葉にしようとすると、まだ形にならない。
ハインツは急かさない。
「一つ聞く。
君は、何を見ていた?」
「……剣とか、槍とかじゃなくて……
その人が、どういうふうに動いてきたか……みたいな」
ハインツの眉が、わずかに動く。
「ほう」
「それが……今の役割と、
少し、ずれてる気がして」
断言はしない。
ただの感覚として置く。
ハインツは、しばらく黙っていた。
「……なるほどな」
◇
少し離れたところで聞いていたリオナが、ぽつりと口を開いた。
「……団長さん」
「なんだ」
「この広場、
いつもここで模擬戦してるんだよね」
「そうだが」
「……それって、
みんなに同じ条件を当てはめてるだけ、って気がする」
ハインツは、視線を地面に落とした。
「場所の話か」
「うん。
全部変えなくてもいい。
少しだけでも」
断定しない。
提案だけを置く。
ハインツは、二人を見比べた。
そして、短く息を吐く。
「……少し、腰を据えて話す必要がありそうだな」
冗談めいた口調だったが、目は真剣だった。
兵たちのざわめきが、遠くに聞こえる。
エルドの胸の奥で、
まだ名前のつかない感覚が、静かに形を変え始めていた。
今回は、大きな事件や派手な戦いではなく、
「うまくいっていない理由」を静かに見つめる回でした。
剣や槍の強さではなく、
その人が“どこに立つのが向いているのか”。
力ではなく、役割や配置の話が、少しずつ前に出てきています。
エルド自身も、
まだ自分の感覚に名前をつけられていません。
ただ「違和感がある」ことだけを、手放さずに持っている段階です。
ふと、昔の村での泥合戦のことを思い出しました。
あのときも、勝ち負けより先に、
「誰がどこにいると場が回るか」を見ていた気がします。
この先で、その感覚がどう形になるのか。
引き続き、見守ってもらえたら嬉しいです。




