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【第6話その2】公爵令嬢と知られざる出来事

 戦いの余韻は、すでに消えていた。

 残っていたのは、凍りついた地が軋む、微かな音だけだった。


 彼らは氷像となった間諜たちの周囲に集まった。

 人も獣も、動きの途中で封じられたまま、透き通る結晶の中に閉じ込められている。


 バレンが腕を上げると、その手首に止まっていた鷹が翼を広げ、ローヘル隊長の陣営へ向かって飛び立った。


 クルトは片膝をつき、氷漬けになった雄鶏の像を持ち上げて、苦笑した。

「こいつ、でかいな。屋敷の庭に飾ったら見栄えしそうだ」


 契約主を失った獣たちは、すでに魔力の糸を断ち切られ、実体を失って消えていた。

 残っているのは、命の抜け殻――氷の彫像だけだった。


 アズリールは木の幹に背を預けて座っていた。

 疲労の色は見せなかったが、吐く息は白く乱れている。

「……死んだ、か」

 小さく呟く。


 クルトが肩を竦めた。

「ちょっと拍子抜けだな。どうせ死ぬなら、せめて俺の剣で逝ってほしかったもんだ」


 霜を踏みしめる音を立てて、レイフが近づいてきた。

 その腕には、丸々とした兎――契約獣のアウグストゥスが抱えられている。

 小さな体は戦いの疲れでぐったりと眠り込んでおり、レイフの外套の中でぬくもりを失わぬように丸まっていた。


 彼はアズリールの隣に立ち、静かに見下ろした。

「アズリール、大丈夫か? あの術を使ったばかりだろう。結局、生け捕りにはできなかったが」


 アズリールはかすかに笑った。

「大丈夫ですよ、レイフ様。……でも正直に言えば、あんたの魔法のほうが役に立たなかった気がしますね」


 レイフは鼻で笑った。

「自害するなんて思わなかったさ。俺の術は捕縛用だ――盗賊相手なら、ちゃんと効くんだがな」


 鷹を送り出したバレンが戻ってきて、袖の霜を払いながら言った。

「仕方ありません、レイフ様。あれは盗賊じゃない。どちらの側も決定打を与えられなかった――それだけで、相当の腕前ですよ」


 アズリールが小さく頷く。

「二人でカードを合わせて術を詠唱するなんて、初めて見ました。あんな連携ができるものなんですね」


 クルトは腕を組み、うなった。

「あれは難しい。訓練された騎士でも、あそこまで息を合わせるのは至難の業だ。

 それに、奴らの契約獣は自律戦闘ができた。よほどの制御力だ」


 アズリールの視線が、一番近くの氷像に向かう。

 天を指差したまま凍りついた男。氷越しに、その指先は今も空を突き上げている。


「……自分の顔を壊そうとしてまで、身元を隠すのは分かる」

 低く、彼は呟いた。

「だが……なぜ、空を指した?」


 レイフもその視線を追い、氷の中の指先を見上げる。

 硬直した手は、まるで何かを告げようとしているように見えた。


「……格好つける趣味でもなさそうだな」


 クルトの目が細まる。

「太陽を……」


 アズリールが眉を寄せた。

「太陽?」


 バレンが静かに頷いた。

「――ああ。太陽を指していた。あれは“印”だ。『始まりの教団』――鍛炎の父ピュロスを崇める異端派のしるしだ。」


「……十柱のうちの、火の神ですよね?」


「そうだ。だが奴らにとっては“十柱の一柱”ではない。“十を統べる唯一神”だ」


 レイフの表情がわずかに強張る。

「……聞いたことがある。鍛冶師の中にも、ピュロスにあまりに傾倒して、他の神々を忘れる者がいるって。そうなるとギルドは追放する。悔い改めるまで戻れないそうだ」


 クルトは肩の飛鼠の頭を指で掻きながら言った。

「兵士にもいるさ。ピュロスばかり拝むやつは珍しくない。神官どもは“浄火の儀”にかけて正気に戻せって騒ぐが、現場じゃ誰も気にしちゃいない」


 声の調子が低くなる。

「……けどな、太陽を指す仕草をしたら、もう誰だって異端だと分かる」


 アズリールが片眉を上げた。

「……たとえば俺が、『あの空の光る玉が太陽だぞ』って誰かに教えようとしたら?」


 クルトは鼻で笑い、肩をすくめた。

「そんくらいじゃ誰も気にしねぇよ。ただしな、場違いな熱意でやったら話は別だ。怪しまれても文句は言えねぇ」

 少し間を置いて、声を落とす。

「……もっとも、この仕草自体、そう知られてるわけじゃねぇ。やるのは本当に過激な連中だけだ。毎日火の加護を祈る鍛冶屋や兵士だって、あんな手の動きは知らねぇさ」


 アズリールはしばらく沈黙した。

 この地の信仰は自分の領分ではない――それでも、口を開いた。

「……じゃあ、あいつらは間諜じゃなく、信徒として死んだってことか」


 バレンは首を振った。

「断定はできん。だが、異端者がここまで組織的に動くのは不穏だ。手がかりも、理解も足りなすぎる」


 レイフがちらと視線を向けた。

「もし深刻な話なら……カタリナには、まだ知らせないほうがいいか?」


「判断は私にはできません、レイフ様」

 バレンは静かに答えた。

「まずはブランシュフルール様に報告を。あのお方の指示があるまでは……カタリナ様には伏せておきましょう」


 冷たい風が、凍てついた林間を吹き抜けた。


 アズリールが氷に覆われた死体を指さした。

「……この氷、消えませんね」


 レイフが目を向ける。

「自然に溶けるしかない。もう魔法で解けはしない」


「どういうことです?」

 アズリールは短剣の刃についた霜を拭いながら問う。


 レイフは眉をひそめた。

「ローズカードの魔力でできた氷だ。普通の術なら、術者が解除すれば消える。だが血統系統のカードは違う――“本物の現象”として具現する。だからこの氷も、現実の氷と同じく、自然に溶けるしかない」


「……じゃあ、中の人間は氷そのものになったわけじゃない?」

 アズリールが推論を口にする。

「もしそうなら、どうやって救う?」


 クルトが短く乾いた笑いをもらした。

「溶かすか、叩き割るか、正しい“解呪”を見つけるか、だ。あの術の真価は“保存”にある。冷気が続く限り、奴らは死んではいない――ただ、凍って待ってるだけだ」


 アズリールは二人の顔を見比べた。

「……他の者も、そういうカードを?」


「貴族だけだ」

 レイフが答える。


 アズリールは片眉を上げた。

「クルト様も?」


「まあ、形式上はな」

 クルトは肩をすくめた。

「だがうちの家は遺物なんて持ってねえ。あれは古の継承品だ。今のカード職人にゃ再現できない。写しは作れても、本物は無理だ」


 レイフが小さく頷く。

「しかも、今ではほとんどの家が失っている。あるいは……恐れて封じたまま――」


 その言葉が途切れた。

 遠くで、鋭い叫び声が氷気を切り裂いたのだ。


 バレンが反射的に顔を上げる。

 頭上では、先ほど放った鷹が低く旋回し、霜を纏った翼をきらめかせて戻ってくる。

 高く鳴きながら、彼の籠手に舞い降りた。


 バレンの目が細まる。

 林の向こうを見据え――。


 凍った地面を踏みしめる、複数の足音が近づいてきた。


 木立の影から、ローヘル隊長が姿を現す。

 背後には十数名の兵が従っていた。

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