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【第3話その2】公爵令嬢とアシロンの少年

 大広間の中央には、アシロンの少年のために広く場所が空けられていた。盾や木材の丸太が、わざとらしく配置されている。父の玉座の下には精鋭の近衛たちが並び、石像のように動かずに彼を見守っていた。そのため、十分な空間が残されている。よくは見えなかったが、片手には剣を持ち、腰にはデッキホルダーを装着していた。まさか、スペルカードの術を披露するつもりなのだろうか? けれども、傍らに契約獣の姿はない――それとも私のように、どこか遠くを気ままに彷徨っているのだろうか。


 視線を巡らせる。

 ほかの契約獣たちは主の足元に従順に控えたり、肩にしがみついたりしている。


 彼の獣は……どこに?


 そう思った瞬間、一匹だけ、妙に距離を置いている影が目に入った。


 ……私の契約獣だった。


 窓辺で朝の陽を浴びながら丸くなり、毛づくろいに余念がない。我関せずとばかりに、こちらを振り向きもしない。


 彼の契約獣を探しているうちに、異国の調べが響き始めた。それは神官たちの儀式の詠唱とはまるで違った。楽器を伴った歌――異質でありながら、美しい旋律だった。初めて耳にする音のはずなのに、不思議と心地よかった。


 そして彼が動いた。歩くのでも、戦うのでもない――舞うのだ。一歩一歩が計算され、流麗で、剣の振るいは目に見えぬ旋律とぴたり重なる。単なる技量ではない。演舞であり、芸だった。鋼は歌を奏で、周囲の空気すらその調べに従うかのように震えていた。


 二枚のカードが、彼自身の手によってデッキから抜き取られ、宙に浮かんだ。

 音符のように漂い、静止する。


 こちらの魔術であれば、本来は契約獣がホルダーから引き抜き、空へ投げて発動するもの。だから術が発動すれば即座に消えるはずだ。


 だが彼のカードは、まるで主の合図を待つかのように、そこに留まり続けていた。

 驚きよりも――不思議と心が惹かれる。


 剣がひと振りされると、カードは砕け散った。破片が硝子の雨のように降り注ぐ。彼の剣は光に燃え、稲妻が刃を這い回る。青白い電光が石床を叩き、舞の拍子とぴたりと重なった。まるで広間そのものが彼のリズムに従っているようだった。


 彼は剣先を盾の上にかざして静止する。次の瞬間、ひと突きの指し示しと共に、雷鳴が轟いた。太鼓の一打のように、堂内にリズムを刻みながら反響する。神官も貴族も身を竦めたが――私の耳には、まるで交響曲の第一楽章を締めくくる決定的な一打のように響いた。


 兄が身を寄せ、小声で呟いた。

「……ありえん……」


 視線を兄に向ける。

「なにが?」


「《(ライトニング)斬閃(スラッシュ)》と《轟雷(サンダー)(ストライク)》……同時に使ったんだ」


 言葉の意味を測りかね、私は眉をひそめる。

「それって……悪いこと?」


 兄は首を振り、息を押し殺すように言った。

「悪いどころじゃない……常軌を逸している。契約獣が引き出すのは、せいぜい一枚――無作為か、主の望みに応じるかは絆の深さ次第だが、それ以上は絶対にありえない。俺たちが二つの術を同時に使うなら、本来は四枚――一つにつき二枚のカードが要る。だが、あいつは今……二枚しか使わずに、二つの術を同時に重ねてみせたんだ」


 四枚同時に。ぞくりと背筋が震え、胸が締め付けられる。あの十字軍の戦で、もし彼がそんなことをできたのなら――なぜ彼らは敗れたのだろう。逆に言えば、それを凌駕した我らの力はいかほどのものだったのか。想像するだけで息苦しくなる。


 音楽が再び高鳴る。今度は軽やかに、戯れるように。属性カードが宙を舞い、斬り裂かれて光景を彩る。


 彼はさらにスペルカードを裂いた。盾が舞い、蝶のように光を受けながら彼の周囲を旋回する。手首のひとひねりが弦を弾くようで、盾たちはそれに応じて歌うように動いた。


 ひとつは丸太に突き刺さり、鈍い音を立てた。別のひとつは柱に命中した。さらにもうひとつ。どの一撃も正確無比で、返ってくる動きもまた流れる旋律に溶け込む。


 私は息を呑み、目を離せなかった。その優雅さ、その制御力――これは戦いではない。芸術だ。だが、もし盾ではなく刃を選んでいたら……大理石の床には屍が転がっていただろう。


 さらに彼は引き抜いた――五枚、いや七枚ものカードを、一振りで切り裂く。そのまま深く一礼し、跳躍して空中でひねりを加えながら舞う。剣が歌い、衝撃波が広間を駆け抜けた。


 旋律が変わる。冷気が足元から忍び寄り、哀歌の序章のように漂う。霜が磨かれた石床に走り、柱を伝い、壁を覆っていく。大聖堂のように煌めく氷の光景。


 詠唱が途切れる。楽器が息を潜める。


 ――そして、最高潮。床も天井も、柱も、あらゆる場所から氷の棘が一斉にせり出し、荒々しく螺旋を描き、宙に咲き乱れる氷花のようだった。しかしその尖鋭な危険は、観衆の下には一切現れず――すべて彼の掌中にあった。


 そのとき理解した。彼が望めば、一瞬でこの場の全員を葬れたのだと。だが――そうしなかった。


 氷は砕ける硝子のように粉々になり、音とともに空間から消えた。冷気は残りつつも、やがてゆっくりと温もりを取り戻す。


 彼は再び頭を垂れた。父は静かに頷き、控えめで、それでいて畏敬に満ちた拍手が広間を包んだ。雷鳴の余韻のように。


 大広間は静止した。世界そのものが氷に刻まれ、そして砕け散ったかのように。


 その舞は恐ろしくも……美しかった。


 そして彼は――契約獣なしでそれを成し遂げたのだ。


 私はぞくりと震えた。それは恐怖からだけではない。もし自分も同じことができたら? 契約獣に頼らず、カードを意のままに操れるのなら――羨望の炎が胸の端に灯る。学ばねばならない、と。

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