第1話 臆病な盾
はじまりは、どこにでもある小さな村の――
どこにでもいる小さな子ども同士の喧嘩だった。
ミルティア村。
風車の影がのび、麦の匂いが満ちる、静かな村だ。
戦の足音など、まだ誰も想像すらしていない。
◇
村外れの小さな泉――幼い二人にとっての秘密基地。
その水面を揺らす泣き声が、風に混じって響いていた。
「……っ、ひぐ……」
エルドは膝を抱え、顔をうずめていた。
涙は止まらない。どこまでいっても弱い自分が悔しい。
「また泣いてんのか?」
枝を踏む音と共に、ライクが現れた。
「こ、転んだだけ……」
「転ぶやつの顔じゃねぇって」
ライクは隣に腰を落とし、腕をそっと取る。
袖の奥には、青紫に腫れた痕。
「ガルドだな」
「…………」
否定なんてできない。
弱いことは、分かっている。
しばし、泉だけがしゃべった。
「なぁエルド」
ライクは空を見上げたまま言う。
「弱ぇってのは、ちゃんと痛みを感じられるってことだ。
泣くってのも、生きてる証拠なんだよ」
エルドの呼吸が止まる。
「俺は、お前が泣いてるのが嫌だ」
その一言が、胸を熱くした。
「行くぞ。俺がガルドをぶっ飛ばしてやる」
「む、無理だよ!!」
「無理でも行く。エルドが泣いてんのが腹立つんだ」
◇
広場。
ガルドと取り巻きは待っていたかのように嘲る。
「負け犬が、もう吠えに来たのか?」
「エルドをいじめた分、返すだけだ!」
ライクは一直線に突っ込んだ。
拳を握りしめ、ただ真正面から。
「ライク、危な――!」
エルドの声は、拳の音にかき消された。
「ぐっ……!」
脇腹に叩き込まれた一撃。
ライクが蹲るより早く、エルドは飛び込んでいた。
「やめてっ!」
だが小柄な体は簡単に掴まれ、土に叩きつけられる。
「弱っちいのが邪魔すんな!」
何度も拳が落ちる。
痛い。
でも――
(……見える)
ガルドは突っ込む前、必ず右肩が下がる。
左手は飾りみたいに動きが小さい。
踏み込みは速いけれど、視線が先走る。
腕は震え、視界は滲んでも、
観察だけは止まらなかった。
「……逃げよう」
震える声でエルドが言うと、
ライクは悔しさに歯を食いしばりながら立ち上がった。
二人は泥まみれで走った。
勝てなかった。
でも、負けた理由を知った。
◇
秘密基地へ戻ると、ライクは拳を地面に叩きつける。
「なんでだよ……なんで勝てねぇんだ……!」
「ボクが弱いから……」
「ああ、弱いな」
エルドは目を伏せる。
「でも、弱いから見えるもんがあるだろ」
「……っ」
「俺、殴られながら気づいたんだ。
お前、ずっとガルドを見てた。
怖いのに、逃げねぇで」
ライクはエルドの肩をぐっと掴んだ。
「作戦考えようぜ。
お前の“気づき”があれば、勝てる」
「……勝てる、かな」
「勝つんだよ。今度は俺がお前を守る番だ」
差し出された手。
二度目のその手は、もっと強かった。
「……わかった。考えてみる」
エルドは、その手を握る。
震えていても、確かにつながっている。
◇
震える手は、まだ頼りない。
胸の奥の決意も、まだ小さな火種だ。
けれど――ふたりでなら、立てる。
どうすれば勝てるか。
どうすれば守れるか。
弱いからこそ考え続ける。
その夜、秘密基地にだけ灯った小さな灯りを、
村の誰も知らなかった。




