表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

こんなにも頭の頭痛がひどく痛むので

作者: jima

 明日は未明から警報級の大雨だという。例によって低気圧が近づくと頭が痛み始める。頭痛薬は効いたり効かなかったり、場合によっては痛みを倍増させる。

 私は妻に零す。

「明日は会社を休もうかと」


「うんうん」と私の美しい妻は頷いて、私の左右の耳の少し上からこめかみの辺りにかけての髪の生え際を拳骨でグリグリと押さえた。

「あたたた」

 私が呻くと、妻はニヤリと笑いながら顎で寝室を指した。

 これは私たち夫婦の暗黙のサインで『しょうもないこと言ってないで早く寝なさい』という意味だ。

 私はもちろん反論しないでベッドに潜り込んだ。




 目が醒めるとますます頭痛がひどくなっていた。窓には雨が激しく打ちつけている。豪雨だ。低気圧だ。

 さらにベッドから出ると寒気がした。

「これは」


「これは風邪だな。寒気がして頭痛がする」

 私はなるべく悲痛な表情を作って妻に訴えるが、彼女の表情は貼り付いたような笑顔のままだ。


「わかったわかった」と妻は無言で頷いて、顎で食卓を指す。これは『仮病を装っていないで、とっとと朝ご飯を食べなさい』の合図だ。大量の納豆が食卓にある。

 当然私は素早く食事を済ませた。


 家を出る前に仕方なく風邪薬を2錠、水で流し込んだ。気のせいかすでに薬が合わないような気がする。頭痛三倍増の前兆というか、もはや低気圧のせいなのか風邪のせいなのか、この頭痛の原因がわからない。多分すべてなのだ。

 三和土(たたき)で座ってため息をついていると妻が穏やかな笑顔を浮かべ、私の脳天を肘でグリグリする。

「いたたた」

 またも私が呻き、妻は顎で玄関を指す。これは『ぐずぐずしないで早く会社に行きなさい』である。

 私は疾風のように玄関の外へ出て、それから振り返る。

「行ってくるよ。頭痛がす」


 妻は言葉の途中で『冷えピタ』を私の額に貼り付けた。


「るけれどね」


「行ってら」

 妻は何の忖度もなく玄関のドアを閉め、続きは内側から小さく聞こえた。

「っしゃい」



 強い雨の中、駅まで歩き電車に乗る。満員の電車に強すぎる冷房、濡れた傘の匂いで私はさらに頭痛を悪化させる。ちなみに私は乗り物にも弱い。ただでさえ体調を崩している私はたちまち電車の揺れに酔った。吐き気と頭痛が私を襲う。泣きたくなってきた。家に帰りたい。


 会社に着いた頃にはグッタリして身体が動かなくなっていた。デスクに伏せっていると隣の同僚、山田が話しかけてきた

「どうした。顔色は…それほどいつもと変わらないが、具合は悪そうだな」


「頭痛がする」


「風邪を引いたのか」

 山田が私の顔を覗き込んだ。


「低気圧と風邪と乗り物酔いと」


 山田が笑う。

「えらく重なったもんだ」


「まだある。薬が身体に合わなかったことと傘の匂い、そして何より」


「ふむ」


「妻が俺の頭を圧迫するのだ」


 山田は昨日から今朝の妻の暴力的行為を聞いて腹を抱えた。

「馬鹿だなあ。それは全部頭痛を治すツボだぞ」


「何だと。だが食欲がないところへ納豆の大盛りはどうだ。恐ろしいだろう」


「納豆はマグネシウムやビタミンB2が頭痛に効くとされている」


「お前はいつ妻の回し者になったのだ。だいたい何故そんなに頭痛に詳しい。怪しいぞ」


 私の訴えに山田が真顔になる。

「俺も頭痛持ちだから知ってるだけだが…お前は奥さんとうまくいってないのか」


 私は即答する。

「妻は可愛くて綺麗で頭がいい。おまけに優しさも持ち合わせている」


「馬鹿馬鹿しい。ただの嫁自慢か」


 山田は苦笑いしたが、私は首を振った。

「お前はそんな妻をもったことがないから、その恐ろしさを知らないんだ」


「…何を言ってるのかさっぱりわからん。ついでにうちの家内にも失礼だ」

 山田が呆れた顔をする。


 その瞬間、私のスマホが鳴った。私はビクリと身体を震わせ、画面を覗き込んだ。

 『しっかりね』妻からのメールだ。


「いい奥さんじゃないか。お前のことを心配しているんだろう」


 山田が無断で私のメールを盗み見したことで頭痛がさらに悪化したが、奴は誤解している。

『しっかりね』はおそらく『余計なことを言うな』という意味なのだ。

 私は震え上がって、キョロキョロと周りを見回した。彼女はどこかで私の行動を監視しているのか。盗聴器が背広か鞄にくっついているのではないか。

 私は思わず自分の服と通勤バッグをガサガサと改める。


 山田が呆れた顔で私を眺めている。

「朝からお前は何をやってるんだ。完全に情緒不安定だな」


 不安定なのは情緒ではなくて多分脳波なのだ。ああ、ひどい頭痛がする。

 バッグを漁っていると、ポトリと何かが床に落ち、机の下に転がった。「盗聴器か」と私は焦って机の下に頭を突っ込む。何のことはない、ただのネクタイピンが落ちていた。

「いや、ネクタイピンに何か仕込まれている可能性が」

 私はピンを掴んで上体を持ち上げる。

 ガン!と私は後頭部を机の下に(したた)かに打ちつけた。


「あたたたた」

 痛みに後頭部を抱えたまま、うずくまった私を山田が黙って見下ろしている。

 顔には『やべえ奴だな、こいつ』と書いてある。


「違うんだ」という言葉を飲み込み、私はストレスで頭痛を倍増させる。

 本当に家に帰りたい。帰って妻の膝枕に顔をうずめて泣きたい。そんなことは絶対にさせてくれないだろうけれど。




 頭痛と妻に対する疑念と同僚との不調和を抱えたまま、それでも私は健気に午前中の勤務を終えた。

 天候と風邪とアレルギーと乗り物酔い、さらには人間関係に関するストレスで内側から頭がガンガンと痛み、ついでに午前中に打ちつけた後頭部にはコブが出来ていてズキズキと痛む。


 ウンウンとデスクに伏せって唸っていると、通りかかった経理の大城さんが気遣ってくれる。

「澤村さん、大丈夫ですか?調子悪そうなんですが」


 可愛い娘だ。私は頭を伏せたまま、彼女のスラリとしたふくらはぎをチラリと見る。

 途端にスマホが鳴って妻からのメール着信を告げた。

 私は椅子に座ったまま10㎝ほど飛び上がる。心臓に悪い。何もやましいことはない。ないぞ。

 私はニヤけるとか鼻の下を伸ばすどころか、彼女に返事さえしていないのだ。


 とりあえず大城さんに笑顔を向けた。

「ありがちゃお。大丈夫でふん」

 無理に浮かべた笑顔と頭痛のせいで返事までもゆがんだものになった。


 彼女が去ったのを見届けてから私はスマホをもう一度覗く。


『無理しないでね♡』


 私の額と脇から嫌な冷たい汗がダラダラと流れ、心拍が上がり、頭の芯がキーンと痛んで耳が聞こえにくい。

 明らかに妻が怒っている。しかも静かに冷たく怒っている。特に文末の♡は最後通告に近いサインに違いない。

 き、きっとそうだ。私はまたしてもキョロキョロと周囲を見回して立ち上がる。


 脳の中央部分から前頭葉にかけてズキンと強烈な痛みを覚え、思わず私はよろけた。


 転倒を防ぐために自分の椅子に手をついたら、椅子のキャスターが窓際に転がった。私は椅子に手をかけたまま身体を転倒させ床に顔面を打ちつけた。同時に椅子も私の後頭部めがけて倒れてきた。

 音で言い表すと「グルリン」「ゴキッ」「ガンッ」というところだろうか。


「…」


 内側からの頭痛と外側からの打撲痛に苛まれ、ものも言えず倒れていると昼食を終えて戻ってきた山田に見つかった。

「お、おい。どうした」


「だ、だいびゃうぶら」

 鼻から血が数滴ポタポタ零れて床に落ちたのでデスクのティッシュを鼻に詰め込み、山田に手を振りながら立ち上がった。

ひょっほ(ちょっと)ひむひふへ(医務室へ)ひっへふる(行ってくる)」 


 山田は目をまん丸に驚いた顔のまま、後ずさった。

「な、何を言ってるのかわからんが…とにかくお大事にな」 




 午後は鼻の穴の両方にティッシュを差し込んだまま、デスクワークを行った。社畜亭頭痛之助とは俺のことだな。画面からブルーライトを浴びすぎたのと肩凝りの両方が原因でますます頭痛が悪化したような気がする。グワングワンと頭を妻に鷲づかみされてシェイクされているようだ。

 薄れ行く意識の中で妻の顔が溶けていく。優しくて美しい妻よ。さらばだ。


 はっ、危ないところだった。私は意識を失いかけて踏みとどまる。もうじき終業だ。





 幸いなことに残業はなく、定時で退社できることになってほんの少しだけ肩が軽くなった気分である。会社を出ると雨が上がっていた。低気圧が去ったのだろうか。脳天の付近に穴が開いたかのように空気が頭蓋骨の中にヒュウと入ってくる。


「何だか少しだけ頭が軽くなったようだ」

 朝からずっと継続していた頭痛の症状が初めて改善したようだ。


「それは単に退社時間になったからじゃないの」

 ギクリとして声の方を向くと妻が立っていた。


「な、なぜここに君が」

 妻の微笑みが私の頭をますます軽くするような気もしないことはないと言えば嘘になる。


「山田さんがあなたの調子が悪いようだって連絡をくれたわ」

 妻が私の顔色をじっと見てから、顎をクルリと回した。

『グズグズしないの。帰るわよ』というサインである。


 妻と肩を並べて帰宅をするなど初めてのことだ。山田に感謝するべきか明日苦情を言うべきか悩みながらトボトボと歩く。

 唐突に妻が立ち止まる。

「で?」


 何だ。何だ。これは何のサインなのだろう。今私は妻に何を要求されているのか。


 妻が笑う。

「まだ頭が痛いのかって聞いてるのよ」


 私は改めて自分の体調を振り返ってみる。天候は回復した。合わなかった薬の効能は切れたようだ。不思議に風邪の症状も回復した。

 妻と並んで歩いていることに大きなストレスが…不思議とないようだ。むしろスキップしたい気分だ。

「頭痛はよくなった気がする。後は…そうだな。机と床にぶつけた頭がまだ少し痛むかな」


 妻が顎をクイクイッと上下させた。おお、このサインは…こんなところでか。街中なのだが。

 もう一度妻が顎を動かす。目線がキツめになった。


 私は大急ぎで前へ回り込み、そのサインの要求通り、妻の正面に立った。


「痛いところは?」

 妻が私を正面から見て尋ねた。

 

 道行く人々が何事かとチラチラ見ながら通り過ぎる。私は自分の鼻と後頭部を指さしながら照れ笑いをする。

「後頭部を二回ぶつけたのと、床に鼻を打ちつけたんだ。ハハハ。情けない話だ、うわっ!何を」


 妻がネクタイをグッとひっぱり、私を引き寄せる。

 そして私の腫れた鼻に口づけしながら、後頭部にできたコブを片手でゆっくりと撫ぜた。


「…するんだ」


「ふふ。世話が焼けるわ」

 妻はウィンクし、それから何もなかったかのように歩き出す。

 私は呆然と立ちつくしていた。

 彼女が振り返ってまた顎をクルリと回した。


 痛みはきれいさっぱり無くなっていた。








読んでいただきありがとうございます。何だかわからない話を書こうと思い、何だかわからないままに書き始めてそのまま書き終えてしまいました。実に満足ですと言えないこともないと言えば嘘になります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 奥さんは敵なのか味方なのか……! [一言] 読んいる方の感情が忙しいというか、これはほのぼの夫婦愛物なのか、サスペンスドラマなのか、最後まで全貌は掴めず、でも面白かったです!
[良い点] 理想の夫婦ですね(^▽^)/ [一言] どんな薬よりも、一番聞くのは愛する奥さんの存在。 澤村さん。気が付いてないかもしれないけど、すごく幸せなことですよ。 奥さん最強!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ