海の覇者 1
ギィコギィコ、おじさんがふたりで舟を長細い棒で漕いで、海の沖へと進めています。
もう一艘、違う舟におじさんがふたり乗って、ぼくたちが乗った舟の後ろをついてくるけど……、こんな小さな舟で海の沖に出て、大丈夫?
ぼくは、海に行ったこともないし、舟に乗ったこともないけど……、こんな人力オンリーでずっと漕いでいくのかな?
うーんでも、この世界にはエンジンとかないもんね……。
舟の後ろで大きな布を被ってそんなことを考えていたら、白銀がつまらなさそうに、
「で、どうすんだよ」
と訊いてきた。
そうだね、これから、どうしよう……。
「あら、あの子を助けるんでしょ?」
反対隣から、紫紺。
「たしゅけたいけど……、うみ、だよ?」
ふたりとも、泳げるの?ぼく、無理。
しかも、波がさっきから高くなっているのか、舟がグワングワン揺れているの……、ちょっと怖い。
「海か……。雷は……ダメだな……。うーん、あいつらみんな、舟から落とすか?」
「雷は止めなさい。みんな痺れてしまうわ。あいつらを海に落としたあと、どうするのよ。アタシたちで舟を漕ぐの?」
「人化したら、イケる気がする!」
……白銀の自信が信用できないのは、何故だろう?
ぼくは、ぴょっこり被っていた布から顔を出した。
紫紺の隠蔽魔法が掛かっているから見つかりにくいし、小さな声なら聞こえにくいらしい。
ああ…、随分と岸から離れちゃったな…。
なんか、おじさんたちが凄い形相で舟を漕いでるんだけど。
ぼくは、舟の舳先に縛られたまま寝かされている、あの子の様子を窺う。
「ぐったりしてる」
抵抗もしないし、声も上げない、あの子。
舳先の向かう方向、ずっと先の海に見える黒い丸……、あれ?大きい丸ひとつと、長い鞭みたいなのが幾つも伸びているけど、なんだろう?
隣から同じく、ぴょっこり顔を出した白銀と紫紺。
「あー、クラーケンだな」
「ええ、クラーケンね」
あれが?クラーケンっていうの?アリスターが「出た」って言ってたね。
え?海の魔物ですごい強いの?
そういえば、前世でクラーケンといえば、イカさんの場合とタコさんの場合があったけど……ここでは、タコさんみたいだね。
「タコさんって……そんなに可愛くないぞ、あいつ。足で船でも山でも握りつぶすし、体当たりしたら崖とか崩れるしな」
「暴れたら海が荒れるし、下手したら津波が起きるし、たいした素材も取れないし……邪魔なだけよ」
「おいしく、ないの?」
ぼくがタコさんを食べる発言をした途端、ふたりが驚愕の表情でこちらを凝視した。
君たち相変わらず、表情豊かだね?
「た……食べるの?あれを?」
「うそだろ……ヌメヌメしていて気持ち悪い」
「……ゆでる、やく、おいちい」
ママの友達で機嫌のいいときに、たこ焼きを買ってくる人がいた。
たまに、ぼくにも食べさせてくれて、熱くて熱くて口の中を火傷しちゃったけど、とっても美味しかった!
ブルーパドルの街は海鮮料理の屋台がいっぱい出てたけど、そういえば、タコ料理……見なかったなぁ。
「どうする?白銀?」
「あ?しょうがないだろう。どうせ倒すんだし、足の1本か2本千切って、レンにあげよう」
「うぇぇぇ。アンタがやりなさいよっ。生臭くてアタシは嫌」
なんか、ふたりがタコの足で揉め始めたけど、今はそれどころじゃないよ!あの子のこと助けなきゃ!
丁度、おじさんたちは舟の櫂から手を放して、あの子に手を伸ばす。
「これ以上は、危なくて近づけない。ここら辺で捨てていこう」
「だいぶクラーケンとは離れているが、しょうがない……ちょっと波が高すぎるな。おい、足を持ってくれ」
ふたりして、あの子の体を持ち上げる。
「あら……海に投げようとしてるわね?」
「人って縄で縛られても泳げるのか?」
そんなわけないじゃない!
たいへん!あの子があのまま海に投げ入れられたら、死んじゃうよ!
被っていた布を払い除けて、舟の舳先へと行こうとしたら、白銀に服の裾を噛んで止められた。
「危ないっ。舟の上でひと塊になったら、バランスが悪いだろう」
「だって……」
はーなーしーてー、とジタバタしてたら、おじさんたちは「そぉーれ」と掛け声をかけて、あの子を舟から海へと放り投げてしまった。
「「「あ!」」」
ぼくは、舟の縁に行ってバッチャーン!と水飛沫が上がった海面を覗き込む……、覗き……、あれ?あれあれ?
ぼくは、まだ幼児だったんだ!歩くのもよちよちだし、頭が重くてバランスの悪い……。
なのに、舟から身を乗り出して下を見ようとしたら……落ちるよね?
ポチャン!
ブクブク……。
ああ……、冷たい海水に包まれて、落ちた衝撃で上下左右がグルグル回って、海面がどっちだが分からなくなる。
手を伸ばそうとして、目に映るのは……、ただ静かに沈んでいくあの子の姿だった。
「「レン!」」
ふたり、海へと。
ボチャン!
ボチャン!
「な、なんだ……今の……。俺たち以外に舟に誰か……乗っていたのか?」
「おいおい、俺は頭がおかしくなったのか?犬と猫が……喋った……」
舟に残された男たちは、今見たことが信じられずにヘナヘナとその場に崩れた。
広い広い空に、ただ一羽の鳥が飛ぶ。
高く高く、上へ上へと天にも昇るように飛び……、天の裂け目に飲まれるように……消えた。