風の精霊の気まぐれ 3
ぼくは必死にミランダ嬢から目を背けている。
紫紺は「あらあら、まあまあ」と目を半月型にしてニマニマと笑っているが、本人にしたら大問題である。
ただ……本人が自分の危機に全然気がついてない。
兄様なんて、標的が自分から他人へ外れたからウッキウキの笑顔で、アルバート様たちのほうへ小走りに行ってしまった。
そう、ミランダ嬢が騎士に例の怪しいアクセサリーを渡して事情を簡単に聞かれている間、ずっとずっと、目をハートのマークにしてアリスターを見つめている。
兄様ではない。
アリスターをうっとりと見つめている。
ミランダ嬢からアクセサリーを提供してくれる言質を騎士らしい態度と人懐っこい笑顔で取ったアリスターは、その後も先輩騎士に「被害者です。優しく聞き取りをしてあげてください」とか「騎士による送迎を頼みます」とか「女性騎士を派遣してください」とか気遣っていた。
ミランダ嬢にも微笑んで、「怪我をしていないか」とか「喉が渇いてないか」とか体調に気配りし、テキパキとホワイトホース侯爵への連絡と、待機所の手配を済ませていた。
つまり……自分に塩対応の兄様より、優しくて紳士なアリスターへ恋の標的が変わってしまったのだ。
えーっ、アリスターのこと「獣まじり」ってバカにしていたのに?
この疑問に兄様は答えてくれず、アリスターはまったくミランダ嬢からの好意に気づかない。
どうなっちゃうのかな?
首を傾げて腕を組んで考えるけど、お子ちゃまなぼくには荷が重いので、見なかったことにします!
「にいたま~。まっちぇー」
とてとてと兄様の後を追って走り出すぼくなのでした。
ごめんね、アリスター。
風の上級精霊 リーズ
それがアルバート様と契約した風精霊の名前だった。
「どうしてアルと契約したかだって? それは面白そうだからだ!」
こんなことをババーンと胸を張って言い切っちゃう精霊だ。
父様が頭を抱えている。
自分の周りにはマトモな精霊がいないと嘆いていた。
そんなことないよね?
ぼくはアリスターに抱っこされているディディを見てニッコリと笑った。
ここに優秀でかわいい火の中級精霊がいるし、騎士団の訓練場の泉には優しい水の中級精霊エメがいる。
ドロシーちゃんと友達の土の中級精霊チャドだって最近一緒にお花を育てて、とっても仲良しになったんだよ。
てしてしと父様の大きな手を叩いて、そう教えてあげると、父様は泣きそうな顔でフルフルと頭を横に振るだけだった。
「ギルは放っておきましょう。アリスターが止めたので私はあのホワイトホース家の我儘令嬢の尋問ができませんでした。しょうがないので、こちらの迷惑精霊で我慢します」
チャキッと片眼鏡の位置を人差し指で直して、厳しい眼光を風の上級精霊リーズへと向けるセバス。
「ほえっ? な、なんかこの兄さん……怖いなぁ」
「ほう、精霊も怖いという感情があるのですね? では、怖がってください。私が貴方に質問します。正直に答えないとあの者たちのようになります」
すーっとセバスが指し示した場所には、なんだか空から落ちてきたときよりもポロポロに草臥れたアルバート様とリンの姿が。
ゴクリと唾を飲み込んでリーズさんがフヨフヨとセバスからやや距離をとる。
「な、なにが聞きたいのかな?」
「そこのバカどものとの契約の件はもういいです。精霊の気まぐれというものでしょう。私が聞きたいのは、この会場に蔓延していた瘴気を浄化したのは貴方ですか?」
アルバート様と風の上級精霊との契約は大事なことだとみんなが思ったけど、セバスの邪魔をしちゃダメだから、みんな口を噤んだ。
兄様もギュッと口を引き結んでいる。
ぼくは両手で口を塞ぎました。
「そうだよ。あと、厄介な瘴気が実体化していたから、そっちも浄化しておいたよ。こちとらダンジョンの奥深くに拘束されていたから、精霊力が有り余っていたからね」
バッチーンとウィンクをされたけど、セバスは涼しい顔でひとつ頷くだけだった。
「厄介な瘴気が実体化ってなんだ? そんなモノは見えなかったぞ」
父様がコテンと首を傾げ、セバスやアルバート様たちも不思議顔です。
ぼくにはバッチリ見えてましたかけどね、黒くて大きな兎さん。
「君たちには見えないよ、妖精、精霊じゃないからね。そこの役立たずの神獣や聖獣にも見えないんだから」
片手をヒラヒラと振り、カラカラと陽気に笑うリーズさんの目は、冷たく白銀たちを見つめている。
ぼくまで、その視線の冷たさに背中がゾクゾクとしてしまった。
「じゃあ、ここはもう安全だな」
「呑気だね、アルは。でも、ここに厄介な瘴気はないよ。人の心の中まではわからないけどね」
「……それは仕方ない。どんな善人でも悪しき気持ちを持たない者などいないのだから」
父様がへにゃりと情けなく笑うと、セバスは父様に向かって小さく頭を下げた。
「ふんっ。そんなことぐらいわかっているよ。わかっていないのは神獣や聖獣だろう。いつまでたっても迷惑ばかりかける」
「なに? 俺様がどんな迷惑をかけたってんだ!」
真紅がダダダッと駆けだしリーズさんの前に出ると、腕を組んで鼻息荒く詰め寄った。
「……実体化した瘴気……あれ、ボクは知っているよ。毛並みの色は違ったけど、あれは君たちのお仲間だろう? 大きな兎」
リーズさんから発せられた「兎」の言葉に、ビクンと真紅が反応する。
真紅だけじゃない。
白銀や紫紺までが顔を歪めて、リーズさんから顔を背けた。
「神獣クラウンラビット。闇堕ちしたままの君たちのお仲間だろう?」
リーズさんの言葉が白銀たちだけでなく、ぼくたちの胸も鋭くえぐっていった。