半日前が視える女
「私ね、過去を視ることが出来るの。たぶん20分くらい」
彼女の言葉を、俺は最初、酔っぱらいの戯言だと思った。
繁華街から少し外れた辺りで、車を走らせていた時の出来事だ。
助手席に乗せていたのは、新しく付き合い始めたばかりの女性。
ランチデートの帰りだった。
俺たちが食べてきたのは、小洒落たイタリアンのレストランだが、そこは安くて旨いワインを飲ませることでも知られているお店だ。
俺には昼間から酒を飲むような習慣はなく、そもそも運転があるから一滴も口にしなかった。
一方、彼女は「せっかくだから」と言って、グラスワインを数杯。
ペースも速かったので、かなり酒に強いのかと思ったが、そうでもなかったらしい。店を出る頃には、明らかに顔も赤くなっており……。
そのまま酔いが覚めたようにも見えず、今に至るわけだ。
「『過去を視る』とか『20分くらい』とか、つまり20分前の出来事がわかるってことかな?」
ちらりと横目で彼女の様子を確認しながら、適当に会話に応じる。
「違うの、視ていられる時間が20分くらいなの。まばたき我慢できるのが、それくらいだから」
「ああ、20分間ってことか」
「そう、そうなのよ!」
我が意を得たりと言わんばかりの勢いで、彼女はパンと手を叩く。
ビクッとするほど大きな音が鳴った。運転している横では危ないから止めてほしいところだが、今の彼女には言っても無駄だろうから黙っておく。
今度素面の時に、それとなく注意しておこう。
「いわゆる過去視ってやつだね。超能力とか異能力とか、特殊能力の類いだろう? 凄いじゃないか!」
「そう! 凄いでしょう、私? だけど……」
誇らしげに胸を張ったかと思いきや、すぐに声のテンションがダウンする。
「……この能力のこと、今まで誰にも話したことがなかったの。ほら、信じてもらえなくて変人扱いされるのも嫌だし、逆に信じてもらえても、それを変に利用されそうで……」
「ああ、そうだね。軽々しく他人に告げない方がいいような内容だね。ここだけの話にしておこう」
「……でもね。ほら、あなたは私の運命の人だ、って思ってるからさ。一緒になる相手には、こういう秘密も、きちんと話しておくべきでしょう?」
彼女の声は、また明るくなっていた。
「ああ、全くその通りだよ。お互い、正直でないとね」
と、俺も口では彼女に同意してみせるが……。
心の中では同意どころか、むしろ逆。俺は彼女に呆れていた。
付き合い始めて一週間も経っていないのに、もう結婚を意識するなんて……!
俺の常識では信じられない感覚だ。二人の価値観が違うのを、強く意識させられてしまう。
俺だって別に、遊びで付き合おうなんて思っているわけではない。彼女との交際については、真剣に考えているつもりだった。
だからこそ昨晩、それまで付き合っていた女性との関係を、はっきりと終わらせてきたくらいだ。
そんな俺でも、交際一週間ではまだ、結婚の「け」の字も頭に浮かばないというのに……。
――――――――――――
「『だるまさんがころんだ』って遊びあるでしょう? 小さい頃にね、あれをしてる最中に……」
いきなり話題が変わったように聞こえて、俺は改めて「彼女は酔っている」と思ったが、そうではなく先ほどの続きだった。
「……この能力に気づいたの!」
「だるまさんがころんだ」ならば、俺だって子供の頃に遊んだことがある。おそらくは日本人ならば誰でも、少なくとも一度は遊んでいるだろう。
まずは一人の鬼と、それ以外の子供たちが、離れた位置からスタート。鬼が他のみんなに背中を向けて「だるまさんが転んだ」と唱えている間に、鬼以外は鬼に向かっていく。
鬼は「だるまさんが転んだ」を言い終えたら振り返り、みんなを目視。鬼以外の子供は、見られている間は静止しなければならず、その間に少しでも動いたら、鬼に捕まってしまう。
誰か一人でも最後まで捕まらずに、無事に鬼のところまで到着できれば、捕まっていた者たちが解放されて終了。あるいは逆に、全員が捕まれば鬼の勝利で終了……。
基本ルールは、そんなところだろうか。
「そう、その『だるまさんがころんだ』よ。それでね、私が鬼になった時なの。『だるまさんがころんだ』って言い終えて、振り返ったら夜だったの!」
小さい子供たちが、わざわざ真夜中に集まって「だるまさんがころんだ」をするはずもない。ならば、遊んでいたのは昼間なのに振り返ったら夜になっていた、と言いたいのだろう。
「つまり『だるまさんがころんだ』で鬼をやると少し過去が視える……ってことかな? それが君の特別な能力なのかい?」
「違う、違う! そんな単純な話じゃなくて……」
俺は当然、前を見ながら運転していたが、ブンブンと大きく首を振る彼女の様が、視界の片隅に入っていた。
「……ポイントは『振り返る』って行動なの! 『だるまさんがころんだ』は全然関係ないわ。あと、目を閉じるのも絶対必要な条件なの」
彼女は元来、説明が下手なタイプなのだろうか。あるいは、酒が入っているせいで普段よりも思考力が鈍り、上手く伝えられないのか。
いずれにせよ、彼女の言いたいことを俺が理解するまでに、さらなる説明を必要としたが……。
どうやら彼女には、反対側を向いて「だるまさんがころんだ」と言っている間、目を閉じる癖があったという。他のみんなに背中を向けるだけで十分なのに、彼らを見てはいけないと強く意識するあまり、ついついギュッと目を閉じていたらしい。
もちろん「だるまさんがころんだ」と唱え終えて振り返る時には目を開くけれど、ある時それが少し遅れた。目を閉じたまま振り返ってしまい、振り返った後で目を開いた結果。
「だるまさんがころんだ」で遊んでいた公園の、遊んでいた時間であるはずの昼間の光景ではなく、同じ公園の夜の景色が視えていたという。
――――――――――――
「本当に驚いたわ! でも驚きのあまり目をパチパチさせたら、その瞬間、元の景色に戻ったの」
「なるほど……」
俺は大袈裟な口調で、納得を示す。
実際のところ、口に出したほどではないけれど頭の中でも、合点がいくと感じる部分はあった。
彼女が最初に言っていた「視ていられる時間が20分くらいなの。まばたき我慢できるのが、それくらいだから」という発言を思い出したのだ。
「それでね。その最初の時は、ただ驚いただけだったんだけど……」
家に帰った後、一人で色々と試してみたという。
その結果わかったのが「目を閉じながら振り返り、それから目を開ければ、次に目を閉じるまでの間、ぴったり12時間前の世界を視ていられる」ということ。
特に「ぴったり12時間前」という点については、自分の後ろに時計を置いておき、振り返った際に視えた過去の時刻を確認。その直後、まばたきしてから視える――つまり現在の――正確な時刻と比較することで、導き出した結果らしい。
「自分の能力を、そこまできっちり把握したのか! それは凄いね。視えるのがちょうど12時間前とわかっているなら、色々と便利じゃないか」
「うん、私も最初、そう思って興奮したんだけどね。でも結局、この能力が人生で役に立ったことなくて……。ほら、12時間前って、それほど『過去』って感じじゃないのよ。もっと昔が視えるなら、もっと便利だろうけどねえ」
続いて彼女は、中学時代のエピソードを披露し始める。
同じクラスの友達が一人、通り魔に刺されて、意識不明の重体に陥ったという。その報せを聞いて、すぐに彼女は事件現場まで行ってみたのだが……。
「……もう12時間以上が経過しててね。事件については、何も視えなかったの」
なおその際、事件現場に近づいたところで、担任の先生が彼女を止めようとしたらしい。
「妨害しようとするなんて、てっきり先生が犯人かと思ってね。『先生の犯行の瞬間が視られる!』って、ちょっとワクワクしたんだけど、期待はずれだったわ」
友達が重体だというのに、その事件に関して「ちょっとワクワク」とは不謹慎ではないだろうか。
それに、その先生が「止めようとした」というのも、通り魔が出没するような場所に近づくのは危険だから。むしろ親切心で止めてくれたのだろうに、それを犯人扱いするのも酷い話ではないか。
彼女の話を聞きながら、俺はそう思ったのだが、あえて口には出さなかった。
黙って適当に頷いておくと、彼女は呑気に話を続けていた。
「ジュブナイル小説だったら、主人公の私が特殊能力で大活躍! 事件解決までの過程で、今まであまり話したことないクラスの男の子も絡んできて、その子と仲良くなったりも……。そんな展開、ありそうでしょう? そんな冒険譚、現実になるかと期待したんだけどなあ」
適当な相槌ばかりでは何なので、少しは俺も軽口を挟んでみる。
「でも、そこで『クラスの男の子』と仲良くなって恋仲になって、そのまま幸せに続いていたら、今の俺との出会いはなかっただろうね。だったら現実にならなくて、かえって良かったんじゃないかな?」
「あら、嫌だ。空想上の『クラスの男の子』に対してヤキモチ? でも嬉しいわ、そこまで想ってもらえるのも」
――――――――――――
ちらりと横を見れば、彼女はニヤニヤしている。
俺はちょっとムッとして、話を戻すことにした。
元々の話題だった、彼女の特殊能力の件。それについて、少し掘り下げてみるのだ。
「君の過去視……。電車とか自動車とか、動いている乗り物の中だとどうなるの?」
「動いている乗り物……?」
質問の意図が伝わらなかったらしい。わかりやすく言い直す必要が生じた。
「ほら、車内の様子は同じだとしても、窓の外に見える景色には二通りの可能性が出てくるだろう? 自分を主体に考えて今この場所なのか、あるいは乗っている乗り物が主体で、過去に乗り物があった場所なのか」
例えば昼間、乗車中の電車が駅に停車している時、振り返って12時間前の世界を視るとしたら……。
窓の外の風景は、視えるのが「今この場所」ならば、停車中の駅の夜景。「過去に乗り物があった場所」ならば、夜間の電車の置き場だから、車庫の中とか車両基地とかになるだろう。
「さあ、どうかしら? そんな実験、やったことないから……」
一人で色々と試してみたと言っていたくせに、その程度も確認したことがなかったらしい。
「ちょうどいいから、今ここで試してみたら?」
ついそんな提案を口にしたのは、俺が結局、彼女の能力を本気で信じていなかったからに違いない。
「視えるのが『今この場所』だとしたら、リアウィンドウの外に視えるのは、大通りの夜景だね。だけど『過去に乗り物があった場所』の方なら、12時間前は真夜中だから、この車は自宅の駐車スペースに停まっていて、その景色になるはずで……」
と俺が説明している間に、彼女は早速、目を閉じたまま後ろを振り返っていた。
そして、その目を開いた途端。
すっかり酔いも覚めたみたいに、真っ青になってしまう。
「この辺りの道路じゃないし、駐車場でもないわ。この車、走ってるけど……。一体どこなのかしら? 街灯もないような、薄暗い山道で……」
「ああ、そういえば思い出した。今の今まで、すっかり忘れていたけど、昨日は何だか眠れなくてね。気分転換のつもりで深夜、一人でドライブに出かけたんだっけ」
大きく目を見開いたままの彼女に対して、俺は慌てて言い繕う。
しかし彼女は、俺の言葉なんて全く耳に入らないかのような勢いで、真剣な声色で続けていた。
「……それと、もう一つ、はっきり視えたのが車内の様子よ。後部座席に一人、白いワンピースの女性が寝かされてるの。頭から血を流してるし、胸にはこれ、ナイフかしら? 銀色の刃物っぽいのが刺さってるんだけど……」
彼女の言葉を聞きながら、俺は内心、ため息をついていた。
これは口封じの必要があるな、と。
この話を彼女が警察に持ち込んだとしても、過去視の能力云々は、常識的に考えれば単なる与太話。真面目に扱ってもらえないだろうが、しかし目撃内容そのものは、疑惑の引き金となるには十分だ。彼女の話をきっかけにして捜査が始まったら、俺が苦境に立たされるのも確実だった。
ああ、なんと運が悪いのだろう。二日連続で、女性を殺して山奥に埋めねばならない状況に陥るとは……!
(「半日前が視える女」完)