8話:魔王アスタリア
城内に足を踏み入れた瞬間、俺はわずかに眉を動かした。
どこもかしこも圧倒的な威圧感を放つ装飾に満ちている。
天井は途方もない高さで、見上げれば暗い闇が覆っているかのようだ。光源は壁に取り付けられた黒い燭台から放たれる、青白い炎だけだが、これが不気味に揺らめき、広大な空間を照らしている。
床は漆黒の大理石でできていて、歩くたびに靴音が妙に響く。
無数の血痕が染み込んだような赤い筋模様が走っているが、これは装飾か、あるいは過去の惨劇の名残か。どちらにしても、俺の心を動かすには足りない。
壁には巨大な柱が並んでいるが、それぞれが奇妙な彫刻で覆われている。人間、魔族、その他得体の知れない存在が、苦悶の表情で絡み合っているように見える。見る者を威圧しようという意図が明らかだが、俺にとってはただのくだらない飾りだ。
廊下を進むたびに、左右には巨大な扉がいくつも見える。それぞれが異なる装飾を施されているが、どの扉も容易には開かないだろうという威圧感を漂わせている。
「この先の大広間で魔王様がお待ちだ」
ゼフィルスが両開きの重厚感ある扉を開いた。
目の前に広がる大広間は特に壮観で、エイシアスも「ほぉ」と声を漏らしていた。
床に敷かれた暗赤色の絨毯は、ただの布ではなく、何かしら魔力を帯びているのが分かる。天井には奇妙な装飾が施され、よく見ると魔法陣が浮かび上がる。あれはただの装飾ではなく、何かしらの罠、もしくは監視のためのものだろう。
そして広間の奥に鎮座する玉座。闇の中で威圧感だけが際立つその存在は、見る者すべてに畏怖を抱かせるために作られたものだ。
しかし、そんな玉座に座っていたのは驚くほど幼い魔族の少女だった。
柔らかくウェーブがかかったピンク色の髪が、まるで春の花びらのようにふわりと広がり、その額からは存在感のある二本の黒いツノが生えている。
彼女の大きな瞳は、まるで宝石のように透き通った紫色。無垢とも言える輝きを放ちながらも、その奥底には底知れぬ威厳と力を秘めているのがわかる。
白い肌は陶器のように滑らかで、その繊細さがかえって異形としての異様さを引き立てていた。
身に纏った衣装は、全体的に黒と金を基調とした豪華なデザイン。
彼女の小柄な体には不釣り合いなほど重厚な雰囲気を漂わせている。裾や袖にはピンク色の刺繍が施されており、どこか愛らしさと不気味さが同居していた。
華奢な体つきながら、その存在感は圧倒的だ。まさに魔王と呼べる存在感と魔力を持っていた。
口元に浮かべた微笑みはあどけなくも見えるが、その表情からは好奇心が見て取れた。しかし、天真爛漫な子どものようにも、全てを見透かしている悪魔のようにも感じられる。
俺は歩を進めながら、微かに口元を歪め、近くまで来ると立ち止まり口を開いた。
「随分と手が込んでる城じゃないか」
俺の言葉に彼女は微笑みを崩さぬまま、わずかに首を傾げた。
「気に入ったかしら?」
その声は、驚くほど澄んでいて幼さを感じさせる。だが、その背後に潜む威圧感は紛れもなく魔王のものだった。彼女は玉座から身を乗り出すこともなく、ただ俺をじっと見つめている。
「俺の趣味じゃないな。気合は入ってるけど、肝心の主がこれじゃ拍子抜けだ。なあ?」
俺はエイシアスに問いかけると、クスッと笑いながらも答えた。
「主の言う通りだな。これでは拍子抜けだ」
すると彼女は面白がるように瞳を輝かせた。
「随分と率直な感想ね」
「嘘をつくのは柄じゃないんでな。それに、これだけの城を構えてるってのに、その主が子どもだなんて、冗談にしか思えないだろ?」
挑発にも似た言葉を投げかける俺に、彼女は何も言わず薄い微笑みを浮かべ続けている。
「貴方、名前は?」
彼女の問いは静かで、だが鋭い。
「テオだ。こっちはエイシアス」
俺は口元に僅かな笑みを浮かべた。
「名乗ったんだ。そっちも名前を教えるくらいの礼儀はあるだろう?」
すると彼女は玉座の肘掛けに手を置き、身を寄せるようにして言った。
「私の名は――アスタリア。魔族の頂点、そしてこの城の主よ」
その瞬間、空気が一変した。何か得体の知れない力が広間全体に満ち、俺の肌に冷たい戦慄が走る。
しかし、俺は「まあ、魔王ならこれくらいないとな」と楽観視していた。
「随分と可愛らしい名前だな」
俺は笑いを含ませた声で返す。
目の前の幼き魔王――アスタリアは、ただの子供ではない。彼女が纏う威圧感と魔力は、紛れもなく本物だった。
「さて、お話がしたいんだよね?」
リリシアがその小さな体を玉座から立ち上がらせる。その動きはまるで舞うように滑らかで、可愛らしかった。
「ああ。一度、魔王とは話してみたかったんだ」
「私も、ゼフィルスから話を聞いて、是非話してみたいと思っていたの。それじゃあ、お話をしましょうか」