第14話 旅の朝
夜明け前の空は、まだ青く眠っていた。
村を包む霧が薄く漂い、風車の羽がゆっくりと回っている。
鳥の声が一つ、二つと重なり、世界が少しずつ目を覚ましていった。
家の前に、荷を背負ったエルドの姿があった。
粗末な布袋の中には、少しの食糧と、祖父の削った木片。
それだけが、彼に残された“家族の形見”だった。
戸口に立つと、油灯の消えた部屋が静かに見えた。
埃の中で光る木くず、父が使ったノミ、母が残した薬草瓶。
ひとつひとつに手を触れ、心の中で別れを告げた。
「……行ってくるよ」
誰もいない部屋に、声を残した。
その言葉が、木の壁にやわらかく返ってきた気がした。
◇
外に出ると、霧の中に二つの影が立っていた。
ライクとミーナだ。
「お前、早すぎるだろ!」
ライクがあくびを噛み殺しながら笑う。
「早い方がいいんだ。風が止む前に出たいから」
「……ほんとに、行くんだね」
ミーナの声は、朝の空気みたいに透き通っていた。
彼女の手には、小さな包み。
「これ、あんたの母さんが残してた薬草。
うちに分けてくれたことがあったの、覚えてる?
乾かしてあるから、長持ちするはず」
エルドはそれを受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとう、ミーナ。……母さんも、きっと喜ぶ」
ライクが背を向けて言った。
「もし道中で困ったら、風の音を思い出せ。
お前のじいさんが言ってただろ? “風の止む前に進め”ってさ」
エルドは笑って頷いた。
「うん。……ありがとう、ライク」
◇
丘の上に出ると、太陽が顔を出した。
黄金の光が麦畑を照らし、風車がキィ、と音を立てて回る。
エルドはしばらくその景色を見つめていた。
足元の土はまだ冷たい。
けれど胸の中は、あたたかかった。
「父さん、母さん。
ぼくも見に行くよ。
あなたたちが残した、この世界を。」
背に受けた風が、そっと押した。
エルドは一歩、また一歩と歩き出す。
その背中を、ライクとミーナが黙って見送っていた。
朝の光が、三人の影をゆっくり長く伸ばしていく。
◇
風車の音が小さくなるたび、
世界の音が少しずつ広がっていった。
それは、臆病な少年が初めて聞いた“旅の鼓動”だった。




