黒くて悲しいモノ 4
ドンッドンッ。
黒いモヤモヤが大きな塊になって、真っ黒な兎さんの形になりました。
その兎さんは怒っているのか、さっきから右足を大きく踏み鳴らしています。
ドンッドンッ。
ユラユラと剣術大会の試合会場が地震みたいに揺れているような?
「揺れてるわよっ。瘴気が実体化して周りに影響を与え始めているわ。見えないけど……」
紫紺が両手を頬にあてて大きな口で叫びます。
んゆ? こんなポーズの絵を見たことがあったけ? ちょっと懐かしい気持ち。
「ボケッとしてんな、レン。瘴気が大きくなって黒い兎の姿になっているんだな?」
真紅の質問にぼくは頷いて、耳がピンと立った黒い兎さんがドンドンと足を踏み鳴らしていると教えてあげました。
「マズイぞ、紫紺。それはたぶん……」
「ええ……間違いなく神気が混ざった瘴気が元の姿を模ったのでしょうね。クラウンラビットの……」
紫紺たちが言うには、黒い兎さんは瘴気が取り込んだ神気の持ち主である神獣クラウンラビットの姿らしい。
本当のクラウンラビットは真っ黒じゃないんだって。
「あーっ、ヤバイ! ヤバイぞ、紫紺。さっき、あっちに白銀が走って飛び込んでいっちまった」
「あ……」
「んゆ? しろがね、にいたまたち、たしゅけに、いったの」
大勢の人が武器を持って暴れている中に兄様とアリスターはいるから、白銀が人化したまま助けに行ってくれたんだよ。
「白銀は奴とは相性が悪い」
「白銀が苦手にしているだけだから、クラウンラビットのほうは何とも思ってないと……思いたいわね」
紫紺が腕を組んでふーっとため息を吐いた。
「いや、機嫌がますます悪くなってんじゃねぇか! 揺れが酷くなってんぞー!」
真紅が焦って右足と左足を交互に上げている。
まるで踊ってるみたいだが、笑いごとではない。
だって、ぼくなんか立ってられなくてべちゃと床に転がっているからね?
段々と揺れが酷くなってきて、今や会場全体がぐわんぐわんと右に左に上に下にと激しく動いている。
ぼくはコロンと転がったら立てないし、あの子、ミランダ様は柱に必死の形相でしがみついている。
会場で大暴れしていた人たちも、異常な揺れに気がついてピタリと動きを止めた。
キョロキョロと辺りを見回すピョコンとした赤い耳はアリスターで、そのちょっと下にキラキラと輝いているのは兄様の金髪だ!
よかったぁ。
二人とも無事だったみたい。
怪我とかしてないかな? 痛いところはないかな?
「にいたま、そこは、あぶないのー」
兄様たちの後ろにいる黒い兎の前足がノロノロと動いて、立ち尽くしている兄様とアリスターを薙ぎ払おうとしているんだ。
逃げて! 兄様、アリスター!
グラッと足元が大きく揺れた気がした。
「アリスター、床が揺れてないか?」
背中合わせに剣を振るう従者であり、親友でもあるアリスターに言葉をかけると、アリスターも尻尾をバタバタと忙しなく振り答えた。
「ああ。最初は大勢がドタバタと動くからかと思ったけど、なにかの振動を感じる」
「ふむ」
僕たちに襲いかかってくる人たちは、騎士だったり兵士だったり、冒険者たちだったりする。
たまに審判や観客が交ざっているのはよくわからない。
本来なら、まだ未熟なぼくやアリスターで切り抜けられる窮地ではないけど、全員がなにかに操られているような、正気を失った状態なので、攻撃が単調になり、僕たちだけでも攻撃を簡単にいなすことができている。
グラッ。
「まただ」
アリスターも「ちっ」と舌打ちをして、忌々し気に床を睨みつけている。
襲ってきた相手とガキンと剣を打ち合わせて、ガラ空きになった胴へゲシッと蹴りを入れる。
アリスターも騎士らしい剣術ではなく手足も使った戦い方に切り替えていた。
「……ヒュー。なんかイヤな予感がする。これってもしかしてレンが言っていた黒いモヤモヤ……」
「そうだと思う。たぶん瘴気のせいだろう。そして、この床の揺れも……」
グラッときたと身構えると、グラグラと大きく揺れ始める。
体勢が崩れた人たちはその場に尻もちをついたり、横倒しになったりと、武器を振り回す余裕がなくなる。
「ヒュー」
「この揺れで鎮静化してくれればいいが……」
やっと、一息つけそうだとアリスターと並んで剣を下ろしたとき……誰かに抱えられ横っ飛びに移動させられた。
そのままゴロゴロと転がり、ハッと気づいたときにはその誰かの背中に守られていた。
「……もしかして……白銀?」
ピンピンとあちこちに跳ねた白銀の髪と鍛えられた体、重さのある大剣を片手で軽々と扱うその姿は、神獣フェンリルである白銀の人化した姿。
白銀はチラッとこちらを振り向いてニカッと笑ってみせた。
「おお、無事だったかヒューとアリスター。ここら辺には瘴気が溜まっているらしい。気を付けろよ」
瘴気は残念ながら僕たちには見えないし、神獣や聖獣である白銀と紫紺たちにも見ることができない。
見ることができるのは、妖精や精霊、そして……僕の弟のレンだけだ。
「白銀様。誰か敵がいるのですか?」
アリスターが不思議に思うのも無理はない。
白銀は大剣を誰も何もないところへと向けている。
「……見ぇねぇんだけどよ、なんかここら辺に気に食わない奴がいる気がするんだよなぁ」
白銀が吐き捨てるように呟くと、グラッと一際大きく会場が揺れた。
まるで、その何かも白銀を気に食わないとアピールしたかのように。
その揺れは大きく、激しくなり、とうとう床に亀裂が入り始めた。