黒くて悲しいモノ 5
床に入った亀裂がどんどん広がり、揺れがひどくて立ち上がれない人たちがその亀裂に飲み込まれ、上半身だけで必死にしがみついている。
ぼくも真紅もグラグラと揺れる床に立っていられないどころか、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと転がるのが止められない。
「あ~あ、なにやっているの」
慌てて紫紺が右腕にぼく、左腕に真紅と抱え上げてくれた。
「ふぃ~っ、ヒドイ目にあった」
「しこん、あっち。にいたまのとこ、いくの!」
ぺちぺちと紫紺の右腕を叩いて主張すると、紫紺はすごく嫌な顔をした。
「白銀のところは危険よ。だって、あそこにいるんでしょう? 真っ黒な兎」
そう、兄様たちの近くには白銀がいて、その近くには黒いモヤモヤでできた黒い兎さんがいます。
……いるっていうか……白銀と兎さんは戦ってます。
おかしいな? 白銀には黒いモヤモヤが見えないから、兎さんのことも見えていないはずなのに……どうやって戦っているの?
「見えねぇから、白銀が一人でおかしなダンスを踊っているみたいだ」
「そうね……。直視できない滑稽な姿だわ」
神獣聖獣仲間である紫紺と真紅から厳しい意見が飛びだしたけど、兎さんの見えない攻撃も当たらないはずなのに、どうやって戦っているの?
「んゆ? うさぎしゃん、からだある?」
白銀が避けた兎さん前足の攻撃が、別の人に当たってその人がポーンとお空に吹っ飛んでいった。
ドンッドンッと足踏みしたら床が揺れて亀裂も入ったし……姿は見えないけど、体はあるのかな?
「瘴気だから見えないし気配もわからないけど……こっちへの攻撃は問題なくできるみたいね。でも……白銀の攻撃はかすりもしてないから、一方的なカンジかしら?」
「それってズルくね?」
真紅が口を尖らせてるから、ぼくもむうっと口を尖らせました。
こっちの攻撃は当たらないのに、兎さんは攻撃できるのは、ズルいです。
ぺちぺち。
「しこん。しろがね、たすけにいくの」
「ええーっ。でもしょうがないわね。あのバカはどうでもいいけど、ヒューたちは避難させないと」
「ちょうどいい。あっちからギルバートと陰険執事が来たぞ」
真紅の指差す方向へ視線を向ければ、騎士服を着た凛々しい姿の父様が周りの騎士たちへ命令して、観客たちをテキパキと避難させていた。
黒いモヤモヤのせいで乱暴者になっていた人たちには、セバスがシュッと手刀で倒していて、カッコイイ!
「にいたまと、アリスター。みんなでひなん!」
ぼくは、ぺちぺちと紫紺の腕を叩いて催促した。
「はいはい。早く合流して会場の外に行きましょう」
紫紺はぼくと真紅を抱えたまま走り出した。
見えない……だが、なにかをを感じる。
両手に構えた剣で、勘を頼りにナニかを払うと、ズシンと重さのある攻撃を受け止めたことがわかった。
「ちっ。なんで瘴気如きが実体を持ってんだよっ」
さっきまで、そこら辺に転がる奴らを操っていたくせに、急に直接攻撃してくるなんざ、小賢しいじゃねぇか。
右、左と剣を構えると、ガキンガキンと硬質な音が周りに響く。
相手も剣を持っているのか? それとも別の武器か?
大きさは……俺よりデカいか? なにせ試合会場の床に亀裂を入れられるぐらいだ。
「ヒュー、アリスター。お前たちはレンと合流して逃げろっ!」
後ろで俺を見守っているヒューたちに声をかける。
この異常事態に二人の顔が強張っているが、他の奴らみたいにみっともなく転がっていないだけマシだ。
「ヒュー。団長たちだ」
アリスターの言葉に、やっとギルたちが来たとわかる。
俺はどうでもいいが、怪我人や死人が出たらレンが悲しむかもしれないから、ギルのヤロウは役に立たない観客たちを片付けてほしい。
「あ、イテ」
このヤロウ! ちょっと気が逸れたら腹に一発いれてきやがった。
なんか……もふんとしたが……どんな武器を使ってんだ?
「しろがねーっ」
あ~あ、レンまでこっちに来ちまった。
敵の猛攻が始まった気がするから、レンにまで気がまわらない。
「紫紺、早くレンたちを連れて逃げろ」
ガキンガキンと剣を交わすスピードが速くなる? いや、違うな……こいつ、両手剣の使い手か?
「白銀、気をつけなさい。レンが見たところ、そいつは黒い兎だそうよ」
タタタッと走り去りながら告げられた紫紺の言葉に思考が一瞬止まる。
兎……それは……、もしかして?
俺の耳に遠い遠い過去に聞いた、奴の声が……「フェンリル……」と呆れ諭す声が聞こえた気がした。
「しろがねーっ! よけてーっ」
あ……ヤバ……。
頭上に圧倒的な力の奔流を感じる。
「あ、待ちなさい、レン!」
バカ、レン。
こっちにくんな!
俺は大丈夫だから。
神獣フェンリル様は、たかが瘴気の攻撃で死にはしない。
だから……レン、来るな!
なんで?
なんで? 白銀はピタリと動きを止めてしまったの?
黒い兎さんは両前足を大きく上げて、力いっぱい白銀へと振り下ろそうとしている。
その爪は鋭く、その足に黒いモヤモヤが、濃い黒いモヤモヤの塊がある。
そんなの白銀にぶつけちゃダメ!
やっぱり、ぼくが浄化しなきゃ!
ジタバタと走っている紫紺の腕の中から抜け出して、べちゃと着地のときにお尻を打ったけど、痛いのは我慢して白銀の元へと走る。
「しろがねーっ! よけてーっ!」
いやだよ、白銀。
大切なぼくのお友達。
ぜったい、ぜったいにぼくが守る。
力の使い方なんて知らないけど、シエル様にお祈りしたら使えるかな? 浄化の力。
走りながらぼくはシエル様にお祈りする。
ぼくの大切なお友達を助けてって。
そうしたら……。
んゆ?
兎さんの上、お空からなにか……?
「そぉ~れ、ドッカーン!」