【第7話その2】公爵令嬢と帳簿
部屋に響くのは、羊皮紙のかすかな擦れる音だけだった。
私の契約獣が帳簿の端に寝そべり、尻尾の先に灯る紫紺の炎が、蝋燭のようにゆらゆらと揺れている。いつもなら窓辺や棚の上に逃げてしまうのに、今日は珍しくこの場所を離れようとしなかった。
やがて、ヒース卿が新たな帳簿の束を抱えて入ってきた。
「今年分の記録をお持ちしました、カタリナ様」
「ありがとう、ヒース卿。ほかの分と一緒に積んでくださいませ」
私は穀物収支の行を読みながら、軽く顔を上げて答えた。
ヒース卿は机の脇に積まれた山を見上げ、少し苦笑した。
「エズモンド男爵領は創設されてまだ二十年足らずのはずですが、帳簿の書きぶりはまるで王国の年代記ですな。細密で飾り立て、やたらと自画自賛の調子まで備えている。どうりで、わたくしの父上の報告書より一冊あたりの重さが倍にもなるわけです」
思わず口元が緩む。
「若い家ほど、何かで印を残そうとするものですわ。
武功でなくとも、せめて墨跡で」
「ははっ、さすがカタリナ様。お言葉の刃は詩人の筆より鋭い」
ヒース卿は愉快そうに笑った。
「わたくしの帳簿は、詩を詠む趣味を持ちませんのよ」
と応じると、彼はほんの少し目を細めて笑った。
それは儀礼ではない、本当の笑みだった。
この部屋では、身分よりも考えが先に立つ。紙とインクの匂いに包まれている時の彼は、貴族というより学者のようだった。記録と改革の話題に触れるとき、彼は最も生き生きとして見える。
「年齢に似合わぬ才覚ですな、カタリナ様。つい、十二歳だということを忘れてしまう」
穏やかだが、少し本気の響きを帯びていた。
「忘れていただいて結構ですわ。その方が、お話もしやすいでしょう」
その返しに、ヒース卿はもう一度、今度は小さく笑った。
しばし私を見つめ、それから手元の書類を整える。
「何かありましたら、隣室におりますゆえ」
「ご親切に感謝いたしますわ、ヒース卿」
彼が部屋を出ると、私は目の前の帳簿を見つめ直した。
——たしかに、彼の言うとおりだ。
エズモンド男爵領の帳簿は、あまりに整いすぎている。
一行一行が磨かれ、用心深く、まるで自らを誇示するかのよう。
普通の帳簿とは違う。大抵は愚痴や日記のように書き散らされるものなのに、これは見せるために作られている。読まれることを前提とした文章——まるで演説の原稿のようだった。
この手の“整いすぎた報告書”を、私は知っている。
前世で見た企業報告書と同じ匂い。
華やかで、完璧で、それでいて中身が抜け落ちている。
見栄と欺瞞を整然と束ねた帳簿。
——もっとも、それを我々は「尤もらしい否認」と呼んでいたけれど。
司祭の曖昧な書簡、モルホルトの報告、そして――それに触れたときの叔母ブランシュフルールの、意味ありげな沈黙。
前線を支える領で求人が一件もない? あるはずがない。
それでも——
私の中に残る好奇心が、静かに囁いた。
確かめてみなければ。自分の目で、真実を。




