海底宮殿 4
ナタリア……。
確かにこの人は、「ナタリア」とお母さんの名前を言った……。
何だか分からないうちに海に放り込まれて、知らない人たちに助けられて、幻の人魚国に連れて来られて、王様にお会いして……、わたしの血縁者がいるからと部屋で待たされて……。
そして王様と一緒に現れた、わたしと同じ髪色の男の人が、お母さんの名前を知っていた。
本当に?この人が顔も知らないお父さんのお父さんなの?
わたしのお父さんは、どこかで生きているの?
わたしは……みんなが噂するように人魚族なの?
はらはらと涙だけが溢れて、わたしの頬を濡らしていく。
「ないちゃ、めー」
ペタペタと小さな手がわたしの頬を拭う。
「?」
「ないちゃ、めー。めー」
知らない人たちに囲まれて怖い話をされると思って、無意識に小さな子の服の裾を握ってしまった、わたし。
その男の子は不思議そうな顔をして、自分の服の裾を掴んだわたしの手を見て、隣にいるお兄さんに助けを求めた。
手を離さなきゃ……と思っても、怖くて怖くてさらに力を込めてぎゅっと掴んだ。
その子のお兄さんは、男の子を膝に抱っこして、わたしの隣に黙って座ってくれた。
ほっとしたけど、反対隣には聖獣様が人化した姿で座っているので緊張は解けない。
いま、わたしがその場に引き留めた子供は、お兄さんの膝に立って、わたしの涙を小さな手で拭いてくれる。
そのかわいい姿に、ちょっとだけ勇気をもらえた。
「ナ……、ナタリアは……母の名前で、す」
怖いけど、真正面に座るエメラルドグリーンの髪の男の人に告げる。
「では……君がブランドンの……」
わたしは、その「ブランドンさん」の記憶が無いから、肯定できずに首だけ傾げてみせた。
「コリン。血族の水晶はどうした?」
王様が問いかけたとき、部屋の扉がバアーンッとけたたましい音を立てて開いた!
「貴方!ブランドンの子供はどこ?」
「父上!水晶持ってきましたよー」
青い髪を高く結い上げて細身のドレスを着た女の人と、エメラルドグリーンの髪を後ろの高い位置でひとつに括った男の人が、凄い勢いで部屋に入ってきた。
「はーっ、落ち着きなさい。これから調べるがこの髪色だし、この子の母親の名前がブランドンの結婚したいと伝えてきた女性の名前と一致した。まあ、間違いはないだろう」
そう告げて、今部屋に入ってきた若い男の人から緑色っぽい小振りな水晶玉を受け取ると、無言でズイッとわたしの方へ差し出してきた。
「持ってみなさい」
促されて恐る恐る水晶玉を両手で受け取る。
小さな男の子と一緒に水晶玉を見つめると、中に白い煙みたいなモクモクが沸いてきて、グルグルと渦を巻いたかと思うと、パァーッと光って……何かを映し出した。
「お母さん……」
水晶玉の中に映っていたのは、懐かしい元気なときのお母さんと……お母さんに抱かれた赤ん坊……、そのふたりを優しく微笑んで抱きしめている男の人。
男の人はわたしと同じエメラルドグリーンの髪をしていて、顔立ちは目の前に座る男の人にどこか似ていた。
「……ブランドン!」
後から部屋に入ってきた女の人が口を両手で押さえて、涙を流す。
「……ここに映っている女の人は、君の母親だね?」
「はい……。でも、この男の人は知りません」
この人たちを傷付けるかもしれないけど、本当にわたしはこの男の人を知らない。
だってわたしの記憶の中に、お父さんはいなかったから……。
あの子が両手で捧げ持っているのは血族の水晶という魔道具で、持った人物の血族……両親とか子供とかが映し出されるんだって。
王族や高位貴族の家では重宝される魔道具らしいけど、そんな魔道具がなくても家族ってわかると思うんだけどなぁ……。
「レンにはまだ分からないかもしれないけどなー、血筋を重んじる家にはいろいろあってだなー…イテ!イテテテ!や、止めろ、紫紺!」
「アンタは、また余計なことをレンに教えようとして!コンニャロ!ちょっとは、反省、しなさーい!」
白銀と紫紺が、また喧嘩を始めちゃった。
といっても、紫紺が一方的に白銀をボコボコにするんだけど……。
あの子がお父さんを知らないって言ったら、部屋の空気がピキーンと固まってしまったみたい。
そんなに変?ぼくも前世のお父さんが誰かだか知らないし、会ったこともないよ?
兄様に前世云々を伏せてそう言ったら、すごく複雑そうな顔をされてしまった……。
うう、ごめんなさい。
「よろしいですか?その子のことなんですけど……」
はい!と片手を上げて、兄様が発言の許可を求める。
人魚王様が鷹揚に頷くと、兄様はレイラ様に聞いていたあの子の事情を話し始めた。
母子ふたりで海から岸に流れ着いて、流民の集落に身を寄せていたことや、母親が亡くなった後、人魚族の生き残りとして集落の住民から迫害を受けていたこと。
なんか、あの子が虐められていたことをやたら詳細に語る兄様の笑顔も怖いけど、コリンさんたちベリーズ侯爵家一同の凄みのある笑顔も怖い。
とうとう、海に現れたクラーケンの生贄するために、簀巻きにされて海に放り込まれたところまで、話し終えてしまった。
「……あの、僕たちはブリリアント王国のブルーベル辺境伯領の者です。彼女を保護しようとした女性は僕の叔母上で辺境伯夫人です。ちなみに僕は辺境伯騎士団の団長の息子ヒューバートです」
ペコリと兄様が挨拶をするので、ぼくも「レンでしゅ」と名前を言って頭を下げた。
「ふむ……ブルーベル辺境伯領ということは…ブルーパドルの街も領地かな?」
「はい。僕たちは祖父が守るブルーパドルの街から集落へ来ました」
「コリンよ。あの街は陸で暮らす人魚たちの評判もいい。成人まで預けるにはいい選択ではないかね?」
「そうですな……。王が私を宰相の地位から外してくだされば、一族一同で陸に移り住んでもいいんですが……」
「それだけは……許してくれ」
なんか、人魚王様とコリンさんの間で、冷たい戦いが始まっているよ?しかもコリンさんが圧勝しているよ?
その間、聖獣リヴァイアサンから説明してもらいました。
人魚族との混血児は、人魚とは反対に成人したら足をヒレに変えることができる。
そのため、人魚族の国や街で暮らすには成人後が適している。
陸もあるけど、たまに陸が海水で満たされてしまうこともあるから、成人前の人魚族の混血児には生活が困難になることも……。
人魚王様とコリンさんは、その成人前のあの子を預ける場所として、ぼくたちの住む領地は良い所だって褒めてくれたんだ!
嬉しいね!
でもコリンさんたちは孫?と一緒に暮らしたいから、王国で偉い仕事をしているのを辞めさせて欲しいって、王様に頼んで断られたんだって。
王様は仕事をサボりがちで、コリンさんがいないとこの王国は困ってしまうらしい……。
「あの……、君は本当に弟……ブランドンのことを知らないの?その集落に辿り着くまではどこにいたの?」
エメラルドグリーンの髪をポニーテールにしたお兄さんが、話しかけてきた。
「……わからないの……。お母さんはわたしを外に出すときは必ずローブを被って姿を見せないようにしていたし、わたしにもあまり外に出ないように言っていたから……」
どうやら、物心がついたときには母親とふたり暮らしで、お父さんはいなかったらしい。
お母さんのナタリアさんは、娘を外に出すこと……というより、他の人の目に映ることを嫌って、隠すように暮らしていたみたい。
しかも…。
「お母さんはいつも何かに怯えていて…住む場所もすぐに変えてしまうの。誰かに追われてる?みたいに…。だからあの日も……」
客船に乗って海を移動していた夜。
ナタリアさんに寝ているところを無理やり起こされて、客船に積んである救命ボートに乗り移り逃げ出した。
ナタリアさんはそのとき、「奴らに見つかった」と言っていたらしい。
でも夜の海を漕ぎなれないボートでは渡り切れるわけもなく、呆気なく高波に飲まれて転覆し、流れ着いたのがあの集落だった。
「追われている……ブランドンが手紙も出さず、海にも戻ってこないのと、何か関係があるのか……」
「ブランドンが追われているのか?人魚族が追われているのか…微妙な所だな」
人魚さんたちが全員、難しい顔で考えこんじゃった。
うーん、とりあえずぼく…知りたいことがあるんだけど…聞いてもいいかな?
「ねぇ、おなまえは、なんていうの?」
名前がないって言ってたけど……やっぱり名前がないと不便だよーっ。