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ダイオフ食材の制限を止めて、ココナッツオイル療法も始めた真白先輩は、見るからに苦しそうだった。
頭は回らないし、倦怠感も憂鬱感も強い。
僕と全く同じ症状だった。
僕は彼女とは違い、基本的にはダイオフ食材を避けて生活し、2週に一度くらいの頻度でダイオフ食材をあえて摂取して、カンジダ菌をゆっくり減らしていこうという方針で生活していた。
だから、彼女よりは少し症状が弱い状態だった。
同じような境遇にいるとはいえ、それでも苦しむ真白先輩の様子を見ているのは、本当に辛かった。
数か月かな。数カ月間、彼女は普通の食事を続けた。
でも、その後はあまりの辛さに、彼女もまたダイオフ食材をできるだけ避けるようになった。
この時はまだ、辛くてもカンジダ菌を除菌することが唯一の治療方法だと思っていたんだ。
だから時折、ダイオフ食材を食べて、苦しみに耐える。
そんなことを繰り返していた。
僕の成績は低迷し、進級もとても苦労した。
何度も留年の危機があったし、その度に衰弱した身体に鞭を打つように勉強して、なんとか乗り越えていった。
そしてようやく医学部6年生を迎え、医師になるために残されたハードルは卒業試験と医師国家試験の2つとなった。
卒業試験は、その名の通り、この医大を卒業させてよいかどうかを大学側が計る試験だ。
そして、医師国家試験は医師免許を与えるかどうか、国が判断する試験だ。
大学によって課された卒業試験をパスした人間だけが、国が行う医師国家試験への挑戦権(受験資格)を得る。
大学側としては医師国家試験に不合格になってしまうと、自大学の国家試験合格率が低下してしまうため、きちんと医師国家試験に受かる見込みのある学生だけを卒業させることになる。
僕にとって卒業試験と医師国家試験は、その重要度に天と地ほどの差があったんだ。
一度卒業さえしてしまえば、仮に医師国家試験に落ちても、来年同じように受験資格は維持される。
しかし、卒業できなければ話は違う。
6年生を繰り返すための余分な学費が必要となるし、何度か留年を繰り返せば退学処分となり、今までかけてきた時間と労力と学費が全て水の泡となる。
親族に多額の負担をかけてきた僕にとって、この戦いはまさに"命を懸けた戦い"なのだ。
僕はここで死んでもいいという覚悟で勉強した。
頭の毛のいたるところが禿げてしまった。
円形脱毛症って知ってるだろ?
あれはまだ可愛いもんだ。
僕は円形脱毛症に加えて、僕はまるで細いシェーバーで剃り上げたかのように、線状の脱毛がいくつも生じた。
できるだけ髪の毛を長くしてごまかしていたけど、ごまかすのにも限度がある。
髪の毛が生えてこなくなるかもしれない恐怖は、あれもまた味わったことのある人にしか分からない苦しみだ。頭髪を失った上で、さらにそれを自虐的にネタにして笑いを取って明るく生きる人を見かけることがあるが、あれは並外れた精神力だ。常人ではない。
それ以来僕は、そのような人たちを見かけると、その自虐ネタのユーモアに感服するだけでなく、そのハートの強さに敬服の念を禁じ得ない。
頭の毛を失うほど努力して、僕は卒業試験をクリアすることができた。
しかし、僕の快進撃はそこまでだった。
僕の身体は卒業試験の合格の知らせを得てから、面白いくらいに動かくなってしまった。
とっくに限界は迎えていたのだろう。
当然、卒業試験後に控える医師国家試験に対して、準備をすることもできず、300満点の試験であと10点及ばずに不合格となった。
ここから僕の"医師国家試験浪人生"としての人生が幕を開ける。