別れ 1
バーニーさんが他の騎士さんたちに命じて、バタバタとみんなが一斉に動きだす。
瑠璃は慈愛の微笑みを浮かべ、集落の中で残された人たちひとりひとりに声をかけた後、不思議な力でどこかへと転移させてしまう。
レイラ様とプリシラお姉さんはふたりで、もともとプリシラお姉さんが住んでいた家というか……小屋があった場所で立ち尽くしているみたい?
ぼくは、兄様のズボンをクイクイと引っ張って、「あっち」とレイラ様の方を指差し、とてとてと歩く。
「レン、待って」
兄様がすぐにぼくを抱っこしてくれて、後ろには白銀と紫紺、アリスターが続く。
「どうちたの?」
「ああ、レンちゃん。さっきの聖獣様たちの御力は凄かったわね。レンちゃんもお手伝いして偉かったわー」
ぼくは褒められて、ちょっと恥ずかし嬉しでもじもじ、白銀と紫紺は反対に自慢げに胸を張っている。
「それでね、ここにこの子の家があったんだけど、そこから生えた木が少し周りの木と違うみたいなのよ」
レイラ様は手を頬に当てて、悩まし気に「ほうっ」と息を吐く。
木?
ぼくは、周りの木をよく見比べてみる。
「あれ?レン、あの木だけ、なんかピカピカしてるね?」
兄様が教えてくれた木は、確かに1本だけ幹が輝いている。
なんていうか、日に当たると木の幹が慎ましく虹色っぽい輝きに包まれるように見える。
「……あのぅ……」
ずっと黙っていたプリシラお姉さんが、か細い声を上げた。
みんながその声に注目するから、プリシラお姉さんは肩を竦め俯きがちに、
「もしかしたら、わたしの…涙のせいかも……」
「なみだ?」
ぼくは、ますますわからなくて首を捻る。
レイラ様が補ってくれた説明によると、プリシラお姉さんはひとりでこっそり泣いていて、そのときの涙が真珠に変わって、それを集落の人たちに見つかるとまた虐められるから、小屋の中の地面に掘って埋めていたらしい。
「……毎晩、枕元に涙の真珠と鱗があって……それを埋めていて…そのままだったから…」
「つまり、この木だけそれらを養分としたから、周りの木と違う成長をしたってわけか」
兄様が難しい顔で、木の幹を撫でる。
「ダメなの?」
何か問題でもあるんだろうか……。
「平気じゃよ」
「るりー!」
瑠璃がその木に手を当てて、眩しそうに見つめる。
「ふむ。他の木に比べて浄化の力が強いみたいじゃが、ここら辺一帯の守りになるじゃろ。プリシラも気にするでない」
「……はい」
プリシラお姉さんは、安心したように息を吐いた。
「もともと人魚族の涙の真珠は害がないからの。あれは人魚族が人を想って流す悲しみの結晶じゃよ。悲しみ以外の涙は、人族たちと同じでただ頬を濡らすだけじゃが、人を想って流した涙はその想いを忘れぬように優しく昇華しようと真珠に変わるんじゃ。プリシラは、母を想って流したんじゃろう」
プリシラお姉さんは、瑠璃の言葉に瞳を潤ませふらふらと木に近寄り、その細い腕で木を抱きしめた。
「……っ、おかあ…さん…」
レイラ様と瑠璃が、プリシラお姉さんの震える体を両側から抱きしめてあげる。
…………。
きっと、プリシラお姉さんのお母さんは、優しくて愛情深い人だっだんだろうな……。
あんなにプリシラお姉さんが、お母さんを想って泣いているんだもの。
「…………ぃな」
ぼくは、歪んだ顔を誰にも見られないように、兄様の胸に顔を埋める。
いいな。いいな。羨ましいな。
優しいママに愛されて。
ぼくは、どうだったんだろう……。
でも、そんなことを考えちゃいけない。
それを考えることは、悪いことなんだ……。それが欲しいと願うことは、悪いことなんだ……。
ぼくは、悪い子になりたくないっ。
「どうしたのレン?」
「どうしたレン?」
「あら、疲れちゃったの?」
「ヒュー、レンを連れて先に馬車に戻るか?」
兄様や白銀と紫紺、アリスターがぼくを心配して次々に話しかけてくれる。
今は、こんなに恵まれて幸せで、この世界に来てギル父様やアンジェ母様が慈しんでくれて……。
なのに、ぼくは……。
「へいき!なんでもにゃいの!ふふふふ」
ちょっと無理して全開の笑顔を、みんなに見せた。
ぼくの笑顔で、みんなが笑ってくれる。
なんか、ほっこりするよね!
「さて、儂は海へと帰るとしよう」
あのあと、父様とレイラ様と瑠璃で難しい話をして、これからどうするかが決まったらしい。
瑠璃は「帰る」宣言をして、プリシラお姉さんにキラキラ青銀色に煌めく鱗をひとつ手渡した。
「リヴァイアサン様……これは?」
「儂の名は瑠璃じゃ。皆も瑠璃と呼ぶがいい。プリシラ、これはなお主の守りじゃ。こうして身に付けておけば、危ないときにお主を守る。あとは……どこに行っても場所が分かる。すまんのぅ、ベリーズ侯爵たちに頼まれたのじゃ」
それって……まんまGPSじゃん。
「いいえ。ありがとうございます……瑠璃様」
ほんの微かに口元を緩めて、プリシラお姉さんは耳に飾られた鱗に手を当てる。
瑠璃の鱗は青銀色のイヤーカフに姿を変えて、プリシラお姉さんの耳を飾っていた。
「かわいーの」
繊細なデザインが施されたそれは、エメラルドグリーン色の髪と似合っていて、素敵だ。
「レンにもこれをやろう。肌身離さず付けておくのじゃぞ?危ないときは勿論、儂の力が必要なときはそれに呼びかけるのじゃ。すぐに駆け付けようぞ」
瑠璃はぼくの首に、ペンダントをかけてくれる。
ペンダントトップは青銀色の鱗。
「「いらん!」」
「お主らの力を侮っている訳ではないぞ。ただ、今回のような海の中だと、お主らじゃ心許ないのは確かなことじゃ。それに、他のややこしい神獣聖獣のトラブルのときに儂は役立つじゃろう?」
「「ぅぐっ」」
白銀と紫紺、撃沈。
「ありがとーっ!だいじにするの!」
そうかそうかと笑って、ぼくの頭を撫でる瑠璃。
うん!嬉しいよ!仮令プリシラお姉さんと同じGPS機能が付いていてもね!
え?ぼくのには付いてないの?それでいざっていうとき大丈夫?へ?転移機能が付いてるから、即座に移動できるの?へ、へえーっ、凄いね……。
ぼくがまじまじと鱗を見ている横で、白銀と紫紺がうぐうぐと歯噛みした。
「そうでなくともプリシラと家族の手紙のやりとりで、水の精霊を行き来させるのでな。緊急でなければ、そ奴に伝言を頼めばいい」
「あい!」
「おおっ!忘れていたわ。紫紺、主は収納魔法が使えるのであろ?これを頼むぞ」
デデーンと、その場に出されたのはクラーケンの足。
ビチ、ビチチ、とまるで生きているように跳ねてます。
活きがいいなーっとぼくは思ったんだけど、みんなは「ひいーっ」と悲鳴を上げて後退る。
「……、すっかり忘れてたわ。いいわよっ!仕舞うわよっ、仕舞えばいいんでしょ!」
と、やけ気味に叫んで紫紺は自慢の尻尾の先で、クラーケンの足に触れ収納していた。
「あれ、しんでるの。みな、だいじょーぶよ?」
引き攣った顔の父様とバーニーたち。
うげげげって顔を顰めていたアリスター。
そして、今にも何かの攻撃魔法を打ち込もうとしていたレイラ様。
本当にみんな何してるの?タコの足、美味しいのにな……。
じゅるるる。
「レン、涎でてる」
兄様が呆れて、ぼくの口元をハンカチで拭いてくれる。
「ではの、レン、また会おうぞ」
「うん。こんどは、いっぱいいっぱい、あしょぶのー!」
約束だからね、絶対だよ?
ぼくは、瑠璃が海に飛び込んで、水柱が高く天に突き上げるのを見上げて、そう心の中で瑠璃と指切りした。