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第15話 最初の街で

 道は、思っていたよりずっと長かった。


 丘をいくつも越え、畑の少ない荒れた土地を歩き、

 風の匂いが少しずつ変わっていくのを、エルドは背中で感じていた。

 ミルティアの柔らかな土と違い、ここらの地面は固く、

 靴の裏に残る感触までもが、どこかよそよそしい。


 そしてついに視界の向こうに、白いものが立ち上がった。

 城壁だった。

 厚い壁、その内側に重なる屋根、煙突から上がる細い煙。

 遠くからでも、人々の声がざわめきとなって風に乗ってくる。


(父さん、母さんが歩いていった道の先……)


 ここは――

 父と母の背中を見送った先にあった、最初の街。


 エルドは背負い袋の紐を握り直し、街門へ向かった。



 門には商人や旅人が列を作っていた。

 兵士の確認を受けて通っていく姿を眺めながら、エルドは順番を待つ。


「次!」


 呼ばれて前に出ると、兵士が荷物を軽く調べただけで通してくれた。

 どうやら、子どもひとり旅は珍しいらしいが、それ以上は何も聞かれなかった。


 城壁をくぐった瞬間、空気が変わった。

 肉を焼く匂い、果物の甘い香り、布の擦れる音、誰かの笑い声。

 ミルティアとは違う、ぎゅっと詰まった街の匂いだった。



 店が並ぶ大通りには、人がひしめいている。

 果物、干し肉、安物の服、薬草――

 呼び込みの声が重なり合い、子供たちの笑い声がその下を抜けていく。


(まずは……母さんの薬が使われていたという療養所を探さないと)


 看板を探しながらゆっくり歩いていた、そのとき。


 視界の端をすばしこい影が横切った。


 擦り切れた外套の少女。

 人の流れに逆らわず、すり抜けるような軽い足取り。

 その少女が、ひとりの旅人の腰の袋に――そっと手を伸ばした。


(……止まった?)


 エルドは立ち止まった。

 指が紐に触れたところで、少女はほんの一瞬固まった。

 ほどこうとして――また、手を引っ込めた。


 もう一度。

 そして、また。


 “盗る”というより、“迷っているように”見えた。


「おい!」


 旅人が振り返り、怒鳴った。

 少女の肩が跳ね上がり、次の瞬間には腕を掴まれていた。


「このガキ、俺の袋に手ぇ突っ込んでたぞ!」



「待ってください!」


 エルドの声が、通りに響いた。

 旅人も少女も、周りの人たちまで一斉にこちらを見る。


「なんだ坊主、知り合いか?」

「い、いえ。でも……その子は――」


 エルドは少女を見た。

 掴まれた腕を必死に引こうとしていたが、

 その目には怒りよりも、怯えが色濃く残っている。


「さっき、三回くらい手を引っ込めてました。

 本気で盗むつもりなら、あんなふうに迷わないはずです」


「はぁ?」

 旅人が眉をひそめる。


「盗むって決めてる人は、もっと目が変わります。

 この子は……まだ迷ってました。

 だから、その……怒鳴ったり殴ったりしなくても、やめさせることはできると思います」


 自分でも分かるほど声が震えていた。

 旅人の肩幅は大きく、腕は太い。

 殴られたら、自分が倒れる。


 沈黙が落ちた。

 旅人が、ずっとエルドをにらんでいる。

 周囲の視線まで痛いくらいに刺さった。


「……はぁ。ついてねぇ」


 旅人は少女の腕を放し、背を向けた。


「次は知らねぇぞ!」


 捨て台詞を残し、大股で去っていく。


 少女は逃げず、ただエルドをにらんだままだ。


「……余計なことしないでよ」


「いや、捕まってたじゃないか」


「……うるさい!」


 少女は顔を赤くして走り出し、細い路地へ消えた。


 エルドは一度立ち止まり――そして、小さく息を吐いて追いかけた。



 路地は薄暗く、石畳は割れていた。

 表通りの喧騒が遠くなり、ひんやりした空気が漂っている。


 角を曲がると、少女が膝を抱えて座っていた。


「……ついてこないで」


 そっぽを向いたまま、弱々しく言う。


「さっきは、ごめん」

「は? なんであんたが謝るのよ」

「困らせたかなって」

「困らせたのは、私の方でしょ」


 少女の声には、悔しさと情けなさが混じっていた。


 エルドは背負い袋を下ろし、固いパンをひとつ取り出した。

 自分の分を少し食べ、残ったものを少女のそばの石に置く。


「食べなくてもいいから。……置いておくね」


「いらない」


 と言いつつも、エルドが少し離れた樽に腰かけてパンを食べ始めると――


 カサッ。


 少女の手が、そっとパンを取った。

 小さくちぎり、噛む音が静かに聞こえる。


「……なんで助けたの」


 少女がぽつりとつぶやく。

 強がりはまだ残っているが、声はさっきより少し弱い。


「見てたから」

「何をよ」

「盗る前に、手を引っ込めてただろ。三回くらい。

 迷ってた。

 本気で盗りたい人は、ああいう目をしないよ」


 少女はしばらく黙り――

「……変な奴」

とぼそっと言った。


「よく言われる」

 エルドは苦笑した。



 少し落ち着いたのか、少女の口も軽くなった。


「で、あんた。ミルティアって言った?」

「うん。ミルティア村から来た」

「ふーん。田舎者ね」

「そう言われるのも慣れてるよ」


「で、何しに来たのよ」

「母さんの足跡を探しに」


 少女の目が、わずかに揺れる。


「足跡?」

「母さんは薬師でね。

 この街の療養所に薬を送ってたらしいんだ。

 だから、もしかしたら何か分かるかと思って」


「……診療所なら知ってる。兵隊とかが運ばれていく場所。

 行ったことはないけど」


「そこ、案内してもらえる?」


 少女はしばらく考え――立ち上がった。


「……行ってあげる。暇だったし」

「ありがとう」

「その代わり」

 じろりとにらむ。

「あんたが変な真似したら、今度は本気で盗るからね」

「変な真似はしないでおくよ」


「名前は?」

「エルド。君は?」

「リオナ。……変な名前」

「よく言われる」


 今度こそ、リオナはほんの少し笑った。



 リオナは人混みの流れを読みながら歩いた。

 混んだ道を避け、裏道を使い、

 “街を知っている者の歩き方”だった。


「よく分かるね」

「毎日歩いてりゃ覚えるでしょ。

 人がどこでぶつかるか、どこが危ないか、どこならすり抜けられるか――全部」


(目の使い方が違うんだ)


 エルドはそう思った。

 自分は人の“心”や“迷い”を見る。

 リオナは“流れ”や“道筋”を見る。


 やがて、静かな通りに出て、小さな建物が見えた。

 木の札には『療養所』と刻まれている。


「ここ」

「ありがとう、リオナ」


「中までは行かない。……出てくるまでここで待ってる」


「分かった。すぐ戻るよ」



 療養所には薬草と薬の匂いが漂い、

 ベッドには数人の兵が横たわっていた。


 年配の治療師がエルドに気づき、事情を静かに聞いた。

 エルドは母の薬のことを話し、治療師は棚から古い布包みを取り出した。


「この包み方、見覚えは?」


 震える手で触れた布――

 家で母が包んでいた薬草の包みと、まったく同じだった。


「……母さんだ」


 治療師の説明で、

 母の薬が兵や街の子どもたちを救ったことが分かった。


「助かった子どももいたよ。

 たしか名前は……リオナだったか」


 その瞬間、エルドは言葉を失った。



 外へ戻ると、リオナが壁にもたれて待っていた。


「どうだったの」


「母さんの薬……ここで使われてた。

 そして、リオナ。君も……その薬で助かったんだって」


 リオナの指先がぴくりと動いた。


「……ふん。だから何よ」

「助かったって、先生が言ってた」

「……あんたの母さんに、ありがとうって言っといて」


「もう来なくなったって……言ってた」

「……そっか」


 リオナは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「でも、伝えるよ。ぼくが聞いたこと、全部」

「……勝手にすれば」



 その後、リオナは“変な旅人”を放っておけないと感じたのか、

 宿まで案内してくれた。


「ここならぼったくられないし、寝床も普通。安心して」


「本当にありがとう、リオナ」

「……別に。暇なだけ」


 立ち去りかけたリオナは、ふと振り返った。


「まあ……もしかしたら明日の朝、また会うかもね」


 その言葉を残し、裏道へ溶けるように消えた。


 エルドはその背中が見えなくなるまで見つめていた。


(父さん、母さん。

 ぼくはちゃんと、この街まで来たよ)


 胸の奥でそっとつぶやき、

 空を見上げる。

旅の途中で、新しい人物「リオナ」と出会う回でした。

村しか知らなかったエルドにとって、

未知の人物と向き合うのは少し勇気がいる場面ですが、

ここから物語が外の世界へ広がっていきます。


エルドの臆病さや観察力が、どんな場面で役に立つのか——

書きながら自分でも楽しみにしています。

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