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【第3話その3】公爵令嬢とアシロンの少年

 数週間が過ぎた。


 滅びた公爵家の最後の継承者――アズリール・アズ・アシロンは、慎重にロザセイエ宮へ日常の一部として組み込まれていった。侍従用の部屋に落ち着き、下級騎士と同室し、学び、鍛錬し、公爵家の子らと剣を交える――ただそれだけの単調な暮らし。


 あの大広間で見せつけられた恐ろしくも美しい力の記憶は、人々の中で次第に色あせ、代わりに「一人の少年」という現実に置き換わっていった。だが、私の胸に残っていた畏れは、やがて別の感情へと変わっていった。


 それは侍女たちから始まった。彼女たちは彼を「小さな魅了者」と呼んで群がり、いつも彼に助けられていた――いや、むしろ彼女たちが意図的に「助けさせていた」のだろう。まだ私と同じ年頃の少年なのに、背伸びして自分で本を取る姿も見た。にもかかわらず、大人の女たちが突如として洗濯籠に苦戦したり、棚の瓶を取れずに困ったふりをしたりする。目を潤ませ、当然のように彼を待つのだ。


 そのたびに彼は微笑む。穏やかに、礼儀正しく。誇りも反発も見せず、居心地の悪さすらない――征服された王子にあるまじき態度。あまりにも完璧で、あまりにも従順すぎた。


 そして私は見た。侍女がわざと糸巻きを彼の進路に落とした瞬間を。そのとき、彼の奇妙な赤灰の瞳にわずかな揺らぎが走った。それは驚きではなかった。気づいていた――という色だった。そして、拾い上げる時に浮かべた、あの笑み。


 彼は知っていた。すべて分かっていて、それを受け入れ、演じていた。――「愛嬌ある異国の少年」という仮面を。


 その計算高さ。日々繰り返される仮面劇が、私の神経を逆なでした。仲間を得るための策か、それとも大広間で見せた力を覆い隠すための演技か。あの微笑みは仮面にすぎない。


 堂々と人前に隠れる――そして誰もそれに気づかない。それが何より癪に障った。


 この計算高さは剣の稽古にも表れていた。兄レイフは毎日のように挑んでは敗北を重ねた。三撃までの試合規則で均衡を保っていたはずが、アズリールの前ではいつも一瞬で終わった。兄は「制限がなければ勝てる」と声を荒げたが、師範たちは決して許さなかった。


 私との稽古はまた違った。魔術もカードも使わず、ただの剣術勝負。私の正確なエストックに対し、彼の流れるような湾刀。彼の攻撃は単純だが、防御は迷宮だった。わずかに遅れたように見える足運び、失敗に見える間合いの調整――だが結果はいつも完璧に整えられていた。


 まるで巨大な書物を読みながら、一頁につき一行だけを示しているようで、決して全体像は掴ませない。そのくせ、侍女たちに向けるのと同じ淡い微笑みを浮かべてくる。それは目に届かない笑み――まるで私には知らされない冗談を彼だけが知っているかのようだった。


 だからこそ――暴きたくなった。その笑みの裏に隠された秘密を。


 だからこそ、最初の試合のあと、私はただ剣を下ろしただけでは終わらなかった。剣先を彼に向け、きっぱりと告げたのだ。

「契約獣なしでどうやってスペルカードを使うのか――教えて」


 そのとき、彼の笑みは初めて消えた。読み取れぬが、揺るぎなく固い表情で告げる。

「その道は、あなたの進むべきものではありません、カタリナ様」


 声は丁寧だったが、抗う余地のない拒絶だった。それは「できない」という否定ではなく、「許されない」という線引きだった。まるで私の進むべき道を、彼が勝手に知っているかのように。だが私は食い下がった。ついには彼も条件を口にする。夏までに三度、連続して自分を打ち破ることができれば――教える、と。到底越えられぬ障壁と見込んで。


 だが今日、私は確信していた。全ての癖、全ての僅かな動きを読み切った。剣を押し込み、胸に突き付ける。鮮やかな一撃。


「負けました、カタリナ様」

 声に、あの癪に障るような笑みが混じる。


「私の勝ちです」私は即座に言った。「約束どおり――これで一勝。あと二度、続けて勝てば、あなたは私にその術を教える――」


 言い終える前に、兄が飛び込んできて、私の口を塞いだ。アズリールの笑いは柔らかく、しかし何もかも分かっているように響いた。兄が約束に強く反対している理由を、彼は完全に理解していたのだ。


 政治的に見れば、確かに兄の言い分は正しい。アズリールの方法が禁忌でも罪でもないことは明らかだった。だが、あまりにも異端だ。貴族社会からすれば、なぜ公爵家の娘が、家の至宝たる虚無の猫を差し置いて、異国の人質の奇妙な術に執心するのか――理解不能でしかない。軽率な反逆、家の名誉を汚すものと見なされるだろう。


 苛立たしくとも、分かっていた。学びたい。必ず学ぶ。だが外聞を損ねずに進めるには、まずは自分の契約獣に真剣に取り組んでいると周囲に示さねばならない。誰にも、伝統を捨てるなどと疑われてはならないのだ。


 私が休んでいる間も、鍛錬は続いた。兄は今度は別の騎士と、スペルカードを用いぬ剣戟に挑んでいる。場の端では、彼の契約獣アウグストゥスが耳をぴくりと動かし、戦いを見守っていた。


 そのとき、柱の影から影が一つ離れた。私の契約獣――猫だ。腹を低くし、尾をひくひく揺らし、耳を前に倒して獲物を狙う。視線の先は、兎。


 猫は身を沈め、後肢を揺すってから飛びかかった。だがアウグストゥスは一瞥すらせず、軽々と脇に跳ねた。猫は地面に転がり、慌てて立ち上がると、さも最初から遊びだったかのように毛を逆立てて誤魔化した。


 諦めもせず、見えていないふりをして再び追いかけ始める。今度は兎も本格的に走り出し、あり得ぬほどの敏捷さで跳ね回る。猫がいくら速くても、その一歩先を、常に兎がかわす。やがて兎は高々と跳ね、宙に見えぬ足場へ着地した。


 猫は下からぐるぐる回り込み、尾を叩きつけるように振り、耳を伏せる。苛立ちながらも、諦めることはない。渾身の跳躍――だが届かない。再び落ち、また飛び、また落ち、短い悲鳴を上げながら繰り返した。


 高みの見えぬ足場に、アウグストゥスは悠然と座り、耳を剣戟の音に向け直す。下で必死に跳ねる猫など、存在しないかのように。


「カタリナ様の契約獣は、今日も実に元気ですね」

 隣から、アズリールの穏やかな声がした。


「ええ」

 私は素っ気なく答え、目は愚かしいほど無駄に見えて、どこか愛嬌のある猫の動きから逸らさなかった。隣に彼の気配を感じる。あの穏やかな、すべてを見透かすような笑みが浮かんでいるのを、見なくても想像できた。日ごとに苛立ちを募らせる、あの表情。


 ――そして、抑えきれぬ吐息が耳に届いた。笑いを堪えるときの、あの小さな音。


 私はゆっくりと顔を向け、冷ややかな視線を注いだ。

「……何か可笑しいの?」


 彼は首をわずかに傾け、想像どおりの笑みを浮かべていた。片手を背に組み、やけに整った姿勢で。

「いいえ」

 穏やかに答える。

「ただ、こちらの人々はよく『契約獣は主の鏡』と言いますよね。確かに的を射た言葉だと」


「誤解よ」私は言葉を切り捨てる。「私はあの怠け猫なんかじゃない」


 彼の笑みは深まり、しかし声は静かに切り込んでくる。

「怠惰ではなく、執念深さです。毎日、訓練の合間に見ますよ。あなたの獣が殿下の兎を追いかける様子を。決して捕まえられないのに、それでも諦めない」


 彼の視線は再び戦場に向かう。そこでは、私の契約獣が兎を追って、また空しく地面を蹴っていた。


「それが意味するのは――怠けではなく、粘り強さ。敗れてもなお挑み続ける姿勢です。あなたと同じように。あなたも、試合のたびに敗れても、決して止めなかった」


 私は彼を見据え、木剣を握る手に力をこめる。その顔はあまりにも静かだ。家族を皆殺しにされ、人質同然にここにいるはずの少年のものとは思えなかった。


 違和感が胸を刺す。これは単なる冷静さではない。歳月を経た者の態度だ。

「あなた……何歳なの?」


 彼はただ笑って返す。「十三です」小さく笑い、問いそのものを愉しむように。


 私は眉をひそめる。「話し方も、態度も……今気づいたけれど、あなた、大人みたい」


 アズリールは肩をわずかに緩め、稽古剣に身を預けて笑った。

「カタリナ様。昨冬に十二歳になられたとか。十二歳の娘にしては、あなたもずいぶん大人びていますよ」


 そのとき、兄が戻ってきた。手袋の甲で汗を拭いながら、会話の最後を耳にして眉を上げる。

「普通の十五歳の目から見れば、君たち二人はずいぶん変だよ」

 声はどこか楽しげで、からかうような響きを帯びていた。


 私は即座に言い返す。「違う。私は昔からこうよ。子どもっぽいのは兄さまの方。いまだに薬を飲むとき、牛乳に混ぜないと飲めないでしょう」


 兄は一瞬で目を逸らした。それは、図星を突かれた証拠。

「子どもっぽいんじゃない。ただ……味の問題だ」


 するとアズリールが肩をすくめ、あっさり口を挟む。

「お気持ちは分かります。私も薬は……蜂蜜をたっぷり混ぜてもらわないと無理ですから」


 兄がすかさず食いつく。「ほら見ろ! アズリールだってそうなんだ! 男のことは男にしか分からないんだ!」


 私は二人を見比べた。牛乳にすがる兄と、蜂蜜を欲しがる彼。決闘の場ではいかにも大人びて見えるくせに、所詮は子ども――滑稽で、無様なほどに。

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