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六花の乙女たち〜大秦帝国退魔志演義  作者: シベリウスP
2/11

其の壱 芒星は西の空に映え、海内には妖魔が跋扈す

 大陸の東にある大国、大秦タイシン帝国。

 皇帝・姫節きせつの8年目に、大きな流星群が帝国を襲った。

 その後2年、帝国は干ばつや洪水などの自然災害だけでなく、どこからともなく現れた妖魔たちの跳梁に苦しんでいた。

 辺境、村落、都市と場所を選ばず出現する妖魔に、帝国も対応の術を失いつつあった時、稀代の方士と呼ばれる楊天権ようてんけんは、古代の軍神・蚩尤しゆうの復活を感じ取った。

 妖魔を率いる魔神・蚩尤。その封印には、四霊筆頭の応竜とその眷属、六花将りっかしょうの力が必要であるが、天権は応竜も転生していると見抜く。

 この物語は、退魔師の家系に生まれ、運命に縛られた青年・姜黎きょうれい則天そくてんと、六花将・朝顔アサガオを中心とする物語である。

 空は突き抜けるように青く、真っ白なうろこ雲が駆け足で流れていく。


 その空の下、低い丘の上から眼下に広がる荒れ果てた田畑や、その向こう側にある対岸が見えないほどの大河を眺めている者たちがいた。


 その中の一人、真ん中にいる胡服を着て裾の詰まったかつを穿いた少女が、翠色の瞳を持つ切れ長の目を細めてつぶやくように言う。この少女は瞳の色だけでなく、髪の色も常人と違って真っ白だった。


「天を仰げば、気持ちがいい秋の日のはずじゃが、下に広がる大地の雰囲気はくらいのう。このままでは天下が昏きに覆われて、民が難儀するばかりじゃな」


「……この揚州は大秦タイシン帝国でも屈指のイネの産地ですが、それが軒並み壊滅状態ですからね。昨年は干ばつ、一昨年は水害、そして今年は……」


 頭髪を白い錦で覆い、長剣を腰に佩いた男が、太い眉を上げて言うと、その隣にいる茶髪で手槍を肩に担いだ男がその後を取って、


「今年は妖魔の跳梁、か。ふむ、見渡す限り枯れ果てたイネと干からびた骸骨だけしかないな。この分じゃ長江の向こう側はもっと悲惨な状況だろうね」


 そう言うと、傍らの女性に話しかける。


季姫きき、キミの占盤にはどう出ている? ボクたちは今、長江を渡るべきだろうか?」


 すると季姫と呼ばれた女性は、燃えるような赤髪の下にある涼し気な青い瞳でチラリと白髪の少女を見る。少女は季姫の視線に気付くと、薄く笑って言った。


「そなたの占ならまず間違いはない。やってみよ、甘露かんろ


 それを聞いて季姫が両手を前に出す。するとその空間に水色の占盤が現れる。


天権てんけん様、占盤八卦、太極法で機を動かします」


 季姫は少女に告げると、占盤を内から外へ、右回り、左回りと回していく。少女と男たちはそれを眺めていたが、突然、長剣を佩いた男がハッとした表情で丘の麓に目をやった。


 男の視線の先、荒れ果ててひび割れた田畑に、異形の者たちが見えた。


 そいつらは人間の形はしていたが、それにしては胴体が長すぎた。それらは四つん這いになって、ぬらぬらとぬれて不気味に光る身体を左右に振りながら丘を登ってくる。


「季姫、機が動いている最中だが、奴らのお出ましだ」


 長剣を抜きながら男がそう言うと、槍を構えた男ものんびりとした声で


「おお、久しぶりの妖魔じゃないか。天権様、ボクと小伯しょうはくとでちょっと撫でて参りましょうか?」


 そう少女に訊く。


 天権と呼ばれた少女はそれを聞くとニタリと笑い、すぐに笑みを収めて鋭く命じた。


「機が動いた占は止めるわけには参らぬ。李甫りほ杜章としょう、甘露はわらわが守る故、そなたたちはあの妖魔たちを存分に蹴散らしてつかわせ」


「御意! 仲謀ちゅうぼう小生おれは左から斬り込む。お前は右から奴らを串刺しにしてやれ」


 李甫が駆け出すと、杜章も凄味のある笑いを浮かべて数百にも上る妖魔の群れに


「さーて、楽しませてもらおうかな♪」


 そう舌なめずりして突進した。



 李甫と杜章は強かった。


 普通、相手が妖魔となれば並の人間では太刀打ちできない。しかし、この大秦帝国には『方士』と呼ばれる魔物を調伏するために修行を積んだ者たちがいた。李甫と杜章はその『方士』だったのである。


「四縦五横禹為除道蚩尤、避兵令吾周遍天下帰還、故嚮吾者死留吾者亡、急々如律令!」


 李甫が四縦五横呪を唱えると、その身と長剣がパッと紅蓮の炎に包まれる。


「おやおや、もう仙力を解放するなんて気が早いね」


 杜章は李甫を見てそうつぶやくと、


「やっ!」


 目の前に突進してきた妖魔を突き伏せる。


「やああっ!」


 左の方では李甫が炎をまとった長剣を振り回し、次々と妖魔たちを消滅させていく。


「仲謀、なぜ仙力を使わない!」


 妖魔たちに囲まれつつある杜章を見て、李甫がそう叫ぶと、杜章は暗く沈んだ瞳を妖魔たちに向けて片頬で笑い、


「ふふ、いい具合にボクを囲んでくれたじゃないか。じゃ、そろそろ本気を出しますか」


 そうつぶやき、槍を身体に添わせるように地面に突き立て、右手で印を組んで


「南斗北斗三台玉女、左青龍避万兵、右白虎避不祥、前朱雀避口舌、後玄武避万鬼、前後扶翼急々如律令!」


 四神召喚呪を唱えた。


 ズバンッ!


 途端に杜章の周囲の地面が爆発し、彼を囲んで飛びかかろうとしていた妖魔たちは、ズタズタになって千切れ飛ぶ。


「ふん、思い知ったか。貴様たち妖魔にはこの世界に存在する余地はないんだよ」


 杜章は顔色一つ変えずにそう言い放つと、次の群れへと槍を回して突進した。



 激闘はそれほど長くは続かなかった。二人は妖魔たちがすっかり消滅したことを確認すると、丘の上で待つ天権と甘露のもとに戻って来た。


「何だ、鶺鴒せきれい。戻って来ていたのか?」


 李甫は、天権と甘露の側に浅黄色の袍を着て肩に長弓をかけ、短いズボンに革の靴を履いた女性を見つけてそう呼び掛ける。


 鶺鴒と呼ばれたその女性は、黄色の瞳を李甫と杜章に向け、黄色のメッシュが入った黒髪をかき上げながら腰に巻いた太い革帯に左手を当て、笑って答えた。


「李小伯様も杜仲謀様も、さすがでしたね。ここで見ていましたが、わたくしの出番はなさそうでしたので見学としゃれ込ませていただきましたわ」


 すると杜章は片方の口角を上げて笑うと、


「ふん、ボクと小伯の間にいた妖魔たちを寸断してくれていたようだね。なかなか戦場の機微が分かって来たじゃないか」


 そう褒める。


 鶺鴒はくすっと笑って、


「あら、知っていらしたんですね? それより季姫姉さまの占、結果が出ましたよ?」


 そう言いながら天権と甘露を見た。


 甘露はうなずくと、難しい顔で占いの結果を三人に伝えた。


「卦辞は『困』よ。変爻へんこうして『ほん』ね」


 それを聞いて三人とも考え込む顔になる。


 鶺鴒は、天権に訊いた。


「天権様、結果は『困』。行けば難に遭う可能性がありますが、変爻では『賁』と小利があるとも出ています。洛陽府に向かうのは時期を見るとしても、天権様が感じられたという『応竜』の気配、それだけでもわたくしが調査してみましょうか?」


 すると天権は、幼い見た目からは想像もできない大人びた表情で天を仰ぎ、


「むむ……早くこの妖魔の災いを祓うにはそれがよいかもしれんな。そなたは探索が得意でもあるし……」


 そう言うと、鶺鴒の顔を翠の瞳で見つめて


「ただし、そなたは集団戦には向いておらぬ。妖魔を相手にするのであれば1対1で相手にすることじゃ。自分の身を守るのも、方士としての最低限の務めじゃ、それを忘れないようにな」


 そう言う。鶺鴒は笑ってうなずくと


「では天権様、まずどこを探索すればよいでしょうか?」


 そう質問する。


 天権は眼を閉じて何かを感じ取ろうとするようだったが、ハッと目を開けて告げた。


「うむ、先ずは幽州ゆうしゅう涿郡たくぐんに向かうとよい。そなたの流雲借風術を使えば10日とかかるまい。

 わらわたちはゆるゆると姫節きせつに会いに行くからの。気を付けるんじゃぞ」


「分かりました。ご心配なく、天権様」


 鶺鴒はそう笑って言うと、身をひるがえして丘から駆け下りた。


「……天権様、なぜ鶺鴒を? 『応竜』を探すのであれば、占が得意な季姫が相応しかったのでは?」


 遠ざかって行く鶺鴒を見ながら杜章が訊くと、天権は少し寂しそうな顔をして答えた。


「うむ、わらわも最初、探索に出すなら甘露が相応しいとも思った。けれど、わらわの観想では、鶺鴒は『応竜』と運命の交錯があったと出た」


「それで鶺鴒を?」


 甘露が訊くと天権はうなずき、


「鶺鴒はわらわが育てた子じゃが、天興山に捨てられる前は何があったのか少しも話してはくれなんだ。そなたたちは皆、仙行を修めたとはいえ人間、ましてや鶺鴒は最も若く経験も浅い。

 そんな鶺鴒が人間に対し不信感を抱いているとしたら、この先、人の中で暮らしていくことは苦行となろう……」


 そう寂しそうな顔で言うと、北の空を向き表情を明るくして続ける。


「わらわが観じ取った『応竜』、本来は南に住む四霊の一柱じゃが、その霊力はここ20年ほど隠れておった。恐らく、天下騒乱を観じた天帝が地上に送り出したものと見ておったが、いよいよその輝きが増してきた。

 鶺鴒の運命が『応竜』と交錯する定めであれば、その出会いと交わりはきっと鶺鴒の役に立つ、そう思ったのじゃ」


「天権様のお気持ち、了解いたしました。鶺鴒は純粋ですが考えは深い子です。きっと無事に『応竜』様と巡り会えることでしょう」


 甘露が優しい顔で言うと、李甫もうなずいて真面目な顔で訊く。


「季姫の言うとおりです。鶺鴒は歳の割にはしっかりしていますので、ご心配は無用かと存じます。それで天権様、我々はどこで長江を渡りましょうか?」


「ボク的に言わせていただければ、方違えのために1日長江を遡るより、思い切って南郡まで船路で行き、そこから洛陽府に向かうことをお勧めいたします」


 杜章の言葉に、長江の遥かな対岸を眺めていた天権は薄く笑ってうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


 大秦帝国は、大陸の東にある大国である。


 長らく戦乱の巷にあった中原を高祖姫秀(きしゅう)が平定し、実力を無くしていた時の帝室、普の幽王から王権を譲られ、いわゆる禅譲によって興された国である。


 最初は秦王を名乗っていたが、2代目の太宗姫策(きさく)によって全国を13州に分割して中央集権を進め、帝号を名乗るとともに国号を大秦帝国と改めた。


 現在の皇帝は姫節、あざな匡世きょうせいであり、先代の章帝姫尚英世(きしょう・えいせい)に劣らぬ仁君として臣下から信頼されていた。


 姫節は青龍神護4年の現在、29歳であり、帝位を継いで10年になる。


 最初の3年は先帝の喪に服するという名目で、章帝の治政をなぞっていたが、晏理あんりという名臣を得たことで彼はいくつかの改革を進め始めた。


 一つは、州の改変である。


 まず、冀州から司隷しれい州を独立させて帝室独自の財政的基盤を得た。そして広大で人口が増えつつあった荊州、益州、広州からそれぞれ雲州、貴州、寧州を独立させ、地方で官吏が独自の勢力を築きにくくした。


 二つ目は、軍政の改革である。


 それまでは州の下の郡に『郷軍』と呼ぶ5百程度の警備部隊を常置し、在郷の郷士たちに『校尉』という職を与えて警備行動を行わせていた。


 大きな戦乱が起こった時には、州牧が皇帝の命により領民を集めて部隊を編成し、州牧自らに、あるいは皇帝が指名した朝廷の官吏に将軍位を与えて指揮させていた。


 しかしこれでは平時の軍備も相当なものになり、しかも各地の郷士に直結しているので動乱の火種になりやすく、軍事の専門家を将軍位に充てられないという弊害があった。


 そのため、尚書令晏理は州を単位に軍管区を設け、州牧には徴兵や後方支援の責任を与え、複数の郡を単位として編成する軍団を皇帝が任命する校尉が指揮する方式に改めた。


 そして大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、前後左右の各将軍を朝廷の正式な役職として建制化し、必要に応じて彼らが軍を指揮するということになった。


 さらに司隷州には軍権と警察権を兼ねた司隷校尉を置き、戦時にはそこから皇帝直属の親衛隊、虎賁こほん軍団を編成した。


 こうした改革が進んでいた青龍神護2年、『それ』が起こったのだった。



 青龍神護2年の正月、帝都洛陽府の人々は明け方に西の空で不気味に輝く星を見つけた。


「あれは何だろう?」


「あんな星、昨日まではなかったぞ」


「長い尾を引くなんて、不気味な星だな」


「こりゃあ、朝廷の役人に知らせた方がいいんじゃないか?」


 洛陽府の人々は、寄るとさわるとそんな話ばかりしていた。


 この時代、星は天意を表すものと信じられていた。そして皇帝は天の意を受けて万民を統率しているため、天象の変化には特に敏感であった。


 その皇帝を補佐する人臣筆頭、宰相たる尚書令の職にある晏理、字は干城かんじょうも、天意を表す星々の動きに迅速に対応した一人である。


玄白げんぱく、西の空に現れた芒星は、もう観測したか?」


 晏理は、天文の専門家である太史官謝洪(しゃこう)、字は玄白を招き小声で訊く。


 謝洪はうなずくと、


「太行の観測所の話では、段々と光が強くなっているといいます。それにもう一つ、気になる報告がございます」


 そう言う。晏理は眉を寄せて訊き返した。


「気になること?」


「はい、昨夜、南方遥かな空に多数の流星が流れたということです。かなりの数が地平線の向こうに消えたといいますから、地に墜ちた流星もあるかもしれません。

 太行の観測所には引き続き観測を指示し、蜀の剣閣、揚州の泰山の観測所からの報告を待っているところです」


 謝洪はそう言うと、真剣な顔で続けた。


「墜ちた流星があったとしたら、場所によってはかなりの被害が予想されます。南方諸州からの報告にはご注意ください」



 晏理と謝洪がそんな話をした1週間後、帝国の南端にある寧州と貴州から、寧州牧(ねいしゅうのぼく)魏平(ぎへい)と貴州牧高礼(こうれい)の連名で報告書が届いた。


 それによると、寧州と貴州の境付近に流星群が多数墜ち、その広さは南北約60里(約15キロ)、東西80里(約20キロ)にも及び山火事も発生したが、幸い豪雨により鎮火したとのことだった。


 さらに、現場は人里離れた場所だったため、近くの炭焼き小屋に泊まり込んでいた木こり数人が被害のすべてだったという。


 ただ、別に届いた魏平の手紙には、流星群が古い塚らしきものを破壊したこと、その石室の扉には魔封じの霊符が貼られていたこと、塚が破壊されてから、近くの里の住民たちは夜な夜な変な唸り声や笑い声を聞くようになったこと、などが記されていた。


『本職の部下にも唸り声を聞いた者がおり、近々本職直々に現場を調査する所存です。もとより、流星の落下で里の人々が不安に駆られているための現象で、根も葉もない噂と信じておりますが、本職預かりの寧州は太古の昔、天帝が蚩尤しゆうを封じたという伝承がありますので、心覚えまでに本書を呈するものです。

   寧州牧 魏平孟澹(もうたん) 拝』


「ふむ、魏孟澹の言うとおり、流星の落下が人心を惑わしているものと思える。孟澹自身が現場を見て、里の者たちに安心するように言えば大したことにはなるまいな」


 晏理は手紙を読んでそうつぶやくと、手紙を綴りにしまい込んだ。そしてそのことはすっかり頭の片隅に追いやられてしまった。


 魏平の現場調査の結果が送られてくることもなく、春先には大雨が降って洛陽の北を流れる大河、濁河が氾濫したことで、朝廷はその対応に追われることとなったためだ。


 濁河の氾濫で春小麦がすっかりダメになったところに、夏には淮水(わいすい)が、秋口には長江が氾濫し、そして育水(いくすい)や濁河も再び氾濫し、帝国の作物生産量は近年にないほど落ち込んだ。


「飢饉に注意せよ。州郡の糧秣庫にある食料のうち、半分までは州牧や郡大夫、県令の判断によって住民に配布してよい」


 皇帝姫節はそんな勅令を出すとともに、


「大将軍、軍団をもって各地の主要道路の復興に従事せしめよ」


 と、大将軍諸葛燦(しょかつさん)、字は凌雲りょううんに命じて州ごとに1個軍団をもって崩れた道路の修復に従事させた。


 国土の荒廃と作物の不作……この二つだけでも大きな問題であり、それだけに尚書令晏理も大将軍諸葛燦も、そして皇帝姫節も全力を挙げてその問題の解決に努力したが、その陰に隠れてさらに大きな問題に発展する可能性がある事象が進行していたのである。


 それは、各地からの『妖魔の跳梁』という報告だった。


 最初は、寧州牧魏平からだった。


 先の手紙を提出した後、魏平は実際に件の里に訪れた。そして彼自身、言いようのない唸り声と笑い声を耳にし、


「これはただ事ではない。誰かの悪戯だとしても度が過ぎている。悪戯ならば犯人を見つけ出し、怪異であるならばその正体を見極めよ!」


 彼は部下の仮司馬にそう命じたが、仮司馬の調査もはかばかしい進展を見せないうちに、州の各地から魏平に『妖魔発生』の報告が送られてくるようになった。


 しかも、仮司馬率いる5百の部隊は貴州との街道上で妖魔の大群に襲われて壊滅し、貴州や洛陽への最短ルートが使えなくなってしまった。


「妖魔の跋扈に困っている。力を貸してほしい」


 魏平は貴州牧の高礼、字は興国や広州牧の王冠おうかん、字は史平しへいに援軍を依頼したが、その頃には貴州や広州でも妖魔が人々を襲いだしていたのである。


 ここで魏平や高礼、王冠たちの報告が洛陽に届かなかったことが、大きく響いてくることになる。



 もちろん、朝廷の内にも外にも具眼の士はいる。


 太史官謝洪は、剣閣や泰山、とりわけ泰山からの報告に注目し、


「西に輝く芒星は藍色に染まって来ました。また、流星群が蚩尤の封印塚を破壊した可能性がございます。本職はあの芒星を羅喉星らごうせいと断定いたします。今後、各地で妖魔が跋扈するおそれがございます、急ぎの対策を」


 そう、文書をもって注意喚起していたが、


「寧州の魏孟澹からはあの後何の報告もない。貴州や広州の州牧たちからも緊急事態を伝える報告はない。芒星が天変地異を引き起こすことはあるが、それが羅喉星であるとまでは言い切れないし、史官に訊いてもそのような例はないという。

 尚書令様は全国的な不作問題でお忙しい。報告を上げるのは後にしよう」


 と、尚書僕射(しょうしょぼくしゃ)の関策と張雲が話し合って、上程書を留めおいてしまった。



 もう一人の具眼の士は、洛陽府の東、滎陽けいようからやって来た。


 身長は140センチ程度、どう見ても13・4歳にしか見えない少女が、長剣を佩いたたくましい男と手槍を担いだ険のある細身の男を引き連れて、洛陽府を歩いていた。


 そのまま三人は廟堂のある大内裏へと進むと、護衛の者に断りもなく中に入ろうとした。


「こらこら! ここは畏れ多くも天子様がいらっしゃる場所だぞ、そなたのような子供が来る場所ではない!」


 革鎧を付けて戈を持った衛士が、慌てて三人を止めるが、少女は長く白い髪をなびかせて振り向き、翠色の瞳を衛士に当てて笑うと言った。


「何、気にするな。わらわは『天権』楊周ようしゅう、字は麗良れいら。『中有ちゅうう推命すいめい雷桜らいおう帝君ていくん』とも呼ばれておる。

 こちらは弟子の『不動焼尽ふどうしょうじん真君しんくん』と『金剛不壊真君こんごうふえしんくん』。晏理にわらわが来たことを知らせてくれんか」


 人を食ったような言葉に、衛士は天権を怒鳴り付けようとしたが、天権の眼差しと鼻腔をくすぐる甘い香りで脳が痺れたようになった衛士は、天権の言うがままに彼女たちを廟堂がある場所の出入口まで案内する。


 天権たちを見て怪しい者と観たか、取次ぎの者は兵士たちと共に駆けてきたが、天権はそれをニヤニヤとして眺めてつぶやく。


「まあ、彼らもあれが仕事じゃからな。仕事に精励する者に無礼などとは言うまいぞ、李甫、杜章」


「御意」「分かってますって」


 二人はそう言いながらも、自分たちを取り囲んできた兵士たちから天権を守るように、油断ない目つきで辺りを見ている。


 天権は、如才なく笑って言った。


「わらわは天権、そなたは服装から見ると虎賁の校尉クラスかの? だったらわらわの名くらいは聞いていよう」


 袖付きの革鎧を着た指揮官風の兵士は、天権の名を知っていたらしく、サッと跪いて


「お前たち、このお方は名高い方士様だ。無礼のないようにせよ!」


 そう部下たちに告げると、兵士たちは皆、武器を伏せて地面に膝をついた。


「大儀じゃ。わらわは姫節に話がある。姫節のもとまで案内せい」


 天権がそう言うと、指揮官は平伏して答えた。


「私程度の者では陛下のお側までご案内することは叶いません。しかるべき将軍に話を通しますので、それまで暫時、お待ちいただけますか?」


 天権がため息をついて、


「やれやれ、わらわの方術を使えば姫節の目の前にだって行くことはたやすいが、何事にも決まりというものがあるらしいからのう。相分かったぞ隊長、しばし待つのですぐに話を付けて来るといい」


 そう言うと、隊長はサッと立ち上がると


「では、ご迷惑をおかけしますが、しばしお待ちを」


 天権に一礼して言い、内裏の奥へと駆けて行った。


 やがて、そんなに経たぬうちに、内裏から立派な鎧を着た中年の男が駆けて来て、天権の足元に膝をついた。


「中有推命雷桜帝君にあらせられますか?」


 天権は翠の瞳で将軍を見下ろして鷹揚に答えた。


「いかにもわらわは天権・中有推命雷桜帝君じゃ。此度は大儀じゃな、諸葛大将軍」


 名乗る前に名前を言われた諸葛燦はびっくりしたが、相手は神通力をもって鳴る方士だと気づいて、汗を拭き拭き答えた。


「はっ、お待たせいたしました。すぐに陛下のもとにご案内いたしますので、お通りくださいませ」


 天権は機嫌よく笑って


「思ったよりも待たなかったぞ。30年前に姫炎を訪れた時に比べたらかなりの進歩じゃ」


 そう言うと、李甫たちと共に内裏へと歩いて行った。



 稀代の方士、天権が訪ねてきたということで、廟堂は一時大騒ぎになった。


 大秦帝国だけでなく、その前に天下を統一していた普王国の史書にも、


『天権は青州琅琊(ろうや)の人なり。姓名は楊周、字は麗良、天権は雅号なり。

 その生まれ当代の誰も知る人無し。王国の始めに功ありと曰う者多く在り。

 幼きより星を観、風を読み、長じて八卦の妙諦を知る。一日、泰山に登り黄帝と面接す。


 黄帝、天権に風雨の起こる所以ゆえんを訊く。天権答えて曰く、『風雨は水脈の連環なり』と。黄帝(これ)を賞す。

 又黄帝、霊魂について訊く。天権答えて曰く『こんは宇宙に還り、はくは地霊に散ず。故に人間は天意に導かれ、自然に寄り添うかな』と。黄帝之をよみす。


 三度みたび黄帝、寿命について天権に訊く。天権答えて曰く『命は天にあり。人の一生は将に雷霆の一閃に等し。故に命を推す者は天に不逆さからわず、人に不被流ながされず、地を不忘わすれず』と。黄帝之を好しとす。


 黄帝、三度の対問を寿がれ、天権に方術を授け、神号を与う。依って以後、天権を『中有推命雷桜帝君』と号す。神号を賜わりて後、天権は天興山に居す』


 と掲載されているほどの人物だった。


 その容貌は少女に他ならなかったが、230年前に滅んだ王国の初期に活躍したとも書かれているため、実際の年齢は5百歳に達するのではないかと噂されている。遠く西にある把瑠須ファールスのゾフィー・マール、郲図番射琉レズバンシャールのアルテマ・フェーズと並び称される、『天下の方士』だったのだ。


 皇帝姫節はこの時27歳、治世の8年目に当たっていた。彼は廟議の途中ではあったが、すぐに百官を整列させてこの天下に名高い方士を迎え入れた。


 天権は廟堂に昇るとすぐ、方術を使った。供の李甫、杜章と共に姿を消したのだ。


「おおっ!」


「消えた⁉」


 驚き騒ぐ百官をしり目に、


「みなどこを見ておる。わらわたちはここじゃ」


 天権たちが姿を現したのは、皇帝の玉座のすぐ下だった。


「大事ない、控えよ!」


 顔色を変え、竜梯を駆け上ろうとする大将軍や尚書令たちを言葉で押さえた姫節は、ゆっくりと立ち上がって天権を遥拝し、


「玉座に座って帝君をお迎えしたのは朕の過ち、ここに深く陳謝いたします」


 そう天権に言うと、彼女はニコニコとして答えた。


「ふむ、祖父の姫炎によく似ておるのう。汝の伯父である姫平のことはあまり知らぬが、汝の父である姫尚のことはよく覚えておる。汝は炎と尚の中道を行っておるようじゃ」


 そして彼女は李甫と杜章を連れて竜梯の中間まで降りると、


「ともあれ、今日のわらわは万民のために汝に願い乞う立場じゃ。仕来りに則ることとしようぞ」


 そう言うと、三人とも膝をついた。


「帝君、どうぞ立ち給え。朕は帝君に膝を折らせたとなれば、黄帝からお咎めを受けよう」


 慌てて言う姫節に、天権は顔を上げると言った。


「構わぬ、わらわがこれほどのことをせねばならぬほど、今度の芒星は帝国や臣民にとって凶事となるのじゃからな。わらわの思いを汲んで、わらわの申すことをよく聞くのじゃ」


 姫節は壇上ではあるが両膝をつき、拝跪の姿勢を取る。百官は皇帝がそのようにした手前、そのままの姿勢ではおれず、全員が床に額を付ける頓首の姿勢を取った。


「二度は言わぬぞ、よく聞くといい」


 天権はそう言うと、朗々と詩を吟じた。



 凶星宿西方(凶星は西方に宿り)

 流星放悪夢(流星は悪夢を放つ)


 天下満怪異(天下は怪異に満ち)

 民生計帰無(民の生計たつきは無に帰す)


 水火及両年(水火は両年に及び)

 覆国妖魔霧(国を覆うは妖魔の霧)


 持剣者不在(剣を持つ者も在らず)

 退魔方術無(魔を退ける方術すべも無し)


 被封者奈何(封ぜられし者いかん)

 蚩尤者成無(蚩尤、無より成る者)


 被封者如何(封ぜられし者いかん)

 封魔六花矛(魔を封ずる六花の矛)


 宜令醒応竜(よろしく応竜を目覚めさせ)

 令索八星巫(八星の巫を求めしめよ)



 吟じ終わると天権は立ち上がり、翠の瞳で姫節を見て言った。


「人間は魔には敵わぬ。しかし、何もせずに民を妖魔の糧にしてよいはずはあるまい。まずは民を守ることじゃ。

 人間の中にも方士はおろう。兵士たちだけで手が足りぬ時は、方士たちを使って魔に対抗せよ。さすれば遠くない将来、六花の矛を持つ応竜が魔を祓うために立ち上がるはずじゃ。

 その時まで希望を捨てずに踏ん張れるか、そこが運命の分かれ道じゃ」


「……六花の矛を持つ応竜とは?」


 姫節の問いに、天権はゆるく首を振った。


「わらわが汝に教えられるのは、今はここまでじゃ。魔を祓う存在は必ず現れる、それを信じておくがいい。わらわの申したこと、忘れるでないぞ?」


 天権がそう言うと、


 ゴオオッ!

「おおっ⁉」


 突然、廟堂を一陣の白い風が吹き抜け、その風が止んだ時、天権たちの姿はどこにもなかった。


「水火の災いと妖魔の跳梁……うむ、尚書令!」


 姫節が声を上げると、階下にいた晏理がすぐに答える。


「はい、さっそく水害や干ばつについての備えを検討いたします」


 打てば響くような答えに、姫節は満足げにうなずくと、


「うむ、頼むぞ。大将軍!」


 続いて諸葛燦を呼ぶ。燦もまた、打てば響くように応答した。


「はい、各州牧に兵の練度に注意するよう指示を出すとともに、全国の方士についてさっそく調査いたします」


 二人の答えを聞き、姫節は立ち上がると百官に告げた。


「中有推命雷桜帝君の託宣が外れても、民のための努力は帝国にとって何の害にもならぬ。むしろ無為無策で推移して、不幸にも当たった時、民は塗炭の苦しみを舐めるであろう。

 備えあれば患いなしという。朕は汝らのより一層の奮励を望む。皆で苦難を乗り越え、青史に帝国の最も輝かしい時代であったと記されるよう頑張ろうではないか」


   ★ ★ ★ ★ ★


 大秦帝国は、大陸でも一二を争うほど広大な領土を持つ。最も東に位置する幽州ゆうしゅうの寒村に朝が訪れるころ、最も西に位置する涼州りょうしゅうの城塞はまだ真夜中である。


 もちろん、南北にもかなりの隔たりがあり、北方の冀州きしゅう、幽州、涼州と南方の寧州、福州、広州の間には平均気温で10度ほどの差がある。


「そう言う意味では、この幽州から兗州えんしゅう辺りが最も過ごしやすい地域と言えなくもないでござるな」


 のんびりとした風情で、若者がそうつぶやく。


 身長は175センチ程度、黒い戦袍せんぽうの上から緋色の狩衣を着て緋色の括袴くくりばかまを穿いている。鎖帷子らしきものは着込んでいないようで、左腰に80センチほどの剣を佩き、右腰に雑嚢をぶら下げただけの軽装である。脚にはしっかりと脛当てをして、革のくつを履いていた。


 ただ、髪の色は日の光を受けて金色にも見え、瞳の色は深い海の色であった。


「……一面に枯れ果てた人骨が転がっていなければ、の話でござるが」


 若者は、立ち止まると辺りを眺めてそうつぶやく。


 遠くから見ればどこにでもある農村のような風景だったが、近くで見てみると、すべての家の屋根は落ち、壁は崩れ、麦畑は手入れもされずに踏み荒らされ、そしてあちこちに人骨が散らばっている。まさに鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)といった感じである。


「この辺りまで、妖魔の被害は広がっているでござるか……」


 若者は、青い瞳を持つ目を細めて、さらに遠くを見る眼差しをする。そんな彼の鋭い視線が、切り立った台地の上に何か動くものを捉えた。


(妖魔が大地を跳梁しだして2年、その間に人間側も妖魔を避ける方策をいくつも編み出してきた。あそこに隠れ里的な集落があるのかもしれない)


 そう考えた若者は、躊躇なく断崖の方へと足を向けた。


 その時、


「応竜様、けったいなもんが近づいて来てるで。油断したらあかんで?」


 そう言いながら、一人の女の子が現れて、彼の顔をのぞき込むようにして続けた。


「まぁ、うちから言わせれば、どないな輩が現れても、応竜様やうちの相手にはならへんけどな?」


 そう、花のような笑顔を見せて言う。


 その娘は、17・8歳くらい。青く見える亜麻色の髪を長く伸ばし、首の左側で結んで身体の前に垂らしている。深い海の色をした碧眼が印象的だった。


朝顔アサガオ、何度も言うが拙者の名は姜黎きょうれい、字は則天そくてんでござるよ」


 姜黎の言葉を、朝顔と呼ばれた娘は軽く受け流す。


「小さいことは気にせんでええって。うちがあんたのこと応竜様や思っているんやさかい、好きに呼ばせてほしいわ」


 娘はそう言うと、頭の後ろで手を組んで笑う。


 彼女は朝顔の文様が刺繍された裾の長い振袖のような着物を着て、同じく朝顔の模様が入った帯で緩く留めている。


 留め方が緩いから着崩れて蓮っ葉な感じがしないでもなかったが、着物の下には筒袖で翠の服を着て、同じく翠の半袴……つまり短パンを穿いている。


 だから着物の間から見える日焼けしてすらりとした脚や、裸足につっかけた黒い木履も相まって、娘を健康で活発そうに見せていた。


「そないなことより、ほら、いよいよお出ましなんとちゃうか?」


 にわかに立ち込めて来た霧を見て、朝顔は帯の後ろに差していた小太刀を抜く。姜黎も青い瞳を持つ目を細めて


「ふむ……面妖な霧でござるな」


 姜黎が左手を剣の鞘に当てながら言うと、目の前の霧が濃くなり、渦を巻いた。


「応竜様、来たで!」


 朝顔が鋭い声で姜黎に注意する。その時には姜黎はすでに剣を抜き放って渦の真ん中に突っ込んでいた。


「速いわ、うちの援護が間に合わんやんか!」


 朝顔は呆れたようにつぶやくと、姜黎との間を分断するように湧いて出た妖魔たちを睨みつけて言った。


「来たな! うちは華将六花かしょうりっかの朝顔。そこを退かんとどないなっても知らへんで!?」


 朝顔の前には、軍装をした髑髏たちが手に剣や矛をもって押し寄せてくる。その先頭には牛頭馬頭の将たる妖魔が指揮を執っていた。


 ウオオオオッ!


 髑髏たちは朝顔に矛を振り回しながら突進してくる。


 けれど朝顔は顔色一つ変えず、左手に小太刀を構え、右手で剣印を結び、


釣瓶取花つるべとるはな・縛!」


 そう叫ぶと、髑髏の軍団をアサガオの蔓が絡め取り始める。


 ゴガアアッ!


 次から次へと伸びて絡みついて来る蔓に、妖魔たちは動きを封じられた。


「だからうちは最初に言うたはずやで、どないなっても知らへんでってな? 花弁に光る朝露の如く散れっ! 消如松露しょうろのごとくきゆ・散!」


 朝顔が印を結ぶと、彼女の身体から群青の気が巻き起こり、それはあっという間に妖魔たちを包み込んだ。


 ガ、ゴガアッ!

 グオオアアアッ!


 妖魔たちは次々とうめき声を上げて地面へとくずおれていく。やがて群青の霧が晴れた時、朝顔の周囲1里(この世界では約250メートル)以内にいた妖魔たちは、すべて動かなくなっていた。


 朝顔は目を開けて印を解くと、右肩を回して、


「まだぎょうさん居るなぁ。もうひと踏ん張り、楽しまなあかんな」


 そう言うと、再び剣印を結び、妖魔の大群の真っただ中に躍り込んだ。


 先ほど、朝顔の方術を見せつけられたばかりの妖魔たちは、突っ込んでくる朝顔を見ると道を開ける。朝顔はニヤリと笑うと、小太刀を右手に持ち替えて振り回す。


「そりゃっ!」

 バムッ!


「やあっ!」

 ジャンッ!


 朝顔は、行く手を遮る妖魔たちを次々となで斬りにしながら本陣まで突き進み、この妖魔たちを率いていると思われる牛頭の前までたどり着いた。


「いっちょ前に半月槍なんて持ちやがって。うちは華将六花の艮将ごんしょう、朝顔。あんたが隊長かい? 尋常に勝負しいや!」


 朝顔の名乗りを聞き、敵将は慌てて半月槍を構えると名乗った。


「おう、我こそは魔校尉・完骨かんこつ、字は紫電しでんだ。小娘、可哀そうだが貴様にはここで死んでもらう」


 すると朝顔は、碧眼を細めて訊く。


「何やら青臭い鬼やな。ちょっと訊いてええ? あんた、妖魔になって何年?」


「我は同胞の人間への恨みが凝って成した鬼。成形鬼としてすでに5百年生きてきた」


 朝顔は完骨の言葉を聞き、ニヤリと笑って言う。


「へえ、そんなら少しは歯ごたえある戦闘ができそうやな」


「大きな口を叩くな小娘! 小娘とて我を馬鹿にすると許さんぞ!」


 完骨は真っ赤になって半月槍を振りかぶると、その姿を消した。


「ふうん、隠形隠遁術も会得してるんか。なかなか隅に置けん奴やな、ちっ!」

 バシュッ!


 朝顔は完骨の気配を察し、身体をひねって攻撃を避けたが、それでも彼女の帯を半月槍の斬撃が斬り裂き、朝顔の着物の前がはだけた。


「小娘、運がいいな。だが次は避けられぬぞ」


 完骨が唇をゆがめて言うと、朝顔ははだけた前を隠しもせず、能面のような顔で完骨を見据えながら言う。


「次は、何やて? アンタ、うちを怒らしてしもうたな?」


「……な、何だ、この妖気は?」


 完骨は、朝顔の身体から噴出する群青色の気を見て、一歩後ずさった。5百年の戦いの中で、彼が一度たりとも見たことのない力だったのだ。


「うちの帯を解いてええんは、応竜様ただ一人や。アンタはうちに恥をかかせた。

 汝ら黄口児こうこうじが、2千年以上生きている我ら華将に敵うと思うか?」


 完骨は、小柄な朝顔から発せられる猛気に圧倒され、指一本動かすことができなくなっていた。そんな彼が最後に見たのは、朝顔の切れ長の目の中に怪しく輝く四つの瞳だった。


「ち、重瞳ちょうどうの魔神……」


 完骨がそうつぶやいた時、


「貴様は我の傷を思い出させた!」


 朝顔がそう叫ぶと、彼女の小太刀は空間に白銀の軌跡を無数に残した。


 ドババババ、バシュッ!

「がっ!?」


 完骨は目を見開いたまま、なますのように切り刻まれた。


「さて……と……」


 朝顔は小太刀を血ぶるいすると、周囲にいる妖魔たちをぐるりと見回して言った。


「次は、貴様たちだ。我は虫の居所が悪い、手加減など致さぬぞ」



 一方、姜黎はもう一人の馬頭鬼が指揮する部隊と刃を交えていた。


 バン、ジャリッ、ゴリッ!

「がっ!」「ぐへっ!」「ごっ!」


 姜黎は妖魔の大群の真っただ中で、舞でも舞うかのように無駄と隙のない動きで戦っている。

 その剣が閃くたびに妖魔の首や手足が宙を舞い、姜黎の拳や脚は剣と共に妖魔たちにとっては恐るべき凶器となっていた。


「せいっ!」


 大鉞を持ったごつい猪頭の妖鬼が、右側からものすごい勢いで姜黎の頭を狙って振り下ろす。


 ぶうんっ! ガッ!

「甘いでござるよ」


 そちらを見もせずに剣でそれを受け止めた姜黎は、身体を回して妖鬼の顔面に破魔の呪符を叩きつける。


「げえっ! おがッ!」


 呪符に怯んで力が抜けた妖鬼を、姜黎はものも言わずに斬り捨てた。


「思いのほか数が多いでござるな。これは早めに勝負をつけたがよいかもしれないでござる」


 姜黎はそうつぶやくと、腰の袋から白く四角い面を取り出した。その面には四つの黄色い目と2本の赤い角がついている。方相氏の追儺ついな面である。


 姜黎は追儺面を被ると、剣を握り直して次の敵に斬りかかって行った。


「ぐうう、あいつは何者だ? 人間とは思えぬ強さだ。近ごろ我らの同胞を片っ端から討ち取っている奴がいると言うが、あやつがもしかしてそうか?」


 完骨と同様、魔校尉として軍勢を率いている馬頭鬼は、姜黎の奮戦を初めて目の当たりにして苦々しげにつぶやくと、大鎌を構えて前線へと乗り出し姜黎に名乗りかけた。


「よく来た、人間の方士よ。我は幽州の魔校尉・蹄鉄ていてつ、字は相伝そうでんだ。相手にとって不足はないぞ」


 すると姜黎は、ゆっくりと振り返った。その様を見てさしもの妖魔である蹄鉄も背筋が凍った。姜黎の身体から白い陽炎のようなものが立ち上がったからだ。


(あれが噂に聞く『追儺面の狂戦士』と呼ばれている方士か?)


 そう、恐怖にも似た感情を覚えた蹄鉄だったが、部下の手前仕方なく虚勢を張った。


「我はこの世界に凝って3百年。その恩讐はそなたら人間では祓いきれぬほど深く、背負いきれぬほど重い。小童、おとなしくこの場から立ち去れ、さすれば命だけは助けてやらんでもないぞ」


 すると姜黎は、ゆっくりと蹄鉄に歩み寄りながら答えた。仮面の下なので顔は分からなかったがその落ち着き払った態度から、蹄鉄には姜黎がうすら笑いを浮かべているように思えた。


「ふん、今までどれだけの妖魔がこの追儺面の下で我が『青海波』の錆と成り果てたか……そなたも業障ごっしょうを断ちて冥府に安んぜよ」


「何をっ!」


 蹄鉄が大鎌を振り下ろす。その速さは迅雷のようであったが、


「……なん、だと?……」


 蹄鉄は、目の前に誰もいないことを知って瞠目する。急いで振り返ると、そこには姜黎が後ろ向きに立っていて、今しも剣を鞘に納めるところだった。


 姜黎は、ゆっくりと剣を納めながら言う。


「……そなたのように恨みによって力を込めると、太刀筋は鈍る。しょせんそなたの武は恩讐の先にあるに過ぎぬ。

 業障は恨みや怒りでは斬れぬ。我が無想の一閃こそ業障を斬る、降魔の神速剣なり」


 そして、パチリと鞘に納める音と共に、


 ブシャッ!

「ぐあっ!」


 蹄鉄の右脇から左肩にかけて肉が大きく裂け、血が噴出した。


「ぐ……信じ、られぬ……」


 ガシャリと大鎌を取り落とした蹄鉄は、歪んだ笑いと共にそうつぶやき、仰向けに斃れた。その様を見て、妖魔たちは一目散に逃げだす。


 姜黎は、方相氏の面を外すと、蹄鉄を見て沈痛な顔でつぶやいた。


「悪業が凝ると悪鬼を成す。けれどそなたも改心し、次こそ実りある生を全うすることを祈っているでござる」


 そして姜黎が蹄鉄の死体に一偈を唱えていると、


「応竜様、うちの方も終わったで。いつも思うけれど、これだけの妖魔を調伏するのんはさすが応竜様やで」


 そう言う声と共に、牛頭鬼たちを討ち取った朝顔が駆けて来て、ふうとため息をついて言った。


「はあ、よかった。応竜様のことやから万が一にも負けることあらへんと思うとったけれど、今回は輪をかけて数が多かったから心配になってん」


 朝顔がそう言って笑った時、


 ヒュンッ!


 風を切る音と共に石つぶてが飛んできた。


「なんや!?」


 朝顔が慌ててそれを避けると、姜黎は彼女を庇いながら石が飛んできた方を見て叫んだ。何人かの村人が次の石つぶてを投げるところだった。


「拙者の名は姜則天と申す、涿郡への道をお聞きしたい!」


 姜黎はそう言うとともに、飛んで来た石を両手ではねのける。その早業を見て、村人たちはさらに恐れおののいたように必死になって石を投げ続けて来た。


「……話にならないでござるな。朝顔、この場から立ち去ろう」


 次から次へと飛んでくる石を払いのけていた姜黎は、突然右の方向へと駆けだした。行く手には妖魔の襲撃で壊滅した廃村がある。そこを抜けて北への道を探そうという考えだった。朝顔も隠形してその後を追った。


   ★ ★ ★ ★ ★


 姜黎が廃村に入ると、石も飛んでこなくなった。朝顔は再び姿を現して


「なんやあのおっさんたち、妖魔を退治した応竜様に何てことすんねん! お礼一つも言えへんなんて、どういう神経しとるんや!」


 怒りをぶちまけ、もう見えなくなった村人たちにあかんべーをする。


 姜黎は、薄く笑ってそんな朝顔をなだめた。


「怒ってもしょうがないでござるよ。拙者の見た目が余りにも人と変わっているから、『人でないモノ』と思われてもしょうがないでござる。

 ましてや追儺面を被って戦っているところを見たのなら、鬼神が戦っていると勘違いしても無理もないでござろう?」


 そう言いながら、日の光を受けて金色に輝く髪をなでた。


「そやかて、応竜様はちゃんとあいつらに名乗ったやないか!? 鬼神でも妖魔でもないって分かるはずや!」


 食ってかかってくる朝顔に、姜黎はどこか寂し気な顔をして言う。


「朝顔、人間とはそんなに強い存在じゃないのでござるよ。少し変わった見た目をしていたり、変わった態度を取ったりするものを警戒するのが人間というもの。妖魔の襲撃を受けた経験があるのならなおさらでござろう」


「そやかて……応竜様があないな感じで追い払われるってことが、あんまり多すぎるんやもん。応竜様は悔しくはないんか?」


 頬を膨らませて言う朝顔に、姜黎は笑いかけて答えた。


「別に。人間、何事も慣れでござるよ」


 朝顔は、姜黎の笑顔がどことなく寂しそうで、虚無感があるのを感じ取って訊く。


「……あの、応竜様。気に障ったら謝るけど、応竜様は人間が嫌いなんか?」


 すると姜黎は緩く首を振って答える。


「人間が嫌いなのだったら、人助けなどしないでござろう? ただ、拙者は退魔の力のせいで幼い時から変わった子と思われ、大人たちからは気味悪がられ、友だちも余りできなかった、ただそれだけでござるよ」


 姜黎の話を哀しそうな顔で聞いていた朝顔は、


「でも、それやったら人助けなんて止めたらええのに。応竜様の優しさが分からない奴らなんて、うちは絶対許せへんねん」


 押し殺したように言う朝顔の身体から、瘴気に似た何かが噴き上がってくる。それを見た姜黎は困ったような顔で言った。


「朝顔、拙者と約束したでござろう? そなたの中にいる夜叉を抑えてほしいと。でなければ拙者はそなたと旅を続けることはできないでござるよ。

 拙者の人助けも、そなたがいてこそ続けられているところもある。

 拙者のために怒ってくれるのはありがたいが、先ほども申したとおり人間とは弱い生き物でござる。そう思って堪えてくれないだろうか?」


 姜黎の顔を見ながら話を聞いているうちに、朝顔の身体から瘴気の噴出は止まり、


「……せやったな、うち、忘れるところやった。応竜様が気にせぇへんと言うのやったら、うちも気にしないことにするわ」


 そう言うと、まさに大輪の朝顔のような笑顔で付け加えた。


「けど、応竜様はホンマ、ズルいなぁ。うち、こないな優しい気持ちになったんは初めてや。華将は夜叉やゆうけれど、仕える人がええと菩薩様になったような気がするわ」


 そんなことを話しているうちに廃村を抜けた二人の前に、広い街道が走っているのが見えた。


「あの街道を北に向かえば、涿郡に出るはずでござる。朝顔、途中で妖魔たちに出会っても大丈夫でござるか?」


 姜黎が腰の『青海波』を触って訊くと、朝顔は元気に答えた。


「あの程度の妖魔やったら、いくらでも出てきてかまへんで?」


 そして、不思議そうに付け加える。


「ところで応竜様、なんで涿郡に行くんや?」


 姜黎は遥かな北を見つめて答えた。


「あそこには、拙者の莫逆の友がいる……はずでござるからな」



 姜黎たちが涿郡への街道を歩き始めたころ、妖魔たちとの戦いが起こった場所に、一人の乙女が立って辺りの様子を確かめていた。


 彼女は、浅黄色の袍を着て肩に長弓をかけ、短いズボンに革の靴を履き、黄色の瞳と黄色のメッシュが入った黒髪をしている。


「……ここで滅却したのは、かなりの仙力を持った魔物たちだったんだわ。それに数も多かったみたいね」


 女性は、その場に残った妖魔たちの武器や鎧の類に残る魔力の残滓から、消滅した妖魔たちの実力が並み以上の者たちだったことを悟った。


(何人でこれだけの数の妖魔を片付けたのかは分からないけれど、この場所に残る形跡から推察すると、方士側は多くて5人、ひょっとしたら3人以下かもしれない。だとすると……)


「……だとすると、かなりの手練れね。青州から兗州や幽州にかけて噂に聞いた、凄腕の方士とその式神かもしれないわね」


 女性はそうつぶやくと、近くの台地の上に集落があることを見抜き、早速そちらへと足を向ける。ひょっとしたらこの場での戦いを見ていた者がいるかもしれないと考えたのであろう。


 けれど、彼女は2・30歩も歩くと立ち止まった。いつの間にか自分が数十人の男たちに囲まれているのを知ったからである。


「……わたくしは中有ちゅうう推命すいめい雷桜らいおう帝君ていくん・天権の弟子で風塵ふうじん不留ふりゅう真君しんくん黄杏こうきょう、字は鶺鴒。ここで妖魔たちが消滅したようだけれど、その様子を知っている方はいらっしゃらないかしら?」


 鶺鴒は村人から攻撃を受けるような事態を避けるため、まだ彼我の距離が50歩ほど離れているうちに名乗りを上げ、自分の要件を大声で伝える。


 鶺鴒の声が聞こえたのだろう、村人たちを包んでいた殺気立った雰囲気は緩み、集団から一人の男が出てきて応答した。


「お前は仙人なんだな? だったら頼みがある。先ほどここに現れた鬼神を退治してくれないか? 奴は妖魔を退治したが、俺たちの村に入って来ようとしていた。

 ひょっとしたら俺たちを独り占めするために妖魔をやっつけただけかもしれない」


「鬼神? 鬼神が妖魔を退治したというの?」


 鶺鴒が眉を寄せて訊く。普通鬼神は人間に仇なすもので、それが妖魔を退治するとは考えにくいからだ。


(まあ、その妖魔たちが見境なしに攻撃を仕掛けて鬼神の機嫌を損ねたとか、その鬼神が天帝や応竜などと安寧守護の契約を交わしているとか、そう言う事情なら考えられないこともないかな。あまりありえないことだとは思うけれど)


 そんな鶺鴒の表情は、男の言葉でさらに戸惑いの色を深くした。


「ああ、そいつは四角くて白い顔をしていた。四つの黄色い目があって、角も生えていた。それに女の式神みたいなのを連れていた」


(四角くて白い顔で黄色い四つの目……何か方相氏みたいだわね。けれど方相氏は式神や式鬼なんて使わないはず……)


 そう思った鶺鴒だったが、かえって興味がわいたのだろう、うなずくと男に訊く。


「分かったわ。その鬼神とやらについて調べてみます。それで、そいつはどっちに?」


「あの廃村に入って行った。俺たちはもともとあそこに住んでいたが、妖魔たちの襲撃で酷い目にあったので隠れ里を作ったんだ。

 あの廃村を抜けると涿郡と衛をつなぐ街道に出る。鬼神がどっちに向かったかは知らないが、南から現れたのだから北の涿郡に向かったんだと思う」


 それを聞くと、鶺鴒は


(涿郡か……天権様はわたくしに涿郡に行けと申されたが、ひょっとしてその鬼神とやらが関係しているのかしら?)


 そう思いながら、村人たちに答えた。


「分かりました。みんな村にお帰りなさい。天権様が動かれたから、妖魔たちが好き勝手出来るのも今のうちだと思うわ」


 そう言うと、喜びを表した村人たちに背を向けて、廃村の方へと歩き去った。


(其の壱 了)

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 今回は大秦帝国が妖魔の災厄に襲われたそもそもの発端をお送り致しました。


 主人公の姜黎もそうですが、朝顔をはじめとした六花将や天権、そして鶺鴒などその弟子と、いわくありげな人物が並んでいます。その一人一人の心の動きや過去の絡み合いを解きほぐす旅は始まったばかりです。


 『青き炎の魔竜騎士』は、『世界の外』についてのイメージが固まっていないのと、最終的な方向性を調整するために、『キャバスラ』は行き当たりばったりで書き進めてきましたが、さすがにきちんとした設定をしないといけないかなーってことで、暫くのお休みをいただきます。できるだけ早く執筆を再開いたしますので、暫くお待ちください。


 最後に、本作に感想をお寄せくださった方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。とても励みになります。ご期待に沿えるよう頑張って参りますので、よろしくお願いいたします。

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