嫌われ者の人魚姫 4
今日も、井戸のお水が汲めなかった。
最近、漁が上手くいかなくって、おじさんたちがイライラしている。
そのせいで、いつもは殴らない人も殴ってくるし、石をいっぱい投げられる。
髪を引っ張られてブチブチと抜けたときは、痛くて涙が出た。
でもその涙は普通の涙だったから、また叩かれた。
悲しいときの涙は、真珠になるからお金になるのにって怒られたけど、そもそもここからは、誰も出て行くことはできない。
わたしも……一生ここから出ては行けない。
何もすることがなくてただ立っていたら、優しい声とともに戸が開かれた。
たまにシスターのお婆さんと一緒に訪ねてくる綺麗なお姉さん、レイラさん。
どうしたんだろう?3日前に来たばっかりなのに?
ぼーっとしていたわたしの視界に、大人の男の人と男の子が映る。
ぃっ!
声にならない悲鳴を喉の奥で上げて、咄嗟に頭を庇い体を縮める。
殴られる!
蹴られる!
痛い!
それしか考えられなくて、ブルブルと震えだす体が止められなくて……。
驚いたレイラさんが、わたしの骨と皮だけの体を抱きしめて安心するように宥めてくれる。
深く息を吸って吐いてようやく落ち着いてきたら、水を汲みに行ったレイラさんが顔を顰めていた。
「この水を飲んでいたの?」
レイラさん、ちょっと怖いです……。
わたしは、黙って頷く。
レイラさんは「この水はもう飲んじゃダメ」と言って、戸を開けて外に出てしまった。
でも……井戸に汲みに行けないし、湧き水では手で掬っても僅かにしか飲めない……。
どうしようと、ぼんやり考えていたら、再び戸が開いた。
レイラさんはひとりで水甕をグワシッと掴んで外に出し、残っていた水をその場に捨ててしまった。
ああああ、お水が……。
レイラさんが水魔法で甕の中を濯いで綺麗にしたあと、不思議なことが起きた。
不思議なモノ?あれは、なに?
甕の上をふよふよ飛ぶ……光の玉みたいな……ううん、なんか羽が生えている?
よーく見てみると、小さな男の子が両手を突き出して、水をバシャバシャ出して甕を満たしている。
あれ?なに?
目を見開いて、びっくりしているわたしの視界に映る、幼い男の子。
その子もびっくりした顔で、わたしを見つめていた。
「待っていてね。今日は貴方を連れて帰るわ!」
レイラさんが綺麗な顔で笑って、そう、わたしに言ってくれた、希望の言葉。
本当に?
本当に、わたし……ここから出て行くことができるの?
そのためには、わたしは人魚族の生き残りになるらしい。
よくわからないけど、「ばけもの」と呼ばている今と何が違うの?
わたしは、人魚族の生き残りでもかまわない。
ここから、出て行けるのなら!
でも、レイラさんが村長の家に行った後、わたしは絶望を味わうことになる。
集落のおじさんたちが小屋に押しかけてきて、わたしを縄で縛り猿轡をかまして拘束し、肩に担いで運ぼうとしたから。
そして、おじさんたちは言った。
「生贄だ!こいつを、人魚を捧げれば、あいつは満足していなくなる!こいつを海に捧げるんだーっ」
ああ……、あともう少しで、自由になれたのに……。
でも泣いちゃダメ……。
涙を零しちゃ……ダメ……。
ぼくは小屋の裏の日陰で、拾った棒でぐりぐり地面に絵を描いている。
父様とレイラ様は難しい話をするために集落の長の家に行っていて、騎士さんたちは、あの子が怖がるから森の所まで戻ってるし、なんでか兄様は集落の子供たちと遊びに行ってしまった。
ぼくも兄様に誘われたけど……あの子をいじめる子たちと遊ぶのは嫌だから、行かなかった。
ぼくの護衛にアリスターが残って、ぼくのお絵かきを黙って見ている。
白銀と紫紺はずっと海を見ているんだけど、何かいるの?
「い、いないぞ!何もないぞ!」
「バカ!余計怪しいでしょ!何もないわよー、海が珍しく見ているだけよー」
バシッと尻尾で白銀のお尻を叩いた後で、紫紺がそう言ったけど、もの凄く棒読みで、何か誤魔化しいるみたいだった。
だから、ぼくも海を見てみる。
何が見えるんだろう?
「アリスター、なにみえる?」
「うーん、海だな……」
そういうことじゃないんだけど……。
「アリスター、ん!」
両手を上げて、抱っこをせがむポーズ。
アリスターは、自然にぼくを抱き上げて片腕抱っこの姿勢。
「ヒューには言うなよ。俺があとでブチブチ文句言われんだから」
おかしいことを言うなぁ、兄様は文句なんて言わないよ?
そして、海を見る。
んー、何も…………あるね。
なんか沖の方に、黒っぽい丸い何かが幾つか浮いているよ?
あれ、なに?と訊こうとしたら、アリスターが「なんだ?あれ」と先に訊いてきた。
アリスターの見ている方向には小さな桟橋があって、今まさに、数隻の舟が着岸して大人の男の人がわらわらと降りてきた。
「んゆ?」
「なんか、あいつら、こっちに来てないか?」
そうだね、みんな走ってこの小屋に向かっているね。
舟を海に出していたのは漁のためだと思うけど、みんな手ぶらで走っているね?
アリスターはその大人たちから異様な雰囲気を感じたのか、小屋の裏に体を潜みながら成り行きを見ている。
「あ!」
と叫んだぼくの口をアリスターが手で塞ぐ。
ぐむむむむ。
大人の男の人は乱暴に小屋の戸を開けると、そのまま中に入っていってしまう。
そして、しばらくして男の人たちが出てきたんだけど……そのうちのひとりは肩に持っていなかった荷物を担いでいた。
それは、縄でぐるぐる巻きに縛られた、あの子だった。