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六花の乙女たち〜大秦帝国退魔志演義  作者: シベリウスP
5/11

其の四 花相の微笑は悪業を砕き、妖魔の蠢動は邯鄲の夢と散る

新たに仲間となった菖蒲と共に邯鄲を訪れた姜黎と朝顔。

そこで菖蒲は新たな仲間の気配を感じ……。

第三、第四の華将の登場です。

 石家庄を後にした姜黎たちは、洛陽府を除けば中原でも一二を争う大都市・邯鄲かんたんまであと2・3日というところまで来ていた。


 桃の花や梅の花は散り、梨の花が白いじゅうたんをあちこちで見せていたが、


「せっかくの花もこの雨で散ってしまうでござろうよ。に無情の雨とはよく言ったものでござる」


 宿屋の窓際に座り、降りしきる雨を眺めていた姜黎はそうつぶやくと、


「観窓外雨音(雨音に窓の外を見る)

 心無散梨花(心無く梨の花は散る)

 雖降雨無情(降雨、無情といえども)

 冀給賀残花(こいねがわくば、残る花をよみし給わんことを)」


 低く詩を吟じる。


 すると、部屋の入口近くに、青い長髪に青い瞳をした女性が姿を現して言う。


「応竜様の詩はとても優しい。我々華将には雨に打たれて散り逝く花弁の無念と諦観の声が聞こえるが、応竜様にもそれが聞こえるのだろうか?」


 すると応竜と呼ばれた若者は、その女性に向かって


菖蒲ショウブ殿、そんなところに突っ立っていないで、卓に着くといいでござる。それと、拙者のことは応竜ではなく……」


 そう言いかけた時、もう一人、青く見える亜麻色の髪に、深い海の色をした碧眼が印象的な少女が姿を現して、若者の言葉を引き取って茶化したように言う。


「はいはい、『拙者の名は姜黎、字は則天』やって言いたいんやろ? そんなんうちもアヤメも分かっとるがな」


「……牽牛けんぎゅう朝顔、我はアヤメではない、ショウブだ。まったく何度言っても間違えるのはわざとか? それともそなたはおバカなのか?」


 菖蒲が訂正すると、朝顔は遠慮も無く卓に位置を占め、姜黎に向かって言う。


「ええやん、うちもアヤメも応竜様のこと応竜様って信じとるんやから、うちらの好きに呼ばせてんか。あの鶺鴒も、アヤメが応竜様に仕えるのんを見て、応竜様に間違いないって天権とこに報告しに行ったんやで?」


 すると姜黎は大げさにため息をついて、


「分かったでござる。好きにするとよいでござるよ」


 そう朝顔に言い、菖蒲の方に視線を向けて訊いた。


「ところで菖蒲殿」


 すると菖蒲は、少し頬を染めて、


「そ、則天様。我は牽牛朝顔から『アヤメ』と呼ばれて則天様のお気持ちが分かった。則天様のお望みどおり応竜様とは呼ばぬ代わりに、我のことも牽牛朝顔同様『菖蒲』と呼び捨てにして欲しい。だ、ダメだろうか?」


 そう、いつもの菖蒲からは想像もつかないか細い声で訊くのであった。


 その思いがけない可愛さに、姜黎はわけもなく慌てて、


「しょ、承知したでござるよ。それで菖蒲、そなたは先ほど『花弁の声が聞こえる』と申していたでござろう?」


 そう、半ば強引に話題を元に戻した。


「は、確かにそう申しました。我ら華将は人間から特に愛でられし花の精を、六花・八星として黄帝陛下が選別された存在。よって他の草木や花の精の声も聞けるというわけです」


 菖蒲の答えに、姜黎は不思議そうな顔で朝顔を見て訊いた。


「朝顔、そなたも花の声を聞くことができるでござるか? 今まで一度もそんな話は聞いたことがなかったでござるが」


 すると朝顔はにんまりと笑って恥ずかしそうに白状する。


「えへへ、実はうちにはよう聞こえへんねん。なんとなーく雰囲気は分かるんやけどな?」


「牽牛朝顔は黄帝陛下から特別な真名を与えられているそうです。それを思い出し、最も大事な人から呼んでもらうことで真名が力を発揮すると、華将芍薬(シャクヤク)が申しておりました」


 助け舟を出すように菖蒲が言うと、当の朝顔まで目を丸くして


「ふわあ、うちにはそないな制約があったんや。すっかり忘れとったで。よう覚えとったなアヤメ、恩に着るで」


 そう言って笑う。


「華将芍薬でござるか。六花将というからには六人いるのでござろうが、朝顔と菖蒲、そして芍薬殿の他は誰がいるのでござるか?」


 姜黎が訊くと、朝顔と菖蒲は顔を見合わせて


「……応竜様、それも忘れてしもうたんか? 妖魔の呪いは思ったより深刻やな」


 朝顔が真顔で言う。


「まあ、呪術に最も耐性がある我でも思い出せぬことがあるからな。多少は仕方ないところもあるだろう」


 菖蒲はそう言うと、姜黎に


「我ら六花将は、花相かそう・芍薬をはじめとして君子くんしキク花王かおう椿ツバキ燎原りょうげん山茶花サンザカ、そして牽牛朝顔と我、花剣かけん・菖蒲の六人のこと。これに花神かじん牡丹ボタン軍配ぐんばい百合ビャクゴウを加えて華将八星になります。思い出されましたか?」


 と説明する。


 姜黎は目を閉じて菖蒲の話を聞いていたが、残念そうに首を振って言う。


「いや、菖蒲には済まないが思い出せないでござるよ」


「ま、ええって。うちと会うたあと六花将の話をしたとき、応竜様は八星虚園はっせいきょえんのこと知っとったから、他の六花将のことも会えば思い出すって。心配要らへん」


 朝顔がお気楽のんきに言うと、菖蒲もため息をつきつつも、


「確かに、焦ってもどうにもならぬこともございます。朝顔の言うとおり、ゆるゆると思い出していただければよいでしょう」


 そう言って笑った。



 その頃、姜黎と別れた鶺鴒は、天権たちが樊城はんじょうの南にいることを知り、一路荊州街道を南下していた。


(姜則天様……本当に素敵なお方でしたわ。あんなお方のお側にいられれば、わたくしは何も怖くありません。天権様にご報告した後、わたくしを則天様と同一行動させていただけるようにお願い申し上げてみましょう)


 鶺鴒はそう思いながら天権との会合場所に急いだ。


 天権は、そんな鶺鴒の心がよく分かった。

 まだ互いに数百里は離れているのだが、鶺鴒を幼い時分から見ている天権にとって、鶺鴒の心の不思議な高ぶりを感じ取ることはさほど困難なことではなかったのである。


「可愛らしいものじゃな、鶺鴒も」


 樊城の南、40里(約10キロ)にいた天権は、ふっと空を見上げてそう微笑んだ。


「天権様、今何か仰いましたか?」


 隣を歩く弟子の甘露かんろ、字は季姫ききが、赤毛の下に見える涼しげな碧眼を丸くして訊くと、天権は微笑を残した顔を横に振り、


「何でもない。別に気にすることはないぞ甘露」


 いったんはそう否定したが、甘露が鶺鴒のよき姉替わりを務めてきたことを思い出したのだろう、自分の言葉を取り消して甘露に言った。


「……いや、そなたには話しておいた方が良いことかもしれぬの。鶺鴒のことじゃ」

「……鶺鴒が何か困った事態にでも陥りましたか?」


 心配して訊く甘露に、天権はくすりと笑って、


「そうさな、困ったことと言えなくもないが……甘露、そなたは鶺鴒の姉替わりとして、あの子がどんな男性と縁があったらいいと思っているか聞かせてくれぬか?」


 思ってもいなかった問いに、甘露は目を丸くして、


「えっ!? 天権様、いったいどうなさいましたか? 男女のことなど一切言の葉に上らせたことのない天権様が、鶺鴒と似合う男性のことを訊かれるなど」


 と訊く。天権は微笑みながら首を振って、


「鶺鴒は運命の相手と出会ったと気持ちが高ぶっておるようじゃ。人間に対し警戒心が強かった鶺鴒の心を融かした人物とはどういった男性なのか、いささか気になっての」


 そう言う天権であった。

 甘露もまた、優しい微笑みを浮かべて言う。


「そうですか、鶺鴒にも春が来たのですね? あの子は自分の心の中を他人に容易に見せる子ではないので、一人で生きて行くのはつらいことだろうと心配していたのです。

強がりで素直になれない鶺鴒ですから、その強がりを見抜いていながらもそっと手を差し伸べてくれるような殿方なら、あの子に似合うと思います」


「うむ、確かにそうじゃな。ああ、それから甘露、李甫りほ杜章としょうにはまだこのことは内緒じゃぞ? 何にしても鶺鴒が出会ったという男性が応竜であるかないかを判断してから、あの二人に話すとよかろう」


 小声で言った天権は、遠く北の空を見上げて、


「鶺鴒は樊城の近くまで南下してきているようじゃ。我らも急がんといかんな」


 そう言って、一瞬鋭い瞳をした。



 天権たちと鶺鴒が樊城の中で会同したのは、その日の午後だった。


「天権様、ご命令によって捜索しておりました応竜様は、現在、邯鄲のまちに向かっておられます。姜黎、字を則天と名乗っておられ、歳のころは20歳前後。金色の髪を蓬髪にし、瞳の色は高く澄んだ空の色でございます。

黒い戦袍の上から緋色の狩衣を着て緋色の括袴を穿き、腰には片刃の直刀を佩いておられます。魔軍校尉との戦いを見届けましたが、仙力も刀術も見事なものでございました」


 鶺鴒は、天権にそう報告する。その頬が上気しているのは、姜黎という存在にひどく心を奪われている証左と言えた。


「鶺鴒、そなたは姜則天殿が闘う姿を確認したと言ったな。どんな術式で、どのような戦いぶりを見せたかをもっと具体的に話してくれんか?」


 天権の弟子の中で最も年長であり、いわば塾頭格の李甫、字は小伯が訊くと、鶺鴒はうなずいて、


「剣術と体術を合わせた戦い方でした。また、主に刀禁呪を使っておられました……」


 いったんそこで言葉を切った鶺鴒は、李甫だけでなく天権たち全員に聞かせるように言葉を継いだ。


「……それに、華将朝顔を連れておられました。私が共に旅をしている間に、華将菖蒲が姜則天殿の配下に加わりましてございます」


「華将朝顔と菖蒲……」


 漆黒の瞳を持つ目を細めて李甫がつぶやくと、


艮将ごんしょう牽牛と震将しんしょう花剣か……天権様が申された六花将が次々と目覚めておるようだな」


 茶色の瞳に茶色の髪をしたやせぎすの男がそう言う。


「仲謀、六花将とは?」


 李甫が訊くと、仲謀と呼ばれた男の代わりに、甘露が答える。


「昔、蚩尤しゆうが天下を荒らした時、黄帝陛下の命を受けた応竜が引き連れていた眷属です。花相・芍薬、花剣・菖蒲、君子・菊、花王・椿、燎原・山茶花、牽牛・朝顔の六将で華将六花。それに花神・牡丹と軍配・百合を加えて華将八星になります」


「うむ、いずれ劣らぬ鬼神たちじゃ。応竜も四霊筆頭として南に重きをなしていたが、その気配は20年ほど前から消えておった。今、鶺鴒が巡り合ったという姜則天こそが、応竜の気を持つ方士じゃろうな」


 天権が言うと、鶺鴒はおずおずとした様子で切り出す。


「それで、その、天権様にお願いがございます」

「何じゃ、わらわに頼みとは?」


 天権が訊くと、鶺鴒は顔を真っ赤にして、それでも決意を顔に表して言った。


「わたくしを姜則天様のもとに派遣していただきたいのです」


 鶺鴒は、そう簡単に許しが出ることはないと覚悟していたが、案に相違して天権はあっさりとうなずいた。


「よかろう。今後の動き次第では姜則天殿との密接な連携が必要になるじゃろうからな」


 余りすんなりと許可が出たため拍子抜けする鶺鴒に、天権はいつもの優しい笑顔を向けて注意した。


「鶺鴒、何度も言うが姜則天殿の足手まといにならんよう気を付けよ。特に華将とは仲違いせぬようにな。夜叉の機嫌を損ねると、後が厄介なことになるからのう」



「天権様も思い切ったことをなさるものだな」


 鶺鴒を見送った仲謀がそうつぶやくのを、傍らに立つ甘露は聞き逃さなかった。


「杜仲謀様、それはどういう意味でしょうか?」


 甘露が訊くと、杜章は片方の頬で笑って答えた。


「鶺鴒が姜則天のもとに行ったのは、彼が応竜だからというだけでなく、鶺鴒自身が則天を気に入ったからだろう。今までの鶺鴒を知っているから彼女の変化は嬉しくもあるが、反面、色恋沙汰に免疫がない鶺鴒がうまくやって行けるか心配でもあるな」


「鶺鴒の気持ちに気付いていらっしゃるとは、さすがは杜仲謀様。けれどその不安材料は承知のうえで、天権様は鶺鴒が則天殿のもとに行くことを許可されました」


 甘露が微笑んで言うと、杜章は心配顔のまま首を振って言った。


「それはボクも分かっている。だからこそ天権様は思い切ったことをされたものだと思ったんだ」


   ★ ★ ★ ★ ★


 邯鄲は交通の要衝であり、遠く普王朝時代には王都となっていたこともある。人口は10万を超え、鉄の生産が盛んであった。


 西にそびえる太行たいこう山脈からは良質の砂鉄が採れ、南を流れる章河しょうがからもある程度質のいい砂鉄を採ることが出来た。


「だからこないに鍛冶屋や鋳物屋が多いんやな。これだけの小鍛冶があったら、使う鉄の量も半端やないんやろうなあ」


 朝顔がそう言いながら道の両側に並んだ鍛冶屋を物珍しそうに眺めている。


「鉄を作るたたら場は太行山脈の近くにあるでござる。炭はかさばるゆえ、炭焼き小屋の近くにたたら場を作った方が都合がいいでござるからな」


 姜黎が言うと、朝顔は目を輝かせて、


「ほんまか? うち、鉄が作られるとこ見てみたいねん」

「こら、道の真ん中でしがみつかないでほしいでござるよ」


 姜黎が苦笑しながら言うと、さっきから黙って二人の様子を眺めていた菖蒲が、堪り兼ねたように口を出す。


「牽牛朝顔、確かにそなたは我より先に目覚め、則天様と1年以上も旅をしていてお互いのことを理解しているのは認める。が、それにしても応竜様たる則天様に対して、あまりにも馴れ馴れしすぎないか?

六花将たるもの、もっと落ち着きと品位を持っていてほしいと思うが」


 朝顔はそんな苦言もどこ吹く風と、姜黎の腕にしがみついたまま菖蒲にあかんべをして言う。


「何や、うらやましいんやったらアヤメもこないにして応竜様に甘えるとええねん。普段はツンのアヤメがデレたら、破壊力はキョーレツやで? どないなオトコも一発で撃沈するんやないか?」


「ばっ!? わ、我は六花将で常に先陣を承る花剣・菖蒲だぞ? お、オトコになぞ、き、興味はない!」


 なぜか慌てて顔を赤くする菖蒲に、朝顔の追い討ちがかかる。


「ふ~ん、オトコに興味はないねんな? それにしては昨日の夜、可愛らしい顔で『則天様、ここでそんなことするのはイヤ』とか寝言ゆうとったけど、何の夢見てたんや?」


 とたんに菖蒲は耳や首筋まで真っ赤っかにして、キッと朝顔を睨むと、


「ちょっと牽牛、こちらに来い!」

「あっ! なにするねん!?」


 朝顔の手を引っ張って姜黎から強引に引っぺがすと、ひきつった顔を朝顔に近づけて、


「き、貴様、我の寝言をずっと聞いていたのか?」


 鬼気迫る表情で訊く。

 朝顔も顔をひきつらせて、


「そないに恥ずかしがらんでもええやん。夢の中で応竜様と()()()()しとったんやろ? 健康なオンナノコがアヤメみたいにストイックにしとったら、そりゃ夢の中で発散するしかないもんな?」


 朝顔の言葉を聞いて、わなわなと震えだした菖蒲は、


「ち、ちなみにだな。我は他にどんなことを言っていた?」


 そう、縋るような眼で訊く。自分がこれ以上変なことを口にしていないことを願う顔だった。

 しかし、朝顔はにんまりと笑うと、菖蒲の耳元に口をつけて何かごにょごにょと話し出す。それを聞いていた菖蒲は青い瞳をみるみるうるませて、


「嫌っ! そんな恥ずかしい寝言を聞かれるなんて、我はもう則天様のお顔をまともに見られないっ!」


 顔を覆ってしゃがみこんでしまった。

 朝顔はその隣に座りこんで、優しく菖蒲の背中をなでながら言う。


「そないなことあらへんで? うちなんかもっときわどい夢を見ることもあるさかい。そんな日には応竜様の顔をまともによう見れへんけどな?

でも、それがうちなんやし、応竜様にはうちにもっと恥ずかしいことする権利がある思うてるから、別に気にならへんねん」


 そんなことを話していると、二人を心配した姜黎が路地を覗き込んできた。


「朝顔、菖蒲の具合は良くなったでござるか?」


 それを聞いて、朝顔は菖蒲に


「ほら、応竜様が心配しとるやんか。早う行くで? 夢なんやし、応竜様もよう寝てはったから、菖蒲の寝言を聞いてたんはうちだけや。余り心配せんでもええで」



 二人が姜黎の側に戻ると、


「菖蒲、顔が赤かったようでござるが、熱でもあるのでござるか? それならそれで言ってもらえれば、どこかで休憩を取るでござるが」


 姜黎が心配して訊くと、菖蒲は顔をそむけながら答える。


「べ、別に何ともありません。心配かけてすみません、則天様」

「せや、アヤメもオンナノコやったってことやから、応竜様は心配せんでもええねん」


 朝顔も明るい声でそう言う。


「そうか、それならいいでござるが……」


 姜黎はまだ心配そうに、菖蒲の顔を覗き込みながら言った。


「本当に、気分が悪い時は遠慮せずに言うでござるよ。いいでござるか?」

「ふえっ!? わ、分かりました」


 菖蒲は、目を白黒させながら答える。そんな菖蒲を見て朝顔は、


(まったく、アヤメは妖魔に耐性があってもオトコに耐性があらへんからな。それにしても応竜様、分かっててアヤメをいじってるんとちゃうかな?)


 そう思うのであった。


 その時、朝顔の目の端で何かが動いた。


「何や?」


 朝顔がその方向を向くのと、菖蒲が鋭い目を上げて駆け出すのが同時だった。


「あっ、アヤメ、どこ行くんや?」


 菖蒲を追って朝顔も駆け出すが、菖蒲は足が速く、さしもの朝顔も角を曲がったところで彼女の姿を見失ってしまった。


「何事でござるか?」


 ようやく追い付いてきた姜黎が訊く。出遅れたとはいえ、息一つ切らしていない。さすがに修羅場を多くくぐってきた姜黎である、鬼神たる華将とあまり変わらぬ体力と脚力だった。


 朝顔は首を傾げてさっきのことを思い出していたが、やがて結論が出たようにうなずいていった。


「うん、魔物とはちゃうんやけど、あれは人間やなかった。アヤメが反応しとったから、ひょっとしたら華将の誰かかもしれへん」


「華将? この邯鄲にも華将がいると申すのでござるか?」


 姜黎の問いに、朝顔は確信を持っているように答えた。


「そりゃあ、うちが言うたやん。邯鄲、曲阜、そして臨淄に気になる気配があるて。現にアヤメは目覚めてた。きっとアヤメは誰か分かったから追いかけてるんや」


「では、菖蒲に危険は及ばないと、朝顔は思っているのでござるな?」


 姜黎が言うと、朝顔は首を振り、


「そりゃうちには分からへん。けどうちら華将がおるところ、妖魔もおるって考えた方がええな。

そゆことでうちは菖蒲を追いかけるんで、応竜様は先に宿屋を探しといてんか? うちらは仲間を見つけたらすぐに応竜様のところへ戻ってくるさかい」


 そう言うと、姜黎の返事も待たずに姿を消した。



 一方、『謎の影』を追いかけて突出した菖蒲は、


(あれは確かに君子の気配だった。我と同様、応竜様の気配を感じて眠りから覚めたのか、それとも単に偶然や他人の空似か?)


 と、おそらく自分と同じ華将であろう人物の気配を追いかけていた。


 一方、追いかけられている方もそれと悟ったのだろう、邯鄲の北東、うしとら門の近くまで来ると、ややスピードを緩めた。


(ふん、鬼門でわれを待ち受けるか。これはいよいよ華将の一人に違いない)


 菖蒲はそう考えたが、念のため戦闘準備を整え、不意打ちを警戒しながら艮門へと進んだ。角を曲がると艮門の正面というところで、


 シュッ!

「はっ!」

 パーン!


 菖蒲は、飛んで来た矢を薙刀で斬り払う。長柄武器の薙刀であるが、操るスピードは片手剣に劣らなかった。


()()()、菖蒲か?」


 20間(36メートル)ほど離れた位置に立つ少女は次の矢をつがえたが、菖蒲の姿を認めて弓矢を下ろすとそう問いかけて来た。


 少女は身長140センチ程度、どうみても13・4歳である。黄土色の長い髪に琥珀色の瞳をしており、水色の水干に緋色の袴を穿いていた。


「いかにも、我は花剣・菖蒲。久し振りだな、君子・菊」


 すると菊は、矢を弦から外し、身長をはるかに越える長弓を小脇に挟んで駆け寄って来ると、満面の笑みで言う。


「うむ、確かに菖蒲じゃ。このところ妖魔の跳梁激しく、わしも芍薬様も騒がしさに郷天の眠りを妨げられたが、これだけ妖気が満ちれば他の華将も目覚めておるはずと考えておったところじゃ」


「その言い方では、芍薬殿も目覚めておるようだな? それでそなたたちは何をしているのだ?」


 菖蒲が訊くと、菊は瞳を輝かせて答えた。


「実は芍薬様は、目覚めの一働きとして太行山脈にいる魔軍の討伐を考えられておる。

芍薬様はご自身と拙で作戦を決行されるお積りじゃったが、花剣たる菖蒲が加わってくれれば鬼にカナブンじゃ」


「そこは『鬼に金棒』だぞ? 我も喜んで参加させてもらおう。ついでと言っては何だが、我からも提案がある」


 菖蒲の応諾を聞いて笑顔を浮かべた菊は、上機嫌で菖蒲に訊き返した。


「何じゃ? 菖蒲が提案とは珍しいのう」


「目覚めておるのは我だけではない。牽牛朝顔も1年ほど前から目覚めておる。彼女は応竜様と一緒に居る」


 菖蒲の言葉を聞いて、菊は菖蒲の顔を穴のあくほど眺め、我に返ると


「そ、それはまことか? いや、おんしの言うことじゃ、冗談ではなかろう」


 そう独り言ちると、


「それはいいことを聞いた。芍薬様にもお話しして、すぐにでも応竜様にお目通りせねば……むっ!?」


 二人が話していると、急に妖魔の気配が立ち込める。


「言ってるそばからお出ましじゃ!」


 菊は素早く矢をつがえて放つ。その時には菖蒲も薙刀を振り上げながら、最も気配が濃い場所に吶喊していた。


 妖魔たちは山の気が凝ったものだろう、巨大な蜘蛛の形をしていた。そいつらは八本の脚を広げ、菖蒲たちを糸で絡め取ろうと迫ってくる。


「ここは妖魔が足を踏み入れていい所ではない! 『霹靂へきれき・斬』!」

 ズババン!


 菖蒲が紫電を帯びた薙刀を一振りすると、2・30体の妖魔たちは真っ二つになる。


「拙は虫が嫌いじゃ! 失せろ!」

 ドシュン!


 菊の矢は妖魔の硬い表面を難なく貫通し、体内で仙力を弾けさせた。


「菖蒲、危ない!」

 シュンッ、ドカッ!


 菊の矢は、菖蒲を後ろから襲おうとした大蜘蛛の頭を貫く。


「感謝!」


 菖蒲は妖魔たちを斬り伏せながら、菊に笑顔を向ける。


「なんとまあ、あれだけの敵に押し包まれながらも、まだ笑顔を作れるとはさすが菖蒲。花剣と呼ばれる六花将随一の猛将だけはあるのう」


 菊が半ばあきれ顔でそう言ったとき、


「君子、油断するな! 『雷箭らいせん・突』!」

 ズドッ!


 菊に向けて糸を出そうと持ち上げた蜘蛛の腹部を、菖蒲の青白い仙力が貫通した。


「猪口才な! はッ!」

 ドムッ!


 菊は固まった蜘蛛に向けて、続けざまに矢を叩き込む。そして、蜘蛛が動かなくなったのを確認した菊は、


「助かったぞい」


 蜘蛛たちをいなしながら側まで戻って来た菖蒲にそう言うと、


「さっきのお礼さ。はッ!」

 ズンッ!


 蜘蛛の脚を斬り飛ばす。


「菖蒲、いったん退却じゃ。このままではらちが明かん」


 斬っても斬っても数が減らない妖魔たちに、さすがの菊も退却を決める。そのとき、


「うっひゃー、ぎょうさん居るなア。きも」


 のんきな声がして朝顔がこの場に到着した。

 朝顔は菖蒲と菊を見るとうなずき、妖魔蜘蛛たちに向き直って、


「うち、キモいもんは生理的に無理やねん。あんたら、それ以上こっちに来るんやないで?」


 そう言うと右手で剣印を結び、


「そこで止まるんや!『釣瓶取花つるべとるはな・縛』!」


 仙力を開放すると、地面から無数のアサガオの蔓が生えて妖魔蜘蛛たちを絡めとる。


「ええ子や。大人しゅう消滅しいや!『消如松露しょうろのごとくきゆ・散』!」


 朝顔は続いて仙力を開放する。彼女の周囲半径1里(約250メートル)の範囲が、紫色の瘴気に包まれ、その中にいた妖魔蜘蛛はことごとく消滅していく。


 朝顔は、菖蒲と菊に振り向いて、にかっと笑って言った。


「アヤメ、菊ちゃん、ぼさーッとしとる場合とちゃうで?」


 すると菖蒲は薙刀を握り直し菊に、


「君子、牽牛朝顔が来てくれた。久しぶりに連携攻撃としゃれこもう!」


 そう言うと、菊もうなずいて弓矢を構え、


「了解じゃ、逃がすでないぞ?『澱水よどむみず』!」

 ドムッ!


 菊が放った矢は、妖魔たちのど真ん中にいる蜘蛛を捉え、地面に縫い付ける。


 ただ縫い付けただけではなく、その蜘蛛は身体を震わせると青い瘴気を放って周囲の蜘蛛たちの行動を止めていく。


「澱んだ水の中で、もがくこともできずに瞑目するように、仲間たちと共に朽ち果てよ」


 菊が幼い顔を歪めて凄味のある笑いを浮かべる。


 彼女の仙力がかなりの蜘蛛を行動不能にしたところを見計らったかのように、菖蒲が仙力を開放する。


「華将は鬼神といえども慈悲はある。敵に無用の苦痛を与えるは、我の本意とするところにあらず……」


 薙刀を身体の前に両手で捧げ持った菖蒲が、祈念の呪をつぶやきながら薙刀を天空向けてゆっくりと差し上げると、彼女の身体を青白い電光が覆う。


 菖蒲は、十分に仙力を集めると、カッと目を見開いて妖魔蜘蛛たちを睨み、


「……敵にこそ速やかなる死の安らぎを。『落雷・爆』!」


 その叫びと共に、薙刀を地面に突き立てる。


 バリバリッ、ズドーン!


 薙刀から迸った仙力は天空へと昇り、妖魔たちの真ん中に落雷となって炸裂した。


「お見事じゃな。さすが花剣、腕はいささかも衰えてはおらぬようじゃ」


 菊が身体の横に弓を突き立て、感心したように言うと、


「ねえ、うちは? うちもかなりのもんやろ?」


 朝顔が空中から降りてきて訊く。


 菊はため息をつくと琥珀の瞳を朝顔に当てて、可愛らしい笑顔で辛辣なことを言った。


「はあ、朝顔は相変わらずじゃな。仙力は衰えておらぬが、精神年齢もそのままじゃ。少しは詩でも吟ずるようになったかの?」


「うんにゃ。うちには才能ないし、やっても無駄なことはせえへん主義やねん。応竜様は詩が上手いから、ババロリの菊ちゃんとは話が合うやろな」


「ババロリ? よく分からん言葉じゃが、おんしが使うからにはどうせろくでもない意味なんじゃろうな」


 菊はそう言うと、菖蒲に向かって頼んだ。


「応竜様がおられると申したの? 芍薬様と共にお目通りしたいゆえ、案内してくれんか、菖蒲」


「あれっ、『ババロリ』の意味は気にならへん?」


 無視された朝顔がイジワルな顔で訊くと、菊はじろりと冷たい目で朝顔を睨み、


「意味を聞いてわざわざ不愉快な思いをする必要はない。君子危うきに近寄らず、じゃ」


 そう言うと、菖蒲を連れてたったかと歩き出した。


   ★ ★ ★ ★ ★


 そのころ姜黎は、町の中心を南北に貫く大通りから少し東側の区画にある宿屋にいた。


「あの気配は確かに妖魔のそれとは違っていたが、かと言って敵意が全くないかどうかは不分明でござった。

朝顔と菖蒲のことだから大抵の妖魔には後れを取らぬでござろうが、それにしても遅いでござるな」


 この部屋に入って1時(2時間)、窓の外には黄昏が迫っている。帳場にいた受付の娘には、自分を訪ねて来た者はすぐに通してくれと頼んではいるが、まだ声がかからない。


(夕餉の時間が近いから、菖蒲はともかくとして朝顔は目を輝かせて戻ってくるはずでござる。それがまだ姿を見せぬということは、何かあったのでござろう。探しに行ったがよいでござるな)


 心配を募らせた姜黎が立ち上がった時、部屋の戸を静かに叩く音がした。


「お客さん、女の方がお客さんを訪ねて来られましたよ」


 帳場にいた女の子の声だ。姜黎は『女の方』という言い方が気にかかったが、


「かたじけない。通してもらっても苦しゅうないでござるよ」


 そう部屋の外に向かって言った。


「あい。じゃお客さん、ごゆっくり」


 娘がそう言って戸を開ける。入って来たのは朝顔や菖蒲ではなく、浅黄色の袍を着て肩に長弓をかけ、短いズボンに革の靴を履き、黄色の瞳と黄色のメッシュが入った黒髪をした乙女、黄杏こうきょう、字は鶺鴒せきれいだった。


 姜黎は椅子に座り直しながら鶺鴒を招き入れる。


「鶺鴒殿、久しぶりでござるな。遠慮せず掛けるとよいでござるよ。天権様はご息災でござるか?」


 鶺鴒は姜黎の前まで歩いてきたが、椅子に腰を下ろさずに訊いた。


「則天様、朝顔と菖蒲殿を探しに行かれるのでしょう? わたくしも協力いたします」


「なぜ、そのことを?」


 姜黎が驚いて訊くと、鶺鴒はクスリと笑って答えた。


「わたくしが則天様の名を帳場の娘に言った時、娘は『承っております』と答えました。それは、則天様は誰かと待ち合わせされているということです。

わたくしを部屋に招き入れられた時、則天様は立ち上がっておいででした。そしてこの部屋には朝顔や菖蒲殿の気配がいたしません。二人を探しに行こうと立ち上がられた時、わたくしがこの部屋を訪れた……そうでございましょう?」


 姜黎は苦笑交じりにうなずいて立ち上がり、


「ご明察のとおりでござるよ。朝顔も菖蒲も、華将の気配を追って行ったっきりでござる。

二人ともに窮地に陥るような状況は考えにくいでござるが、念のため探してみようと思っていたところで鶺鴒殿が見えられたというわけでござる」


 そう言うと、『青海波』の留め金具を確かめる。


 鶺鴒は呑み込みよくうなずくと、弓弦を張りながら訊く。


「状況は分かりました。最後に二人と別れたのはどの辺りですか?」


「拙者たちは東門から邯鄲に入ったでござる。朝顔と別れたのは、東の市近くの路地でござるよ」



 宿を出た二人は、たそがれて来た路地を歩き東の市を目指す。


「市は町の中でも人が最も集う場所。その分、雑多な念が集まり凝りやすい。自然、妖魔や怪異を引き寄せやすい場所でござる。朝顔たちが追って行った華将も、そのような妖魔たちを祓っていたのかもしれないでござるな」


 姜黎はそんなことを話しながら飄々として歩く。鶺鴒は反対に始終周囲を警戒していた。


 都城の中とはいえ、市の周辺には素性が分からない者も多く住み着いていて、警備の兵士が巡回を終える夕方以降は治安が急に悪化する……下界に降りることの少ない鶺鴒だったが、兄弟子や姉弟子からそんな情報は与えられている。


 だが姜黎は、のほほんとした様子でありながらしっかりと要所は押さえているらしく、


「鶺鴒殿、余り緊張しない方がいいでござるよ。どれだけ警戒しても、目を付けられるときは目を付けられるものでござるからな」


 そう言うと、


「前と左から来るでござる。騒動を起こしてもつまらないでござるから、ここは逃げるでござるよ。ついて来るでござる」


 鶺鴒の手を取って北へと逃げだした。


 案の定、市の南側や東側からぞろぞろと数十人の男たちが現れたが、もう姜黎たちに追い付けないと見たのだろう、ただ二人を罵るだけだった。


 二人はいくつもの道を横切り、北の城壁が見えるところまで来て、やっと立ち止まった。


「思ったよりしつこくなくて助かったでござるな。大丈夫でござるか?」


 姜黎が訊くと、鶺鴒はつないだ手をじっと見つめて顔を赤くしている。姜黎は慌てて手を放し、


「これは失礼したでござる」


 そう謝ると、鶺鴒は赤い顔のまましっかりと姜黎を見つめ、


「いいえ、とても安心できました。わたくし、男の方と手をつないだのって初めてですが、殿方の手はこんなにも大きくて温かいものなのですね? それとも相手が則天様だったからでしょうか?」


 と言った時、


「おうおう、見せつけてくれるじゃねえか」


 そう言いながら、一隊の兵士たちが姜黎たちに絡んできた。みんな鎧は来ているが剣の他には武装しておらず、したたかに酔っているらしい。


 姜黎は、困り切った顔で兵士たちを見回して、ため息と共につぶやく。


「はてさて、どうしたものかな? 相手はこの城の兵士、しかも非番時に酒に酔っているのであれば、そう手荒い真似もできないでござるな」


 けれど鶺鴒は微笑を浮かべて姜黎に、


「何も困ることはございません。ケガをさせずに退散してもらえばいいのでしょう? わたくしにお任せください」


 そう言うと、袂からキセキレイの羽を取り出しながら前へ出た。


「なんだ、姉ちゃん。えらく聞き分けがいいじゃねえか。ご褒美にそっちの旦那には手を出さないでおいてやるよ」


 兵士たちの中でも先任なのだろう、ひげを生やした年かさの男がにやけた顔で言う。


 鶺鴒はとても17歳とは思えない妖艶な微笑と共に、手に持ったキセキレイの羽を高く差し上げて、


風塵ふうじん不留ふりゅう真君しんくん中有ちゅうう推命すいめい雷桜らいおう帝君ていくんの名の下に、謹んで黄帝陛下にもまおす。我が形代をもって不穏不埒な情念を持つ者たちを、しばしの眠りに誘わんことを……薫風令催眠くんぷうはねむりをもよおしめよ、急々如律令!」


 そう仙力を発動した時、姜黎も鶺鴒も背後の空間から妖魔の気配を感じて振り向いた。そこには、真っ黒な空間が広がっていた。瘴気が漏れ出て、かなりの数の妖魔の気配にあふれている。


「えっ?」


 鶺鴒は琥珀色の瞳を持つ眼を丸くして、その空間に開いた風穴を見つめた。何かの拍子で鶺鴒の仙力が妖魔の妖力と同期してしまったのだろう。


「まずい! 鶺鴒、あの空間通路を閉じるでござる!」


 姜黎はそう叫ぶと、『青海波』を抜いて空間の歪みに突進した。


   ★ ★ ★ ★ ★


「なあ菊ちゃん、やっぱ先に応竜様とうてから、応竜様の力も借りた方がええんとちゃうかな?」


 朝顔は隣をむっつりとした顔で歩く華将・菊に小声で言う。菊もうなずいて、同じく小さな声で答えた。


「うむ、拙もそう思うのじゃが、芍薬様が『随身の手土産』とやらにこだわられてな? ああなっては拙も強いて反対はできぬ。朝顔にはこのことを応竜様にお知らせしてほしいんじゃが」


 しかし朝顔は、


「同じ華将のみんなが妖魔退治に行くんやったら、うちだけ戦線を離れることはできひん。ましてや菊ちゃんたちには今日会うたばかりやで? 無事に応竜様んとこまで連れて行かな、うちが応竜様に怒られるやんか」


 そう言って、その場を離れることを拒んだ。


 朝顔と菖蒲は、妖魔蜘蛛の大群を退けた後、菊の案内で華将・芍薬の郷天を訪ねた。


 芍薬は『花相』と呼ばれ、六花将の筆頭を務める鬼神である。性格は慎重かつ無口。観察眼は鋭く判断力に優れ、花言葉の『恥じらい』『慎ましさ』とは裏腹に、六花将のまとめ役として活躍した。穂先が長大な手槍を使う彼女が陣にいるだけで、他の華将たちは心強いものを覚えたものである。


「花相、珍しい客人じゃ」


 芍薬の郷天である『察慎郷サツシンキョウ』の手前まで来ると、菊はそう呼びかけた。するといくばくもしないうちに、


「花剣・菖蒲と牽牛・朝顔殿ですね? 菊、あなたの見立て、今回も当たっていましたね」


 そう言いながら、紅色の髪に琥珀色の瞳をした美女が姿を現す。彼女は袖口が開いた服を着て、丈の長い裳を穿き、その上から鎧を着込んでいた。


「おお、芍薬殿、そなたは全然変わっていないな?」


 菖蒲がそう笑うと、朝顔も


「ホンマ、芍薬は別嬪やな。おまけに頭もええし責任感も強い。応竜様も心強いやろな」


 ニコニコしてあいさつする。


 芍薬は二人に微笑むと、


「牽牛殿、応竜様が目覚められたと聞いておりますが?」


 と、朝顔に訊く。朝顔はうなずくと、


「今、邯鄲のまちでみんなを待ってるねん。早う行こう、芍薬、菊ちゃん」


 そう二人を急かす。


 けれど芍薬は、緋色の瞳に喜悦の色を浮かべて、


「そうですか、やっと私たちが世の中の役に立てる時が来たということですね」


 そうつぶやくと、菊に視線を向けた。


「君子、邯鄲における妖魔の拠点は分かりましたか?」


 菊は一瞬言葉に詰まったが、仕方なく答えた。


「艮門の外側に、妖魔たちの郷天への入口があることを確認ずみじゃ。じゃが、わしは応竜様のお力をお借りすることをお勧めする」


 菊の言葉を聞いて、朝顔も芍薬に勧める。


「せや、せっかく芍薬や菊ちゃんも仲間になったんや、六花将のすごさを応竜様に見てもらうのもええんちゃうか?」


 しかし芍薬は首を振って言う。


「私は前回、応竜様に多大なご迷惑をおかけしました。その罪滅ぼしとして、邯鄲を牛耳っている魔軍校尉の首を手土産に応竜様にお目通りしたいと考えています。菊、菖蒲、そして牽牛殿、力を貸してくださいませんか?」


「うーん、芍薬の気持ちは分かるねんけどな、うちはやっぱり先に応竜様に会うたほうがええと思うで?」


「牽牛殿、そなたは今回も私たち六花将の中で最初に応竜様と出会ったと聞きます。それはいつのことですか?」


 芍薬の問いに、朝顔は首を傾げる。


「芍薬、そないなこと今は関係あらへんやろ?」


「いいえ、そなたはいつも応竜様と最初に出会い、心を通わせるから分からないでしょうが、応竜様に後から振り向いていただくのは難しいものなのですよ?

だから、私は今度応竜様がお目覚めになったときは、なにか手土産を持ってお目通りしたいと考えていたのです」


 静かな決意を秘めて言う芍薬に、菖蒲はうなずいた。


「我も分かる気がする。もちろん、則天様はそんなことで我らに序列を付けるお人ではないことは分かっているが、何か特別な印象を与えた方が応竜様に覚えていただきやすいと考えるのは自然なことだ」


「まさにその通り。花剣が言ったこと、正に私の気持ちを代弁してくれたようなものです。協力してくれますね、菖蒲?」


 芍薬がわが意を得たりと言った表情で言うと、菖蒲は薄く笑ってうなずいた。


「では、君子、作戦です。人間たちに被害が及ばぬよう、城外に郷天に似た結界を張り、妖魔たちをその中に閉じ込めて戦うことにしますが、結界に魔軍校尉をおびき寄せる手段はないですか?」


 戦闘の中核を担う芍薬と菖蒲の意見が一致したので、反対しても仕方ないと思ったのか、菊は溜息とともに言った。


「そう難しくはない。妖魔の郷天と拙らの郷天をつなぎ、結界で覆ってしまえばいい。

拙がその役目、引き受けよう」



「そろそろ妖魔たちの巣が近い。君子と牽牛殿、よろしく頼みますよ」


 邯鄲の艮門が見えてきた時、芍薬が振り向いてそう言ってきた。菊はうなずくと、朝顔に緊張した面持ちで言う。


「牽牛、邯鄲は人間たちにとって交通の要衝であるように、妖魔にとっても重要な拠点の一つじゃ。

調べでは魔軍校尉といっても司馬に近い古強者が指揮を取っているらしい。おんしが無事に潜入できるかどうかが作戦の成否を握っておる。しっかり頼む」


「まかしとき! それより敵が乱れたら早う来てくれへんと、うち怒るからな?」


 朝顔は笑顔でそう言うと、芍薬と菖蒲に、


「芍薬もアヤメも、敵に負けることはあらへんと思うけど、応竜様が待っとんねんから、油断したらあかんで?」


 そう一言言って姿を消した。


「……さすがは牽牛殿、気配を全く感じない」


 芍薬は感心したようにつぶやくと、菖蒲と菊を振り返って、真剣な顔で言った。


「牽牛殿が敵陣の真ん中で騒ぎを起こしたら、それぞれ突っ込むといたしましょう」


 朝顔は、気配を消して妖魔の陣へゆっくりと近付いていく。敵陣は土塁に囲まれていて中の様子を見ることはできないが、立ち上る瘴気のような妖気に、


(思ったより数が多いわ、こりゃ気を抜いたら感づかれるな。気い引き締めて乗り込まなあかんな)


 彼女にしては珍しく、念には念を入れて気配を完璧に消すよう気を配る。


 朝顔は六花将の中で最も身が軽く、隠形に優れる。戦闘力こそ菖蒲や芍薬と比べて劣るものの、探索力の点では、また敵の意表を突くという点ではずば抜けている。彼女が先遣隊や遊撃隊として活躍してきた所以である。


 朝顔は土塁をゆっくりと乗り越える。もちろん、彼女の姿を捉えられた者はいない。


(ふーん、蜘蛛の次はムカデか。これは菊ちゃんが気色悪がるやろなあ)


 朝顔は、陣内で何千というムカデがうねうねと動くのを見てそう思う。それぞれの大きさは1間(1・8メートル)ほどで、表面は赤黒く金属質の光沢を放っていた。


 その数の多さもさることながら、朝顔が眉をひそめたのは中央に陣取った大ムカデの存在だった。そいつは黒光りする身体でとぐろを巻き、首を持ち上げて陣内を睥睨している。長さは優に10間(18メートル)はあるだろう、胴の太さは朝顔よりあるかもしれなかった。


(あれは顎喚がくかんいうバケモンやないか? あかんわ、あいつも毒持ちやから、うちの『消如松露』が効かへん。偵察で切り上げて、菊ちゃんに報告すべきやろうか?)


 何事にも楽観的な朝顔が思案の眉を寄せた時、陣の反対側の空間がぐにゃっと歪むのが見えた。


(なんやあれ? 誰か近くでいらんことしたんやないやろな?)


 朝顔は、てっきり菖蒲か誰かが反対側から奇襲をかけたのかと思って舌打ちしたが、


「空間の結節を塞ぐでござるよ!」


 空間の歪みから飛び込んできたのが姜黎であることを知ると、驚きの余り目を丸くして立ち上がった。


「なんで!? なんで応竜様がここに来るねん!?」


 その瞬間、朝顔は突撃を決めた。



「ムカデか。こいつらを城内に行かせるわけにはいかないでござるな」


 土塁の上で仁王立ちになった姜黎は、自分の気配に気づいて一斉にこちらを見たムカデたちを眺め、そうつぶやきながら腰の袋から仮面を取り出した。長方形で白く、四つの黄色い目と二つの赤い角を持つ鬼神、方相氏の追儺ついな面である。


 姜黎が追儺面を被ると、彼の身体を白い仙力が覆い、赤い瘴気のような炎が立ち昇る。


「行くでござるよ!」


 姜黎は腰の『青海波』の鞘を握ると、押し寄せて来るムカデたちの前に跳び降りて居合の体勢を取る。ムカデたちは姜黎の恐るべき仙力の噴出も見えないかのように、横に並んで突っ込んでくる。


 姜黎は追儺面の下で唇を歪ませ、


「『飛んで火にいる夏の虫』とは、お前たちのような奴らのことを言うでござる。食らえっ、『青海波』!」

 シャリーン!


 鋭く澄んだ鍔鳴りが響き、姜黎の秋水が白銀の軌跡を描くと、次の瞬間


 ズバババン!


 ムカデたちは緑色の体液と毒液をぶちまけながら弾け飛んだ。


「ちっ! 周り込まれたら厄介でござるよ」


 姜黎が後ろに回り込もうとしているムカデたちの方を向いた時、


「あんたらはそこで立ちんぼや!『釣瓶取花つるべとるはな・縛』!」


 朝顔の声と共に地面から湧き出て来たアサガオの蔓が、ムカデたちを一匹残らず絡め捕った。朝顔は得意げに姜黎に呼び掛ける。


「応竜様、後ろは任せといてぇな!」

「朝顔、こんな所にいたのでござるか」


 姜黎が朝顔にそう言うと、朝顔はニッと笑って


「詳細は後でええ? 雑魚はうちが片付けるから、応竜様にはあのデカいのをやっつけてもらいたいねん。もうすぐアヤメや芍薬、菊ちゃんも来るからお願いできひん?」


 姜黎は、ゆらゆらと身体をもたげつつある大ムカデを見てうなずいた。


「承ったでござる。無理はするな朝顔」


 大ムカデは、目の前に追儺面を被って白い仙力に包まれた人物が立つのを見て、グイッと首を持ち上げ割れ鐘のような声で言った。


「我は冀州魔牧・程銀ていぎん樹幹じゅかんが配下、魔軍校尉・顎喚がくかん、字は朱染しゅぜん。我の郷天に入ってくるとは、小僧、お前はただの人間ではないな」


「拙者は姜黎、字は則天。方士でござるよ」


 姜黎の名乗りを聞いて、顎喚は身体を前後に揺らしていたが、その動きをピタリと止めると、


「……姜則天……聞いたことがある。お前は濁河の北で、数多の同胞を手にかけた方士だな? 同胞たちの無念、この顎朱染が晴らす!」


 そう叫ぶと、体節のあちこちから緑色の毒液をにじませ始めた。


 姜黎はそれを見て


(毒でござるか……少しでも傷を受けたらお陀仏というわけでござるな)


 そう思いながら『青海波』を抜き放つ。


「小僧、行くぞ!」


 顎喚はそう叫ぶと、地響きを立てながらまっしぐらに姜黎へと突進する。


 姜黎は追儺面の下で碧眼を細めて顎喚の突進を見つめていたが、


「むっ?」


 顎喚が指呼の間に入る寸前、急に左に向きを変え、時計回りに周囲を回り出すのを見て、『青海波』を握る手に力を込めた。


 顎喚は回りながらあざ笑うように言う。


「小僧、もう逃げられんぞ。我が必殺の『蜈蚣ごこう輪陣』を受けてみよ!」


 そう言いながら、少しずつ包囲輪を縮めて来る。


(なるほど、ある程度近づいたところで毒に覆われた脚を突き刺そうという魂胆でござるな。それならば……)


 姜黎は静かに『青海波』を鞘に戻す、そして右手を『青海波』の柄に置き、目を閉じて顎喚の包囲が指呼の間に入ってくるのを待ち受けた。


「どうした小僧!? 怖気づいたか? だが今さら命乞いしても助けてはやらぬぞ」


 姜黎が臆したと見たか、顎喚は心地良さげにそう笑う、まさにその瞬間だった。


「道理を知らぬ妖魔め、我が晃刀の錆と散れ!『青海波、円斬』!」

 チューン! ズバババッ!

「がああっ!?」


 再び『青海波』が白銀の輪を描き、顎喚は叫び声を上げて停止する。


 ドサドサドサッ!


 顎喚の右脚がすべて斬り払われて宙を舞い、辺りに緑色の毒液をまき散らした。


「ぬぐわああ、今の技はなんだ? 何が起こった?」


 余りの痛手に顎喚が身体を反らして喚く中、姜黎は静かに『青海波』を鞘に戻す。


「うっ!?」


 姜黎は突然めまいに襲われて片ひざをついた。辺りに青い梅の実の表面を爪で削った時の香りが漂っていることに気付いた姜黎は、慌てて鼻と口を袂で覆う。


(くっ、この毒は揮発性が高いみたいでござる。拙者は知らず知らずのうちに、それを吸い込んでいたようでござるな)


「ぐふふふ、我の脚を斬り飛ばした腕は褒めてやるが、自ら毒煙を吸い込むとはまだまだだったな小僧」


 顎喚は痛みをこらえてそう笑うと、大きく口を開けて姜黎に飛び掛かって来た。


「死ねええっ、小僧!」


 姜黎は臍を噛む思いと共に、ぼやけた視界で辺りを見回し顎喚の攻撃を避けようとするが、痺れた手足は彼の言うことを聞かなかった。


(無念、不覚でござった)


 姜黎が最期を覚悟した時


 ドシュドシュッ!

「げはっ!」


 顎喚が叫んでのけぞる。その両目には深々と矢が突っ立っていた。

 そして、


「応竜様、大事ございませんか?」


 片ひざをつく姜黎の傍らに、ふわりと誰かが降り立ちそう訊く。彼女はしっかりと姜黎の背を支えて立ち上がらせ。


「今、安全なところにお連れ申し上げます。私にしっかりとお掴まりください」


 そう言うと、彼と共に土塁の上へと跳躍した。


「かたじけない。助かったでござるよ」


 姜黎がやっとはっきりと見えだした目を女性に向けて言う。その女性は顔を赤らめながら、紅色の髪に見え隠れする琥珀色の瞳をやや逸らし、


「いえ、顎喚の動きを止めたのはこちらの君子・菊でございます。それに花剣・菖蒲や牽牛殿が雑魚たちを食い止めてくれなければ、私たち華将といえどももう少し苦戦をしていたことでしょう」


 その言葉に、姜黎が後ろを見ると、そこには自分の背よりも長い弓を携えた少女が彼を見て微笑んでいる。黄土色の長い髪に琥珀色の瞳をした彼女は、姜黎の視線を受けるとお辞儀をして


「応竜様、お久しぶりじゃのう。貴君郷キクンキョウの住人、華将六花のたく将・菊じゃ。みなからは君子と呼ばれておる。お会い出来て拙は嬉しいぞい」


 そう挨拶した。


 姜黎を支えていた女性は、菊の言葉に続いて、


「名乗り遅れました。私は華将六花の水将・芍薬、察慎郷サツシンキョウの住人です。

花剣や牽牛殿と共に、あの者どもに止めを刺して参りますゆえ、しばしここでお待ちください。君子、応竜様をお願い致します」


 そう微笑んで言うと手槍を持ち直し、菖蒲や朝顔の攻撃にのたうち回っている顎喚へと跳躍した。


(その四 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

朝顔、菖蒲に続いて菊と芍薬が仲間に加わりました。

妖魔側も個や単なる集団の域を脱して、組織的な動きを強めていきます。

薊(北平)に着くまでにどんな敵が現れるのか?

次回もお楽しみに。

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