放置された契約妻ですが、独立資金が溜まったので離婚してください
▶01.プロローグ ──────
どうして目の前にいるこの男は、必死に私に愛を乞うているのだろう。でも大丈夫。私はもうこれ以上あなたに振り回されたりしないわ。
シルヴィはかつての夫を穏やかな気持ちで見下ろした。
▶02.夫婦、初めての対面 ──────
「ナタニエル様、離婚してください」
シルヴィは、久しぶりの夜会で、自分の“夫”がやっと一人になったタイミングでそう告げた。
一息つくために庭園に出たナタニエルは、目の前にいる女が自分の妻だと分からなかったのか、しばらくシルヴィを見つめた後、言った。
「君には充分な待遇を与えているはずだ」
「ええ、契約通り与えていただいたわ。そして契約期間はすでに終了しているのはご存知かしら?」
シルヴィの言う通り、契約期間の5年はすでに経過している。
シルヴィと出会う少し前、ナタニエルにはすぐにでも結婚しなくてはならない事情があり、彼女に契約を持ちかけた。
そしてそれをシルヴィもまた了承した。
その5年が経過し契約終了、つまり離婚の手続きを進めたいと仮初めの夫に連絡して3か月が経っていた。
いくら待っても来ない返事に痺れを切らしたシルヴィは、招かれてもいない夜会に乗り込んだのであった。
結局、夜会の場で込み入った話を続けることは出来ず、数日中にナタニエルがシルヴィの元を必ず訪れるという条件で、その夜の話はいったん切り上げられた。
▶03.妻の事情 ──────
シルヴィは伯爵家の娘だが、伯爵であった父とその妻である母はシルヴィが16歳、弟のネルウァが10歳の時に、流行り病で相次いで亡くなってしまった。
不運なことに後見となるべき伯父も、病で臥せっており援護は期待できなかった。
悪いことは重なるもので、伯爵領の領地を2年連続で干魃が襲ったことで、伯爵家の財政は破綻寸前となった。
もし残されたのがシルヴィだけなら、どこか適当な貴族の屋敷で雇ってもらうことは可能だったはずだ。
貴族としての相応の教養をすでに身に着けていたから、貴族社会の端で生きていくことには困らない。
しかし、弟はまだ10歳。
人脈や経験の無い16歳のシルヴィが伯爵位を継いで、伯爵家の経営を建て直すのは事実上不可能だったから、打てる手はほとんど無かった。
公爵家の後継者ナタニエルから結婚の提案があったのは、その頃だった。
シルヴィ自身も、援助してくれそうな家ならどこへでも嫁ぐしか無いと考え始めていた時だった。
聞けばいわゆる契約結婚で、5年経ったら離婚するという。なぜ5年という期間なのかは、教えてもらえなかった。
条件等のやり取りも人を介して行われ、結局シルヴィは結婚まで、夫となる人の顔を見ることも叶わなかった。
弟のために自分の身を擲つことには全くためらいは無かったし、令嬢としての経歴に傷が付くとはいえ5年経てば自由の身になれるのだから、当時のシルヴィにとってこの上ない申し出だった。
シルヴィが望むならばそのまま婚姻を継続してもいいと言う。
どうせいつかは政略結婚をすることになったのだから、継続もありかと軽く考えていた。
結婚当初16歳のシルヴィには、夫を愛することも出来ず、愛されることも無く、子供も望めない結婚がどれ程虚しいのか想像出来ていなかったのだ。
結婚からしばらく経って、この生活が一生続くことをふと想像した時、シルヴィはゾッとした。
金銭的には何の不自由も無い。でも、何も満たされなかった。
愛されたい────
契約結婚でも信頼を重ねていけば、本当の夫婦になれるのではという少しの期待があった。
シルヴィは父母を急に亡くすまでは大事に育てられた貴族令嬢であり、まだ結婚や恋愛に夢を持っている年頃だった。
また、結果的に白い結婚で終わったが、そういう関係を持たないという条件は示されなかったから、いつか子どもを持てるかもしれないという期待もあった。
実際には結婚式すら無く、必要な書類にサインするときに顔を合わせて以来、夫は王都で暮らし、妻の住む屋敷を訪れることは一度も無かった。
夫への期待を5年かけて少しずつ捨て去り、今やシルヴィの心は軽やかであった。
▶04.離婚協議 ──────
夜会の翌日、結婚後初めて二人きりとなった夫婦は、離婚の話し合いをしていた。
「子どもが欲しいの。でもあなたとでは無理だわ」
「それなら私との婚姻を継続すればいい。君が望むならこれからはこちらの屋敷に帰るようにしよう」
男がそう言うのを、女は冷めた顔で眺めた。
(本当は子供なんて口実よ。私は誰かに愛されたいだけ。)
「だから、そういうことは信頼できる人じゃないと無理なの」
5年以上放置して、連絡も取れないような男は夫としても父親としてもふさわしくないと、言外にナタニエルを責めた。
「浮気しているのか」
夫が的外れなことを言ってくる。妻は呆れた。
「周囲にバレず、子供さえ作らなければ愛人だって容認されているはずでしょ」
(もっともそんなリスクは冒さないけど。)
話し合いは堂々巡りとなり、結局数か月の考慮期間を持つこととなった。
(私には考える時間なんか充分あったんだけどな…
まあ納得してもらった方が後腐れ無くていいわね。)
シルヴィとしてはもはや、貴族の世界で生きるつもりは無かった。
弟のためと割り切っていたはずだが、自分の身を売り渡したことにシルヴィは傷ついていた。
開き直って、したたかに公爵家の財産で贅沢をすれば良かったのかもしれない。
でも、シルヴィにはその暮らしが意味のあるものには思えなかった。
伯爵家に戻ってもしがらみがあり、これからも望まぬ結婚話などがあるかもしれない。
シルヴィは離婚後も伯爵家には戻らず、街に出て平民として生きるつもりだった。
そのための地盤と資金は、最低限ではあったが準備できた。
▶05.妻の5年 ──────
結婚が成立してしばらくは新たな暮らしに慣れるので精一杯なシルヴィだったが、本当に形だけの結婚なのだと言うことを飲み込んでからは、契約終了後の対策に力を注いだ。
唯一の懸念事項である弟についても、病に臥していた伯父が快復し、後見役を務めてもらえる見込みが立った。
シルヴィが家に戻りたいと言えば、弟は暖かく迎えてくれるだろうが、それはしない。
平民として暮らすと決意するのは簡単なことではなかった。
でも、父母が生きていた頃はよく街に連れて行ってもらったし、ある程度その暮らしについては分かっているつもりだった。
自分の能力を鑑みればどこかの貴族の屋敷で雇ってもらうのが現実的な方法だとは思った。
しかし、末端とは言え貴族社会の一部には違いなく、出来ればそこから完全に抜け出したい。
父母のことを思い出していたとき、貴族に売るには品質が劣る宝石を庶民向けに扱う商売を思いついた。
今では枯渇してしまったが、伯爵領はかつて上質なルビーの産地だった名残りで宝石に触れる機会は多く、その目利きには自信があった。
貴族の間では当然宝石は大いに流通していたが、庶民にしてみれば、貴族様だけが持てる物で自分たちには関係ないという認識だった。
品質が劣ると言っても、よほど石を見慣れた者で無ければ善し悪しは判別出来ないし、キラキラしたものが好きな気持ちは立場や性別、年齢を問わないものだ。
社交など公爵夫人としての華やかな務めも求められない代わりに、行動の制限もほとんど無かったから、シルヴィはやがて街で細々と商売を始めた。
その中でも、たまたま取り扱った商品が爆発的に売れ、小さな店舗を兼ねた家を買えたのは本当に幸運だった。
今は、住まいの部分は人に貸しており、それも独立資金の形成に大いに役立った。
もちろん貴族として見る街と半ば平民として見る街は違うところも多く戸惑いもあったが、それでも貴族社会に戻るよりはマシだと思った。
(悔しいけど、この街は暮らしやすい)
シルヴィのことは一顧だにせず放置するような冷たい男だったが、領地経営においてはフェアで有能な統治者だった。
街の治安はよく維持され、官吏の腐敗なども無かった。
(妻には優しくないのに領民には優しいのね。)
▶06.夫の思惑 ──────
ナタニエルは夜会の翌日以降も、シルヴィのいる屋敷に帰ってくるようになった。
あからさまにシルヴィの機嫌を取ってくる訳では無いが、可能な限り屋敷にいる時間を作っているようだ。
一週間ほど経った頃、ナタニエルは王都のレストランにシルヴィを誘った。
公爵領は王都に隣接しているため長時間の移動が必要な訳では無いが、それでもそれなりの距離はある。
(長い時間、馬車に同乗するのは気が進まないけど、せっかくの申し出も無下に出来ないかな。)
移動中は慣れない異性との二人きりの状況にやはり緊張していたのかあまり覚えていないが、無難な話題でやり過ごせたように思う。
シルヴィが豪奢な店構えに気後れしているのを見て取ると、優しく手を取りエスコートしてくれた。
緊張もほぐれてきた食事の場で冷静になってみると、ナタニエルは紳士的で、思っていたより会話も続いた。
(楽しいとまでは言えないけど、もう少し様子を見てもいいのかも。)
シルヴィは化粧室の鏡の前で、そんなことを考えていた。
その時、二人連れの女性客の会話が聞こえてきた。
「見まして?ナタニエル様を繋ぎ止めようと必死ですわ。わざわざ王都にまで来て交渉かしら」
「ええ。わたくし夜会でも見かけました。ナタニエル様に相手にされず、すぐ帰されてましたのよ」
女性達はシルヴィがいるのが分かっていて、わざと言っている。
結婚以来、裏で馬鹿にされていることは察していたが、社交の場にほとんど出ることは無かったから直接こんな言葉を投げつけられたのは初めてだった。
シルヴィは平静を装って席に戻ると、今すぐ屋敷に帰りたいとナタニエルに伝えた。
ナタニエルはシルヴィの青白い顔を見て驚いたが、周りを見渡すと状況を察したらしく、すぐに帰りの馬車を手配した。
「考えが足りず、申し訳なかった」
「いいのよ。どこにでも品の無い人間はいるもの」
*****
王都でのことは気まずさを残しつつ、その後はそれなりに穏やかに過ごしていた。
しかし、ナタニエルが王都での仕事が続き、数日は屋敷に帰れないという日に手紙は届いた。
普段からやり取りしている友人たちの手紙に紛れていたため、屋敷の者も気づかなかったのだろう。
シルヴィの女友達を装った架空の人物からの手紙には、なぜナタニエルが婚姻を継続する必要があるのかの理由が記されていた。
ナタニエルが公爵であり続けるには妻という存在が必要なのだという。
そういうことかとシルヴィは腑に落ちた。
公になっていないのか詳しくは調べても分からなかったが、公爵位の後継絡みで火種があるのではということは聞いたことがあった。
しかし、夜会以降ナタニエルは誠実にこの結婚と向き合っているように見えたし、シルヴィへの態度にも不自然なところは無いように思えた。
(これから一人で生きていこうと思ってるくせにこんなに簡単に絆されかけたなんて、誰にも言えないわ)
それでもこういうことは本人の口から聞くべきだ。
(何か話せない事情があるのかも。自分からそれを教えてくれたら、あるいは…)
シルヴィのそんな期待はあっさり裏切られた。
夜会から数か月経過しても、ナタニエルは真実を話そうとはしなかった。
(ついに本当のことは言ってくれなかった…私のことは自由に動かせる駒とでも思ってるんでしょうね。)
確かに家のための結婚でも仕方ないと思っていた。
でも今後は弟が立派に伯爵家を運営してくれるだろうし、私は自由になれることを知ってしまった。
私を愛していない人とは家族にはなれない。
私は誰かを愛したいし、愛されたい。
自分のためだけじゃなくて、誰かのために生きたい。
▶07.弟の戸惑い ──────
「僕のためにこんな結婚をさせてごめん。
まさか、あんなに酷い人だなんて思って無かった。噂は結婚してすぐに聞こえてきたけど、僕に力が無かったから、離婚させてあげることもできなくて…でも今なら領地経営も安定したし、伯父さんの病気もほとんど回復した。一緒に帰ろう」
「あなたのためだけじゃないの。もちろんあなたが伯爵として立派にやっていくところも見たかったけど、私もあのときは一人で生きていく自信が無かったの。だから、こうして生きる道を見つける時間をくれたナタニエル様には感謝してるのよ」
「……ナタニエル様のことを愛してるの?」
「異性としてはあり得ない。でも感謝してる。思ったより悪い人じゃなかった。まあ私のことは自分で考えてるから心配しなくていいわ」
姉はいつもそうだ。
いつも一人で決めて、事後報告。
僕が未熟だったのもあるだろうけど、今ならもう相談にだって乗れるのに。
きっとこれからのことだって、もう決めてるんだろう。
その時、ドアがノックされてナタニエルが部屋に入ってきた。
(まさか聞かれてないよな?)
ほとんど話したことのない義兄弟は簡単な挨拶を交わして、ナタニエルは自然にシルヴィの隣に座った。
挨拶だけしてすぐに出ていくのだろうと思ったネルウァはそれを意外に思ったが、シルヴィは気にも留めていないようだった。
ナタニエルは義弟に、困ったことなどは無いかと尋ね、何かあったらいつでも頼ってくれと言う。
社交辞令かと思ったが、様々なトラブルへの対処法や信頼できる人間など細やかに教えてくれた。
これもまた意外で、こんな気配りが出来る人が何故姉を5年もの間、放置したのか不思議だった。
姉はもはやナタニエルの方を見もしないが、もし始めからこんな時間が持てていたら今頃案外お似合いの二人だっただろうに。
まあ、ナタニエルも結婚に関しては消極的なのだろうから、仕方が無いことなのだろう。
そうは思ったが、目の前のナタニエルはシルヴィのお茶が冷めていないか、茶菓子は好きなものだったかと甲斐甲斐しく尋ねている。
(んんん?ナタニエル様の方は、別れたくない感じなのかな?でも姉さまはもう吹っ切っちゃってるなぁ。まあ嫌いという訳じゃなさそうだから、ゼロでも無いのかな。)
▶08.夫の事情 ──────
ナタニエルの祖父である前公爵は、歴史ある公爵家の継承を何より重んじる男だった。
その地位をナタニエルに譲ったとは言っても、水面下で無視できない権力を未だ持ち続けていた。
結婚した当時、公爵家の跡継ぎはナタニエルだけだった。
しかし、隣国での戦争が終わり混乱が治まると、生死不明と言われていた後継者となり得る血縁が生きていることが分かった。
隣国に婿に行った、祖父の弟の孫息子だという。
その男には既に子がおり、もしナタニエルが離婚すれば公爵をすげ替えてしまうくらいの力は、まだ祖父に残っていた。
枷でしか無い公爵位などそいつにくれてやりたい気持ちと、これまで跡継ぎになるために制限され続けてきた自分との折り合いがつかず、その地位を放り出すことは結局出来なかった。
*****
シルヴィを契約結婚の相手に選んだのは、たまたまだ。
公爵家の後継者となるのに結婚することが必要となり、都合の良い相手を探していた時にちょうど目に入ったのがシルヴィだった。
伯爵家の娘で、父母を立て続けに亡くし、領地経営がうまく行っていないという。
条件ばかり気にしていてシルヴィの年齢を知ったのは、話がまとまる直前だった。
屋敷に来ていたシルヴィのまだ幼さの残る姿を見て、自分のしたことの罪深さを俄に自覚したのであった。
その後は年若い彼女を巻き込んでしまった罪悪感と、慣れぬことも多い自身の職務に忙殺されて、仮初めの妻から目を背け続けた。
契約の期限は5年としていたが、始めに継続も匂わせておいたから、まさかその終了を妻から求められるとは思っていなかった。
二人の関係の主導権は自分にあり、彼女自身もまた自分の手中にあると慢心していた。
どう返したものかと考えているうち、あっという間に数か月が経ってしまった。
夜会に乗り込んできた妻と再会した時、その姿にナタニエルは声が出せなかった。
妻の動向は屋敷の者から一応ひと通りの報告を受けていたが、不安を抱えながら気丈に振る舞う16歳の姿はそこに無かった。
内から自信が溢れ、凛と立つ女性に一瞬で惹き込まれたのだった。
*****
報告にあった、街での商売は遊びの延長のようなものだろうという程度に認識していた。
しかし、改めて詳細を聞けば、そんな半端なものではなかった。
宝石は通常、仕入れや販売ルートが既に押さえられており、素人が今更参入するのは難しい。
しかし、相手が平民相手となれば話は別だ。
貴族へ売る高級品とは、生み出す利益に雲泥の差がある。
そのため競合しないシルヴィの商売は、特に問題視されなかっただろう。
公爵家の権威が役立った可能性もあるが、シルヴィは自ら公爵夫人を名乗ることはしておらず、トラブルの報告が来ている訳でもない。
いかに自分が浅はかだったか、シルヴィに再会して以降、思い知らされた。
そのことを改めて突きつけられたのは王都での食事の時だった。
シルヴィは、居合わせた女達に明らかに侮蔑の言葉を向けられていた。
いや、あの時だけではない。
結婚して、夫に顧みられない妻を馬鹿にし、軽く扱う人間は無数にいただろう。
馬車で王都に向かう道中も、食事の席でも話が弾み、公爵家の後継のことなど忘れて楽しく過ごしていた時だったからナタニエルは余計に苛立った。
せっかくシルヴィも楽しそうにしてくれていたのに。
(後継の問題は、このまま黙っていれば…)
そんな卑怯な考えがもたげたのは、再会後わりとすぐだったのかもしれない。
真実を伝えて、シルヴィに去られるくらいなら、一生隠し通せばいいのではないか。
時が経てば経つ程、真実は伝えられなくなった。
*****
『異性としてはあり得ない』
彼女が弟にそう言っているのを聞いて、呆然とした。
楽しそうにしていたなんて、自分がそう思いたかっただけだった。
淡々と他人を観察しているはずのナタニエルは、ことシルヴィのことになると冷静な判断が出来ない。
シルヴィが屋敷を去る間際、
「もう公爵位なんてどうでも良かったんだ。赦してほしい。いや赦さなくてもいいからただ側に居させて欲しい」
そう言ってシルヴィに縋ったが、シルヴィの決意は揺らがなかった。
公爵夫人としての権利をすべて放棄するサインをナタニエルへ手渡し、シルヴィは屋敷を出て行った。
▶09.エピローグ──────
今日もナタニエルは、街で暮らすシルヴィの元を訪れていた。
「また公爵様来てるね」
街の子どもが隣にいる父親に無邪気に言う。
父親が慌てる様子も無いことから日常茶飯事なのだろう。
その声が聞こえたのかナタニエルは子どもに微笑む。
「ここの店主にデートを申し込みに来たんだけど、いるかな?」
「今は買い出しに出てるよ。でもヴィーがいなくなったら困るから、公爵様にはあげられないよ。それでなくてもヴィーはモテるから、公爵様では無理だよ」
(どこがダメなのか教えてくれ。いや、その前に言い寄る男の名前を聞かねば。)
そんなことを考えているうちに、遠目にシルヴィの姿が見えた。
「少年。君とは今度ゆっくり話したい。今日のところはいったん失礼する」
シルヴィは煌めく宝石も美しいドレスも嫌いではないようだが、保管場所に困ると言って受け取ってくれない。
花束ならばと思ったが、頻繁だと飾る場所と花瓶が足りないと叱られた。
色々試行錯誤して、彼女が興味がありそうな書籍を持ってきては読み終わったものを交換するというのが今は喜ばれている。
ナタニエルはシルヴィが帰って来ると、膝をつき花を一輪手渡した。
ここでのシルヴィの様子は冒頭の通りである。
(私はもうこれ以上あなたに振り回されたりしないわ。)
ただ、ナタニエルと話す彼女の頬は、緩んでいるようにも見えた────