表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六花の乙女たち〜大秦帝国退魔志演義  作者: シベリウスP
9/11

其の八 六花将は平原の安寧を確保し、魔牧は保定で捲土重来を期す

婁陵で一敗地に塗れた魔軍は、河北司馬の命令で鉅鹿を囲むことになる。鉅鹿をエサに華将たちを幽州や徐州の大軍で叩こうというのだ。

一方、朝顔たち華将は、そんな魔軍の策を見切っているかのように、『落穂拾い』を始め、序盤最大の決戦である『鉅鹿の戦い』の幕が開いた。

【幕前】


 大陸の東にある大国、大秦タイシン帝国。


 皇帝・姫節きせつの8年目に、大きな流星群が帝国を襲った。


 その後2年、帝国は干ばつや洪水などの自然災害だけでなく、どこからともなく現れた妖魔たちの跳梁に苦しんでいた。


 辺境、村落、都市と場所を選ばず出現する妖魔に、帝国も対応の術を失いつつあった時、稀代の方士と呼ばれる楊天権ようてんけんは、古の応竜と六花将りっかしょうの復活を感じ取った。


 この物語は、運命に縛られた青年・姜黎きょうれい則天そくてんと、六花将朝顔を中心とする物語である。


   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 姜黎と鶺鴒せきれいのことは、方士隊の隊長・黄洪から青州牧である徐栄に知らされた。


 徐栄は今回の戦役に、明らかに人ならざる存在の介入を感じ取っていたため、黄洪の報告を受けてすぐに納得した。


「なるほど、華将のことは何かの書物で読んだことはあったが、私は単なる伝承の類だと思っていた。その華将が実在し、わが軍に味方してくれたのは陛下の御稜威みいつと言うべきであろうかな。

 白鷺はくろ、応竜の生まれ変わりと言う方士殿と天権様のお弟子と言う仙人殿は、まだ城内にいらっしゃるか?」


「は。現在は内城近くの宿屋にいらっしゃいます」


 黄洪が答えると、徐栄はうなずき、


臨淄りんしの救世主にお礼の一言もないのは非礼に当たろう。宴席でもしつらえて城内の民に代わり今般の協力に謝意を表したい。白鷺、お二方を招待する遣いを頼まれてくれんか?」


 そう言ったため、黄洪も喜んでその依頼を引き受けた。



 その頃、鶺鴒は宿で黄洪の話を思い出していた。


 鶺鴒は、黄洪が自分を見たとき、一瞬ではあるが表情を変えたことを見逃さなかった。


(あの表情は何なの? 懐かしさ? 驚き?)


 鶺鴒は黄洪の表情の意味を探りながらも、彼の声を聞くと何故か心が温かくなったことも思い出した。


(これは恋……とは違うわね。姜黎さまのことを想っていると苦しくなったりもするけれど、そうはならない……。どちらかというと季姫きき姉さまに感じる温かさに似ている。同じ方術を学ぶ仲間としての感情かしら?)


「わたくし、いったいどうしたというのでしょう? ひょっとしたらわたくしの過去と何か関係があるとでもいうのかしら?」


 鶺鴒はそうつぶやくと、ふと窓の外を見た。ちょうど黄洪が姜黎の部屋に入っていくのが見えた。


(あれは黄白鷺殿。いったい姜黎さまに何のご用事かしら?)


 鶺鴒は思わず部屋を出て、姜黎の部屋へと近づいて行った。



 同じ宿の別の部屋では、姜黎が愛刀『青海波』の手入れをしていた。


 『青海波』は一般の剣とは違い、刃が片側にしかついていない。どちらかというと刀に似ているが、反りも入っていない。

 そしてしのぎも立っておらず、当然横手などもない。いわゆる平造りの直刀である。


 けれど、その刃紋や地鉄は独特だった。


 まず、全体的に青味がかっている。


 それも冷たい青さではなく、しっとりと潤いがある青である。指先で触れれば刀の表面にさざ波が立つかと思えるほど、青く澄んだ地鉄だった。


 そして表面をよく見ると、年輪のような縞模様が見て取れた。


「やはり、いつ見ても美しいでござるな」


 姜黎はそうつぶやくと、刃紋に見入った。


 刃紋は鎺元はばきもと1寸くらいの所から立ち上がり、青く沈んだ地鉄との境もくっきりと、ややのたれ気味に切っ先へとのびている。細かな粒子が鈍く光を反射し、白い刃紋が浮き上がっている。

 帽子は焼詰で、刃紋の上部裏表両面にキラキラとした金筋が入っている。


 姜黎にこの刀を授けた母・姜月は、


『複雑で精緻な折り返し鍛錬だけが造り上げる美の極致であり、同時に方士の仙力が最も発揮されるよう累代の退魔刀工が重ねて来た研究の集大成でもあります』


 そう言っていたものだ。


「母上、拙者はこの2尺4寸8分(約75センチ)の『青海波』を頼りに天下を経巡って参りましたが、ようやく母上がおっしゃった『仲間』が集まりました。

 おそらくこれからが本当の戦いになると思われますが、拙者は負けないでござるよ。冥府で拙者を見ていてほしいでござる」


 姜黎は『青海波』にそう語りかけると、ゆっくりと打粉を叩き、刀身を磨き上げると薄く丁子油を引いた。


「秋水語昔我(秋水は我に昔を語る)

 友與居日遠(友與ともと居た日は遠く)

 時流似飛燕(時の流れは飛燕に似て)

 将如一閃剣(まさに剣を一閃するが如し)」


 姜黎が『青海波』を鞘に納め詩を吟じ終わったとき、扉の向こうに人の気配がした。姜黎は微笑んで扉に向かって声をかける。


「来られたるは黄白鷺殿かな? 手入れの間待っていただきかたじけない。入られても構わないでござるよ」


 すると扉を静かに開けて、黄洪が感に堪えないような表情を浮かべて入ってきた。


「姜則天殿は同じ仙術を扱われる故、俺の気配を察知されたことは不思議ではないが、一体いつから俺に気付いておられたんです?」


 姜黎は笑って答える。


「拙者が『青海波』に打粉を打ち始めたとき、白鷺殿は扉の前に来られたでござる。別に見られて困るものでもないので、声をかけてくださればよかったでござるよ」


「いや、武具の手入れは武人の嗜み、ましてよい武具は心を持つという。精神を研ぎ澄まし武具と会話しているのを邪魔するような俺ではない」


 黄洪の言葉にうなずいた姜黎は、彼に席を勧める。


「かたじけない。どうか席に着き給え。それで来訪の要件は何でござろうか?」


「余の儀ではない。州牧が今般の戦役について姜則天殿と鶺鴒殿にお礼がしたいとのことで、俺が宴席への招待を任されたということですよ」


 それを聞いた姜黎は、笑って言った。


「あれは華将の皆が力を尽くしたのでござる。朝顔たちを宴席に招待するなら分かるでござるが、なぜ拙者を?」


「姜則天殿、あなたのことを華将たちは応竜と呼んでいた。つまりあなたは華将を統べる存在。州牧はその立場に敬意を表してお礼申し上げたいとおっしゃっているわけです。過度の謙譲は却って無礼になりましょう。枉げて俺とともに祝宴に出席たまわるようお願いいたします」


 熱心に口説く黄洪に、姜黎もついに折れて


「分かったでござるよ。州牧様のご厚意、ありがたく承るでござる。出席いたすのは拙者と鶺鴒殿でござるな?」


 そう言うと、黄洪は席を立ち、一揖して


「おお、これで俺も州牧に大きな顔をして復命できるというもの。では一時後に改めてお迎えに上がるので、それまでに準備を整えてくだされ」


 そう言って出て行こうとした。


「待つでござる。鶺鴒殿に会われなくて良いでござるか?」


 姜黎が問いかけると、黄洪はびくっと肩を震わせて立ち止まった。


 姜黎は、静かな優しい声で


「拙者には他人のことを細々と詮索する趣味はござらんが、白鷺殿は最初会ったときから鶺鴒殿のことを随分と気にしていたように思うでござる。

 ひょっとして白鷺殿は鶺鴒殿のことを知っておられるのでは?」


 そう訊いた。


 黄洪は姜黎に向き直り、困ったような顔で答えた。


「まあ、話せば長いことになりますが、実は俺は生き別れた妹を探しています」


「その妹御が鶺鴒殿だと?」


 姜黎が驚いて訊くと、黄洪は首を振った。


「いえ、そこまでの確証は得ていません。鶺鴒殿は天興山で天権様と出会ったということですが、俺の妹が捨てられたのは泰山でしたし。

 あざなの鶺鴒や歳は一致するんですが、いみなと瞳の色が違うんです」


「妹御の諱は? 差し支えなくば教えてほしいでござるが」


おうです。黄桜鶺鴒、それが妹の姓名です」


 姜黎は、それを聞いて何かを考える風だったが、ハッと気付いて黄洪に尋ねた。


「妹御が泰山に捨てられたと申されたが、誰が、なぜそんなことを?」


「それは、当時泰山に的盧てきろというバケモンがいたからです。妹はそのバケモンとの子どもだと噂が立ち、世間体を憚った親父が鶺鴒を……」


 辛そうに語る黄洪の言葉を、同じく辛そうな顔で聞いていた姜黎だが、首を振りながらため息と共に言った。


「人間とは弱い生き物なのでござるよ。自らの信念に殉ずることが出来る者は数えるほどしかござらん。

 けれど拙者は、白鷺殿のお父上が間違っていたとは言い切れないでござる。

 鶺鴒殿がどのような少女だったかは分からないでござるが、お父上も苦渋の決断だったのではござらんかな? 世間の口は時に大きな災いをもたらすものでござるからな」


「……俺も父のことを悪く言うつもりはありません。実際に、妹がいなくなった後、俺の家族に対して面と向かって悪く言う者はいなくなりましたからね。

 ただ、俺は妹を守れなかったことがずっと悔いとなって残っています」


 白鷺の懺悔に似た言葉を聞きながら、姜黎は故郷の涿郡にいる幼馴染を思い出していた。


『僕は妹すら守れなかった。小蛾は最期まで……』


(孟宏と同じでござるな。妹とはそれほど可愛いものでござるか)


 姜黎は、黄洪に対して幾分かの羨ましさと心温まるものを感じながら言った。


「白鷺殿、不躾に根掘り葉掘り尋ねて済まなかったでござるな。鶺鴒殿の過去については、拙者も機会がござったら聞いておくでござるよ」


 それを聞いて黄洪も笑顔を作り、


「おお、それはかたじけない。俺の方こそ面白くもない話に付き合わせて無礼仕りました。では後刻」


 そう言うとサッと部屋を出て行った。



「泰山と天興山……青州と揚州か。かなりの距離がござるから、7歳の鶺鴒殿が自力で移動したとは考えにくいでござるな」


 姜黎がそう独り言ちたとき、ほとほとと戸を叩く音と共に


「姜黎さま、お客様はもうお帰りになられましたか?」


 鶺鴒の声がした。


 姜黎はうなずくと優しい声で


「黄白鷺殿はもう帰られたでござる。鶺鴒殿、ちょっと話がござる故、入られよ」


 鶺鴒を部屋に招き入れた。


「では、失礼いたします」


 鶺鴒は嬉しそうに、そして少し訝しげに戸を開けて部屋に入って来る。


「掛けると良い。州牧の徐秋穂殿が拙者たちを酒宴に招待してくださった。黄白鷺殿はその使者としておいでになったのでござる。

 一時後に黄白鷺殿が迎えに見える故、それまでに支度をしておかれるとよろしかろう」


 それを聞いて一瞬ポカンとした顔をする鶺鴒だったが、姜黎が優しい目で自分を見ているのに気づき、顔を赤くして慌てて言う。


「えっ、えっ? 妖魔たちを退治したのは朝顔や芍薬殿をはじめとする華将のみんなではないですか。応竜たる存在である姜黎さまはともかく、なぜわたくしが?」


「そなたも天権様のお弟子だ、招待を受ける資格は十分にあると思うでござるよ。せっかくのお招きでござる。良縁は求めても得難し、遠慮していては幸運をつかむことは叶わないでござるよ」


 姜黎が穏やかに言うと、鶺鴒は恥ずかしそうに告白する。


「わ、分かりました。けれど姜黎さま、わたくしは祝宴などというものに出席したことがございません故、恥ずかしながら所作や決まり事などまったく知りませんが」


 姜黎は彼女の心配を払いのけるような笑顔で答えた。


「心配無用。そなたが天権様のもとで長らく暮らしていることは黄白鷺殿に話している故、徐秋穂殿にも話は通っているはずでござる。自然体でいるのが最も無難であろうな」


   ★ ★ ★ ★ ★


 平原と婁陵るりょうで一敗地に塗れた妖魔の軍勢は、魔軍校尉・夜蛾やが、字は薫泉くんせんの指揮のもと、幽州の魔牧・業蹄ごうてい、字は電解でんかいを頼ろうとけいを目指していた。


「華将が全員目覚めていた、つまり四霊筆頭たる応竜も目覚めているかもしれないということ。早くこのことを北部魔王の周恋愛様のお耳に入れなければ」


 3万あった軍は見る影もなく、今やわずか2千に満たない兵を引き連れているに過ぎない夜蛾だったが、青州の魔軍では随一の智謀を誇った彼女である。


「だが、応竜の仙力を余り感じなかった。ひょっとしたら応竜は目覚めておらぬか目覚めたてなのかもしれない。河北軍挙げて勝負を挑めば、まだ勝機はある」


 大休止の天幕の中で夜蛾がそうつぶやいたとき、


「うふふ、応竜の仙力を感じ取れるほどまで近寄れば、そなたの命はそこで終わっていたであろうよ?」


 透き通った笑い声と共に、豊かな黒髪と漆黒の瞳を持つ妖艶な女性が姿を現す。


「これは紀深海きしんかい様! 河北軍司馬たる紀深海様が御出馬されるとは、やはり応竜は目覚めているのですね!?」


 夜蛾がびっくりして叫ぶように言うと、紀鸞は厳しい目で夜蛾を見て


「騒がないことじゃな。わらわは耳は良い方じゃ」


 そう言うと手招きする。


「し、失礼しました」


 紀鸞きらん、字は深海…魔軍の司馬であり北部魔王の懐刀である彼女は、側近くに寄って来た夜蛾に冷たくささやく。


「応竜のことは兵たちには話さんことじゃな、妙な噂が立ったら統率にも影響するからのう。それと……」


 夜蛾はねっとりとした紀鸞の声を聞いているうちに、背筋に悪寒が走ったように身を震わせた。紀鸞はそんな夜蛾を見てくくっと喉の奥で笑い、


「……さように恐れんでもよい。別にわらわはそなたを取って食おうというのではない。ただ薊に行くのではなく保定に転進し、そこで兵を養った後、鉅鹿を攻めよ……そう伝えに来たのじゃ」


 そう指示する。


 夜蛾は額にある5つの目を訝し気に細めると、念を押すように訊き返した。


「薊には向かわず保定に至り、兵を養った後は鉅鹿を攻めればよいのですね?」


 紀鸞は上機嫌でうなずくと、


「魔軍都尉の虎炎、呉傑、甘平、廉破もそれぞれ1師(2千5百)を率いて保定に向かっておる。そなたの部隊と合わせて1軍は編成できるはず。それで見事、鉅鹿を奪って邯鄲と涿郡との連絡を断つのじゃ」


「おお、虎堅果や廉孔雀殿の弟妹たちですか。分かりました紀深海様、きっとご期待に沿います」


 夜蛾は援軍を率いる者たちが戦友たちの縁者であることを知ると、喜んで顔を上げ触角を震わせた。


「うむ、頼んだぞ。わらわはすぐに徐州に参り、周恋愛様と善後策を協議するじゃによって、鉅鹿を落として応竜や華将たちをひと月牽制してたもれ」


 紀鸞はそう言うと、霧を呼んで姿を消した。


 夜蛾はしばし何かを考えていたが、考えがまとまると、


「うむ、まずは保定に行かねばならんな」


 そうつぶやきながら天幕の入口を跳ね上げて外に出た。


 深夜ではあるが月は沈んでおり、満天の星空が夜蛾の頭上に輝いていた。


「華将か……いやな時に目覚めたものね」


 夜蛾の独り言と同時に、西の空に流れ星が一筋の軌跡を描いて消えた。



 婁陵の湿地帯で魔軍を撃破した華将たちは、平原の近くに展開した華将・芍薬の郷天で今後の作戦を協議していた。


「魔牧を討ち、魔軍に大きな損害を与えたとはいえ、それはあくまで青州一州だけのこと。天下17州の安寧を得るにはまだ道は遠いと言わざるを得ません。

 それに残党は幽州を目指して撤退しました。他州の魔牧と協力して逆襲を考えているのでしょう。我々はそれをどこかで待ち受けるか、それとも一気に北平に寄せ、魔牧を討ち取ったがいいか……皆の意見を聞かせてください」


 芍薬が緩くウェーブがかかった緋色の髪を揺らせて一同を見回す。青く真っ直ぐな髪を長く伸ばした華将・菖蒲ショウブがスッと立ち上がり、紺碧の瞳を芍薬に向けて意見を述べた。


「我は積極策を提案したい。妖魔たちは思ったよりも大きな集団を形成している。目覚めたばかりの我らはまだ花精も十分に集められず、数の不利は動くことによって補うしかない。敵の破れに付け込むのは戦略の常道でもある。薊に攻め寄せて、二人目の魔牧を血祭りに挙げようではないか!」


「待って菖蒲。主導権を握り続けることは大事です。しかしわたしたちの戦いはまだ序盤もいいところ。邯鄲、曲阜、臨淄とここ平原は濁河の左右両岸を押さえる要衝。この四か所を守りつつ仙力を高め、花精軍が所望の編成になってから攻勢に移ればいいのでは?」


 そう言って立ち上がったのは、朱色の髪に朱色の瞳をした華将・椿だった。


「椿、時間は大きいものに味方する。我々が逼塞すればするほど、妖魔たちは爆発的に数を増やすだろう。そうなってからいくら花精軍を率いて打って出ても、勝利は覚束ないぞ」


 菖蒲が椿に反論するが、


「菖蒲、あなたは常に先陣を切って戦う猛将だから戦場のことが真っ先に浮かぶんでしょうけど、あたしたちが何のために戦っているかを考えてみてよ。

 そりゃああたしだって妖魔の連中は残らず撫で斬りにして、瑠璃光世界に送ってやりたいよ? でも今はまず『負けない戦い』をすべきときじゃないかな? あたしたちが敗けちゃったら、もう妖魔の連中を叩ける存在っていなくなっちゃうんだよ?」


 桃色の髪と緋色の瞳をした華将・山茶花サンザカが立って椿に加勢する。


「うちは基本的にはアヤメと同じや。叩ける妖魔は叩いた方がええ思うで?

 せやけど椿ちゃんが言うのも分かるし、山茶花のうちらが敗けたら妖魔に太刀打ちできるもんが居らんようになる言うのもうなずける。

 せやから、ここは『落穂拾い』をやったらええんとちゃうかな?」


 青く見える亜麻色の髪に、深い海の色をした碧眼が印象的な華将・朝顔が口を挟んだ。


「牽牛朝顔、何だその『落穂拾い』とは」


 菖蒲が怪訝な顔をして朝顔に訊くと、今までみんなの話を黙って聞いていた、黄土色の髪をした13・4歳の少女に見える華将・菊が口を開いた。


「牽牛殿にしては珍しく大局を見た意見じゃのう。

 落穂は大きな旨みはないが、それなりに役立つもの。つまり妖魔との戦いの帰趨を決めるほどの決定的な勝利を得ることは無理じゃが、敵の薄いところを叩いて小さな勝利を積み重ねるというやり方じゃ。

 勝利を重ねることで人間たちの士気は高まり、逆に妖魔たちは苛ついて来るじゃろう。

 わしらも戦闘のカンをとり戻すことが出来るというものじゃ。しばらくはその方途で動くのが無難じゃろうな」


「つまりは弱い者いじめか? 我はちょっと気が進まないな」


 菖蒲がぼやくように言うと、椿は首を振った。


「そうではありません、いわゆるウォーミングアップというものです。わたしたちもこの世界にまだ慣れていませんし、各々の仙力も十分に開放されていませんからね」


「まあいい、少しずつでも妖魔たちを削っていけば、それだけ奴らの勢力が弱まるのは確かだからな。それで、どの方面の落ち穂を拾うんだ?」


 菖蒲が腕を組んで菊を見つめる。菊はチラリと芍薬を見た。


「……君子、あなたは私たちの軍師です。何か考えがあるのなら聞かせてください」


 芍薬が微笑んでそう言うのを聞き、菊は虚空から地図を取り出して卓に広げる。


「ここがわしたちが居る平原、この上を右から左に流れているのが濁河じゃ」


 菊は地図の上を指で指し示し、その指をゆっくりと右上に滑らせる。


「こちらに青河、帝丘、広平とそれなりに重要ではあるが邯鄲などと比べると小さな町が連なっておる。涿郡と邯鄲の連絡線は薊を攻めるに欠かせないもの。

 我らは濁河北方のこれら町々を手に入れ、鉅鹿の確保をもって一応の目的とするのはどうじゃ?」


 菊が指し示す場所を目で追っていた菖蒲は、


「うむ、則天様に平原へおいでいただき、菊に邯鄲で後方の支援をしてもらえればさしたる難事ではないな。我は菊の方針に従おう」


 そう賛意を示す。


「わたしも異存はありませんが、鉅鹿は涿郡と邯鄲を結ぶ要衝。魔軍がここを狙ったらどうしますか?

 婁陵で取り逃がした魔軍は転進方向を薊から保定に変えています。これは保定に援軍があるか、少なくとも物資が集積されていることを意味します。

 保定から魔軍が侵攻するとしたら、その目的地は鉅鹿である可能性が高いと思いますが?」


 椿は菊にそう注意喚起も兼ねて言う。


 けれど菊はにっこりと顔中で笑って答えた。


「心配は要らぬぞ花王殿。この作戦は花王殿の偵察結果を聴いて考えたものだからのう。

 落穂を拾うのは、鉅鹿にやって来るであろう妖魔を叩くためじゃ」



 臨淄では州牧の徐栄が校尉の高淳こうじゅん石耀せきようらと、今日の酒宴の正客であった姜黎について意見を交わしていた。


「流石に『追儺面の狂戦士』と言われるだけあって、姜則天殿は見るからに頼もしい武人であったな」


 徐栄がにこやかに言うと、高淳もうなずいて


「御意。それにえも言われぬ気品も感じられましたな。わしには息子がおらんので彼を養子にしたいくらいです」


 そう姜黎を誉めちぎる。


 もう一人の校尉である石耀も、静かに話を聞いている黄洪を見て訊いた。


「姜則天殿も逸材だが、一緒にいた女性。確か黄鶺鴒殿と言ったか?

 彼女は仙人であるとの触れ込みだったが、同じように仙力を扱う者から見て、彼女はどうだ? 若いようだったが本当に仙人なのか?」


 考えようによっては失礼な問いかけだったが、黄洪は笑みを浮かべて答えた。


「お二人とも傑出した仙力を持っていました。鶺鴒殿も若いのは確かですが、こればかりは持って生まれた才能が大きいですからね。正直、俺も敵わないと思いましたよ。風塵不留真君と言う仙号は伊達じゃないですね」


「なんと! 容易く他人を褒めることもなく、負けず嫌いのそなたがそこまでいうのなら、鶺鴒殿も本物であろうな。拙者の息子の嫁にと思ったが、彼女が仙人であれば諦めざるを得んかな」


 半分冗談めかして言う石耀だったが、黄洪の表情が冴えないのを見て取って


「黄洪、何か心配事や悩みがあるのか? 今回の戦役ではそなたの方士隊が最も活躍してくれた。方士隊編成を意見具申した拙者も鼻が高いのだが、隊長たるそなたがふさぎ込んでいるのを見たら放ってはおけぬ気になる」


 不意に真面目な顔で訊く石耀だった。


 黄洪は笑いに紛らして答える。


「いえ、ご心配には及びません。少し疲れただけでしょう」


「そうか? さっきから余り顔色が良くないぞ。酒も料理もあまり進んでおらんようではないか。州牧には拙者からとりなしておくから、もう帰って休んだがいい」


 石耀がそう言ってくれたので、黄洪はありがたく酒席を退出させてもらうことにした。


(あれからいろいろと調べてみたが、鶺鴒殿が俺の妹である証拠は見つからなかった。

 しかし、則天殿によれば鶺鴒殿の誕生日は妹と同じだし、瞳の色も幼い時分は妹と同じ黒だったという。違っているのは諱だけか……)


 宴席から退出した黄洪は、そんなことを考えながら臨淄の大通りをゆっくりと歩く。


 日中は暖かくなってきたものの夜はまだ寒さが残っていたが、酒が身体を温めていたため、そんなに寒さを感じなかった。


「的盧か……今いやがったら俺がこの手で調伏してやるんだが」


 昔のことを思い出して思わず両手を握りしめた黄洪だったが、浮かんで来た憂鬱で陰惨な思いを振り払うように頭をぶんぶんと振ると、すっきりした顔で歩き出した。


(とにかく俺が見逃していることがあるかもしれない。もう一度父上の備忘録を精査してみよう)


 そう思ったのだった。


   ★ ★ ★ ★ ★


 洛陽府は、大秦帝国の主たる都である。


 涼州の西安、兗州の鄴など、皇帝が政務を執るに相応しい都城はいくつかあったが、先代の皇帝である第14代章帝姫尚が鄴から遷都して以降、洛陽府が帝都となっていた。


 濁河の右岸にある洛陽府は、さすが大陸でも大国の一つに数えられる大秦帝国の顔というに相応しく、南北24里(この世界で6キロ)、東西20里(5キロ)という巨大さで人口も50万を超える大都市である。


 立地も、濁河が氾濫しても浸水しないような高台にあり、東方の海から函谷関を経て咸陽府、西安、そして天水などの諸都市を経由して西域に続く街道を睨んでいた。


「西域の向こうには摩有留耶マウルヤ把瑠須ファールスと言った国々がある。さらにその向こうには魯務瑠洲ロムルスという帝国があるそうじゃ。

 わらわは把瑠須には行ったことがあるが、魯務瑠洲にまで行こうとは思わなんだ。そなたたちはいつの日かわらわの許を離れたら、遠く大陸を旅するのもいいかもしれんな」


 洛陽府随一の大通り、朱雀路を歩く少女が、供に従えた三人の若者にそう言って笑う。


 この少女は、身長が140センチほどしかなく可愛らしい顔をしていたが、長く伸ばした豊かな髪は高山の頂に輝く雪のように真っ白であり、着ている服も光沢のある純白の道服だった。


「天権様、確か把瑠須にはゾフィー・マールという道士がいるとお聞きしましたが?」


 天権と呼ばれた少女の後ろから、赤い髪に青い瞳をした美女が訊いてくる。天権はその女性を振り返ってにこやかにうなずいた。


「うむ、ゾフィーか。彼女は把瑠須の女神を信仰する教団で枢機卿をしておってな、広い知見と高い学識を持った逸材じゃったな。おそらくわらわの何倍も生きておるに違いない。

 わらわは彼女とだけは何があっても戦いたくはないのう。甘露、いつかそなたらが把瑠須に赴くことがあったら、是非とも知遇を得ておくがよかろう」


「……世の中は広いですね、それほどの人物がまだいらっしゃるとは。天権様のお話、心に刻んでおきます」


 甘露はそう言うと、先に立つがっちりとした男性に声をかけた。


「李小伯様、太史官様が指定された宿はもう目と鼻の先です」


 すると李小伯は、隣を歩くひょろりとした、眼つきの鋭い男に小声で言った。


「仲謀、天権様を宿に入れる前に、どうやらひと暴れしないといけないようだな」


 すると仲謀と呼ばれた男はかすかにうなずくと、薄い唇をゆがめて答えた。


「小伯、妖魔じゃあるまいし、奴らもこれだけ人がわんさかいる中でつっかかってくるほど考えなしではないさ。まずはこちらの出方を見るだけだと思うよ」


 仲謀がそう言うと同時に、一隊の兵を連れた男が姿を現し、先に立っていた小伯に呼び掛けた。


「そこにおいでは、中有ちゅうう推命すいめい雷桜らいおう帝君ていくんとそのお弟子様たちですね?」


「いかにも、小生おれは天権様の弟子、李甫、字は小伯、仙号を不動ふどう焼尽しょうじん真君しんくんと申す。そなたの名は?」


 李甫が問うと、隊長は姿勢を正し、


「小官は虎賁都尉の劉参、字は平定と申します。虎賁校尉である班子狼将軍の命で中有推命雷桜帝君とそのお弟子様たちをお迎えに上がりました」


 そう来意を告げた。


「ほう、班将軍がのう。して、わらわをどこに案内すると申すのかのう?」


 天権が白くて豊かな髪を揺らしながら問うと、劉参は打てば響くように答える。


「はい、功臣閣にご案内いたします」


「何、功臣閣とな? わらわに用があるのは太史官の謝洪と聞いておるが、観星台でなく何故功臣閣に?」


 天権が訝しそうに訊くと、劉参は懐から一通の手紙を取り出し、李甫に手渡しながら言った。


「小官は詳細を知らされておりません。天権様に少しでも疑念があるようだったらこれを呼んでいただくようにとの班将軍のお言葉でした」


 李甫は手紙を受け取ると、さっと表面を鋭い目で眺め、天権の顔を見た。


 天権が黙ってうなずくと、李甫は手紙を杜章に手渡す。杜章は天権に一礼すると封を開いた。


「……なるほど、尚書令殿は天権様を迎えるに謝玄白殿だけでは心もとなく感じられたと言うことか」


 茶色の瞳を持つ眼に興味深そうな光を湛えて杜章は手紙を天権にうやうやしく捧げる。


「ほう、晏理自らわらわと話がしたいと言うのじゃな……ともかく劉参とやら、疾くわらわたちを案内いたせ」


 天権は手紙を読むと、後ろに控えていた赤毛の女性に手渡しながら言った。



 天権たちが案内された功臣閣では、天文を観る太史官の謝洪字は玄白の他に、大秦帝国で位人臣を極める尚書令・晏理と大将軍・諸葛燦しょかつさん字は凌雲りょううんが天権たちを待っていた。


「臣は晏理字は干城です。わざわざ帝都まで足をお運びいただき、恐懼の極みに存じます」


 晏理は天権の姿を見ると、サッと跪いてあいさつする。天権はその礼を鷹揚に受けて、


「そう畏まらんでもよい。天下がどうなって行くかは2年前、既にわらわが姫節殿に注意したとおりじゃ。

 じゃが、思ったよりも妖魔たちは素早く組織を拡大しておる。そのことについてわらわも思うことはあるが、まずは国内の状況を聞きたいものじゃな」


 そう、長く豊かな白髪を揺らして言った。


 晏理は頷くと立ち上がり、


「承知いたしました。ですがまずは席にお着きください。大将軍、君は私の隣に居たまえ」


 そう勧めると、天権たちが着席するのを見て自分も亭主としての席に着く。


「臣たちが掴んでおりますのは、妖魔たちは天下17州すべてに『魔牧』を置き、その下に『魔軍校尉』などの役職を名乗る者どもを従えて、今やその勢力は侮り難いものになっているということです。

 幸い、司隷しれい州は虎賁軍団の尽力で表面的には平穏ですが、他の諸州の状況如何では予断を許さない状況です。詳しくは諸葛将軍から説明させます」


 晏理がそう言うと、諸葛燦は精悍な顔を上げて立ち上がり、壁に掛けた地図を紐解いて説明する。


「2年前、中有推命雷桜帝君のご託宣を受け、国軍としても地方の方士に協力を依頼するなど出来る限りの対策を講じて来ましたが、ご存知のとおり各州での妖魔の跳梁はますます激しさを増しております。

 特に憂慮しているのが徐州と福州、それに次いで益州と雲州が手を焼いている状況です」


「2年前に流星群が墜ちたのは寧州と広州の境じゃったな。その付近の状況はどうなっておる?」


 地図を見ながら訊く天権に、晏理が答えた。


「寧州の魏平、広州の王冠、そして貴州の高礼からは『苦戦はしているが何とか持ち堪えている』との報告があっております。昨年までは軍団を派遣すべきかと諸葛将軍とも話し合っていたところです」


 その答えを聞いて、天権は翠の瞳をキラリとさせて訊き質した。


「なぜ軍団を出さなかったのじゃ? 何か状況の変化でもあったか?」


 その力の籠った視線をまともに受けて、晏理は多少たじろぎながらも答える。


「はい、当時寧州は10万を超える魔軍に包囲されている状況でした。それほどの魔軍を撃破できる見込みが立たなかったのと、その魔軍たちが突然三つに分かれ、広州、雲州、益州に向かい始めたためです」


「我々はその魔軍を便宜的に『海岸軍』『四川軍』『中央軍』と呼んでおりますが、現在『海岸軍』は徐州の小沛を、『中央軍』は雲州の桂林を、『四川軍』は益州の楽山を拠点にしているようです」


 晏理の返答を諸葛燦が補足する。


 それを聞いて、天権は何か合点がいったように頷くと、傍らに座っている杜章に目を向けた。


「ふむ、杜章よ、そなたは今の話を聞いてどう思う?」


 杜章は薄いくちびるを片方だけ上げて答えた。


「はい、ボクが思うに、十中八九、蚩尤しゆうが蘇っていることは確かだと思います。

 ただ、妖力が完全には戻っていないのでしょう。そのため、まずは配下の妖魔たちを各地に放ち、こちらの目をそらす作戦を取っているのでしょう」


 杜章の言葉に、袖の中で何かを手繰っていた甘露も目を開け、碧眼を天権に向けて言う。


「杜仲謀様の考えに同意いたします。蚩尤は桂林に本拠を置いていますが、遠からず長沙に本営を移すでしょう。それはここ半年、姜則天殿が青州から幽州の魔軍を討伐していることに対応するものだと思われます」


 天権はおおいに頷くと


「確かに、応竜が姿を現し、その周囲に六花将が集い、そのせいで青州の魔牧が討ち取られたとなると、さしもの蚩尤も妖力の完全回復を待っておられぬ状況じゃろうな」


 そう楽しそうに言う。


「おお、その姜黎という若者の話なら、兗州牧の程環や幽州牧の蔡超からの報告があっております。若いのに傑出した方士だとか。

 彼については国内の行き来はその者次第で、関所であってもその通行を邪魔だてするなとの勅令を出した覚えがございます。

 青州の徐栄からもその者の力で数万の魔軍を退けたとの信じがたい報告を受けておりますが、中有推命雷桜帝様、その若者が何か?」


 晏理が恐る恐る訊くと、天権は意地悪そうに顔を歪ませて


「おや、晏理殿は2年前にわらわが姫節殿を訪ねたとき言った言葉を忘れたか? そなたはまだ老いるには早いであろう?」


 そう冷たい視線とともに言うと、晏理は冷や汗を拭いながらも思い出した。


「2年前、陛下の御前で吟じられた詩ですね? 覚えております。確か、

 凶星宿西方(凶星は西方に宿り)

 流星放悪夢(流星は悪夢を放つ)

 天下満怪異(天下は怪異に満ち)

 民生計帰無(民の生計たつきは無に帰す)

 水火及両年(水火は両年に及び)

 覆国妖魔霧(国を覆うは妖魔の霧)

 持剣者不在(剣を持つ者も在らず)

 退魔方術無(魔を退ける方術すべも無し)

 被封者奈何(封ぜられし者いかん)

 蚩尤者成無(蚩尤、無より成る者)

 被封者如何(封ぜられし者いかん)

 封魔六花矛(魔を封ずる六花の矛)

 宜令醒応竜(宜しく応竜を目覚めさせ)

 令索八星巫(八星の巫を求めしめよ)

 と吟じられたと記憶しておりますが?」


 天権は機嫌を直したか、可愛らしい顔をほころばせる。


「ちゃんと覚えておるではないか。さすがは尚書令じゃな。

 さて、その中の『封魔六花矛/宜令醒応竜/令索八星巫』について話す時が来たようじゃ。晏理殿、そなたは応竜の伝承は無論知っておろう?」


「は、神代に黄帝から将軍位を剥奪された蚩尤が反乱を起こした時、四霊を従えて蚩尤を封じたと言う物語でございますね?」


 晏理の答えに、天権は頷くと翠の瞳を持つ眼を細めて言う。


「さよう、わらわたちも注目しておる姜黎字は則天という若者は、その応竜の生まれ変わりじゃ。彼の下には既に六花将が揃っておる」


 聞き慣れない言葉に、晏理は戸惑いを隠せずに訊く。


「中有推命雷桜帝様、臣は浅学菲才でございます。六花将などについて、もう少し分かりやすくご説明ください」


 すると天権は思いのほか機嫌よく、晏理たちを見回して言った。


「六花将については仙人の神書でしか触れられてはおらぬ。そなたたちが知らぬのは無理もないし、それをそなたたちの罪科とはできまい。

 四霊にはそれぞれ眷属がおったが、六花将は四霊筆頭たる応竜の眷属でも群を抜いて勇猛な鬼神たちじゃ。別の呼び方には華将六花かしょうりっかがあり、花相・芍薬を中心に花王・椿、君子・菊、花剣・菖蒲、燎原・山茶花サンザカ、牽牛・朝顔の六柱のことを言う。

 これに花神・牡丹と軍配・百合を加えると華将八星となる。まだ牡丹と百合は姿を見せておらぬが、おっつけ姜黎殿のもとに馳せ参じるじゃろう」


「では、『封魔六花矛』とは六花将のことを、『令索八星巫』とは華将八星のことを差しておられたのですね?」


 晏理が呻くように言うと、天権は莞爾とした微笑みを浮かべて言った。


「そのとおり。そなたは聡い故、余計な説明をせんで済んだ。宮中に戻ったらこの詩を姫節殿に報告するとよい。安心するじゃろう」


 そう言うと突然、その場に白い旋風が吹き、


「おおっ!?」


 驚いて顔を覆った晏理たちが再び目を開けたとき、天権たちの姿はどこにもなく、ただ卓の上に木簡が置いてあるのみだった。


「……これは……」


 晏理が木簡を読むと、そこにはこう書かれていた。


『明星出東照諒闇(明星は東に出て諒闇を照らし)

 天催朔風払妖夢(天は朔風を催して妖夢を払う)

 君臣可也待黎明(君臣、黎明を待つも可なり)

 既応竜持六花矛(既に応竜は六花の矛を持つ)

 しかりと雖も、ゆめ、備えは怠るなかれ。

  青龍神護4年6月吉日

   中有推命雷桜帝 天権楊周麗良』


   ★ ★ ★ ★ ★


「せやから、うちらが『落穂拾い』をやっとる間、応竜様にはこの平原を守っておいてほしいねん」


 平原の新たな宿に落ち着いた姜黎と鶺鴒は、朝顔と菊から今後の作戦について説明を受けていた。


「朝顔、そなたたちが魔軍の主力と敢えて争わず、青河、帝丘、広平などの妖魔に占拠された町を取り戻そうというのは分かるでござる。

 邯鄲や曲阜、臨淄がこちらの手にしっかりと確保されている今、濁河の北に連なる町を落とせば河北の魔軍は徐州や荊州から遮断されるでござるからな」


 姜黎はそう言って華将たちの作戦に一応の賛成はしたが、


「が、菊殿の話に依ると、最初は薊を目指して退却していた魔軍は、保定に入ったらしいと言う。保定が魔軍の手にあるのなら涿郡は妖魔の海に浮かぶ孤島も同然でござるし、石家庄も魔軍の手に落ちてしまう恐れがござらんか?」


 そう、魔軍との決戦を望むような意見を述べた。


「応竜様、そこは心配あらへん。魔軍をやっつけるための方策は……」


 破顔一笑してそう言いかけた朝顔を、菊がひじでつついて黙らせる。


「なんや菊ちゃん。何で止めるん?」


 訝しそうに訊く朝顔に、菊は小声で


「まだ作戦にかかってもおらんのじゃ。不確定要素が多い情報で応竜様に余計な心配をかけてもしょうがなかろう? わしが説明する」


 そう言うと姜黎に笑いかけながら


「応竜様、できれば拙たちは河北の魔軍を一網打尽にしたい。牽牛殿が申した『落穂拾い』はそのための布石で、平原ここはその支牚点になる場所。

 じゃから拙は平原には応竜様と仙人殿、そして牽牛殿に居てもらいたいんじゃ」


 そう言うと真剣な顔をした。


 姜黎は菊の顔を見て、腕を組むと考え込む。


 今まで側で姜黎を守ってきた鶺鴒は、こんな時に後ろにいるような彼ではないことは分かっていた。


「姜黎さま、何を気になさっているのですか?」


 さっきから三人の話を黙って聞いていた鶺鴒が、不安そうに訊く。


「あ、ああ、ちょっと気になることがあったでござるよ」


 姜黎が細いあごを右手で押さえながら言う。


「気になること、ですか?」


 鶺鴒が訊き返すと、姜黎は菊に視線を向けて


「菊殿、一つ質問して良いでござるか?」


 そう、静かな声で問いかける。


 菊はうなずくと、困ったように


「拙たちは華将じゃ。応竜様には何事も納得していただかないといけんからのう」


 そう答えた菊の顔が、姜黎の言葉で凍り付いた。


「拙者は、このまま魔軍を放っておくと、邯鄲をはじめ華将たちが考えている作戦も無に帰すような気がしてならないでござるよ。特に気になるのが石家庄でござる。

 石家庄そのものが落とされなくても、付近の鉅鹿きょろくが奪われたらどうするでござるか?」


 菊は朝顔を振り返り、なんとも言えない笑いを見せると、笑って言った。


「さすがは応竜様じゃな。仕方ない、拙たちの方寸を説明するとしようかの」


「だからうちは最初っから応竜様に説明するつもりやったんやで? 菊ちゃんも応竜様を甘く見たらあかんねんで?」


 朝顔が両手を頭の後ろに組んで言う。菊は恥ずかしそうに頭をかきながら言い訳をする。


「いや、別に応竜様を軽んじたわけではない。ただ拙は戦略戦術を軽々しく喋るのが嫌なだけじゃ。そういうことじゃから応竜様も気を悪くしないでいただきたいのう」


「謀は密なるを要すと申すからな、拙者は気を悪くしてはおらぬでござるよ。それで、華将のみんなはどう動くつもりでござるか?」


 姜黎が屈託ない表情で先を促すと、菊はホッとしたような顔で再び説明を始めた。



「実は、保定に入った魔軍は3万じゃが、その主将は夜蛾やがという魔軍校尉であることが判っておる。

 こやつは臨淄を囲んでいた魔牧・鉄血豺狼てっけつさいろうの懐刀で、婁陵るりょうでも悪運強く生き残ったのじゃが、3万もの軍を魔軍校尉一人に指揮させている敵のやり方が気になる」


 菊が静かにそう言う。彼女の黄土色した瞳はロウソクの灯火を映して怪しく輝いていた。


「まあ確かに、臨淄を攻囲していたときは1軍(1万2千5百人)程度を率いていたようでござるな。

 すると菊殿は、保定に居る夜蛾軍は陽動と考えているでござるか?」


 姜黎が訊くと、菊は薄く笑って頷いた。


「御意にございますじゃ。幽州には魔牧が居り、魔軍校尉が四人いることも分かっておる。

 ということは、幽州魔牧が動かせる兵力は少なくとも5軍はあるということでもある」


「夜蛾という魔軍校尉が率いる3万は、捨て石とも考えられるわけでござるな」


「せや、だいたい夜蛾が婁陵から連れて逃げたんは2千がええとこや。それをたったの1週間かそこらで3万まで増やせるわけがあらへん。訓練もようせんとひっかき集めた烏合の衆のはずや」


 朝顔がお気楽のんきに言うが、姜黎はその言葉に首を振った。


「いや、相手は妖魔でござる。戦う前から烏合の衆と決めつけるのは早計でござろう。

 それで菊殿は相手は今後どう出ると思っているでござるか?」


 菊は朝顔に言い聞かせるように


「ほら言ったじゃろう牽牛殿、相手を軽んじるのは良くないと。

 それで今後の魔軍の戦略についてじゃが、奴らは河北の総力を挙げて拙ら華将と応竜様を討ち取りに来ると観ておる。

 その前段階として保定の3万で鉅鹿を取り、石家庄と邯鄲の間に楔を打ち込んでくるじゃろう。拙ら華将が鉅鹿を救うために出撃すれば、薊の6万がすかさず拙らを包囲するために姿を現すはずじゃ。それまでの拙たちの『落ち穂拾い』が奴らの神経を逆なでしているはずじゃからのう」


 そこでいったん言葉を切った菊は、目を細めて慈しむように朝顔を見やると続けた。


「拙らの郷天にも仙力が溜まってきた。今度は各々が2師(5千)の花精を連れて行けるじゃろう。相手が10万なら2万5千の花精軍にとっていい演習になるじゃろうて」


「しかし、4倍の敵はいかに華将といえど重荷ではござらんか?」


 姜黎が心配そうに訊くと、菊は事もなげに言ってのけた。


「そのために応竜様と牽牛殿をここに残すのじゃよ。『華将陣第七・祁連山きれんざん』を見せてほしいのじゃ」


 それを聞いて、朝顔は目を輝かせて胸を反らした。


「ふっふーん、そういうことなんやな? 分かった、任しときぃ!」



 保定はもともと城塞から発展したまちである。大秦帝国の前にこの国を統一していた普王朝は、北方から騎馬民族の侵入に長らく苦しめられていた。


 一時は幽州一番の都市である北平(薊)も騎馬民族の馬蹄に蹂躙され、『井徑より北、絶えて米麦を食する者なし』と謡われるほど疲弊しきっていたが、普国の名将深淵しんえん、字は海棠かいどう嬴晃えいこう、字は紫龍しりゅうが城塞を築いたことで流れは変わり、保定塞設置後10年にして騎馬民族を北平から駆逐したのである。


「そんな歴史を持つ保定も、我ら妖魔が相手ではあっけなかったわね。後は華将の奴らがエサに食いついて来るかだけれど……」


 魔軍校尉・夜蛾、字は薫泉が目の前に整列した魔軍を見つめて言う。


「ぜひともお目にかかりたいものですな。姉の無念を晴らして差し上げねばなりません故」


 夜蛾の後ろに控えていた人狼が毛を逆立てれば、


「そうですわね。それと共にわたくしたちが魔軍中で重きをなすチャンスでもありますし」


 虎人の女将が腕を撫しながらそれに便乗する。


廉破れんぱ虎炎こえん、敵愾心を燃やすのも結構だけれど、相手は華将、鬼神の中の鬼神です。その実力を侮ってはなりません」


「夜薫泉様、我らは不勉強で『華将』がいかなる者たちか良く知りません。兄が不覚を取ったのもそれが一因でしょう。そ奴らの能力などをお教えいただけないでしょうか?」


 細身の身体に無機質で大きな目を持つ男が言うと、夜蛾は額にある五つの目をその男に向けて頷く。


「うむ、『敵を知り己を知らば百戦して危うからず』と言います。甘平かんぺいも兄の甘持宝に似て考えが深いようだわね。では、私が知っている限りの話をしましょう。呉傑ごけつも一族である班員はんうんの轍を踏まぬよう、よく聞いておいてください」


 そう言うと、


「これは今から2千年も昔の話です。そのころ、既に大陸は出来上がり、人間たちは大地に遍く広がって暮らしていました。

 我らが主たる蚩尤しゆう様は、そんな人間たちを導く存在として日々を過ごされていたと聞いています……」


……蚩尤は史書に


『蚩尤、姓は姜。炎帝農氏の子孫なり。四目六臂で牛頭烏蹄を持つ。

 又、獣身にして銅の頭に鉄の額を持つとも言う。

 異能を持ち、勇敢にして忍耐強く、七十二人の兄弟あり。

 戦神として弓矢、戦斧、楯を発明す。後、黄帝に反旗を翻し戦うも、応竜に殺される』


 と記されている『軍神』である。


 身の丈数里に及んだと言われる蚩尤は、当初、人々に鉄を使うことを教えたり、戦術を洗練させて魔物を退治したりと、人間に寄り添っていた。


 しかし、戦えば連戦連勝の彼は、人々の賞賛の声を聞くうちに、いつしか黄帝に替わって天下を治めたいとの野望を膨らませ始めた。


『余は人々に鉄を教え、その暮らしを豊かにしてきた。今、人々から余に天下を治めよとの雨のような声を聞く。それ故に余は起つことを決めたのだ』


 蚩尤は黄帝が濁河の畔の王宮を離れた隙をついて、自らを推す人間や妖魔を味方に軍を発した。その数、号して百万。


 一方、蚩尤の挙兵を聞いた黄帝は苦虫を噛み潰したような顔で、


『姜炎ともあろう者が自らの力に慢心したか。天下の権は自らの力では奈何ともし難いもの、天の時と地の寿ぎ、そして人の和がそれをもたらすものだ。覇道の剣はやがて自身を滅ぼすだろう』


 そう長歎して、天鼓軍30万、四霊軍40万に出撃を命じた。



「蚩尤様は妖術で天鼓軍を大いに破り、一時は黄帝をして自害を決意せしめたそうです」


 夜蛾が語る言葉を、四人の若い魔軍都尉たちは息を飲んで聞いている。

 夜蛾は一息つくと、続けて語り出す。


「だが、逐鹿ちくろくの戦いは蚩尤様の敗北で幕を降ろしました。勝っていたはずの戦勢をひっくり返した者こそ、四霊軍を率いていた応竜です。

 彼は鳳凰や麒麟といった仲間とともに逐鹿の野に到着すると、すぐさま華将陣を敷き、蚩尤様の妖術や幻術を散らしてしまったといいます」


「具体的にどんな仙力を使ったかはお分かりでしょうか?」


 呉傑が瞳のない緑色の目を細めて訊く。


 夜蛾は残念そうに首を振ると、


「私も華将がどのような仙力を使うか、詳らかには知りません。

 ただ、平原の攻略で水の仙力を使って同胞の意識を奪っていますし、臨淄の城外では仙力を身にまとって縦横無尽に戦っています。

 そして『華将八星』といわれるとおり、八人で『天・沢・火・雷・風・水・山・地』の属性を使いこなすと聞いています。

 このことからも、華将は決して油断のならない相手だということを分かってもらえると思います」


 そう言うと、ゆっくりと四人を見回す。夜蛾が心配していたほど、四人の顔には戸惑いや恐怖の色が見えないことで安心した彼女は、赤く輝く複眼を大きく開けて言った。


「華将が鬼神の仲間だとしても、恐れる必要はありません。私たちも妖魔、作戦と周到な準備があれば華将とて討ち取ることは容易いでしょう。

 恐れず、逸らず、作戦どおりに進めれば、私たちの勝利は疑いありません。みなで心を合わせ、鉅鹿に華将たちの墓を建てて進ぜようではありませんか」


 夜蛾の言葉を、四人の魔軍都尉たちは戦意に満ちた表情で受け止めた。


(其の八 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

本作には『鉅鹿の戦い』『徐州会戦』『樊城の戦い』『木門道の戦い』『剣閣の戦い』『桂林攻略戦』など、いくつか節目になる戦いがありますが、その最初の『決戦』です。

『決戦』と呼ぶにふさわしい描写をしなきゃなあと頭をひねっていますが、こんな苦悩は見方を変えれば楽しい……はずと自分に言い聞かせています。

次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ