24話:狂気に染まる
程なくして軍勢に動きがあった。
後方の部隊が魔法を発動しようとしていたが、俺は立ち止まることなく歩を進めた。
後方部隊の魔法使いどもが詠唱を始めたのがわかる。
火球、氷槍、雷撃――ありとあらゆる属性魔法が俺を目掛けて襲いかかる。
だが、すべて無意味だ。
手を軽く振ると魔法の軌道が歪む。あらゆる攻撃は俺に触れることなく宙を彷徨い、弾け散っていく。
「何だ……今のは?」
「魔法が……効かないだと!?」
兵士どもの驚愕に満ちた声が響く。だが、俺にとってはいつも通りのことだ。
「重力というのは便利だろう?」
俺は肩を竦めながら、続ける。
「その場にいるだけで、貴様らの攻撃は俺には届かない。そして、逃げることもできない」
そう言いながら、俺はさらに歩を進める。踏み出すたびに空間が歪む。兵士たちは気付いたときには足元が崩れており、重力の歪みに呑み込まれて地面へ叩きつけられる。
近接部隊が突撃してきたが、俺の周囲一メートルには誰一人触れることができない。反重力の力が俺を守り、振り下ろされた剣も槍も無力化される。
「……こんな馬鹿な!」
「どうなっているんだ!?」
兵士たちの混乱は深まるばかり。俺は止まることなく進む。地面を這いずるように広がる重力の力が彼らの体を引き寄せ、持ち上げ、そして叩きつける。
一瞬で圧し潰すこともできるがしない。なぜなら、面白味に欠けるからである。
「お前たちのような有象無象に、俺の足を止められると思っているのか?」
地面に転がった兵士の一人に告げると、その男は恐怖に顔を歪めながら呻いた。
俺の足音だけが響き渡る中、兵士たちは次々と地面に倒れ込む。恐怖に怯えた目、苦痛に歪む顔、それらが俺を楽しませる。
俺の一歩が生み出す重力の波動は容赦なく兵士たちを呑み込む。彼らは足元の崩壊に気付く間もなく、空中へ持ち上げられ、地面へ叩きつけられる。それは骨を砕き、希望を砕く。
「もっと見せてくれよ、お前たちの足掻きを。絶望する表情を。もっと楽しませてくれよ」
指を鳴らすと、数十人単位が重力で圧し潰されて地面に血の染みを広げる。
恐怖が伝播していくのが分かる。
俺は歩を止めずに続けた。その言葉に答えるかのように、中央部隊が突撃を開始する。剣を振りかざし、盾を構え、必死に抗おうとする彼ら。しかし、それもまた無意味だ。
俺の半径一メートルに近付いた瞬間、剣を振るう力は時が止まったかのように停止する。直後には彼らの武器は宙を舞い、逆に彼ら自身が重力の力で吹き飛ばされ肉体が四散する。
「ぎゃあああ!」
「……近付くな! 死ぬぞ!」
「ひぎゃっ⁉」
「やめ――ぐぺっ⁉」
叫び声と悲鳴、断末魔が響く。兵士たちは恐怖で動けなくなり、逃げることさえ諦め始める。それを見て、俺は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
「なぁ、もっと俺を楽しませてくれよ!」
俺の視界の端で、魔法使いの残党が最後の抵抗を試みている。彼らの詠唱が終わり、大規模な雷撃魔法が上空に放たれる。しかし、俺が一歩を踏み出すだけで弾かれ、電撃の雨は彼ら自身へと降り注ぐ。
「まさか、自分たちの魔法で死ぬとは思わなかっただろう?」
雷撃の直撃を受けて地面に転がる魔法使いどもに向けて、冷笑を浮かべながら告げた。その場は静寂に包まれた。もはや抵抗する者はほとんどいない。
それでもまだ、半数以上が残っていた。
このまま全滅させてもいいが、アスタリアから「貴重な戦力なんだぞ!」と苦情が飛んでくるだろう。
俺には関係ないと言えばそれまで。あの時にしっかりと「殺すかも」とは言っている。
なので、好き勝手に命の選別をしようではないか。
「今から千名だけ生かしてやる。だから千人になるまで――互いに殺し合え」
俺の言葉に兵士たちの表情が凍りつく。その場は一瞬の静寂に包まれたが、次の瞬間、悲鳴と叫びが混じり合った。
「ふざけるな! そんなこと……!」
「クッ、すまん、生き残るためだ!」
「やめろ! 俺たちは味方だろう!」
だが、絶望的な状況で誰かを信じることなど不可能だ。命を守るための暴力が、瞬く間に広がる。武器を振りかざし、魔法を放ち、互いを容赦なく殺し合い始める兵士たち。その姿は滑稽でしかない。
俺はその混乱を悠然と眺めながら口元を歪めた。
「滑稽だな。だが、その必死さは悪くない。しかし、協力して立ち向かえば――まあ、無理だな」
彼らがどう頑張ろうと、俺に勝つことなど不可能でしかない。
彼らが互いを潰し合う中、重力の力をさらに広げていく。俺が選んだのは、足掻く者の動きを封じることで、状況の恐怖をさらに増幅させることだった。
一人の兵士が俺に向かって叫んだ。
「俺たちにこんなことをさせて……貴様、楽しんでいるつもりか!」
俺はその声に向かって視線を投げ、静かに告げる。
「もちろんだ。この世界は俺の箱庭で、お前たちは俺を楽しませるためのおもちゃでしかない」
俺の言葉を耳にした兵士たちは、一様に絶句した。その場にいる誰もが動きを止め、震えるような静寂が訪れる。
やがて、彼らの視線が一斉に俺へと集中する。恐怖に染まった瞳が幾つもこちらを向いている。その目は、もはや希望を見失った者たちのそれだった。
汗が額を流れ、唇が震えている兵士。武器を握る手に力が入らず、指が痙攣している者。膝をついて動けなくなった者もいる。その全員の視線に宿る感情は、ただひとつ――恐怖。
どうやら俺は、彼らの精神まで圧し潰していたようだ。
「く……くるな……!」
「化け物め……」
「俺たちは、こんなものに勝てるわけがない……」
呟きのような声が断続的に漏れるが、それすら互いに同意を求めるかのようだった。
その中の一人、比較的体格の良い兵士が俺に目を向ける。その瞳には勇気ではなく、恐怖に押し潰されまいと必死に抗う弱さが垣間見える。彼は声を振り絞った。
「お、お前は神か……それとも悪魔か……?」
俺はその問いに対して嘲笑を浮かべた。
てか魔族が悪魔って何言ってんだか。
「ただの享楽主義者だ。」
その言葉が余計に恐怖を煽ったのか、兵士たちの視線がさらに震える。神や悪魔ではなく、人間がこれほどの力を行使できるという現実が、彼らの理解を遥かに超えていたのだろう。
俺はその視線を楽しむかのように眺め、軽く肩を竦めた。
「さあ、続けろ。足掻け。もっと俺を楽しませるんだ。じゃないと、俺が更に面白く彩るだけだ」
その瞬間、兵士たちの中に残ったわずかな理性が崩壊した。互いを疑い、恐れ、絶望した目をした彼らは狂気に染まり、再び刃を交え始めた。