嫌われ者の人魚姫 1
ガタン、ゴトン。
「レン、お尻痛くない?」
「ん。だいじょーぶ」
ぼくたちは昨日、一昨日と連日、お祖母様たちに大歓迎され、げっそり疲れてしまった体を馬車の座席に沈めている。
今日は、父様とレイラ様と兄様、白銀と紫紺でお出かけです。
ユージーン様は、また今日も釣りに行きました。
昨日も、笑顔だけど手ぶらで帰ってきて、レイラ様に呆れられていたのに。
お祖父様は、お仕事。
こちらに派兵されている騎士たちのまとめ役なので、今日は稽古をつけてやるって気合入れてたよ?
父様が「あれは……やりすぎるな……」て肩を落として呟いてたけど。
そして、馬車の中の雰囲気は重ーいです。
レイラ様と父様が、真剣な顔でお話ししてるの。
昨日の夜もお祖父様たちと、難しいお話してたのにね。
その難しいお話のために、買ってきた大量の洋服で兄様とぼくのファッションショーが見たいと、駄々をこねたお祖父様が、お祖母様に叩かれていたのに。
父様たちの邪魔をしないように、ぼくと兄様は父様たちが気にしている「人魚族」について、お勉強をします。
「だから、レイラが気になっていても、あの地にいる孤児なら、そんなに親身になってもしょうがないだろう?」
「まあ!そんな冷たいことを言うなんて!やっぱりハーバードと兄弟ね」
プンッと頬膨らますレイラ。
いや、君が辺境伯夫人としての自覚の問題……、はい、ごめんなさい。
ギロッと緑眼でキツく睨まれ、俺は呆気なく降参する。
レイラは、例のブルーベル一族のお家騒動のとき、命を狙われたユージーンと共に、父のいるブルーパドルの街へ避難していた。
そのとき町の外れの集落で、人魚族の生き残りと言われる少女と出会った。
「保護したいんだけど……あの地にいる以上は、手が出せないわ」
「そりゃ……あの地は隣国と我が領の狭間の地。どちらの領地でもあり、どちらの領地でもないからな」
その少女のいる地域とは、長年小競り合いを繰り返している隣国と、我が国我が領地との間にあるハーヴェイの森の一角。
『見捨てられた地』
海に面した、そこだけ切り取られたように木が伐採された僅かな平地に作られた、小さな集落。
もともと木々が少なかった所に、隣国から舟に乗って渡ってきた難民が、長い年月をかけて開拓した集落なのだろう。
ただし、可哀想とこちらで保護すれば、その中にいるかもしれない、隣国のスパイに足を掬われる可能性がある。
善意で施した結果が、領民の命を失うことになる……それだけは避けなければならない。
だから、代々ブルーベル辺境伯は、その地にいる者に人道的支援はしても、保護することはなかった。
もちろん、今後もそうだろう。
その少女がスパイだと疑っているわけではないが、ひとりを特例で保護すれば、当然他の者も保護を願いでるだろう。
だから、ハーバードが言った、「放っておけ」というのは、間違いではない。
間違いではないが……、ハーバードも言い方ってやつがあるだろう。
すっかりレイラは臍を曲げて、依怙地になってしまっている。
「可哀想だわ。母親とふたり数年前に海岸に流れ着いたそうなの。母親はそのまま体を弱くして、半年前に亡くなってしまったそうよ。今は残されたその少女だけで生活しているんだけど……」
「母親が生きているときは、人魚族の生き残りと邪険にされていなかったのか?」
「ええ。母親が亡くなった晩に、集落の長の子供が見たそうよ。彼女の涙が真珠に変わるのを」
「涙が、真珠に……」
それは、人魚族の特徴のひとつと伝えられているが、おとぎ話の類だけどな。
人魚族は下半身は魚で、人間に擬態してもどこかに鱗が生えている。
悲しみの涙は、真珠に変わる。
海を、波を操り、歌声で船を沈めることができる。
絵本に描かれている内容だ。
しかし……、人魚族は遥か昔に滅んでいるはずだ……、神話として語られる大戦で他の種族に敗れ……聖獣の加護も空しく散ったはず。
「あの子が人魚族の生き残りならば、人魚たちが取り戻しにくると恐れているのよ。しかも、聖獣様の報復があると思って、彼女を追い出そうとしているの……海の中へと」
人魚族の生き残りでなかったら、ただの少女を海に沈めようとしていることになる。
「はぁっ、こんなこと、俺に解決できるわけないだろうが……」
俺は嫌な頭痛を感じて、頭を押さえる。
瞑った目の奥に、弟のいい笑顔が見えた気がした。
紫紺が器用に後ろ足で立ちながら、ぼくたちに人魚族について教えてくれる。
「いい?人魚族とはその名のとおり、上半身が人の姿で下半身が魚の姿をしている種族のことよ。人族のヒューやレンよりは長生きをするわ。水魔法が得意な種族ね。他にも歌声を使った操作系の魔法も得意よ」
ふんふん。
なんか前世の人魚とセイレーンが混ざった感じだけど、イメージは一緒だね。
「他の魔法はできないの?」
「いいえ。成体は、陸に上がると下半身が人に擬態できるの。陸では他の魔法属性も使えるけど、まあ初級程度ね。火魔法は扱えないわ。あとは、人に擬態しても体の一部に鱗が生えているのと、耳の形状が人と違うことと、指の間に水かきがあることが目印ね」
ぼくは、自分の手の指を見る。
この指の間に水かきがあるんだぁ、へえー。
グーパーグーパー。
「あ、あと、悲しくて泣いたときの涙は真珠に変わると言われているわ。アタシは見たことないけど」
へえー、ファンタジーな世界だねぇ。
「人魚族って強いの?」
「個人差があるわ。ひとりひとりの能力は陸だったら人族と変わらないわよ。でも水の中では強いわよ?」
「それって、聖獣の加護があるから?」
「…っ。……」
兄様の質問にテキパキ答えていた紫紺が、不自然に黙る。
ぼくは、コテンと首を傾げて、紫紺を見つめると、興味なさそうに寝ていた白銀が、わっと紫紺に覆い被さって。
「あー、ヒマだヒマだ。外に出て走って行こうぜ、紫紺」
「え!ええ」
ふたりは、急に馬車の窓から外へと飛び出し、馬車と並走するように走り出してしまった。
「?」
なんだろう…、ぼくにはまるでふたりが、聖獣の話をわざと避けたように思えた。
隠さなきゃ。
隠さなきゃ。
夜、寝ている間に剥がれる鱗。
母さんを思い出して流れる涙が変わった乳白色の玉。
見つかったら、また「化け物」って言われて殴られる。
隠さなきゃ。
小屋の中のむき出しの土を、手で掘り返す。
土が固くて、爪に血が滲む。
隠さなきゃ。
見つかったら、海に連れて行かれる。
海はダメ。
怖い。
だって……。
わたしは……泳げない……から…。