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第16話 木片が落ちた理由

 街で迎えた朝は、昨日と変わらずにぎやかだった。

 果物を売る声、焼きたてのパンの匂い、馬車の車輪が石畳をこする音。

 その全部が混ざって、街はもうすっかり動き始めていた。


 けれど、エルドの胸の中だけは、まだ昨日の続きのようにそわそわしている。


(母さんの足跡が少し分かった。なら……父さんのことも)


 宿の戸口を出ると、石壁の影でリオナが腕を組んで立っていた。

 口元はつんとしているのに、つま先が落ち着かず小さく揺れている。


「今日はどこ行くの?」

「父さんのことを探したくて。大工だったから……工房に行けば、何か聞けるかと思って」

「ふーん。じゃ、ついてきなよ。ほら、早く」


 そっぽを向いたまま歩き出すリオナを、エルドは慌てて追いかけた。



 工房街は、朝の空気の中で木の香りが濃く漂っていた。

 材木の山に朝日が差し込み、白い木粉が光の粒のように舞っている。

 槌の音は乾いたリズムを刻み、それが重なり合って、街の一角だけ別の時間が流れているようだった。


 エルドが父の名とミルティア村のことを伝えると、年配の職人は手を止め、記憶を探るように目を細めた。


「……ミルティアの、背の低い大工なら……見たことがあるよ」

「本当に!?」


「ああ。戦地へ向かう作業隊がこの街を通った日があってね。

 作業用の木材を渡した時、その中にいたよ。薬草を積んだ荷車もあったから……薬師の女性も一緒だった」


(父さんと……母さん)


 胸の奥が、一瞬だけ熱くなった。


「その後は……?」

「戻ったって話は、聞いてないんだ。うちには知らせも来ていない」


 淡々と告げられる言葉。

 その冷たい現実を飲み込みながらも、エルドは深く頭を下げた。



 人気の少ない石段に腰をおろすと、エルドは背負い袋から木片をそっと取り出した。

 祖父が託してくれた、大切な形見。

 未完成の彫りには、父の大きな指の跡が残っている。


 リオナが横から覗き込んだ。


「……それ、父さんの?」

「うん。家に残していった唯一のものなんだ」

「そっか」


 短い言葉なのに、リオナはじっと木片を見つめていた。

 指先がかすかに震えているようにも見えた。



「誰か! 倒れてる!」


 叫び声が石畳に響き、二人は反射的に立ち上がった。

 広場へ駆けつけると――昨日、診療所で見かけたあの老人が、地面に崩れ落ちていた。


「また……抜け出しちゃったんだ」

「診療所の人、呼んでくる!」

「うん!」


 リオナが駆け出し、エルドは老人の体を支えて呼びかけ続けた。

 ほどなくして大人たちが集まり、老人を抱えて運び始める。


 その途中――


 コロッ。


 小さな音が石畳に転がった。

 老人の腰の袋から、小さな木片がこぼれ落ちたのだ。


「あ……!」


 リオナが拾い上げた瞬間、その表情が固まった。

 目が揺れ、息を呑む音が聞こえるくらいだった。


「ねぇエルド……これ、見て」


 エルドが持つ木片を並べてみる。


 形。

 削り方。

 彫りの向き。


 ――驚くほど似ていた。


「……本当に、似てる」

「でしょ……?」


 リオナは眉を寄せながらも、確信めいた響きを声に宿していた。


「なんでこの人が持ってるのかは分かんないけど……

 あんたのお父さんと関わってたのは、ほぼ間違いないよ」


 その一言が、エルドの胸の奥で大きな波紋となって広がった。



 診療所に戻ると、治療師が老人を静かに寝かせた。

 薄い布越しに見える老人の呼吸は浅く、遠くへ行きかけている人のようだった。


 治療師は、エルドの話を聞き終えると静かに頷いた。


「この方は……前線へ向かった作業隊の一人です。

 生きて帰った、数少ない方ですよ」


「作業隊……じゃあ、父さんたちと……!」


「可能性は高いでしょう。

 意識は混乱気味ですが、この方はよく“カナミの丘”と言っています。

 作業隊が最後に向かった場所だと、聞いたことがあります」


(カナミの丘……そこに行けば、父さんと母さんの足跡がつながる)


 エルドは木片を強く胸に押し当てた。



 その夜。

 宿の小さな灯りが揺れ、壁に映る影も揺れていた。


(父さん、母さん……

 ぼくは、行くよ)


 声にはならなくても、その想いだけは強く胸の奥に灯り続けた。



 翌朝。

 街門に向かおうとしたとき、背中に風が当たった。

 まるで「立ち止まるな」と押してくるように。


 門へ足を踏み出した瞬間――


「ちょっと! エルド!!」


 振り返ると、リオナが仁王立ちで睨んでいた。


「ひとりで……戦地の近くに行くってわけ? 正気じゃないでしょ!」

「で、でも、危ないよ――」

「何言ってんの、あんた一人の方が危なっかしくて見てられないよ!」


 エルドが何か言い返そうとすると、リオナは一歩踏み込んで言った。


「それに、あたしも知りたいの。

 あたしの親だって……行方も分からないままなんだから」


 いつも強気な瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。

 その揺れが、彼女の奥にある本当の痛みをはっきり伝えていた。


(……そうか。リオナも、ぼくと同じなんだ)


「……だから行くの。

 別にあんたのためじゃなくて……あたしのためにね!」


「うん。ありがとう」

「礼はいらない! さっさと歩く!」


 リオナはくるりと背を向け、力強い足取りで前へ進む。

 エルドは木片をしまい、彼女の後を追った。


 ――こうして、二人の旅は正式に始まった。


 木片が示すものも、二人の探す答えも、まだ霧の向こう。

 それでも二つの影は、まっすぐ“カナミの丘”へ伸びていった。

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