19話:イシュリーナの選択2
冷えた空気が体を包む。
俺は城の廊下を歩きながら、口元に浮かぶ笑みを抑えることなく、ただ静かに楽しんでいた。イシュリーナがこの帝国で何を思い、どんな選択をするのか……それが気になって仕方がないのだ。
「まったく、エイシアスは真面目に復讐に賭けたようだが、あいつも分かってないな」
イシュリーナが選ぶのは、おそらく未来だ。
復讐などという泥沼に足を突っ込むほど、彼女は愚かではないだろう。何度も苦しみを味わってきた彼女だからこそ、過去を断ち切る強さがある。そう、俺には見えている。
廊下を歩き続けると、ふと庭園が見えた。遠くに見えるのは、リリアの小さな背中とイシュリーナの静かな横顔だ。
庭の花々に囲まれながら、二人が微笑みを交わしている様子が視界に入る。
その様子を見て、俺は思わず口元を歪めた。
「イシュリーナ、お前も変わったな」
彼女がこんなにも柔らかな表情を浮かべる日が来るとは思ってもいなかった。
かつての彼女は冷たい氷のように孤独だったが、今や彼女の周りに花が咲き、人と触れ合っている。
イシュリーナを覆い尽くす氷を、リリアが少しずつ溶かしているのだろう。
「リリアも、なかなかやるじゃないか」
俺は感心しながら呟き、二人に気づかれないようにその場を離れた。
興味深いことに、あのリリアでさえも、帝国の重荷を感じながら生きているようだ。
彼女なりの正義や使命感が、イシュリーナを引き止める鍵となったのだろうか。
俺が求めているのは、自分の望むままに生きる世界だ。束縛も、憎しみも、復讐も、何もかもを超越した自由。
イシュリーナがその道を選ぶのなら、それでいい。だが――
「もしも、復讐の道を選んだら、それもまた面白い」
俺はどこまでも自由でいたいが、他人にもその自由を求めるわけじゃない。
選択は常にその人自身がするものだ。
俺ができるのは、ただそれを見守り、時にはそっと背中を押すくらい。
「さあ、イシュリーナ。お前が選んだ未来がどんなものであろうと、俺はそれを見届けてやる。この選択はお前にとってのターニングポイントになるだろう」
俺は晴れ渡る空を見上げながら、静かに歩き出した。
部屋に戻るとエイシアスが紅茶を飲んでいた。
「どうだった?」
「答えは決まったみたいだ」
「ほう。では、答え合わせは楽しみにしておこうか」
優雅に紅茶を啜るエイシアスに、俺は尋ねる。
「復讐なんてつまらない。そう思っているんだろう?」
「……さあ、どうだろうね」
その間が答えのようなものだ。
翌朝になり、部屋にノック音が響く。メイドが「陛下が集まるように仰っております」と言うので、玉座が置かれている広間へと向かった。
「皆の者、よくぞ集まった。では、イシュリーナよ。答えを聞かせてもらおう」
カリオスがイシュリーナへと視線を向ける。
イシュリーナは、玉座の前に静かに立ち、カリオスの鋭い視線を真っ向から受け止めていた。広間には重苦しい沈黙が流れ、誰もが彼女の次の言葉を待ちわびている。
イシュリーナが復讐を望んだ場合、帝国は崩壊するだろう。帝国に、彼女を止める力はない。
彼女は静かに口を開いた。
「私は過去に縛られず、自由でありたい。リリアが作りたいといった世界を見て見たい。ゆえに、帝国に力を貸そう」
彼女の声は冷静で、揺るぎない決意に満ちていた。
「失ったものは取り戻せない。どれだけの憎しみを抱いても、過去を変えることはできないのよ」
イシュリーナの言葉は静かだが、深い感情が込められているのがわかる。
彼女は、怒りや苦しみから解放され、未来を見据えるための決断をしたのだと理解できた。
「わかった。決断してくれたこと、感謝する。約束通り、アルベルティア王家の血筋の者を連れてきた」
カリオスが「連れて来い」と告げると広間の扉が開き、イシュリーナと同じ、白銀の長髪をした少女が入ってきた。
少女がイシュリーナを見た瞬間、立ち止まり一筋の涙を流した。
「イ、イシュリーナ、様……?」
カリオスが口を開く。
「彼女が、今は亡きアルベルティア王国王家の血を引く者だ。先月、両親が亡くなったと聞く」
イシュリーナは「そう」と静かに答え、彼女に歩み寄る。
「私はイシュリーナ。アルベルティア王国の元王女。あなたの名前を聞かせて」
「わ、私はイリーシャ、です。イシュリーナ様、お会いできて光栄です。母や祖父があなた様のことを聞きかされて育ってきました。イシュリーナ様のように聡明な人になりなさいと」
「そう。あなたは私にどうしてほしい? 帝国を滅ぼすことだってできる」
イリーシャは一瞬驚くも、次には首を横に振った。
「イシュリーナ様の気持ちも理解できます。でも、私はこの国で生きていくと決めました。友達もいますから」
不器用に笑うイリーシャを見て、イシュリーナは優しく微笑み彼女の頭を撫でる。
「皇帝カリオス。もう一度言うわ。この子のためにも、帝国に協力するわ」
「うむ。では、約束通り元アルベルティア王国の土地と、大公の爵位をイシュリーナ殿に渡す」
「ええ。でも、この子を私の養子として迎え入れる。そして、十分に育ったら大公位を引き継がせる。それでいいわね?」
「無論だ。その通りに手配しよう」
周囲の文官や武官、貴族から反発の声が上がるも、カリオスは一喝して黙らせた。
「これは決定事項だ。決定に異論があるならば、イシュリーナ殿と戦って証明せよ」
「私は大歓迎よ。ただし、命の保証はしないわ」
瞬間、イシュリーナを中心に凍り付いていく。それを見て、顔を青褪めさせる貴族たちを見て「この程度で情けない」と呆れていた。
「では、今よりイシュリーナ殿をアルベルティア大公に叙任する。これからはイシュリーナ・ミゼリ・アルベルティアと名乗るといい。娘をイシュリーナの養子と認め、イリーシャ・ミゼリ・アルベルティアと名乗ることを許す!」
カリオスが高らかに宣言するのだった。