表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六花の乙女たち〜大秦帝国退魔志演義  作者: シベリウスP
7/11

其の六 六花の将は曲阜に集い、魔軍は攻囲を解いて決戦を指向す

椿と山茶花が加わり、六花将が姜黎のもとに揃った。

毒でまだ動けない姜黎を鶺鴒に任せ、華将たちは行動を起こす。

魔軍に包囲された臨淄を救うため、華将たちが立てた作戦とは?

【幕前】


 大陸の東にある大国、大秦タイシン帝国。


 皇帝・姫節きせつの8年目に、大きな流星群が帝国を襲った。

 その後2年、帝国は干ばつや洪水などの自然災害だけでなく、どこからともなく現れた妖魔たちの跳梁に苦しんでいた。


 辺境、村落、都市と場所を選ばず出現する妖魔に、帝国も対応の術を失いつつあった時、稀代の方士と呼ばれる楊天権ようてんけんは、古の応竜と六花将りっかしょうの復活を感じ取った。


 この物語は、運命に縛られた青年・姜黎きょうれい則天そくてんと、六花将・朝顔を中心とする物語である。


   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 朝顔は華将かしょう椿ツバキ山茶花サンザカを連れて曲阜きょくふに帰投し、姜黎きょうれいたちと合流した。


「ああ、よかった。応竜様はもうすっかり良うなってんな? うちが出撃するときは熱が下がったばっかやったから心配してたねん」


 笑顔いっぱいに飛びついてくる朝顔に、姜黎は優しい瞳を当て、


「心配かけたでござるな。おかげでだいぶ調子が戻って来たでござるよ」


 そう言うと、少し表情を改めて


「けれど、独断での偵察は今後控えてほしいでござる。芍薬シャクヤク殿をはじめ華将のみんなも心配していたでござるよ?」


 そう注意する。


 朝顔はペロッと舌を出して、


「えへへ~、応竜様、うちのこと心配してくれるん? そないに心配してくれるんは女冥利に尽きるっちゅうもんやな」


 そう嬉しそうに言うと、思い出したように


「あ、せやせや。応竜様、こっちの二人が椿ちゃんと山茶花やねん。これで六花将はぜーんぶそろったねん」


 そう言うと、椿たちに手招きする。


 姜黎が朝顔の視線の先を見ると、水干に袴を身に付けた少女たちが姜黎を見つめながら近づいて来て、足元に膝まづいた。


「お初にお目にかかります。わたしは陰徳郷イントクキョウの住人で六花将の風将、花王かおう椿。以後お見知りおきを」


 朱色の髪と瞳をした椿があいさつすると、続いて桃色の髪と瞳をした少女が頭を下げて言う。


「あたしは双眸郷ソウボウキョウの住人で六花将の火将、燎原りょうげん山茶花サンザカ。名前は『サザンカ』ではありませんので、お間違いのないようにお願い申し上げまーす!」


 姜黎は二人の言葉にうなずくと、微笑んで言う。


「ご丁寧に……拙者は姜黎、あざな則天そくてんと申す方士にござる。こちらこそ以後よろしくお願いするでござるよ」


 あいさつも済んだと見て、芍薬が朝顔たち三人に言う。


「牽牛殿、お疲れ様でした。花王殿と燎原、久しぶりの再会ですが、積もる話は後にいたしましょう。臨淄の様子を聞かせてもらえますか?」


 花王と呼ばれた椿は、芍薬の後ろに菊と菖蒲が控えているのを見てうなずくと、


「うむ、君子と花剣もいるようですね。では山茶花、あなたから状況説明をお願い」


 と、説明を山茶花にぶん投げた。


「え~っ、せっかく応竜様の前なんだから姉さまがすればいいのに」


 山茶花が言うと、椿は頬を染めて山茶花を振り返り、


「わたしは口下手だし、いつも緊張しちゃって失敗するの。こんな場面に慣れているあなたがやってちょうだい」


 多少、強面で言うと、山茶花はため息をついて、


「はあ……分かった、必要なところは姉さまが補足してね?」


 呆れたように言うと、姜黎や芍薬に向かって言った。


「臨淄を囲んでいる魔軍は、青州の魔牧・鉄血てっけつ、字は豺狼さいろうが率いる約3万。魔軍はいつでも臨淄を落とせる自信があるのか、まだ本格的な攻撃は行っておりません。城外に陣地も作らず臨淄を囲んでいます」


「臨淄の兵数と都城内の様子はどうじゃ?」


 菊の問いに、


「人間側には正規兵として1師・2千5百人がいます。うち1旅・5百は方士のみで編成した方士隊です。実質的に戦力として機能するのは彼らだけでしょう。東方の即墨そくぼくらいに援軍要請を出していますが、間に合うかどうか」


 そう答えながら首を振る。


「事態はかなり切迫しているようだな。六花将がそろい、花精が使えるようになったから、われが1旅を率いてその鉄血とやらを蹴散らしてこようか」


 落ち着いた見た目に似合わず血の気が多い菖蒲が、薙刀を虚空から取り出して言う。


 菊が呆れたように菖蒲を押し留めて


「菖蒲、山茶花の話を聞いておったか? 相手は3万じゃぞ。今のわしたちの仙力では各々の郷天から3百~5百も花精をひっかき集められれば御の字じゃ。猪突すまいぞ」


 そう言うと、姜黎にすがるような目を向けて言う。


「臨淄の包囲を解くことも大事じゃが、ここ、曲阜を守ることも大切じゃ。少ない戦力でそれを達成するためには事前の準備が欠かせぬ。そうですな、応竜様?」


「……確かにさようでござる。数百の単位の妖魔なら拙者たちが協力すれば何とかなるかもしれないでござるが、万を数える敵にはそれなりの準備が必要でござろう。菖蒲の意気は是とするが、ここは匹夫の勇に逸らないようにすべきであろうな」


 姜黎が静かに、しかし断固として言うと、菖蒲は何か言いかけて口をつぐむ。


「なんやアヤメ、何か言いたいことあるんとちゃうか? 思いは吐き出さな、ストレス溜まるで?」


 朝顔が言うと、菖蒲はゆっくりと首を振って答えた。


「……いや、確かに花精は満を持して放つもの、中途半端な投入は慎むべきだな。ここは則天様のおっしゃる通りだろう。それで、菊、椿、君たちの作戦は?」


 菖蒲の問いに、菊はニチャアっとした不気味な笑いを見せる。見た目は六花将の中で最も幼い菊であるが、それだけにその笑いには迫力があった。


「わっ、菊ちゃんのその笑い久しぶりに見たけど、相変わらず気味が悪いなあ。今度はどんな悪だくみを思い付いたの?」


 山茶花がやや引き気味に訊くと、菊は琥珀色の瞳を輝かせて言った。


「ふふ、知っとるか? 妖魔たちの物資の大半は臨淄の敵陣地にはないんじゃぞ?」


「何? それならその物資を狙えば」


 菖蒲が言うと、芍薬はその後を引き取って言った。


「はい、妖魔たちは臨淄の囲みを解いてこちらに向かって来るでしょう」



 六花将の作戦会議が終わった後、自分の郷天『察慎郷サツシンキョウ』に戻った芍薬は、椿の訪問を受けた。


「これは花王殿。会議の場では積もる話もできませんでしたが、調子はいかがですか?」


 芍薬は読んでいた木簡を丸めると、手振りで椅子を勧めながら尋ねる。


 椿は紅の瞳を持つ眼を細めて、勧められた椅子に腰を下ろしながら、


「あい変わらずです。花相殿こそ、一癖も二癖もある六花将をまとめて行くのはなかなか神経をすり減らすのではありませんか?」


 そう言うと、クスリと笑って続けた。


「山茶花と牽牛殿、二人とも手綱を執るのは難しいですしね?」


 椿の意味ありげな言葉を受けて、芍薬は微笑みを含んだまま首を横に振る。


「山茶花はあなたの薫陶が良いのでしょう、前回のような刺々しさがありません。

 牽牛殿も、応竜様とどんな出会い方をしたのか知りませんが、やはり前回と比べてかなり殺伐さが無くなっています。今回は統率で苦労をしなくても済みそうです」


「その応竜様の件ですが……」


 椿は言いにくそうに言葉を切る。芍薬はそんな椿の気持ちなど分かっている、とでも言いたげに


「確かに、応竜様に古のような輝きが見えません。けれど、あの牽牛殿が彼を応竜様と慕っているのです。私は牽牛殿を信じます」


 そうキッパリと言った。


 椿は目をつぶって腕を組むと、


「……牽牛殿は先を見通す瞳を持っている。ただ先を見るだけでなく、三千世界を突き抜けて見渡す瞳でもある。花相殿が牽牛殿のことを信じているように、わたしも『重瞳ちょうどうの魔神』と呼ばれた牽牛殿を信じましょう」


 低い声でそう言うと、目を開いてはにかむように笑った。



 そのころ、姜黎が眠る部屋の隣室で鶺鴒せきれいが竹簡に何かを認めていた。


 鶺鴒、本名は黄杏こうきょうといい、黄色の瞳と黄色のメッシュが入った黒髪をしている。

 彼女は、浅黄色の袍を着て短いズボンに革の靴を履いている。夜も更けたというのに、まだ普段着のままだった。


『姜則天様のもとに、新たに花王・椿と燎原・山茶花が加わり、六花将が揃いました。

 花相・芍薬は落ち着いた雰囲気で、控えめではありますが決断力に富み、威厳もあって、さすがは六花将の筆頭といった感じです。

 君子・菊は見た目こそ子どもで、態度は不遜ですが、常に沈着冷静で智謀並びない軍師といった感じです。

 花剣・菖蒲は血の気が多いと見受けられますが、さっぱりした気性で武勇も大したもののように見受けられます。

 花王・椿は菊と菖蒲を併せた様な、静かで考え深く、それでいて戦闘では菖蒲と先鋒を競う程の実力を持っています。

 燎原・山茶花は明るく、よく冗談を言いますが、刀を抜くと性格が変わるとのことです。

 そして牽牛・朝顔は……』


 鶺鴒はそこまで書いて筆を止める。


(わたくしは六花将と知り合ったばかり。そんなわたくしが、彼女たちの一体何を分かっていると言うのかしら?)


 六花将とは、濁河や長江の畔に人々が定住を始めた頃に世の中を荒らし回った悪神・蚩尤しゆうを、黄帝こうていの命を受けた四霊の筆頭・応竜と共に封印したと伝わる鬼神たちのことである。


 楊天権のもとで仙道を修行する中で、四神や四霊、十二天将などの鬼神の話はよく聞かされた鶺鴒だったが、話を聞いて想像していたより彼女たちが人間臭いことに驚いていた。


(特に朝顔はそう。戦う姿を見ていなければ、市井にいる普通の姐さんって感じだし)


 それに鶺鴒が不思議に思うのは、他の六花将が朝顔を特別扱いしているところだった。


 六花将は応竜の眷属で、だからこそ誰もが応竜の化身と目される姜黎に目をかけてもらおうと努力しているさまが見て取れたが、同時に姜黎に近付き過ぎないようお互いに牽制し合ってもいるようだった。


 それなのに朝顔だけは応竜にべったり、もはや馴れ馴れしいとすら言える態度であるのに、他の六花将は何も言わないのである。


(きっとわたくしの知らない事情があるのでしょう。でも、六花将について天権様には報告しないといけないし……)


 思い悩んだ鶺鴒は、結局朝顔についてはこう書くに留めた。


『……牽牛・朝顔は最も人懐っこく、最も則天様の近くにいます。他の六花将からは別格の扱いを受けていますが、その理由はまだ分かりません。

 現在、わたくしたちは曲阜にあり、妖魔の攻囲を受けている臨淄の救援を議しております。君子・菊に何か策があるようですので、近いうちに続報をお届けできると思います。

 今後、六花将に動きがあったり、新しいことが判明したりしたらご連絡致します。

中有推命雷桜帝君 ご机下

   風塵不留真君 黄杏鶺鴒 拝』


 鶺鴒は筆を置くと、文章を何度も読み直して竹簡を丸めて縛る。その結び目に封泥をすると、竹簡を机の端に置き、静かな声で言った。


「翔鶴、この竹簡を帝君のもとへ」


 すると何者かが竹簡を取り上げたのか、竹簡は影も形もなくなった。


 鶺鴒は灯火を吹き消すと、月の蒼い光が差し込む窓辺に座りため息をついた。


   ★ ★ ★ ★ ★


虎蘭こらんがやられた!? いったい誰に?」


 臨淄を攻囲している魔軍の本陣で、この部隊の総帥である魔牧・鉄血てっけつ、字は豺狼さいろうが、部下の一人、魔軍校尉・虎蘭、字は堅果けんかの敗死を知って怒鳴っていた。


「臨淄の西門から南西に50里(この世界で約12キロ)ほど行った草原です。堅果が率いて行った1師2千5百もその場でほぼ全滅していました」


 白髪で額にも五つの目を持つ妖魔が、毛並みのいい白狼の妖魔にそう報告する。


「虎蘭は虎人、人間はおろかそこいらの方士ずれが討ち取れるようなやわな武将じゃない。それに2千5百もの同胞が全滅しただって?」


 魔牧・鉄血は、聞いたことが信じられないと言いたげに首を振って、目の前の妖魔に命令を下す.


夜蛾やが、これはひょっとすると青州から幽州にかけて同胞を倒しまくっている、式神を使う方士の仕業かもしれぬ。生還した兵から話を聞き、正体を突き止めよ」


「分かりました。それらしい奴を見かけたらいかがいたしましょうか?」


 夜蛾が訊くと、鉄血は不興気に答えた。


「我の手で八つ裂きにしてくれる。ここには生かして連れて来い。分かったね?」


「承知致しました。我ら蟲妖こようの名にかけて下手人を探し出します!」


 夜蛾はそう言うと、銀色の粒子をまといながら鉄血の幕舎から退出した。


 鉄血の厳命は、もう一人の魔軍校尉・呉操ごそう、字は滴蘭てきらんの許にも届いた。


 呉操は、命令書をひとくさり読むと、瞳がない緑色の目を細め黄色い嘴を歪めて、


「ほう、ここ一両日虎堅果の姐御の部隊を見ないと思っていたら、そういうことか。

 それにしてもあの姐御を討ち取るとは、まだまだ強い奴はたくさんいるということだな。楽しみが増えたぜ」


 そうつぶやくと命令書を机の上に放り投げ、おもむろに立ち上がる。


「校尉殿、どちらへ?」


 左右の副将が訊くと、呉操は腰に吊った剣の鞘を叩きながら笑って答えた。


「どちらへって、臨淄の周りを一巡りするのさ。姐御をやっつけるほどの奴がいるのなら、退屈しのぎになるじゃないか」



 そのころ、救援要請のために臨淄を出発した方士五人は、無事に郲に到着した。


 五人の到着を、守将の呂穆りょぼく、字は鮮念せんねんは斜めならず喜び、早速彼らを帷幕に呼んで言った。


「よく来てくれた。徐秋穂様をお助けせねばと軍を集めたはいいが、臨淄の状況が皆目分からず苦慮していたんだ。

 即墨では関杜宣かんとせんが軍を編成しているが、まだ発向していないところをみると、こちらと同様臨淄の様子が分からず困っているんだろう。

 そなたたちが来てくれたのは天の配剤だ。一緒に即墨に参って関杜宣と共に臨淄の後詰めをいたそう」


 そう言うと呂穆は五人を連れてその日のうちに郲を出発し、3日後に即墨に入った。


 即墨では、やはり守将である関叡かんえい、字は杜宣が待っていて、呂穆たちをわざわざ城門で出迎えて言った。


「よく来てくれた呂鮮念。そちらが臨淄の重囲を破って使命を全うした勇士たちか?」


「そうだ。おかげで俺も臨淄の様子をつかむことが出来た。杜宣、一緒に州牧の危機を救おうじゃないか」


 呂穆の言葉に、関叡は大きく頷いた。


 二人はさっそく方士たちから臨淄と魔軍の詳しい話を聴くと、即墨部隊2軍2万5千、郲部隊1軍1万5千を率い、ゆっくりと臨淄に向けて進撃を開始した。


「州牧をはじめ都城の人々は援軍を一日千秋の思いで待ちわびています。もう少し速く行軍できないでしょうか?」


 方士たちが救援部隊の主将となった関叡に頼んだが、彼は首を縦に振らなかった。


「敵に注目してもらうため、わざとゆっくり進んでいるのだ。敵は3万が固まっているが、できれば分割して各個撃破したい。

 もし、我が軍に気付いて一部の部隊が向かって来れば、先発してもらっている呂鮮念の部隊とで挟み撃ちにする。

 仮に敵が我々を無視した場合は我が軍は無傷で臨淄の近くまで行くことができる。我が軍の旗を見たら、臨淄の人々の士気も上がるはずだ」


 関叡はそう読んでいたのである。



 関叡の部隊が即墨を出発したという情報は、すぐに魔牧・鉄血に伝わった。


「人間風情が舐めた真似をしてくれるわね。2万5千で何ができると?」


 鉄血は鼻にしわを寄せて笑うと、白い毛並みの中から赤い目を光らせて


「呉操、あんたがいい。ちょっと行って奴らの首を臨淄の仲間たちに見せつけてやりな」


 そう命令するが、呉操はズルそうな顔で異論を述べた。


「大将、即墨から出た奴らにゃ戦意はありませんぜ。なんせ一日10里(2・5キロ)しか進んでいやがらねえですからね。

 思うに即墨の奴らは後から上に難癖つけられないよう、ポーズだけ取ってるんじゃねえですかね?

 俺が行くのは構いませんが、堅果の姐御を倒した奴の方が気になりますがね」


「……即墨の部隊が一日に10里ほどしか進撃していないのは事実。それに私どもの偵察では即墨部隊の北西にもう一隊、1万5千ほどがいます。

 奴らは進撃して来るのではなく、我々を分断し、伏兵と挟み撃ちにして各個撃破を狙っているんじゃないでしょうか?」


 白い髪と大きな黒い目を鉄血に向けて、もう一人の副将、夜蛾が言う。


 二人の意見を聞き、鉄血は少しの間首を傾げていたが、


「……まあ、2万5千が4万になっても、我らの敵ではないね。雑音に構わず、早く臨淄を落とした方がいいか」


 そう言うと、歯をむき出して笑いながら、二人に命じた。


「よし、明日正午過ぎに総攻撃を仕掛ける。先鋒は呉操に任せたよ。夜蛾は念のために後方を警戒しておくれ」



 こちらは曲阜である。探索専門の華将である椿や山茶花サンザカは、その能力を最大限に発揮し、曲阜周辺や臨淄付近だけでなく、遠く即墨や郲までも情報を集めていた。


 その情報の中で、椿や菊が特に注目したのが関叡や呂穆軍の位置である。


「1万5千を20里先に出し、本隊2万5千はいまだ臨淄から10里ほどのところか」


「本隊をエサにして敵を吊りだし、伏兵とで挟撃……ってところですね」


 菊が地図を見てつぶやくのに、椿が現状分析のように言う。


 けれど菊は黄土色の髪をいじりながら、


「これは少し困ったことになるかも知れんぞ」


 そう低い声で言う。


「君子、何が困ったことになるのですか? 即墨から援軍が出たことを知った魔軍は、兵力を分けてでも対応せねばならなくなるでしょう?」


 芍薬が訊くと、菊は頭を振り、琥珀色の瞳を芍薬や椿に向けて説明する。


「うむ、臨淄を攻囲しているのが人間ならば問題はない。4万もの軍に横腹を曝したまま臨淄を攻める将軍などおるはずがないからのう。

 けれど相手は魔軍じゃぞ? 援軍が40万も居るならともかく、自分たちより若干多いくらいでは、さしたる脅威は感じないじゃろうな。

 むしろ援軍の行動が遅いのを逆手にとって、臨淄を急襲するかもしれん」


「……確かに。あの魔軍を率いている奴ならあり得ます」


 椿は臨淄の城壁から見た魔軍の陣容を思い出してうなずく。奴らは人間を完全に舐めていた。攻囲しているはずなのに陣地も付け城も作ってはいなかった。


「確か臨淄には方士隊があったと言っていたな。彼らじゃ相手にならないのか?」


 菖蒲が訊くと、椿は目を閉じて首を振った。


「なかなかの仙力を持った隊長でしたが、如何せん数が少なすぎます。わずか1旅(5百)では、仮に5百人全員が隊長程度の仙力を持っていたとしても、せいぜい1万を押し留められれば御の字でしょう」


「ではどうすればいいでござるか? どうにかして臨淄を助けたいでござるよ」


 姜黎が『青海波』の鞘を握りながら言うと、芍薬は困ったように微笑んで


「君子、花王殿、何か妙案はありませんか?」


 そう二人に問いかけた。


 菊は難しい顔をしていたが、急ににぱあっと笑うと言った。


「そうじゃな、こうなったらハッタリをかますしかないのう。手品みたいなものじゃがな」



「いかんな、奴らは本気を出して来やがるみたいだ」


 臨淄の城壁から魔軍の様子を観察していた方士隊隊長の黄洪は、いつもと違って敵陣の上に殺気のようなものを感じて腕を組む。


(使者は無事に郲や即墨に着いた。関杜宣殿や呂鮮念殿はそれぞれ援軍を率いてこちらに向かっているという。奴らは援軍の到着までに勝負カタを付けるつもりなんだろうな。本当に腹立たしいぜ)


「……とにかく、みんな気付いちゃいるだろうが、一応全員に注意しとかないとな」


 黄洪はそうつぶやくと、懐からヒトガタを取り出して放り投げる。ヒトガタは生ぬるい夜風の中でいくつかに分かれ、城の各所へと飛んで行った。


「……よし、全員そろったな」


 黄洪は、方士隊5百人を城壁前の広場に集めると、ゆっくりとみんなの顔を見回して話しだした。


「俺が全員を集めて話をするってことは、状況に変化があったってことだ。そして残念だがその変化は喜ばしいものじゃない」


 黄洪はそこで隊員たちを見渡す。ほぼ全員が何かしら覚悟を決めた表情をしていた。


「だいたい分かっちゃいるだろうが、敵陣の様子がおかしい。奴らは恐らく明日、総攻撃をしかけて来ると思われる」


 黄洪が言うと、ほとんどの者が目に殺気を込めうなずき、場の空気はピーンと張りつめる。戸惑いや恐れといった感情が全くと言っていいほど感じられなかったことが、黄洪にとって救いではあった。


「妖魔の手強さは、方士たる者よく知っていると思う。

 だが俺たちはバケモノをやっつけて臨淄に住んでいる人たちの命を守ることを期待されている。これは普通の兵士たちじゃできない相談だぞ?

 その期待に応えるため、命を大切に戦うんだ。班ごとに戦い、決してバラバラにはなるな。

 即墨や郲からの援軍の到着まで城壁を守り切れれば、俺たちの勝ちだぞ」


 隊員たちは悲愴な顔色をしていたが、『援軍の到着』と聞いた途端、パッと表情を明るくした。この臨淄は見捨てられたわけではないと悟ったのだろう。


「そうだ、援軍だ。関杜宣将軍と呂鮮念将軍が4万の兵を率いてこちらに向かっている。俺たちは孤城にいるんじゃない。希望を持って戦うぞ」


 おうっ!


 黄洪の訓示に、5百人の隊員たちは天に沖するような声で応じた。

 黄洪はその声に満面の笑みと自信満々の態度で応えたが、心の中では


(先ずは、これくらいだな。少なくとも妖魔の第一波は撃退したいものだが。緒戦に勝つと負けるとでは、その後の士気がぜんぜん違うからな)


 そう考えていた。


 黄洪が方士隊を見つめて決戦時、不測の事態にどう対応すべきかを密かに考え始めたとき、不意に空間が歪み朝顔と山茶花が姿を現した。


「へえ、妖魔がぎょうさん爪を研いでんのに、この部隊は元気やなあ。これは加勢のしがいがあるっちゅうもんや」


 驚き騒ぐ方士たちをしり目に朝顔がそう言うと、山茶花は桃色の瞳を黄洪に当てると、にっこり笑って言った。


「お久しぶりです、黄隊長。使者の皆さんは無事に即墨や郲に着いたようでなによりですね?」


「おっ、そなたは確か華将のサザンカ……」


 黄洪が驚いて言うが、山茶花は冷たい目で黄洪を見てつっけんどんに言い放った。


「あたしは『サンザカ』よ。酒仙が戯れに言った言葉が人口に膾炙しちゃったけれど、せめてあたしを知る人間だけは正式な名で覚えてほしいものだわね」


 それを聞いて、黄洪は面目なさげに頭を掻いて謝罪する。


「これは失礼いたしました。以後気を付けるのでお許しください。ところでどうしてここに? 明日には妖魔たちが攻めてくる可能性が高いのですよ?」


 山茶花は、心から心配そうに言う黄洪の顔を見て、今度は満足そうな笑顔をして答えた。


「あら、あたしのことを心配してくださるのね? でもこの間お会いした時も言いましたよ? あたしは華将、鬼神の端に連なるものだと」


 そう言いながら黄洪に近づくと、まるで甘えるように身体を摺り寄せて、


「あたしたちは、あなた方の加勢をするために臨淄にやってきました。明日、妖魔たちの攻撃があることは華将である君子・菊も見破っていますからね」


 そう言うと、朝顔を見てうなずき、黄洪や方士隊に微笑んだ。


「ですから、華将牽牛と一緒に、あたしたちも臨淄の防衛に一臂の力をお貸しします。黄隊長や方士隊の皆さんも、大船に乗ったつもりで伸び伸びと戦ってください」


「せやせや、うちらが来たからには妖魔の3万や4万、物の数やあらへんで? 古の本にも書いてあるとおり、うちら華将は一人で数軍に匹敵するさかいな」


 朝顔も、頭の後ろで手を組んで、ニコニコしながら言う。その屈託のない笑顔を見て、方士隊の隊員たちにも言い知れぬ安心感が生まれてきた。


「かたじけない。お二方が来てくださったおかげで、隊員の顔色も常に戻って来たようだ。これなら明日は少なくとも負けない戦いができそうだ」


 黄洪が安堵の表情で言うと、朝顔は碧眼に力を込めて黄洪を叱るように言った。


「あんた隊長やろ?『負けへん戦い』なんて時化しけたこと言うんやないで? そこはもっとカッコよう『絶対勝つで!』て言わなならんとこちゃうか?」


「ま、確かにあたしたちがついているのに、ちょっと消極的かなとは思いますわ」


 山茶花もくすくす笑いながら言う。


 黄洪は、そんな二人を見て、戦を明日に控えているというのに不思議と心が伸びやかなのを感じ、うなずいて方士隊に言った。


「みんな、聞いてのとおりだ。このお二方がいらっしゃる限り臨淄はちない。必勝の精神で戦おう!」


   ★ ★ ★ ★ ★


 明日の総攻撃を前にして、魔牧・鉄血が率いる魔軍は勝ちを確信し、前祝いのような宴席があちこちで開かれていた。


 何しろ戦いとそれに付随する楽しみを目当てに本拠の平原から出てきたのにも関わらず、10日間もの間、城壁の上にいる旨そうな人間たちに手も出せずただ悪態をつくだけの毎日に飽きてきたところだった。


「ひっひっひっ、久しぶりに人間の子どもや女が食えるな」


「ああ、あいつらが真っ青な顔をして泣き叫び、命乞いをするのを聞きながら食らいつくのは何度やっても最高だぜ」


「それに名のあるやつを討ち取れば、ご褒美にもありつけるしな」


 そんなことを話しながら、妖魔たちは酒や肉を堪能するのだった。


 しかし、そんな陣内の雰囲気とは裏腹に、明日の作戦に一抹の不安を覚えている者がいた。魔軍校尉の夜蛾である。


「ふむ、臨淄に不思議な揺らめきがある。今日の昼までは何も感じなかったが……援軍とは別の加勢が来たのか? いや、あの城にはアリ一匹入れる隙間はないはず」


 不思議に思った夜蛾は、かなりたくさんのヤママユガを使い魔として臨淄に送り込み偵察させたが、どうしても不思議な揺らめきの正体が分からなかった。


「面妖ですね。虎堅果が取り逃がした使者のほかにも、西の方面に援軍を乞う使者が出ていたのかもしれないわ」


 夜蛾はそうつぶやくと、星空を振り仰ぎ眼を閉じて眉を寄せる。彼女は何かを忘れているような気がしてならなかったのだ。


(……どうも、戦いの潮目が変わりつつあるような気がする。それが何によってもたらされたかは分からぬが、いったん平原(根拠地)に戻った方がいいのかもしれない)


 夜蛾はそう考えて、鉄血に意見を具申しようと思ったが、陣内のはつらつとした雰囲気や、先鋒が戦上手の呉操であることも鑑みて、


(まあ、私がいくらいぶかしく感じていても証拠がないし、鉄豺狼様もいったん決めたことを簡単にはひっくり返しはされないでしょう。幸い私の部隊は後詰でもあるから、不測の事態に十分気を付けておけばいいわ)


 そう考えを改めて、自分の陣地へと引き返してしまった。


 臨淄の内外で両軍が決戦への気持ちを高ぶらせていた時、曲阜ではちょっとしたゴタゴタが起こっていた。


「じゃから、応竜様は鶺鴒殿と共に曲阜を守っておいていただきたいんじゃ。平原の攻略と魔軍の殲滅は我ら華将にお任せあれ」


 作戦を立てた華将・菊が、難しい顔で黙りこくっている姜黎に、噛んで含めるかのように説明する。


「今回の目的は臨淄の救援、しかし臨淄を攻囲しておる魔軍は3万を超える。

 わしら華将は『花精』という使い魔を呼び出して軍を編成することはできるが、今のところ目覚めたばかりで各々の『郷天』に十分な仙力が溜まっておらず、一人がせいぜい1旅(5百人)を集められれば御の字じゃ」


「それは以前聞いたでござる。さればこそ、拙者もそなたたちと同行し万全を期したいのでござるよ」


 姜黎の瞳は強い光を放っていたが、まだ顔色は悪く肩で息をしていた。


「姜黎さま、お気持ちは解りますが、万全でない中で戦いに臨み万が一のことがあったら、わたくしも華将の皆さんも戦う意義を失います。

 師匠の天権様もおっしゃっていましたが、この世の中から妖魔を払除するには応竜の存在が欠かせません。わたくしは『退魔が自分の使命』との姜黎さまのお言葉を忘れておりません。であるなら、ここは自重していただきたく存じます」


 鶺鴒は怒ったような顔で説得する。


 華将のまとめ役である芍薬も、細い眉を困ったように寄せて言う。


「応竜様、私ども華将に対しそこまでお心をかけて頂き、とてもありがたく思います。

 けれど私どもは応竜様の許で戦う鬼神、魔を祓うことと同じように主人たる応竜様のご無事も大切なことでございます。

 今回の作戦、君子はまだすべてをご説明しておりません。まずは君子の説明をお聞きいただけませんか?」


 そして姜黎の返事を待たずに、菊を振り返って促した。


「君子、説明を頼みましたよ?」


 菊はうなずいて姜黎を見つめ、薄笑いを浮かべて言った。


「少ない兵力で臨淄を助けるにはどうすればいいか? 簡単じゃ、殴り合いには加わらず、魔軍の弱点を突けばよい。

 では弱点とはどこか? 応竜様、以前も申し上げたが、魔軍は平原へいげんを根拠として、大半の物資はまだそこにある……あとは拙が言わずとも解られるじゃろう?」


「……ふむ、そして本拠の危機に急いで取って返してくる魔軍を伏兵で待ち受ける……そう言うことでござるな?」


 菊は莞爾とした笑いを浮かべてうなずいた。


「さすがは応竜様じゃ、いらん説明をせんと済む」


「そう言うことです。万が一、魔軍がこちらに別動隊を回した場合が怖いですので、応竜様には曲阜の守りをお願いいたしたいのです。お引き受けいただけませんでしょうか?

 ここを応竜様と鶺鴒殿に守っていただければ、私どもは後顧の憂いなく戦えますので」


 芍薬の言葉に、姜黎は笑顔でうなずいた。



 決戦の日は、血のような朝焼けから始まった。


「美しい朝焼けだね。まるで臨淄の運命を暗示しているようではないですか」


 魔軍の大将、魔牧・鉄血は赤い空を振り仰ぎ、満足げにそう言って笑う。


 臨淄は魔軍の完全な包囲下にあり、外との連絡の術はない。援軍もまだ姿を現していない以上、城を護るのはわずかに1師(2千5百人)、3万を数える魔軍が押し寄せれば鎧袖一触……そう考えていた。


「旗を立て、勢威を示せ。さすれば城兵は我が軍の攻撃があると思って配置に就くであろう。最大の緊張を与え続けて、正午までには奴らの心身を疲れ果てさせるのだ」


 鉄血の視線を受けた魔軍校尉・夜蛾は全軍にそう指示する。鉄血がうなずいたのを見た伝令は、サッと本陣から飛び出して配下の軍に命令を伝えた。


「ほう、あれだけ旗が林立したら敵ながら壮観なものだな」


 臨淄の城壁の上では、最前線の守りを承る方士隊の隊長、黄洪が手をかざしてそうつぶやいたが、


「……だが、旗に殺気がない。これは華将殿たちが言うとおり、午前中の攻撃はないかもしれないな」


 傍らに立つ朝顔と山茶花を振り返って言う。


 山茶花は含み笑いと共に首を横に振り。


「華将・菊によると、戦はしょせん騙し合いだそうです。そこで、こちらは敵の望みどおり兵を配置に就かせましょう。でないと敵将の気が変わって、今すぐ寄せてくるかもしれません。兵たちには気の毒ですが、持ち場でゆっくりしておいてもらいましょう」


 それを聞いて、黄洪はうなずいて城壁の下で整列している方士隊に命令した。


「持ち場に就け。敵の動きに対応できるようにしながら、持ち場でゆっくり英気を養え」


 方士たちが三々五々持ち場に向かうのを見て、焦れったそうに朝顔が山茶花に訊く。


「なあ、山茶花。うちらはいつ奴らに仕掛けるんや?」


 山茶花は、昇り行く朝日を眩しそうに眺めながら答えた。


「姉の椿は言っていました。『多勢を相手にするには勢いを削げ』と。奴らがこの城にかかろうと展開した瞬間を狙いましょう」



「では応竜様、って参ります。決着がついたらお知らせいたしますので、それまでは曲阜の守りをお願い致します。

 鶺鴒殿、応竜様を頼みましたよ?」


 華将・芍薬は紅色の髪の下に光る琥珀色の瞳を姜黎に当てて言う。左右には菖蒲と椿が控え、後には菊が静かに立っていた。


「ああ、任せるでござる。芍薬殿、椿殿、菊殿、それから菖蒲、そなたたちも十分気を付けるでござるよ」


「はい、姜黎さまのことは、わたくしがこの身に代えてもお守りいたしますからご心配なく。皆さんのご武運をお祈りいたします」


 姜黎と鶺鴒がそう答えるのを聞いて、芍薬はニコリと妖艶な笑みを残し、


「では、華将花精軍はすぐに呼び寄せられるよう準備をしておいてください。参りますよ皆さん」


 そう言うと、四人の姿は虚空に消えた。


「姜黎さま、お疲れでは? お顔の色が少し優れないようですが?」


 四人の気配が消えると、鶺鴒は姜黎の顔をのぞき込みながら訊く。姜黎は首を振ると


「心配無用でござる。それより早く守りを固めねばならん。手伝ってくれぬか?」


 そう鶺鴒に頼んだ。

 鶺鴒は黄色のメッシュが入った黒髪をかき上げると、


「曲阜の側まで妖魔に来られては面倒です。臨淄と曲阜の途中に青陵という隘路がございます。そこで妖魔を食い止めましょう」


 そう提案して来た。


「……確かに青陵はここに来るには必ず通らねばならぬ場所でござるが、一体どうやって妖魔たちを叩くつもりでござるか?」


 姜黎が訊くと、鶺鴒はこともなげに答える。


「式神を使います」

「式神を?」

「はい。翔鶴、瑞鶴、これへ」


 鶺鴒が静かに言うと、彼女の両脇に武装した童子が姿を現す。どちらも狐の面を被り、水干・直垂に革鎧を着込んで弓を肩にかけていた。


「蝦色の直垂が翔鶴、紫紺の直垂が瑞鶴です」


 鶺鴒はそう言うと、二人の童子に


「話は聞いていたでしょう? 中有推命雷桜帝君の名において、風塵不留真君が命じます。青陵の険を塞ぎ、妖魔の一匹たりとも通さないように」


 厳かにそう言うと、二人の童子は叉手の礼をして消えた。


 鶺鴒はフッと短いため息をつくと、姜黎を振り返って


「あの二人は天権様がわたくしに付けてくださった式神です。彼らが行けば、めったなことでは青陵は越えられないでしょう。たとえそこを越えてもわたくしが出ますので、姜黎さまはゆっくりと養生してくださいませ」


 そう、輝くような笑顔を見せた。



 平原は濁河の畔にあり、海にも近い町である。


 青州から幽州、特に臨淄と北平とも言われる薊を結ぶ街道の途中にあり、交通の要衝だったのみならず、製塩でも有名な場所だった。


「……なるほど、妖魔たちにとっても垂涎の的なわけだな。だから殺された人間が比較的少ないのか」


 菖蒲が言うと菊は胸糞悪そうな顔でうなずく。


「そうじゃ、製塩の技術を知っている者は生かされておる。それと鉄を作る集団もな。

逆に言うとそれらの特殊な技術を持たない農民や商人は、()()()()()()になぶり殺されたというわけじゃ」


「いや、そこは『十把一絡げ』だぞ? ところでいつ平原に突っ込むんだ?」


 菖蒲が訊くと、空を見上げて太陽の位置を確かめていた芍薬は、


「あと半時(1時間)もすれば正午です。君子、どうしますか?」


 菊にそう訊いた。


「魔軍に平原が襲われたという知らせが届くとき、牽牛殿と燎原がある程度損害を与えておれば最高じゃのう。二人のことじゃから、四半時(30分)もあれば魔軍に相当の損害を与えるはずじゃ。ここから臨淄まで妖魔の脚で一時かかると見積もれば、もう突っ込んでもよい時間じゃな」


 菊の答えを聞いて、芍薬は菖蒲と椿に言った。


「では、今から1刻(15分)後に作戦を開始いたします。花剣は左翼を、花王殿には右翼を受け持っていただきます。君子は私の部隊に続いてください」


   ★ ★ ★ ★ ★


 日が中天にかかり、遂にその時が来た。


「よし、皆の者、かかれっ!」


 魔牧・鉄血豺狼は、大声で臨淄への総攻撃を命令した。


 ヴオオオー、ヴオオーッ!

 ジャーン、ジャーン!


 ほら貝が吹き鳴らされ、銅鑼が派手な音を立てる。その合図を受けて、魔軍の先鋒たる魔軍校尉・呉操率いる1万が動き出した。


「奴らはこんな時刻から攻撃があるなんて想像もしていねえぜ。一番乗りした奴にゃたーんと褒美を取らせるぞ!」


 呉操はそう叫びながら、自身も鉾を持って駆け出した。


「来やがったぜ。まずはあのお二人に任せる。華将の攻撃をすり抜けて城壁に取り付いてきやがった奴を叩くんだ」


 黄洪は、砂煙を上げて近づいて来る呉操の部隊を恐れげもなく眺めながら、落ち着いた声で方士たちに命令した。


 呉操は城壁まであと百歩ほどに近づくと、


「敵の矢に注意! 上から来るぞ、気を付けろ!」


 そう兵たちに注意したが、案に相違して一筋も矢が降って来ない。


「はっはっはっ! 奴ら、怖気づいて守りを放棄してやがるぞ。遠慮なく城壁を乗り越えろ!」


 呉操が笑いながら叫んだとき、


「お楽しみのところ申し訳ございませんが、この城が欲しいならあたしたちを倒す必要がございましてよ?」


 そう言う声と共に、桃色の髪をして水干に桃色の袴を穿き、腰に大小の刀を差した少女が現れた。

 その少女は14・5歳の可憐な姿をしていたが、逆立った桃色の髪と琥珀色の瞳から、呉操を戸惑わせるほどの仙力が放出されていた。


「全軍、止まれっ!」


 呉操はただ勇猛なだけの猪武者ではなかった。戦いの中でそれなりの経験は積んでいた。


「……その仙力、貴様、ただの嬢ちゃんじゃねえな? 俺は魔牧・鉄血豺狼様の部下で魔軍校尉・呉操、字は滴蘭。貴様の名を聞いておこうか」


 呉操が先頭に出てきて名乗りかけると、少女は冷え冷えとした声で名乗った。


「ふん、河童がおかの上でイキってんじゃねえよ。そんなセリフを聞くと右手が疼いてきちまうんだよ。

 あたしは双眸郷の住人、華将六花の火将・燎原(りょうげん)山茶花(サンザカ)未敷蓮華(みぶれんげ)の花が芳香を放って瑠璃光世界を荘厳(しょうごん)し、アンタらのことを待ってるよ。おとなしくそっ首を渡しな、この豚野郎!」


 山茶花はそう名乗ると、両刀を抜いていきなり呉操に斬りかかった。


「やっ!」

「おっ!」

 シャリーン!


 呉操は慌てて山茶花の刀を弾くと、部隊の指揮も執れないまま山茶花との決戦に入ってしまう。


「校尉殿を助けろ!」


 呉操の部下が山茶花に斬りかかろうとした時


「ちょい待ちぃな。あんたら雑魚はうちがまとめて相手するで!」


 そう叫びながら、朝顔が妖魔たちのど真ん中に突っ込んできた。


「うちは淡恋郷の住人、華将六花の艮将・牽牛朝顔や! とりあえずあんたらはそこで立ちんぼやで、釣瓶取花つるべとるはな・縛!」


 朝顔は左手に小太刀を逆手に持ち、右手で剣印を結んで仙力を開放する。妖魔たちはたちまちアサガオの蔓に身体の自由を奪われてしまった。


 ガアアッ!


 妖魔たちはなんとかして蔓を切ろうと身体を動かすが、動けば動くほど締まってくる蔓に最後は、


 ギエエエーッ!

 ブシュッ!


 身体を切断されて果てる妖魔が続出する。


「よーし、ええ子や。次行くで? 消如松露しょうろのごとくきゆ・散!」


 朝顔が次の仙力を開放すると、彼女の周囲半径2里(約500メートル)の空間が紫紺の霧に覆われた。


「ガアッ!」

「ぐえっ!」


 その霧の中で、妖魔たちはもがき苦しみながら消滅していく。


「へん、六花将が全員そろったから、うちの仙力も強うなっとるやん。もうしばらくすれば次の技も使えるようになるんとちゃうかな? 楽しみやで」


 朝顔はそう独り言を言うと、小太刀を持ち直して妖魔の群れに突っ込んで行った。



「くっ! 俺の同胞をよくも!」


 呉操は朝顔に斬りかかろうとするが、


「待てこの河童野郎! せっかくあたしが相手してやってるのに失礼な野郎だな。そんなに朝顔と戦いたいなら、あたしが朝顔の代わりにアンタの子分をこうしてやんよ」


 山茶花はそう言うと身体を紅蓮の焔で覆い、


「行けーっ! 火焔之鳳かえんしほう!」


 その炎を両刀に乗せ、ぶうんと振りぬくと、炎はまるで意志ある翼のように飛んで行き、呉操の兵たちを2・30匹まとめて焼き払った。


 ズバンっ!

「ガアッ!」「ぐえっ!」「おごっ!」

「くそっ!」


 朝顔を追跡しようとしていた呉操だが、山茶花の技を見て


(これは全力で戦わないといけない相手だ!)


 そう直感し、再び山茶花へと向き直る。


「気が変わったかい? じゃ、あたしが遊んでやんよ。『半分本気モード』でね? 焼尽之舞しょうじんしぶ!」


 山茶花は呉操が再び自分の方を向いたのを見て、身体中をパッと炎で覆い尽くした。


(やはりこいつはただの方士じゃなさそうだな。ひょっとしてこいつが虎堅果の姐御を?)


 そう思った呉操は、嘴の端を歪めて


「……一つ貴様に訊きたい。虎蘭堅果という虎人を知ってるな?」


 呉操が鉾を取り直してそう訊くと、山茶花はサディスティックな笑みを浮かべながら呉操を挑発するように言う。


「虎人? ああ、姉の椿が討ち取った間抜けか。安心しな、アンタもすぐソイツのところに送ってやるからさ」


「抜かせ!」

 シュッ!


「とろいよ!」

 カーン、ビュッ!

「くっ!」


 山茶花は左手の小刀で呉操の鉾を弾くと、右手の大刀で斬り付ける。呉操は大きく後ろに跳んで斬撃を避けた。

 山茶花は全身を紅蓮の炎で覆っている。その炎が斬撃波と共に呉操に襲い掛かって来たからだ。


(くそっ、こいつはいったい何者なんだ? こんな奴がいるなんて聞いちゃいねえぞ)


 呉操は鉾を構え直しながら思う。突然現れた二人の少女。見た目は人間そのものなのだが、まとっている仙力が呉操の知っているどんな方士ともけた違いだった。


(名乗りから推理すると、こいつらは仙人か? だとしたら)


 呉操は瞳のない緑の目で山茶花を睨みつけると、


「小娘、お遊びは終わりだ。妖魔の本当の恐ろしさを見せてやる」


 そう言って、体の表面を水の膜で覆った。


(ふっ、奴は火を使う。だったら水の妖魔である俺の方が有利だ)


「虎蘭姐御の仇め、これを食らえ!『水檻囚すいかんしゅう』だ」


 呉操が妖力を発動させると、山茶花の周りに水球がわき出てきた。それは呉操を中心にゆっくりと回り始める。


「ふん、そいつに捕まったら、割れるまで息ができなくなるって寸法だね?」


「割ることができたらな。水球こいつの中身は毒だから、たいていの奴ぁ捕まった瞬間にお陀仏さ」


 呉操が得意げに言うと、山茶花はニタリと笑った。元が可愛いだけに、その笑みは悪魔のそれのようだった。


「わざわざ貴重な情報を教えてくれてアリガトさん。お礼にアンタは苦しまずに瑠璃光世界へ送ってあげるよ」


 山茶花はそう言うと、


「未敷蓮華の花の香は、地獄の焔に良く似たり。体感せよ、燎原之炎りょうげんしえんを!」

 ドバンっ!

「げっ!?」


 仙力を開放した瞬間、彼女の周囲半径1里(約250メートル)は一瞬にして炎の海と化し、呉操は地獄の業火に包まれる。


「うがああああっ!熱いっ! 皿の水が蒸発する!」


 呉操は地面を転げまわって炎を消そうとするが、地面そのものが業火を噴出しているのだ。彼の自慢の『水檻囚』は一瞬にして蒸発していたし、体表を覆っていた水の妖力も業火に削られて、体表はひび割れ始めていた。


 山茶花は、転げ回る力もなくなり、猛火の中で炭となって行く呉操を楽しげに眺めながら、


「アンタ、華将が何者か知らなかったんだね? あたしたち華将は妖魔調伏のために生まれた、応竜様の眷属たる鬼神。全員が2千年を超える時を生きてきたのさ。

 次も妖魔に生まれてきたら、相手を見て喧嘩を吹っかけるようにしな、消し炭河童野郎」



「呉操の部隊は何やってんだい? まだ城壁に取り付けないなんてアイツらしくないね」


 じりじりと照り付ける太陽の日差しを受けながら、呉操軍が城門を開くのを待っていた魔牧・鉄血は、赤い瞳を持つ鋭い目を更に鋭くして吐き捨てる。


「……待ちくたびれたよ。我も押し出すぞ、法螺を鳴らせ!」


 ついにしびれを切らした鉄血は、愛用の方天戟を手に床几から立ち上がると、側に控えていた法螺手に命じる。


 法螺手が貝を吹き鳴らそうとしたその時、前線の呉操軍からの伝令が転げ込んできて、衝撃的な事実を報告した。


「た、大将、呉滴蘭様お討ち死にですっ!」


 それを聞いて、鉄血は一瞬何のことだという顔をしたが、伝令が重ねて


「呉滴蘭様はお討ち死に。麾下の部隊もほぼ2割を失って敗走しています」


 そう報告すると、我に返ったように


「何っ!? あの戦上手の呉操が討ち死に!? でもどこにも敵軍は見当たらないではないか」


 そう噛み付くように伝令に訊く。


 伝令は地面に頭をこすり付けて、釈明するように言う。


「私は詳しいことは分かりませんが、突然現れた二人の少女のうち一人が呉滴蘭様を討ち取り、もう一人が暴れ回ったのです。今噂に聞く、我々同胞を手にかけている方士とその式神かもしれません」


「……いや、その方士は姜則天とかいう男だそうだ。見た目が少女なら新手の敵だ。こうしてはおれぬ、我が出てその方士たちを血祭りに……」


 鉄血がそう言いかけた時、呉操の敗死以上の衝撃的な知らせを持って、後詰にいた魔軍校尉の夜蛾が訪れた。


「鉄豺狼様」

「おお、夜蛾か。ちょうどいい、呉操が討たれたそうだ。我が退勢を挽回するので、本陣の位置まで前進してくれぬか」


 血相を変えて言う鉄血に、夜蛾は首を振って言った。


「臨淄どころではない報告が入りました。我が本拠の平原が敵に奪取され、物資をすべて奪われました。すぐに奪回せねば、わが軍は立ち枯れてしまいます」


 この報告を聞き、鉄血は頭を鈍器で思いっきり殴られたように一瞬よろめいたが、すぐに立ち直り、


「何たることだ! 守兵は何をしていた!? 7千5百もいて平原を守れなかっただと?」


 嚇怒して夜蛾に訊くのであった。


 夜蛾は静かに、


「判明していることだけ申し上げますと、相手は約2千ですが、とんでもない強さだったそうです。留守を任せていた魔軍校尉の甘持宝と班伍州はあっという間に討ち取られたと、生き残った廉孔雀が言っておりました」


 そう言うと、いきり立つ鉄血をなだめるように、


「鉄豺狼様、私は廉孔雀の話を聞いて、相手は華将なのではないかと思っています。

 ご存じのとおり華将は昔、蚩尤陛下が天下の権をほぼ手中に収めた時、最後の土壇場でそれをひっくり返して蚩尤陛下を封印した応竜の眷属たる鬼神。

 もし彼女らが目覚めたのだとしたら、当然応竜も目覚めているはずです。ここは臨淄を諦めてでも本拠を奪回し、幽州の魔牧・業電解殿や并州の砕群狼殿、兗州の髑餓狼殿、徐州の崔志権殿と連携し、できれば北部魔王の周恋愛様にもご出馬を願った方が良いかと考えます」


 そう献策する。


 鉄血は夜蛾の言葉を聞き、怒りを鎮めて眉を寄せていたが、


「……兵はいかほど残っておるか?」


 夜蛾に訊くと、彼女はすぐさま答えた。


「ここに2万5千、廉孔雀が連れてきた兵が5千ございます」


 すると鉄血は臨淄の城壁を血走った目で睨んでいたが、


「よい! 華将とやらを始末すれば、いつでも手に入る城だ。夜蛾、すぐに平原に向かうぞ。華将とかいう鬼神の風上にも置けぬ奴らを叩きのめし、本拠を奪回するのだ」


 そう吐き捨てるように言った。


(其の六 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

先週は体調を崩したため投稿できなかったことをお詫びいたします。

さて、物語はこれから六花将が『将』たるゆえんを紐解く形になります。その昔に起こった『魔寇』について、少しずつ書いていきたいと思っていますのでお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ