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【第5話幕間】偽装の発覚

 退役兵たちがまだ天幕の周りに集まっている頃、

 カタリナの兄レイフとその部下たちは、音もなくその場を離れていた。


 言葉は要らない。

 レイフと一人の騎士は左へ、アズリールともう一人は右へ。


 簡素な兵の天幕の間を縫うように進みながら、彼らは「コルヴィン」と呼ばれた男を追う。

 足を引きずるように森へ向かうその姿は、まるで傷ついた野犬のようだった。


 踏みしめる土は柔らかく、彼らの足音を呑み込む。

 枯葉も枝も避けて進むその動きには、訓練の跡が滲んでいる。


 若い騎士がレイフに低く囁いた。

「レイフ様、前方は茂みが濃い。デッキホルダーを軽装に替えた方がいいかと。根や枝が多すぎます」


「……確かに」


 レイフは短く頷き、腕を叩いた。

「アウグストゥス」


 茂みの奥から、白い影が跳ねる。

 彼の腕に飛び込むと同時に、淡く光を帯びた輪郭が濃くなり、首元の革紐がほどける。

 そこから小さな皮袋が姿を現した。袋にはアプグルントヘルツ家の紋章が刻まれている。


 騎士が周囲を警戒する中、レイフは一枚のカードを引き抜き、ホルダーを交換した。


 カードの表面に微かな光が走る。

 そこには、ステンドグラスのような輝きで刻まれた一輪の薔薇。


 ――アプグルントヘルツ家の《薔薇のカード》。

 その血を継ぐ者だけが扱える秘術。


 レイフはそれを新しいホルダーに差し込み、再び兎の首に革紐をかけた。

 契約獣アウグストゥスは小さく耳を動かし、主の肩に身を落ち着ける。


 一方の側では、アズリールが腰のベルトを整えていた。

 隣の年配の騎士が声を落とす。


「坊主、自前のカードは持ってきたのか?」

「持っています」


「剣は? 貸してやってもいい。俺は遠距離型だ」

「短剣があります。カードさえ裂ければ、何とかします」


「……なら、せいぜい役に立ってくれよ」


 騎士は唇の端をわずかに上げ、腕を掲げた。


 その腕に影が降りた。

 音もなく一羽の鷹が舞い降り、半ば広げた翼を保ったまま彼の籠手に止まる。

 鷹の嘴には淡い青のカード。半透明の光を帯びている。


 騎士はそれを受け取り、手袋越しに握り潰した。

「《ヴェイル》」


 空気が歪む。

 熱に揺らめく石畳の上のように、光が曲がり、姿が滲む。


 アズリールが瞬きをすると、向かいの茂み――そこにいたはずのレイフの影が、一度揺らいで消えた。


「……これで見えなくなるんですか?」

「完全ではない」


 騎士は目を細めた。

「目にも、術感にも、俺たちは“存在しない”ように見える。それだけだ」


「初めて見ました」

「戦闘用じゃないが、戦場では剣より役に立つ」


 アズリールは短剣の柄に手を添え、鞘を緩めた。

「どうしてそんなに早くカードを選べるんです? 契約獣って、渡すカードは定まっていないと聞きました」


 問いながら、懐から数枚のカードを取り出し、親指でその縁をなぞった。


「半分は本当だな」

 騎士は静かに言った。


「自分でカードを選ぶことはできねぇ。だが――絆が強けりゃ、獣がお前に今必要なカードを引いてくれる」


 その口元がわずかに引き結ばれる。

 余計なことを言った、と気づいたようだった。


「……話はここまでだ」


 彼らの視線の先――コルヴィンが動きを止めていた。


 耳を澄ませるように立ち尽くし、やがて肩の力を抜く。

 一度だけ後ろ――野営地の方を振り返り、そして大樹の影に身を隠した。


 次の瞬間、彼の動きが変わった。

 足を引きずる様子も、疲れた背の丸みも消える。

 代わりに現れたのは、研ぎ澄まされた動き。


 ――まるで皮を脱いだ獣のように。


 《ヴェイル》の内側で、レイフとアズリール、そして騎士たちは身じろぎもせずに見守っていた。


 男――コルヴィンは、もう一度周囲を見回すと、上着の前を引いた。

 脱ぐのではない。布の下に隠された何かを引き剥がすような動き。


 右手が素早く動き、内側の留め具を外す。

 低い呻きとともに左肩がわずかに跳ねた――次の瞬間、「空だったはずの」袖が、生き物のように動いた。


 開いた縫い目の隙間から、青白い手が現れる。

 長く拘束されていた痕跡――赤い縄痕が手首に刻まれていた。


 指が硬くこわばったまま開かれ、やがて彼は肩を回す。

 痛みに顔をしかめながら、滑らかな動きを取り戻すまで。


「見事な演技だな」

 老騎士が呟いた。

「どう見ても隣領の間者だ」


 コルヴィンは上着の内ポケットから、小さな木製の徽章を取り出した。

 磨かれた木肌に商人ギルドの印章。


「今度は“商人”か」

 老騎士が息を呑むように囁く。


 それを胸元に留めようとしたとき、低く鋭い口笛が森の空気を裂いた。


 闇の奥から、もう一人の男が現れた。

 質素な旅装束――だが、目の奥に宿る警戒と計算の光は、コルヴィンと同じ。


「どうした?」

 その男は低く問うた。

「撤収か?」


「ああ」コルヴィンは答え、胸の徽章を留めた。


 瞬間、疲弊した退役兵の影は消え、代わりに慎重な商人の姿が現れた。


「気づかれたのか?」

「恐らくな。だが確証はない。念のためだ」


 彼は一度、野営地の方へと視線を戻した。

 その眼差しには、妙な敬意が滲んでいた。


「あの公爵令嬢……噂どおりだ。切れ者だな」


 二人の間に、短い沈黙と理解が交わる。


「つまり、あの警告は本物だったわけだ」

「そういうことだ。――もう深入りはやめよう」


 コルヴィンは小さく息を吐き、声を落とした。

「戻ったら報告して、他の連中にも警告しておけ」


 互いに頷き合い、二人は無言で動いた。

 腰の袋に手を伸ばし、きつく結ばれた紐を指先で解く。


 《ヴェイル》の中、老騎士が剣の柄を握りしめる。

「逃げる気だ――」


「《ブレイト!》」


 反対側の茂みから、レイフの声が森を裂いた。

 白光が爆ぜる。


 一瞬で昼のような輝きが木々の間に生まれ、

 小さな太陽が咲いたかのようだった。


 二人の間者が悲鳴を上げ、目を覆う。

 世界が白熱の光に呑まれる。


 《ヴェイル》が解けた。


 光の中から、若い騎士とアズリールが同時に飛び出した。


 光が薄れ、漂う粒子と残像だけが残る。

 その刹那、老騎士は手の中で二枚のカードを砕いた。


「《トレジャーボックス》!」


 黄金の紋が四方に走る。

 森全体が格子のように折り畳まれ、煌めく立方の檻が生まれた。


 壁が音を立てて閉じ、六人を光の中に封じ込める――一時的な戦場。


「生け捕りにしろ!」


 レイフの声が外から響く。

 彼の指には氷のカード。


 表面に霜の光が走るが、まだ放たない。

 視線は肩のアウグストゥスへ。


 兎の毛が逆立ち、次のカードを引く準備を整える。


 ――最初に鳴ったのは、鉄の音。


 騎士の剣が弧を描き、もう一人の間者の胸元へ。

 間者は痛みを堪え、反射で動いた。


 腕の篭手が音を立てて開き、仕込まれた刃が閃く。

 剣筋を受け止めたのは、その隠し刃だった。


 同時にアズリールが距離を詰める。

 低く構え、回転――

 足がうなりを上げ、コルヴィンの顎を正確に捉えた。


 鈍い衝撃。石が鉄を打つような音。


 コルヴィンが後退し、血が歯の間から閃く。

「このガキが……!」


 倒れはしない。

 追い詰められただけだ。


 二人は後方へ退き、腰の袋を再び探る。

 瞬間、二つの光が弾けた。


 二人目の男の袋からは――鋭い蹴爪を持つ雄鶏。

 刃のように光る脚を広げて舞い上がる。


 コルヴィンの袋からは――細身の猿。

 長すぎる腕を支えに着地し、牙を剥いて唸る。


 彼らの契約獣が、戦闘態勢に入った。


 応じるように、若い騎士の鎧の継ぎ目から灰色の影が飛び出す。

 小さな滑空獣――翼膜を広げて宙を一巡し、主の肩に戻った。


 一瞬、場の空気が凍る。


 風が届かない。

 光の檻の中――世界は閉ざされた。


 そして、戦いが始まった。

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