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第10話 火の消えた家で、ぼくは目だけを覚ましていた

 村に太鼓の音が鳴った。乾いた音が三回。

 それは「戦の召集」の合図だと、誰かが小さくつぶやいた。

 朝なのに、空気が冷たくなった気がした。


 エルドの家でも、父が腰ひもを締め、母が布袋に薬草と道具を詰めていた。

「父さんは城壁を直す仕事で呼ばれた。母さんはけが人の世話だ」

 そう言われても、エルドには、ただ“遠くへ行ってしまう”ことしか分からなかった。


 戸口にはライクもいた。落ち着かず、足を何度も踏みかえている。


「エルド、行こう。見送りするんだろ」

 ライクに言われ、エルドも外へ出た。



 村のはずれの小さな門には、同じように呼び出された村人たちが集まっていた。

 父はいつもどおり、周りの人を見ていた。

「お前は縄係。お前は測りを持て。……そこの腰の悪い人は無理するな、指示役に回れ」

 戦に行くのに、いつも通り“人の役割”を見ていた。


 母は、布包みを何人かに手渡していく。

「夜、火で少し温めて香りを吸って。胸が苦しいとき、眠れないとき、少し楽になるからね」

 それを受け取った人は困ったような顔をしながらも、胸にしまいこんだ。


 出発の前、母がエルドの手をそっと握った。

「エルド、怖がってもいいよ。怖いときは、人の痛みに気づけるから」

 父は振り返って、軽く手をあげただけだった。「大丈夫だ」といういつもの合図。


 太鼓は鳴らない。ただ、足音だけが遠ざかっていった。

 エルドは声を出せず、手も振れず、ただ見送った。



 それから、家の火はつかないまま夜が来ることが増えた。

 灰だけが炉に残り、薬草の香りも消えた。

 外では風車がいつも通り回っているのに、家の中は時間が止まったみたいだった。


 生活のため、大人の手伝いをすることもあった。

 でも、荷物を落として怒られたり、釘を曲げてしまったり、うまくできないことばかりだった。


「ぼんやりするな!」

 そう怒鳴られるたびに、エルドはうつむいた。

 でも、本当は――ぼんやりしていたわけじゃなかった。

 人の顔ばかり見ていたのだ。


 腰を痛そうに押さえているおじさん。

 強い声を出しながら、目だけが泣きそうなおばさん。

 疲れているのに「大丈夫」と笑う人。

 エルドは、仕事より、人のそういうところを先に見つけてしまうようになっていた。



 ある夕方、ライクが鍋と薪を抱えて家にやって来た。

「お前、飯食ってないだろ。今日はオレが火をつける」

 火はなかなかつかなかった。けれど、やっと赤く灯った炎は、小さいけど温かった。


 しょっぱいスープをすすりながら、ライクは照れくさそうに言った。

「エルド。……お前はすげぇよ」

「ぼくは、何もできないよ」

「でも、人のこと見てるだろ。ちゃんと。オレ、そういうの苦手だからさ」

 エルドは少しだけ笑えた。



 次の日。荷車の仕事で、エルドは腰を痛めている男に言った。

「荷物は持てないけど、釘とか縄を渡す役なら、ぼくがやります」

 男は変な顔をしたが、やらせてくれた。

 作業は少しだけ早く終わり、男は「助かった」と小さく言った。

 その一言が、ずっと胸の中で温かかった。



 そのうち、手紙も知らせも届かなくなった。

 父も母も帰らないまま、日だけが流れた。



 炉の前で、エルドは小さな声でつぶやいた。

「ぼくは戦えない。力もない。……でも」

 火を見つめたまま、続ける。

「誰が苦しそうか、どこが壊れそうか、分かる。見ていれば、気づける。

 なら――それが、ぼくのやることだ。ぼくなりの、生き方だ」


 炎がぱち、と音を立てた。



 今、丘の上でその話を聞いたライクとミーナは言葉を失っていた。

 ミーナは小さく鼻をすすり、ライクは耳の後ろをかいて言った。

「そっか。だからお前、あんな戦い方思いつくんだな」

 エルドは肩をすくめる。「たぶんね」

 ライクは笑った。「じゃあ、これからもオレは前に出る。お前は後ろで見とけ。倒れそうになったら、また知らせろよ」

 エルドはうなずいた。

「うん。それが扉で、柱で、屋根なんだって――父さんが言ってた」


 丘の風が草を揺らした。

 火は、もう消えていない。

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