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【第9話幕間】値踏み

 使用人たちは静かに食器を下げた。


 子どもたちは退出し、公爵夫人たちもそれぞれの客間へ案内される。


 食堂に残ったのは、二人の公爵のみだった。


 時刻は遅い。

 だが、どちらも席を立つ気配はない。


 ワインは薄まり、

 会話は薄まらなかった。


 やがて、ロレンツォが椅子の背に体を預けた。


「……あの娘は、記憶しているより幼くなかったな」


 低く、静かな声。


「まるで、自分の背負うものを既に選んだ者の話し方だ」


 ウンガーボルトは驚かなかった。


「契約獣を喚んだ日から、子どもではなくなった」


 ロレンツォは小さく喉を鳴らす。


「ルクレツィアは、あの娘を随分気に入っている」


 ウンガーボルトの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「……計画通りか?」


 ロレンツォは短く笑った。


「計画していたなら、認めはせん」


 笑みはすぐに消えた。


「彼女は注目を集める」


 ロレンツォは続ける。


「妻だけではない」


 ウンガーボルトの視線がわずかに鋭くなる。


「聞いている」


「王都では、登録制度の話が救済特許や地方治安改革と並んで議題に上がっている」


 一拍。


「そして、発案者の名も、既に知られている」


「隠してはいない」


 ウンガーボルトは淡々と答える。


「名が巡れば、価値が上がる」


「貴族社会ではな」


 ロレンツォは静かに言う。


「教会にとっては、そうではない」


 沈黙が落ちる。


 重くはない。

 しかし、軽くもない。


「彼女は聖戦の退役兵を支援している」


 ロレンツォの声が低くなる。


「かつて聖職者が“聖なる者”と称えた男たちだ」


 視線が合う。


「もし彼女の声が、聖女よりも遠くまで届き始めたなら──」


「……教会は、慈悲の源がどこにあるのかを世に思い出させるだろう」


 ウンガーボルトが静かに言葉を継いだ。


 ロレンツォは一度だけ頷く。


「サンタ・ミノーラの一人が、今月中にこの地を通る」


「登録制度の開設に、祝福を与えてはどうかという提案が既に出ている」


 ウンガーボルトの指が、机を一度叩いた。


「信仰に結びつける気か」


「結びつける」


 ロレンツォは肯定する。


「そして、教会から切り離すことを難しくする」


 ウンガーボルトはわずかに背を預けた。


「並ばせればいい」


 少し間を置いて、言う。


「アプグルントヘルツが、その隣に立つ限り」


 ロレンツォは彼を見つめた。


「……妻と同じことを言う」


「感傷ではない」


 ウンガーボルトの声は平坦だった。


「構造だ」


 短い沈黙。


 敵意も、温情もない。


 理解だけがあった。


「彼女は、お前の想定より高く値をつけ始めている」


 ロレンツォが言う。


 ウンガーボルトは静かに首を振る。


「違う」


 低く。


「想定通りだ」


 ロレンツォの喉から、短い笑いが漏れる。


「……ドゥッチョはどうだ」


 ウンガーボルトが続ける。


「同じ値札を下げさせるつもりか」


 ロレンツォはすぐには答えなかった。


「誰が先に手を挙げるかを見る」


 やがて、そう言う。


 二人は低く笑った。


 やがてロレンツォが立ち上がる。


「家族はしばらくこちらに置く」


「サンタ・ミノーラが到着するまでな」


 ウンガーボルトは一度頷く。


「不自由はさせん」


「分かっている」


 ロレンツォは杯を置いた。


「私は今夜ヴェルドゥアノへ戻る。先に兵を整えておく」


「……感謝する」


「感傷はやめろ」


 ロレンツォは淡々と言う。


「借りだ」


 ウンガーボルトの口元に、わずかな笑み。


「承知している」


「護衛を出すか?」


 ロレンツォの唇がわずかに曲がる。


「不要だ」


 立ち上がる。


 部屋の隅から、契約獣が歩み寄る。


 巨大な山羊が、確かな重みで床を踏む。


「公式記録上、私はまだ客人ということになっている」


 ロレンツォが袖口を整えながら言う。


 ウンガーボルトは低く笑う。


「こういう時、娘をそちらへ嫁がせるべきかと考える」


 ロレンツォが一度だけ笑う。


「娘ならいる」


 二人は、互いを知りすぎている者同士の、静かな愉快さを共有した。


 そして。


「マト。来い」


 山羊が蹄を鳴らす。


 ロレンツォの手に、魔法札が現れる。

 縁に刻まれた紋様が淡く光る。


 空間が内側へ折れた。


 激しくもなく。

 騒がしくもない。


 ただ──圧縮される。


 白い閃光。


 次の瞬間、ロレンツォの姿は消えていた。


 静寂が、食堂へ戻る。


 扉が開く。


 ブランシュフルールが入室する。


「了承されましたか」


「うむ」


「では、準備を進めます」


 ウンガーボルトはわずかに頷く。


「ブランシュフルール」


 静かな声。


「エスモンドの件は半ば解決している」


「承知しております」


「サンタ・ミノーラの移動経路を調べろ」


 彼女は理由を問わない。


「御意」


 退出する。


 ウンガーボルトはしばらくそのまま座り、


 そして、


 静かに息を吐いた。

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