黒くて悲しいモノ 2
試合会場の床全面に這っていた黒いモヤモヤはニョンニョンと触手のように黒い腕を伸ばし、剣や武器を持って暴れている人にグルリと巻きつく。
黒い触手が巻きついても動きは阻害されないのか、みんなブンブンと元気よく武器を振り回していた。
「あぶないの」
そんなにでたらめに振り回していたら、人に当たって大怪我しちゃうよ?
「怪我させるために振り回してんだろうが」
フンッと真紅が鼻で笑う。
だったら、すっごく危ないじゃないか!
兄様たちを助けに行かなきゃ! とパッと立ち上がって華麗に走りだそうとして……ビタッと止まる。
真紅がぼくの服をしっかりと掴んでいたからだ。
「しんく?」
「だから、落ち着けって。そのうち白銀たちがやってくる。あいつらなら、暴れている奴らを一瞬で倒せるからな」
倒していいの? 白銀たちがこの人たちを怪我させたら、父様が偉い人から怒られるのでは?
ぼくと真紅が話してると、隅っこで膝を抱えて震えていたあの子が「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。
「んゆ?」
どうしたの? とあの子……えっと、名前なんだっけ?
「おい、レン。上を見てみろ。観客たちがあちこちで暴れ出したぞ」
真紅が指さす場所では、試合を見に来ていた観客が殴り合いをしていた。
別の場所では、キレイな服を着たお姉さんがビシバシと扇子で大きな男の人を叩いている。
「わ、わあああっ」
真紅や他の人には見えないかもしれないけど、ぼくには観客席の床からニョンニョンと伸びている黒い触手がバッチリと見えている。
黒いモヤモヤが、意思を持って動きだしてこの会場にいる人たちを襲っているみたい。
ど、どどど、どうしよう。
「ゴクリ。や、やっぱり、ぼく、じょーか、する?」
ぼくしか浄化できる人がいないんだもん。
あ、あと、火の中級精霊ディディと……ダイアナさんは姿が見えないし……あと、あと……どうしよう。
ぼくとディディだけで、このたくさんの黒いモヤモヤをキレイにできるかな?
「落ち着けって。レンは絶対に力を使うな。確か水のちっこいのがヒューの命令で精霊王を呼びに行っている。俺様はあいつが大嫌いだけど、精霊王が来るまで待っていようぜ」
「んゆ?」
兄様の命令でチルとチロが水の精霊王様を呼びに行っているの?
し、知らなかった……。
いつもチルは「情報収集」と言い、びょーんと遊びに行ってしまうので、ここのところ姿が見えないことも気にしていなかった!
「みずのせーれーおーさま、まつ」
ぼくは、再びちょこんとその場にしゃがんだ。
「そうそう。すぐにあいつらが呼んできてくれるって。俺様たちはここで待機して、一番おいしい場面でカッコよく登場するのだ!」
それって、ズルくない?
ジリジリ……。
じっと我慢して待っているけど、じゃじゃ~ん! と水の精霊王様は登場しないし、白銀と紫紺も来ない。
セバスや他の騎士さんたちも見当たらないし……こんなに騒ぎになっているのに、父様たちも来ない……。
え……っと、ぼくたち忘れられてないよね?
ぴょこんとときたま現れる赤い狼の耳で、兄様たちの居場所はわかるけど、いろんな人で乱闘しているから兄様の無事は確認できない。
うう~っ、怪我していたらどうしよう。
それに……床全面に這っていた黒いモヤモヤは、今は試合会場のど真ん中へと移動しつつある。
観客席でニョンニョンとしていた黒い触手は、黒いモヤモヤに姿を変え、まるで滝のように上から下へと流れ落ち、やっぱり会場のど真ん中へと移動している。
でも、この黒いモヤモヤが見えるのはぼくだけなんだよねぇ。
真紅に話したけど、「それがどうした?」ときょとんとされた。
黒いモヤモヤが集まったらどうなるんだろう?
なんだか厄介なことになりそうな気がするんだけどなぁ……。
ようやく剣術大会の試合会場の扉が開いた。
ウィルフレッド様が取り出した精霊楽器で、ピューヒョルルルと調子が外れた音を奏でると、パキンと何かが壊れた音が響き、どうやっても開かなかった扉を開くことができた。
その代わり、ウィルフレッド様は疲労困憊、ぜえぜえと息も荒い。
自分も会場内に入りたいと申し出るウィルフレッド様を、護衛たちに任せて俺と騎士団が中に入る。
「ギルバート様。まずはどうします?」
「どうするも何も、相手は精霊じゃないと太刀打ちできん。とりあえずは観客の避難最優先。そして、正気を失って暴れている奴らは手荒な真似をしてもいいから外に連れ出し教会へ連れていけ」
確か、紫紺が「瘴気」の「浄化」は教会の徳の高い神官ならできる……かも? と言っていた。
普段は高い布施を貰って偉そうにしているのだから、一大事には役に立ってもらわんと困る。
「アドルフ。バーニーたちと合流しセバスの指示で動く奴を何人か見繕ってくれ」
「……わかりました」
正直、精鋭のブルーベル辺境伯騎士団だけで動きたかった。
王国の騎士たちも連れていると、とにかく動きにくい。
でも、観客の避難誘導ぐらいなら、ぬるま湯に浸かっていたのんびり騎士たちでも問題なくできるだろう。
俺は剣を片手に会場内を走りながら、白銀と紫紺たちを探していた。
なんとなく……ヤバい敵が現れるような、嫌な予感がするんだよなぁ。