嫌われ者の人魚姫 3
長い間、叩かれたり、蹴られたり、痛いことをされると、声を上げたり抵抗したりすることができなくなる。
泣くこともできずに、頭を庇って体を小さく縮めて、時間が過ぎるのをひたすら我慢して待つ。
幾度も幾度も、ぼくがしていたこと……、この子もそうなんだと思った。
「とうたま、にいたま、こっちにきて」
呆然と立っている父様と兄様の服の裾を引いて後ろに下がらせてから、小屋の戸をよいしょよいしょと閉める。
ふうーっ。
ぼくは、流れていないけど額の汗を拭く仕草をして、兄様と父様に向かって通せんぼをする。
「「レン?」」
「あのこ、こわがってりゅの!とうたまとにいたま、ちかくいったら、めー!」
ガーンって音が聞こえるほどにショックを受けるふたり。
そうだよね、イケメンで騎士団の団長さんとその息子、周りから好意を持たれて当たり前だもんね。
でもあの子は怖いの!たぶん、集落の大人や、子供たちにも日常的にヒドイことをされてたんだと思う。
父様は、ぼくのいつになくキリッとした顔を見て、何かに気づいたようだ。
ぼくの頭を優しくなでなでして、切なげなため息を吐いた。
「そうか……そういうことか……。なら、あの子はすぐにでも保護しないとな……」
「父様、いいのですか?」
「うーん、でもこのまま、ここに置いておけないしな」
あれ?今日は様子見にきて、人魚族かどうかを調べるだけだったはずなのに?
あの子を連れて帰るの?
あの子のためには、そのほうがいいとは思うけどね。
でも、外交問題?スパイ問題はどうするんだろう?
ぼくが短い腕を組んで頭を悩ましていると、後ろで戸が開いた。
「ギル、あの子は落ち着いたわ。でもしばらく、貴方たちは会うのを遠慮して頂戴」
「ああ。刺激しない方がいいだろう。それよりもレイラ。状況が変わった。あの子を連れて帰るぞ」
「えっ!」
父様は、驚いているレイラ様の耳元でこしょこしょ内緒話。
レイラ様はうんうんと頷いた後、輝く笑顔で「そうしましょ」と父様の背中をバンバン叩いた。
父様、痛そう……。
「話をつけるなら集落の長か……。レイラ、案内してくれ。バーニーも付いて来い」
「はっ!」
そのあと、父様は他の騎士さんたちにもあれこれ指示を出していく。
「ヒューとレンにお願いがあるんだけど…。水妖精に頼んで水を出してもらえないかしら?」
レイラ様の言葉に、ぼくと兄様はお互いの顔を見合わせる。
「おみじゅ?」
「ええ。あの子の家の水甕の水が悪くなっているの。事情があって集落の井戸は使えないから、私が替えてあげたいんだけど…」
ん?レイラ様は水魔法を使えるよね?
「レン。水魔法の水は飲み水には向いてないんだよ」
「チルとチロのは、いーの?」
「ああ。水妖精や精霊が作る水は大丈夫。自然のものだからね」
うーん?よく分からないけど、チルに頼めばいいんだね?
レイラ様は、小屋の戸を開けて水甕を外に出して中の水を捨てている。
「チル―」
『なんだ?』
「あのかめに、おみじゅ、いっぱい、だして」
『おう、いいぞ』
ふよふよ。
レイラ様は、チルの姿をちゃんとは見えないんだって。
父様と同じく、光の玉に見えるそうだ。
兄様とレイラ様は水甕の中を綺麗に濯いで、その中にチルが『てりゃー』と気合を入れて、水をジャバジャバ注いでいた。
小屋の戸からこっそり、あの子がその様子を覗き見ているんだけど……あの子?チルが見えているのかな?
『おわったぞー。れん、まりょくもらうぞー』
「あい」
労働には対価を。
ちゃっかりしてますね、妖精さんって。
ぼくには分からないけど、差し出した指の先から、うんくうんくと魔力を飲んで『ぷはー』と満足気なチルは、海を見て『じょーほーしゅーしゅーだ!』とふよふよ飛んでいきました。
元気だねぇ。
レイラが入って行ったみすぼらしい小屋の奥に、女の子が立っていた。
酷く痩せていて痛々しいその子が、俺たちを見た瞬間に蹲り頭を庇って怯える姿に、頭が真っ白になった。
騎士団の団長として、領民を守り魔獣を倒してきた俺は、羨望や好意の眼差し、嫉妬の感情を向けられるのに馴れていたが、子供に怯えられる経験はなかった。
いや、……あったな。
俺と初めて会ったとき、同じように怯えていたレンに服の裾を掴まれて後ろに下がり、あの子が俺たちを怖がっていると窘められた。
その後、まるでその子を守るように両手を広げて、真剣な顔で俺たちを見るレン。
ああ、そうだ。
この子もそうだった。
俺ぐらいの大人が怖い、レン。
何度も抱き上げて頭を撫でても、俺がその手を伸ばすと咄嗟に体を固くするレン。
あの子もレンも、暴力に耐えてきた子供なのだろう。
たぶん、この集落の大人……いや、ヒューにも怯えていたとしたら、子供たちからも暴力を受けているのかもしれない。
細かったあの体に、いくつもの暴力の痕があるかもしれない。
このまま、ここに置いておくことが正しいことなのか、ギルバート!
前の俺だったら、それでも隣国のことを考え捨て置いたかもしれない。
でも……レンと出会った俺には無理だ。
あの子を連れて帰ろう。
そのためにも、この地からあの子だけを保護する理由が欲しいな……。
「ギル、あの子は落ち着いたわ。でもしばらく、貴方たちは会うのを遠慮して頂戴」
レイラが小屋から出てきた。
「ああ。刺激しない方がいいだろう。それよりもレイラ。状況が変わった。あの子を連れて帰るぞ」
「えっ!」
驚くレイラ。
俺は、レイラに体を近づけ声を潜めて話す。
「あの子、村の住民たちから暴力を受けているだろう?そんな所に子供を置いておくのは問題がある。それでだな、隣国からの難民でなければ、こちらで引き取ることもできると思う。あの子が良ければ人魚族の生き残りということにしたい」
「……それは、あとで改めて確認すればいいと思うけど、人魚族の生き残りだったらどうするっていうの?」
「人魚族の生き残りなら、隣国の者ではない。海から流れ着いたなら我が国の者かもしれないし、それこそ人魚族の国から来たのかもしれない」
「それで、通用するの?」
「させる。ここの奴らだって追い出そうとしているんだ、俺たちが連れて行ってもいいだろう」
レイラは、俺の顔をまじまじと見た後、おかしそうに笑った。
そして、その馬鹿力で俺の背中をバシバシ叩く。
地味に痛い……。
「ええ、そうね。なら、集落の長の所に行って話しましょ。あの子が暴力を受けていたなんて気づかなかったわ……。いつもは年配のシスターと一緒だったし……」
レイラはこの集落を訪れるときは、支援をしている教会の者たちと同行していたそうだ。
集落の長の所には、神官と護衛の騎士たちが訪れ、レイラとシスターがあの子の所へ。
じゃあ、ここに騎士たちを残していくのも、あまりよろしくないな。
俺は集落の長の所にレイラとバーニーを連れて行き、残りの騎士たちは来た道を戻り森の入り口で待機させる。
念のため、集落の中を探り、スパイらしき者がいるかどうかも調べさせよう。
「ヒューはどうする?一緒に来るか?」
ヒューは少し迷った後、首を振り、
「僕は、あそこにいる子たちに話を聞くよ。あの子のことと集落の人のこと。子供の方が気付くこともあるからね」
「……そうか、頼む。アリスターを連れていくか?」
「ううん。アリスターはレンの護衛で」
レンの護衛には白銀と紫紺がいるから、すでに過剰戦力だけどな。
それより……ヒューよ、お前は何の情報を集めようとしているのか?
あの子をいじめていた事実確認か?
それともスパイの炙り出しか……。
おかしいな?
ヒューはアンジェと俺の良いとこ取りの自慢の子供だと思っていたのに……いつのまにか、弟そっくりの腹黒さ……いやいや、可愛い我が子に限ってそんなことはない。
俺たちは、それぞれに動くことにした。